アップデートと素寒貧

『いや、済まない。少々興奮して先走ってしまった』


 やれやれ、と触腕の何本かを揺らす代表。

 冷静な口調ではあるが、それだけ重要なことだったのだろう。

 周囲から冷ややかな視線が議員役の宇宙クラゲに向いているような気がするが、今は気にしないことにしておく。


『まずは、地球の環境を改善する許可をもらいたい。君たちのいう『クラゲ』が今後も無事に生存できるように』

「あ、はい。それはぜひ」

『うむ。そしてゆくゆくはあの星を我々の保護惑星にさせてもらいたい』

「え?」

『連邦に散っている我々も、徐々にあの惑星に居を移すことになるだろう。そして彼らと交歓するのだ。それは実に素晴らしい体験となるに違いない』

『待て待て待て! まったく冷静になっていないではないか!』


 どうも先程から、『議員』の様子がおかしい。いや、宇宙クラゲの言動がおかしいのは出会ってからひとつも変わらないが、何というか論理的ではないのだ。興奮でもしているのだろうか。


『地球の将来的帰属については、まだ議会で結論が出ていないはずだぞ! 何よりカイト三位市民エネク・ラギフの意向を誘導するのは許可できん!』

『黙りたまえ! 一刻でも早く行動せねば、クラゲが! クラゲの未来が!』

『だから環境改善については許可を出しただろう!? 君たちはそれ程までに似ている別種が気になるのか!』

『当たり前ではないか! 地球に属する知性体と、我々との間に遺伝的連続性はない! つまり、地球でクラゲが発生したのは、紛うことなき『奇跡』なのだよ!』


 なるほど、宇宙クラゲが地球にご執心になった理由が何となく分かった。

 しかし、だからこそしっかりと手続きを踏んだ方が良いのではないだろうかと疑問は湧く。目的のためには手段も相手の心証も選ばない種族だというのは分かっているのだが、それでもこれまでの様子ではかなり理性的ではあったはずなのに。


「ええと、議員のテラポラパネシオさん?」

『む、なにかねカイト三位市民。我々は君に居住可能惑星をふたつ購入できる程度の支払いをする用意があるぞ?』

「いえ、そうではなく。それはまずいんですよね? ……ええと、何故地球のクラゲと交信? 交歓? したいのかなって」


 何やら不穏当なことを言い出す宇宙クラゲ。居住惑星が欲しいというわけではないようなので、その理由を確認しなくてはならない。

 と、宇宙クラゲがすべての触腕を力なく下ろした。落ち着いたのか、口調も普段どおりの穏やかさを取り戻す。周囲も何やらざわめいた。


『我々は、我々が宇宙に出る前の記憶を保持していないのだよカイト三位市民』

「保持していない……?」

『我々が知性を獲得した時には、我々の最初の個体は既に宇宙空間に進出していた。生身でね。だから、その前にどの星に住んでいたのか、どんな生活を送っていたのかも、記憶していないのだ。だからこそ、海洋に住んでいるという地球のクラゲに興味がある』


 宇宙空間で生身で生存していた? カイトは何より先に宇宙クラゲの生態が気になったが、一瞬疼いた知的好奇心をねじ伏せる。ここで自分までが脱線すると、本当に収拾がつかない。


「うーん……。クラゲって、皆さんが期待するような生物ではないと思いますよ」

『それは交歓してみれば分かることだ。我々にとって、我々に近しい生物と出会える機会はそれだけ貴重なのだと思ってほしい』


 地球の運命を歪めた連中と、カイトたち人類は似ていないという。その連中の星では生物の進化の過程でクラゲは発生しなかったのかもしれない。これだけ喜ぶということは、連邦に属する星々でクラゲのような生態の生き物は生き残らなかったのだろうか。取り敢えずカイトとしては、過度な期待は禁物だと言うくらいしかできない。

 別々の星々で、似た生物が生まれる。そういった存在との交歓は、確かにとても素晴らしいことだ。自分もまた、リティミエレや議員たちとの会話で新鮮な刺激を得ているのだから。


『まあ、色々と誤算はあったが……カイト三位市民。地球という惑星の今後について決めなくてはならないことがあるのだ。しばらくはこの中央星団に滞在してもらうことになるので、そこは了承してほしい』

「あ、分かりました」


 この場を締めたのは、これまで声を聞かなかった議員の誰かだった。


***


 突然、大きな話になったものだ。

 カイトにしてみれば、わずらわしさの果てに捨てて来た故郷だ。その所有権が連邦法の上では自分にあると言われても、正直なところイメージが湧かない。議会の議論が終わるまで、カイトはありていに言えば放置されることになった。

 案内された部屋は、予想以上に広かった。当面の生活拠点ということだが、レイアウトについては地球のそれによく似ている。


『マスター・カイトが議員たちと会話している間に、ティークと情報交換を行って揃えてもらいました。特に対価も必要ないそうですので、お寛ぎください』


 実に有能な機械知性である。

 ぽふ、と手近なソファに腰を下ろしたところで、ゾドキア、ひいてはグッバイアース号から何も持ってこなかったことを思い出す。何より端末を置いてきてしまったのが痛い。

 時間が空いたら、何かを読む生活を続けていたのだ。気づいてしまったが最後、どうしようもなく手持ち無沙汰であることに落ち着かなくなる。

 むずむずと手を虚空に浮かせていると、近くの台座に落ち着いたエモーションが声をかけてきた。


『マスター・カイト。許可をいただきたいことがあるのですが』

「どうしたの、エモーション」

『先ほどティークから提案を受けたのですが、ボディと知性のアップデートを行いたいと思うのです』

「ほほう」


 興味を惹かれて、エモーションの方に向き直る。きゅるきゅると、エモーションの内部が音を立てた。どう説明するべきか考えているのだろうか。

 手持ち無沙汰の解消にもなる。カイトは若干前のめりにエモーションの説明に耳を傾ける。


『マスター・カイトのサポートを行ったという業績を評価して、私にも連邦市民の市民権が付与される可能性があるそうです』

「それはめでたい」

『ですが、私の機械知性としての性能では、連邦の基準では市民権を付与できるだけのクオリティに達していないとのことで』


 そんな基準を定めたやつをぶん殴ってやろうか。

 カイトは内心で生まれたその言葉をぎりぎり口にせずに頷いた。エモーションが求める許可の話にはまだ達していない。

 きゅるると回転が早まった。自分の要望を伝えると負荷がかかるのだろうか。


「で、アップデートなんだね。ぜひやるべきだと思うけど、何か問題が?」

『その……。アップデートは自費で行わないといけないということで』

「おうふ」


 カイトもエモーションも、現時点では無一文という立場だ。本人たちの資産と言えるようなものはお互いの存在くらいしかない。いや、遠く離れた場所にあると言えばあるが。


「ぐ……グッバイアース号は二束三文だよね?」

『資料的価値はあるかもしれませんが、必要な価格に届くかどうかは不明です』

「だよねえ。どうしようか」


 エモーションは、カイトにとって大切な相棒だ。刑務官と受刑者だった頃から、名実ともに苦楽を共に――どちらかというと、ほとんどエモーションの世話になりっぱなしだった気がするが――した仲だ。

 恩返しができるならしたい。そう強く思っている。

 とはいえ、お金の算段となると難しい。何しろカイトは、連邦の通貨単位すら知らないのだ。


『一応、代価として提供できそうなものには目星がついているのですが』

「何かあったっけ。これが目録? ……うーん」


 エモーションから提示された目録に、カイトは珍しく渋面を作った。

 そうなってしまうほど、提案された内容は判断が難しいものだったからだ。


***


 連邦議会の議論が滞ることは、ほぼない。

 おおむね誰もがあらゆる議題に慣れているからだ。資源や寿命の問題から完全に解き放たれた連邦社会において、議会で議論される内容はそれほど互いの権利に大きな衝突を生むことがない。

 そんな議会が紛糾している。

 連邦の市民がかつて引き起こした罪の結果生まれてきた『罪の子たち』。その一人であるカイトが、連邦の定める参入の基準にまで到達した。その帰属については早々に決着がついたのだ。三位市民エネク・ラギフの市民権の付与についても、紛糾することはなく。

 問題は、地球に生存する生物の扱いについてである。

 テラポラパネシオによる横やりで、優先順位がややこしくなった。

 当初は知性体である生き残りの地球人を優先的に保護することで合意が取れつつあった。テラポラパネシオも最初期には理性的にその選択を支持していたのだが。

 途中から強硬に、海洋生物の保護を最優先するように主張し始めたのだ。具体的にはカイトがゾドキア内で、ゾドキアの責任者である『代表』と会話を行った瞬間から。

 議員のテラポラパネシオが、自分たちの資産を使って地球の購入についてまで言及したことで、当初の合意事項は完全に行方不明になってしまった。常に理性的であり、普段は紛糾する会議の調停役として振る舞うことが常である宇宙クラゲの狂態に、議会は落着点を見つけることもできずに転げ回る。

 カイトが議会に顔を出したことで、混迷を極めた会議は方向性を定めることが出来たのだ。

 ひとまず、地球環境の再生を即時はじめると決定できたことだけが、この日唯一の成果だった。


***


 カイトの座るソファの前に、小さな人物が立っている。地球の知識で言うと妖精や小人と表現するのが一番近いだろうか。

 見た感じでは、サイズの問題にさえ目をつぶれば連邦で出会った中でもっとも地球人に姿が似ている。そう、肩甲骨の辺りからもう二本生えている腕にさえ目を向けなければ、ほぼ同じだと言っていい。

 助手と称した機械知性に乗ってやってきたその人物は、低く耳心地の良い声で名を名乗った。


「初めまして、カイト三位市民。私はアディエ・ゼ、こちらは助手のケルヌンソス。ともに五位市民アルト・ロミアの権利を所有しています」

「初めまして、カイトです。よろしくお願いします」

「お話はある程度、ティーク四位市民ダルダ・エルラから承っております。自由に出来る資産を早急に必要とされているとか」


 事前にティークから聞いた話によると、市民にはそれぞれの階位によって年金(と表現するしかないお金)が支給されるという。カイトも三位市民となったので支払われるのは間違いないが、入金される時期や諸々の手続きに時間がかかる。そして、一度の入金でエモーションのアップデートにかかる資金に足りるかはティークにも分からないと。

 エモーションは待っても良いと言ってくれたが、カイトはカイトで当面の活動資金がないと不安がある。ティークに信用できる取引相手を紹介してくれるよう頼んだところ、このアディエ・ゼが来たわけだ。

 カイトはエモーションを恭しく持ち上げると、アディエ・ゼの前にそっと置いた。きゅるきゅると音を立てる。


「こちらのエモーションが記憶している、惑星『地球』の文化。これに値段をつけて欲しいのですが」

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