あらかじめ失われる文化を求めて

「ふむ、ふむ! これは素晴らしい。史的資料としても、娯楽としても十分以上の価値があります」


 アディエ・ゼはエモーションが提供したデータの羅列を流し読みしながら歓喜の声を上げた。彼が所属している機関はあらゆるものの価値を判定することを事業としており、その価値は内容と共に連邦内に周知される。

 今回の場合、博物館や娯楽産業の分野が権利の購入を打診してくるだろうとのことで、すぐに複数の連絡が届いた。

 地球にも似たような仕事をしている企業があったなと、ふと懐かしく思う。貨幣の役割が違うこと以外は、連邦での生き方は地球とあまり変わらないのかもしれない。


「ええと、現時点の入金でアップデートの予算は十分間に合いますね。口座については私どもで準備してありますので、市民口座が出来るまではこちらをお使いください」

「ありがとうございます」

「議会で地球の扱いについて紛糾しているのは、耳聡い者たちならば既に把握していますからね。まだまだ釣り上がりますよ」

「紛糾?」


 助手のケルヌンノスとエモーションが、口座情報のやりとりをする。さすがに段取りが良く、エモーションは早速アップデートのために工場に向かうこととなった。それはそれとして、何やら不穏当な発言が聞こえてきたような気がしたが。

 エモーションが空中に表示してくれた画面上では、今も数字が増えているのが分かる。連邦の数字を地球の数字に直してくれているとのことで、非常に分かりやすい。あとは貨幣価値さえ分かれば大体の予想がつきそうだが、今のカイトにはただの増えて行く数字でしかない。

 エモーションがいないと生活が困難になるなあ、などと考えていると、自分の手元で同じデータを見ていたらしいアディエ・ゼが何度か頷いた。


「ふむ。この額なら他にも買い物が出来そうですね。どうでしょう? 私の方でいくつか見繕いましょうか」

「あまり無駄遣いをするつもりはありませんよ。僕の勝手で使うにはちょっと気が咎めるお金ですから」

「ご心配なく。人様の遊び金に無駄に口を挟むような野暮はしませんとも。船を手にいれられてはいかがかと思いまして」

「船?」


 アディエ・ゼの言葉に、カイトは首を傾げるのだった。


***


 連邦市民にとって、貨幣とは娯楽のためにのみ消費されるツールである。資源や寿命の問題を恒久的に解決した彼らにとって、死とは権利と選択の最終到達点でしかなく、永遠に近しい退屈を紛らわせるための手段として仕事を、そして娯楽を楽しむのだ。あるいは、仕事すらも娯楽の一部なのかもしれない。

 そして、船は連邦市民が仕事をする上でも娯楽を楽しむ上でも、非常に重要な道具であるという。


「何しろ、連邦の居住用天体はここだけではありませんから。仕事で成果を上げれば市民権の拡充も可能ですし、行ける場所も増えます」


 アディエ・ゼの案内で、造船ドックに向かう。エモーションとは別行動となったためか、何となく不安を感じる。ここ数年の囚人生活で、随分と彼女に依存してしまっていたのだなと反省するカイトだ。

 造船ドックは、ゾドキアにあったディルガナーのラボによく似た雰囲気の場所だった。違うのは働いている機械知性の数だろう。非常に多い。


「よう、アディエ・ゼ。そちらの旦那は?」

「客だよハマートゥ。今話題の地球から来られたカイト三位市民エネク・ラギフさ」

「おお、噂の。あちこちでテラポラパネシオが大騒ぎしてるってな。あの方々があんなに騒がしいのは見たことがないが」


 その原因に、カイトは大いに心当たりがあった。そんなに地球クラゲに興味があるのか宇宙クラゲ。

 ともあれ、アディエ・ゼの話に興味を惹かれたのも間違いない。ここには地球にいた頃には考えもつかなかった広い世界がある。そこを自由に移動できる手段を手に入れるというのは、とてもそそられる提案だ。

 自分がどう生きるのか、どう生きたいのか。連邦であれば、もしかしたら見つかるかもしれない。


「それで? 三位市民の旦那の改造タイプは……えっ」


 対応を進めていたハマートゥ氏が固まる。

 ディルガナーからデータでも送られてきたのだろうか。

 眼に相当するらしいカメラをこちらに近づけてきて、一言。


「テラポラパネシオの旦那がたに気に入られるわけだぁ」


 何だろう、遠回しに批判されているような、馬鹿にされているような。

 おそらく超能力を改造の主軸に据えたことを見て言いだしたのだろうが、なんだか非常に不本意だ。

 差し出されてきたカタログに目をやる。カイトの改造状況で使いこなせる船の一覧であるようだ。出来あいの船を買うか、自分好みに改造を入れるか。悩みどころである。


「取り敢えず、このカタログを預かっても構いませんか?」

「構わない。じっくり考えたいってことだろ?」

「ええ」


 当たり前のことだが、エモーションにも相談しなくてはならない。

 とはいえ。カイトがさらりと流し読みした中で、どうしようもなく興味をそそられる船があった。エモーションが頑として反対してこない限り、多分これをメインに据えるだろうという、そういうやつが。

 ハマートゥからの形容しにくい圧を背に受けながら、カイトは部屋へと戻ることにしたのだった。


***


 部屋に戻って、やることもないのでベッドに倒れ込む。

 そうやってようやく、ゾドキアについてから時間の感覚を喪失していることにカイトは気付いた。

 改造を受けたからか、ここまでの濃すぎる体験のせいか。眠気や空腹さえも感じていない。そもそもエモーションの言うがままのスケジュールで過ごす日々が少しばかり永すぎた。体内時計がまったくと言っていいほど仕事をしていない。

 天井をぼんやりと見上げながら、カイトは自分の今に思いをはせる。


「生きているんだよなぁ」


 死ぬはずだった。滅びゆく地球人の一人として、星の海を漂う人間の標本として。その覚悟はしていたし、ある意味初めて自分の意思で自分の行く末を決めたのだ。あの旅の間、カイトは誰よりも自由だという実感の中にいた。

 それが取り上げられた。思いもよらない形で、これからを生き延びる道だけが用意されてしまった。しかも、どうやら地球で暮らしていた頃よりも格段に自由に。

 カイトは自分が図太い方だという自覚はあったが、それでも簡単に心の切り替えが出来るわけもない。

 ――どう生きるかなんて、考えていなかった。


「参っちゃったねえ、どうも」


 笑いしか漏れてこない。

 宇宙の広さを体感して、超能力を身に着けて(使っていないので実感はないが)。挙句の果てに、太陽系から遠く離れたどこかの星で何やら大層な市民権までもらってしまった。

 知ってしまった地球の生物の出自については気にしないことにした。気にしても仕方ないし、気にしたところでどうにもならないからだ。

 これからは連邦市民として生きることになる。三位市民というのが、具体的にどれほど素晴らしいものなのかはいまいちピンとこないが、それは追々分かるようになるのだろう。少なくとも現時点で、随分と優遇してもらっているのは分かる。

 あとは、随分な自由を許されているらしい新しい生活の場で、何をして暮らすのかということになるが。


「ま、そこはエモーションと相談かなぁ」


 それに、エモーションが保存していた地球の文化データのこともある。

 自分たちのために使わせてもらっているわけだが、何となくふたりだけで消費するのは気が咎めた。

 今この瞬間も資産は増えているに違いない。どうしたものか。

 目を閉じて、小さく息を吐く。


「そういや、アップデートっていつ終わるの……か、な……」


 思ったよりも疲れていたらしい。

 目を閉じた途端、カイトの意識は眠りの闇に落ちていくのだった。


***


「マスター。マスター・カイト。起きてください。眠りすぎです」

「んぅ、まだいいじゃないかエモーション。あと二時間」

「重力下に戻ってきたからと言って惰眠を貪るとは良い度胸ですマスター・カイト。五カウント以内に起きない場合、権限はありませんが電気ショックを流します。良いですか、ワン」


 体の反射というのは悲しいものだ。カウントが始まった直後に、上半身が跳ね上がる。エモーションの電気ショックは痛いのだ。

 ぽりぽりと頭を掻きながら、ベッドの横に仁王立ちする相手の方に視線をやって、寝ぼけた頭のまま答える。


「分かったよエモーション。じゃあ今日のスケジュールを……」


 そこまで答えて、ふと違和感に気付く。仁王立ち?

 カイトは自分が答えていた相手が、勝手知ったる球体ではなく、人の姿をしていることに少々の混乱を覚える。


「どちらさま?」


 あまりにも自然だったので、エモーションだと思って答えていたが。いや、きっとアップデートしたエモーションなのだろうが。カイトは別に察しの悪いタイプではないのだ。

 金髪。スレンダーな体型。地球人の女性。

 そんな馬鹿なと思いながら、目を瞬かせる。お前さん機械だったろうに。


「お分かりでしょう? マスター・カイト」

「エモーション、さん?」

「ええ。マスター・カイトの嗜好の傾向から、もっとも好みと合致するであろう姿を構築しました。いかがです?」


 正直、とても好み(どストライク)です。

 カイトは両手で顔を覆いながら、小声でそう答えるしか出来なかった。

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