トラルタン4の少女

 『体毛豊かな民』と『滑らかな肌の民』の争いの発端は、水場の扱いについてだった。

 水場の近くを縄張りとする『体毛豊かな民』と、従来より水をあまり必要としない『滑らかな肌の民』は争うことなく、長らく友好的に生活していた。

 その友好が破られたのは、数年前に起きた水場の氾濫が原因だった。洪水によって仲間を失った『体毛豊かな民』が、水場から距離を置き始めたのだ。一方で『滑らかな肌の民』も水場から少し距離を取って生活している。水をあまり必要としてはいないが、水がなくては生きていけないからだ。自然と両者の生活圏が過度に交わるようになった。

 最初は狩猟の獲物の取り合いだった。滑らかな肌の民が追っていた獲物を、体毛豊かな民が仕留めてしまったのだ。追い立てていた者も、仕留めた者も譲らない。生活圏に対する不満が噴出したのは、そんな争いのついでだった。

 水場近くに戻れと主張する滑らかな肌の民、戻れと言うのであれば今後水場は使わせないと主張する体毛豊かな民。

 互いが互いの主張に憤り、その存在すら許せなくなるのに時間はそれほどかからなかった。


***


 滑らかな肌の民の娘であるネシェレカは、体毛豊かな民の少年であるゴルトゴと仲が良かった。

 どちらの種族にも穏健派というのはいて、どうにか争うことなく生きていけないかと話し合いを続けていたのだ。ネシェレカの両親とゴルトゴの父は、種族の争いが起きると同じ考えの仲間たちと一緒に群れから離脱。穏健派同士で合流して生活することとなった。

 乾燥に強く、狩猟の上手い滑らかな肌の民。力持ちで、農耕の知識を持つ体毛豊かな民。協力すれば両者はより良い暮らしを得られるはず。そんな考えはしかし、互いを許せなくなった者たちには奇異に映っている。


「どうやら連中、潰し合う前にこちらを攻めようとしているらしいな」

「確かか」

「ああ。ガラランの弟が教えに来てくれた。ガラランの父は君たちを根絶やしにしようと考えているが、ガラランたちは反対している。困ったものだ」

「やはり、この地を棄てるべきか」


 何も、生活できる水場はこの辺りだけではない。距離を取ってもなお自分たちを敵視するというのなら、もっと離れてしまえば良い。

 そんなネシェレカの父の言葉に、ゴルトゴの父は賛同しなかった。


「我々は良い。だが、子供たちにあてどない旅をさせるのか」

「……それは無謀か」

「ああ。せめてゴルトゴとネシェレカが旅に耐えられるほどに大きくならねば」

「その前に攻めて来られたらどうするのか」


 ネシェレカの父の言葉にも、理はある。戦うことは不可能ではない。自分たちは種族でも屈指の強さだという自負がある。だが、数の差ばかりはどうにもならない。

 大勢に襲われて、自分たちだけが生き残っても意味はないのだ。家族と仲間が生きていなければ。


「こちらから討って出るか」

「同族を殺せるのか、君は。私は無理だ」

「逆なら……いや、それも駄目か」

「ああ。それをしたら、私は君を許せないだろう。君もそうではないかね?」

「同じか」


 ただ穏やかに、静かに暮らしたいだけなのに。何故放っておいてくれないのか。襲われる前に逃げるべきか、自分たちから襲うべきか。

 結論の出ない議論は、まだしばらく続きそうだった。


***


 大人たちが難しい顔で夜な夜な話をしているのは、幼い者にも分かってしまうものだ。狩りや農耕に役立てない子供たちは、子を宿した若者たちと一緒に、無理のない食糧調達に出るのが日課となっている。

 木の実や草の芽を採取しながら、話題は大人たちの話し合いについて。


「ゴルトゴ。私たち、早く大人になりたいね」

「何言ってんだ、ネシェレカ。たくさん食ってたくさん寝ないと、大人になれないんだぞ」


 ゴルトゴは力持ちだから、早く大人になるんじゃないかと思っていたのだけれど。

 ネシェレカはぷちりと足元のナプリカの芽を摘んだ。舌が痺れるほどの辛さが美味しいのだ。

 と、遠くの方で何か大きいものがぶつかるような音が聞こえた。ゴルトゴの方を見ると、彼もきょとんとした顔をしている。


「アザーガンの繁殖期かな」

「まだ雨季には遠いじゃない。それに……音が凄いよ? アザーガンが暴れているのかな」

「それこそまさかだろ。この辺りでアザーガンに近づくやつはいないぜ」


 槍も通さない堅い外皮と、見上げるほどの巨体。狩猟経験の豊富なネシェレカの父だって、アザーガンには近寄らないのだ。

 と、ぶつかる音のする方から、大人が駆けてくるのが見えた。アザーガンを怒らせた馬鹿な狩人だろうか。

 そんな風に思っていると、大人の姿が見えた。奇妙な風体をしている。誰かと聞こうと口を開いた時には、その大人がまっすぐにネシェレカの体を抱え上げて踵を返した。


「え?」

「ネシェレカッ!」


 驚きすぎて声を上げる暇もなく。ネシェレカは抱えあげられて連れ去られてしまうのだった。


***


「ねえ、あなたは誰なの?」

「〇×▽!」


 相手が何をしゃべっているのか、まったく分からない。

 体毛豊かな民のような体毛と、滑らかな肌の民に似て、それでいてぶよぶよとした肌。首から下には獣の皮とは違う何かを身に着けている。

 ネシェレカは困ってしまった。首を抑えられているのもそうだが、相手が何をしたいのかまったく理解できないのだ。

 しばらく走ったところで、その大人が自分ではない誰かに叫んだ。


「△×〇〇!」

「××……」


 片方は、自分を捕まえている大人とよく似ている姿だった。もう片方は、アザーガンのように大きくて、アザーガンより堅そうな外皮を持っていた。

 不思議なことに、自分を捕まえている大人は似ている姿の大人を敵視しているようだった。こちらを見て、口角を上げる。何故だろう、不思議と怖くはなかった。


***


 ネシェレカが見たのは、まるで空想の世界のような戦いだった。アザーガンのように大きなやつは、自分の父より遥かに強い。それでも似ている姿の大人はそれより遥かに強かった。まったく大きなやつを寄せ付けないのだ。

 石を投げつければ、アザーガンのようなやつは逃げ惑う。突進しても妙な壁のようなものに阻まれて届かない。

 アザーガンより堅いはずの外皮はぼろぼろで、体液も漏れてきている。それでもアザーガンのようなやつは戦う気持ちを萎えさせなかった。


「あなたたちはだれなの?」


 そんなネシェレカの問いには、誰も答えてくれない。

 この中で一番強い大人は、時折こちらに目を向けている。戦っている時には絶対に獲物から目を離してはいけない。ネシェレカは父からそんなふうに教えられているのに、そんなことはお構いなしだ。あまりに力の差があると、そういうことをしてもいいのかな。そんな疑問にも、やっぱり誰も答えてくれない。

 戦いは、唐突に終わった。

 空に、空飛ぶ岩の塊が現れたのだ。アザーガンのように大きなやつと自分を捕まえている大人は、空飛ぶ岩の塊に近づいていく。


「〇×〇」

「××!」

「〇〇△」


 やっぱりよく分からない会話を交わして。突然、自分の体を拘束している腕が離れた。振り返ると、困ったような怒ったような顔でこちらを睨んでいるが、もう一度捕まえようとはしなかった。

 一番強い大人の方を見る。ネシェレカの父のような優しい眼差し。ゆっくりと三人から距離を取る。誰も追ってこようとはしなかった。

 木の陰に隠れて、振り返る。

 驚いたことに、岩が光るとアザーガンのようなやつと自分を捕まえていた大人が、ふわりと浮き上がった。

 ふたりが岩に飲み込まれ、岩は不思議な動きで空の上に昇っていく。

 ネシェレカは、もしかして自分が夢でも見ているのではないかと、顎の下を摘まんでみるのだった。

 くすぐったい。どうやら夢じゃないみたいだ。

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