彼らがいつかこの地に戻るためには
満足した宇宙クラゲは、ひどく素直に宇宙への帰途についた。
彼らの濃密というか重厚な感謝の念は、ちょっとしたトラウマになりそうな圧を持ったテレパシーとしてカイトに届けられた。頭が痛い。
ゾドギアの代表は個人的なお礼とばかりに、地球上に残っていたすべての地球人をアバキアへと瞬間移動させた。
そう、
相変わらずの大雑把さで、リティミエレやアバキアで準備をしていた機械知性たちが新たな混乱に巻き込まれている。
既に連邦市民と認定されていたカイトはまだ地球上だ。頭上を見上げれば、黒々とした二つの球体が空の上に小さく見える。
地球には十体のテラポラパネシオが居残って、地球環境の回復作業に従事することになったという。その説明をしてくれた代表はこの後、ゾドギアに戻る。カイトに事情を説明し、意思を確認するために残ってくれたのだ。この会話は、生き残った地球人たちに万が一にも聞かれてはいけないものだから。
『カイト
「戻ることが出来ると?」
『我々は君に深く感謝している。特例として、連邦政府に君たちをここに戻すよう働きかけることも検討している』
「お気持ちはありがたい……とてもありがたいのですが」
カイトは静かに首を横に振った。
テラポラパネシオによる環境の回復。それはつまり、地球人類がふたたび地球上で生活できる可能性を示す道でもある。
連邦法の上では地球の代表と認定されているのがカイトだ。もしその提案を受け入れれば、彼らは真摯にその為に力を尽くしてくれるだろう。だが。
「僕はそれを望みません。彼らがそれを願うなら、それは彼ら自身の努力によって成し遂げるべきだと思うからです」
地球人は、滅ぶはずだった。
いくつかの幸運によって、滅びを回避することが出来た。
その幸運に甘えてしまえば。その先に待っているのは、次は誰からの助けも得られない本当の滅びだ。
それに、彼らは歴史も、文化も、これまでに培ってきたものをほとんど失ったのだ。知性体として生きる気力を取り戻すには、何か新しい目標が必要だろう。
『そうか。それがカイト三位市民の考えであるなら、我々はそれを尊重する』
「ありがとう。それとは別に、お願いしたいことならあります」
『ほう。聞こうか』
「ディーヴィンに連れ去られた十万人の地球人。彼らの救出に力を貸していただきたい」
『それは頼まれるまでもなく、当たり前の業務だよカイト三位市民。心配は要らない』
「ありがとう、代表」
差し出された触腕を、握手するようにそっと握る。
そういえば、と代表が何かを思い出したような様子を見せた。
『前に君は、自分が地球人の代表をするのは向いていないと考えていたようだが』
「ええ」
『なかなかどうして、君は立派に地球人の代表をやっていると思うぞ』
「そうですかね?」
有難いのか、有難くないのか。超能力を使えるようになったからか、カイトの思考はテラポラパネシオでも読み取れなくなったようだ。代表の言葉に、わずかに感じた喜びを苦笑に隠して。
カイトはエモーションを連れてクインビーへと向かうのだった。
***
アバキアの中は、確かにゾドギアと同じようなつくりをしている。
だが一方で、地球人のために揃えられた内部環境は、なるほど崩壊する前の、懐かしい地球の一部を切り取っているようだった。
「初めまして、カイト三位市民。自分はシズォンガ。お会い出来て光栄だ」
「初めまして、シズォンガさん。こちらこそ」
アバキアの代表は、どちらかというとリティミエレに近しい風貌だった。体毛の色が感情によって変わるのも同じようで、今は全身の体毛が緑色になっている。
握手を交わして、用意された通路を歩く。エモーションは人型になって少し後ろをついてきている。
「おおむね全員が、微細マシンの移植という改造を選んでいるよ。やはり生まれついた在り方を大きく変えたいと思う人は少ないようだ。中には熱心に全身機械化を選ぶ人もいるが、この辺りはどの文明でも一定の割合でいるからね」
「星が違っても、そこまで大きく違うことはないんですね」
「それはそうさ。連邦に加入する種族は、それが出来る程度の知性と社会性を獲得している必要があるのだから」
連邦に加入している種族は二千あまりと聞いているが、それも既知の種族の六割程度らしい。連邦に加入して互いを尊重できるだけの社会性を獲得出来ていない、種族的思考として他種族と交わろうとしない、そもそも連邦の法を守るつもりがないなど加入しない、させない理由は様々だ。
ディーヴィン人への聞き取りも進んでいるようで、尋問はテラポラパネシオが担当しているという。ピクラシカアという個体から思考と記憶を読み取っている最中で、余罪が次々と明らかになっているという。
「ゾドギアにいるから、興味があるなら後で見に行くといい。ディーヴィン人と連邦の間で戦争になるかもしれないしね」
「戦争?」
「ああ。彼らは連邦への再加入を望んでいたようだが、そのために行っていたのが連邦法を無視した犯罪だ。理解できんよ」
シズォンガの体毛が、赤と黒の斑色に染まりながら逆立つ。随分と怒っているようだ。どうやら地球に残っている神話の一部には、ディーヴィン人による地球文明への干渉が含まれていたようだ。まったく、ロクなことをしない。
カイトの視線に気づいたか、体毛の変化が収まる。
「いや、お恥ずかしい。リティミエレにはもう会っていたよね。我々の種族はこう、感情の変化が体毛に反応するんだ。リティミエレの奴よりは制御しているつもりなんだが」
「お気になさらず。やはりリティミエレさんと同じ種族の方でしたか」
「血縁なんだよ。リティミエレはまだ若いが、あれで優秀な子だ。仲良くしてやってもらえると嬉しい」
「僕だけでなく、地球人はみなお世話になっていますよ」
シズォンガとは話が尽きないが、目的地は近づいてくる。
行き止まりが目の前でずれるのも、いい加減慣れてきた。シズォンガと別れて、部屋へと入る。背後で再び通路がずれる音。
中には、レベッカ一人が待っていた。アリサと両親はいないのかと目線で確認すると、察したのかレベッカが口を開く。
「三人はちょうど、改造を受けているところよ」
「君は?」
「先に終わらせたわ。特に実感はないけど」
「そんなものさ。僕も同じだった」
「超能力を使えるようになる改造なんてあるのね。確かにあなたなら選びそうな改造だと思ったわ」
「まさかとは思うけど」
カイトはロマン優先でこの改造を選んだが、地球人がそれを選びたがるのではないかとちょっと不安に思っていた。特に、目の前でカイトの超能力を見たレベッカなどは。
だが、レベッカは首を横に振った。
「私は無難にナノマシン……超微細マシンだっけ? そっちの改造にしたわ。アリサが超能力にしたいってゴネて、説得に苦労したけど」
「それは……ありがとう。これまでにもアリサの身を守ってくれていたと聞いた」
「いいのよ。あなたを助け出せなかったって負い目もあったし」
沈黙が下りる。三年だ。決して短くはない。
先に耐えられなくのはレベッカの方だった。湿った雰囲気を振り払うように、つとめて明るく聞いてきた。
「それで? 用件は何かしら」
「地球の環境は、あの宇宙クラゲ達……テラポラパネシオが回復させてくれることになった」
「……本当!?」
「ああ。だが、同時に地球は連邦の資産となる。
「そんなっ」
「連邦の居住区についたら、七位市民の市民権を地球人全体が保有できることを目標にするといい。何をすればいいか分からない人生は……辛いだろうからね」
カイトの言葉に、レベッカが眉根を寄せる。
それが別離の言葉だと分かったのだろう。不安そうな顔で聞いてくる。
「一緒に来てくれるんじゃ、ないの?」
「ディーヴィンが先に売り飛ばした十万人。これを助けないといけない。連邦の皆さんに全部任せるわけにもいかないだろ?」
「それはそうかもしれないけど。あなたはこれだけの地球人を救ったのよ? それに元々はあなたこそが」
「違うんだ、レベッカ。それは結果論に過ぎない。僕は地球に戻ることを選ばなかった。最初に君たちを棄てたのは僕なんだよ」
指導者としての役割を求められるのが嫌だったから。ただ一人のカイトとして最期の自由を求めたから。結果が良かっただけのことで、褒められるようなことは一つもないのだ。
黙り込んだレベッカに、カイトは心からの願いを告げた。
「君が彼らを導くんだ、レベッカ。君になら、後を託せる」
「何で……!? 私は補佐として」
「その前は、僕と同じことを学んできたじゃないか。
「でも」
縋るような視線から、目を逸らす。
望みもしない役割を演じるつもりはもうない。たとえそれが、役割を誰かに押し付けることになったとしても。
「僕に指導者としての役割があったとするなら、それは皆を連邦に連れてきたことで終わりとしたい。地球人を助けたら、僕はエモーションと気ままな旅暮らしをするつもりだ」
「エモーションって……そのひと?」
「ああ。追放刑の頃から僕をずっと支えてくれたパートナーだ。背中を預けられる、信頼できるひとだよ」
「初めまして、レベッカさん。元刑務官8979……と言えば分かりやすいでしょうか。機械知性としての名前はエモーションです」
「機械知性……人間じゃないの?」
「はい。元々は宇宙監獄の刑務官として、キャプテン・カイトの生活管理をしていました」
「そう。カイトは変なやつだったでしょう?」
「ええ。行動パターンも思考パターンも、理解できないことが多くて大変なことばかりです」
「……羨ましいわね」
その瞬間、レベッカの体が崩れ落ちた。
カイトはレベッカが倒れないように支えると――背中に隠していた刃物を分解しながら――近くにあるベッドに運ぶ。
「キャプテン・カイト? いくらなんでもその対応は非人道的かと」
「何のことかな」
「説得の見通しはありませんでしたが、昏倒させるなんて」
「本当に君は、自分への敵意に鈍感というか……いや、何でもない」
「何ですか、人を馬鹿みたいに」
レベッカを超能力で気絶させた理由を、エモーションが誤解しているならば誤解のままで良い。人の悪意を学ばせる必要なんてないからだ。
エモーションの小言を適当に受け流しながら、カイトは部屋を後にした。
もうこれで、地球と地球人に対しての心残りはどこにもないのだから。
***
目を覚ましたレベッカは、そこにカイトたちがいないことに気付いて深く嘆息した。アリサたちは戻ってきていない。カイトが来たことも知らないままだろう。
隠し持っていた刃物はどこにもなかった。回収されたか、破壊されたか。微細マシンの操作で作れることが分かっただけでも収穫だが、少なくなった分は補充できるだろうか。
「本当に……もう地球には興味がないのね」
苦笑が漏れる。
再会してから別れる時まで、結局カイトは一度も地球が滅亡に至った理由を聞いてこなかった。もしかすると事前に知っていたのかもしれないが、再会した時から特に関心がない様子だった。興味がなかったと思った方がしっくり来る。
ふと、刃物を隠し持っていたはずの右手に、一枚の紙を握らされていることに気付いた。
「……本当に、根に持ってるわねえ」
メモだ。アリサと両親には自分やカイトとの縁を理由に権限を持たせるべきではないこと。アリサはともかく両親は世俗的なので、権限を私的に使うからくれぐれも気を付けること、と書かれている。
結社の定義していた指導者の資質。
権力を含めたあらゆる事物に興味を持たず、なおかつそれらを誰よりも有効に使えるだけの知性と肉体を持つこと。
確かにカイトはその通りの人物に育った。あまりに興味がなさ過ぎて、地球ごと棄ててしまったけれど。その超然とした性格の中に自由への渇望と、自分を売り払った両親への不快感が残っていたというのが少しばかり微笑ましい。
「まったく、最後まで思う通りにならないったら」
レベッカはひとつ大きく息を吐くと、紙を握り潰して立ち上がる。
「さて、地球人を七位市民にだっけ。私の役割はそこまでかな」
カイトたちが出て行ったであろう方向を見て、ふふんとふてぶてしい笑みを浮かべる。
「あんたがそうしたように、役割が終わったら私も自由にさせてもらうからね」
似たような船で追ってこられたら、あの朴念仁はどんな顔をするだろうか。
レベッカ・ルティアノはそんな未来に思いを馳せ、それを自身の目標にしようと心に決めるのだった。
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