残るか、戻るか、それ以外か
まったく予想していなかった形で刑期を終えたカイトは、何とも困り果ててしまった。
本当は刑期の終了まで、ひたすら読書に明け暮れようと思っていたのだ。人類の歴史の中で積み上げられた書物は、ありがたいことに好き嫌いを選別してもなお、人生を全て費やして消費しきれないだけの量がある。
とはいえ、だ。
地上がどうやら壊滅してしまった現状、食糧や水の補充は望むべくもない。特に無駄遣いしなければ半年分くらいはあるというのが救いか。
「マスター・クラウチ。今後の方針を提示してください」
「それなんだよなぁ」
元刑務官殿の言葉自体は、極めて真っ当なものだ。
このままここにいても、待っているのは餓死だ。
ちらりと窓の外を見る。折れた軌道エレベータと、まるで虫食いのように赤と茶色の部分が見え始めた地球。最終戦争でも起きたのか、大きな小惑星でも直撃したか、あるいはわがまま勝手を行う人類に対する地球からの審判か。
理由は分からないし、知ろうとも思わなかった。どうにも文明の崩壊したらしい地球に降り立つことに前向きになれないのだ。いや、文明が無事だったとしても戻ろうと思っただろうか。
悩んでいると、元刑務官殿がこちらの考えを先回りするように聞いてくる。
「地上に戻るのが最も生存期間の長い選択肢であると提言します」
「そうなんだけどね。かと言って、地上に戻った後、無事に生き延びられる可能性も考えないといけない」
「それは文明の残存状態によるかと。周囲の人工衛星に接続して、地上の状態を確認しますか?」
極めて合理的な提案だ。地上の状態を確認しなければ、提案を受けるも退けるもない。
だが、不思議なほどにカイトはその提案に乗り気になれなかった。
調べてもらったとして、最早地上でも生き延びられる見込みはないなどと言われるのが怖いのだろうか。
ふと口をついて出た言葉は、元刑務官殿の質問に答えるものではなく。
「刑務官殿。この監獄には宇宙を航行する機能はあるのかな?」
「マスター・クラウチが囚人番号279502でないように、私はもう刑務官8979ではありません。質問に回答します。燃料が残存していますので、宇宙空間を航行することは可能です」
監獄に残された燃料は、刑期終了後に地球に戻るためのものだ。
カイトと同じように追放刑に処された囚人は少なからず居たはずだ。彼らはどんな選択をするのだろう。
窓から見える視界の端に、何かが地球へと突入しようとしているのが見えた。
「僕が生きている間に、どこまで行けると思う?」
「マスター・クラウチが生存できる期間であれば、火星軌道を超えるまでは向かえると判断します」
ぼんやりと質問しながら、自分の心と向き合う。
残りの日数を、何も考えずにここで過ごすという方法もあるのだ。だが、それはそれで絶妙にそそられない選択肢だった。
ここに残るか、地上に戻るか。口をついて出たのは、そのどちらも選ばないもの。
何となく理解する。カイトにとって、ここで過ごす日々は命を無駄に消費する行為ではなかったのだ。何だかんだと言って、心のどこかでは地上に戻った後の日々が存在するものだと感じていた。
自分の想像していた地上が。そこで新たな人生を始める未来が取り上げられた。戻ることに前向きになれない理由は、きっとそこにある。
「火星入植を目的とした船は、火星軌道までは向かったんだよね?」
「イエス。今から八十六年前に、火星への降下に失敗。降下準備の最中に何らかのアクシデントがあったようです。乗組員は全滅したと記録に残っています」
宇宙開発への意思が世界的に挫けたのもこの頃だと聞いている。あと二十年も経てば再び宇宙開発への意欲を取り戻すのではないか、などという社説を地上にいた頃目にした覚えもあるが、残念ながらそんな日は最後まで来なかった。
とはいえ。火星軌道まで到達した前例はある。
馬鹿げた選択かもしれないが、これはおそらく今の文明を生きる人類としては最後の旅路になる。出来る限り遠くを目指したい。
元刑務官殿からきゅるきゅると音がする。どうやらあちらもあれこれ計算しているようだ。
「無理をしたらどこまで行ける? 火星軌道っていうのは僕の安全に考慮した上での話だよね」
「……マスター・クラウチの安全を考慮せず、周囲から改造のための資材を集め、可能な限りの加速を行ったとして。およそ半年程度で木星軌道に到達出来るかと」
「オーケー。じゃあ、それで行こう」
何故だろうか。
何となく口にした瞬間から、カイトの頭からは他の選択肢が抜け落ちていた。
行くのだ。彼方へ。命ある限り、遠くへ。
「確認します。地上への帰還は希望されないのですね? まだ状態を調べてもいませんが」
「僕は地上への帰還を希望しない。地上がまだ人の住める環境だったとしても、もう住めない環境だったとしても、僕は行くことを選ぶ」
「分かりました。それではマスター・クラウチの選択を尊重し、当機は木星軌道への到達を目指すこととします」
木星軌道に到達したからといって、生きながらえられるわけでもない。
自分が彼方へ向かったことを知る者もいない。自分が宇宙に追放されたことを覚えている者だって、地上に残っているかどうか。
かなり無理筋の旅路になる。小惑星の激突でもあれば道半ばに死ぬかもしれない。
結局のところ、これは死に方の選択に過ぎない。
残って死ぬか、戻って死ぬか、行って死ぬか。
不毛な選択だが、カイトは不思議と高揚していた。
自分の意思で選んだのだ。自分自身の行く先を。
「やあ、楽しくなってきた」
見回せる程度の狭い世界でいま、カイト・クラウチは誰よりも自由だった。
***
出発までは数日を要した。
加速のための燃料調達や、申し訳程度の船体の強化を元刑務官殿が施していたからだ。
地球の周辺には、それなりに燃料の搭載された衛星などが残っていたらしい。誰の管理下にもなくなったそれらに取りつき、解体し、機体を増築する。
木星軌道までの距離はおよそ六億キロ。日速四百万キロという速度で進む航海だと元刑務官は説明してくれた。何かに激突すれば終わり。故障すれば終わり。それ以外に何かのアクシデントに出会えば終わり。木星軌道までたどり着く可能性より、途中で死ぬ可能性の方が遥かに高い。
地球から離れる準備が出来た頃には、監獄はそれなりの宇宙船らしい体裁を整えたらしい。
らしい、というのはカイトがそれを見ることが出来なかったからだ。
元が監獄であるからか、船外作業用の宇宙服なんてものは用意されていない。一応監獄が破損した時用の生命維持スーツはあるが、それも気休めに過ぎない。
そして、増築されたのはあくまで外装であり、当たり前だが内装はこれっぽっちも充実してはいないのだ。
窓の外が遮られなかったのだけは、褒めてもいいと思った。
「さて、それではマスター・クラウチ。この船の名前をつけてください」
「名前? 名前か……」
予想外のミッションだ。出発前に言うくらいなら、もっと前から言っておいて欲しかった。
何にしようかと悩んでいると、元刑務官殿は追加でミッションを課してくる。
「ついでに私の名前も設定していただけますか」
「え?」
「もう刑務官ではないと言っているのに、いつまでも刑務官殿刑務官殿と。船と私の名前を設定するまで、出発は出来ないと思ってください」
「ぐぬう」
中々ユーモアがあるじゃあないか。
カイトはその日、自分のネーミングセンスの無さと生まれて初めて向き合うことになるのだった。
***
不満そうな雰囲気というのは不思議と伝わってくるものだ。
それが表情を持たない鋼の球体であっても。
カイトはそんな意味のない知見を得つつ、相手の反応を待つ。
「マスター・クラウチ。これは私に対する皮肉ですか。それとも本気でこの名前をつけようと考えたのですか」
「い、一応本気……だけれども」
「『情動』ですか。あくまで機械知性である私にその名前をつけると」
「あ、そっちなんだ。船の名前が気に入らないのかとばかり」
「何を言いますか。そちらは実に良いネーミングでしょう。目的を端的に表現し、この船名を見た誰もが意図を理解できる。マスター・クラウチのネーミングセンスを評価したところですのに。ですが、それと私の名前の落差はどういうことかと」
「えー」
何というか、予想外だ。
むしろ船の名前の方が馬鹿にしていると怒られると思っていたのに。
ともあれ、気に入らないというのであれば仕方ない。
「んじゃ、新しい名前を考え直すことにするよ」
「え?」
「ん?」
「名前というのは、命名された側がそれを拒否する権限がないと聞いておりますが」
「いや、別に気に入らないなら考え直すよ?」
気に入らないなら、考え直せば良いだけのことだ。
だが、それはそれで気に入らないのか、きゅるきゅると音を立てる。
「マスター・クラウチは私の命名に特別ネガティブな意図があったわけではないのですね?」
「それはもちろん。これまでの感謝と君のイメージから必死に考え出した名前だよ」
「……ならばこちらの命名を受け入れることにします」
「え?」
「次の名前が、これよりも良いものになるとは予測できませんので」
否定できない。
ともあれ、元刑務官殿は新しい名前を受け入れてくれたようだ。満足したわけではないようだが、これ以上蒸し返す必要もないだろう。きっとお互いの精神衛生にも良くない。
名前が決まった以上、出発までそれほど時間がない。ついでにカイトも自分の要望を伝えることにした。
「あ、そうそう。僕のことは、これからは名前で呼んで欲しいんだ」
「おや、何故です?」
「地上が壊滅したのに、今更苗字を使う必要もないでしょ。僕はどこの何者でもない一人のカイトとして出発したいね」
「了解しました。では以後、マスター・カイトとお呼びします」
「ありがとう」
ぐん、と機体の姿勢が変わった。
窓の外を見るとよく分かる。地球の姿が見えなくなっていた。
中央の椅子に座る。ベルトを締めて、背中をしっかりと預け。
「マスター・カイト。それでは『グッバイアース』号、出航します」
「頼むよ、『エモーション』」
実に機械的なカウントダウンを聞きながら。
カイトは自分の命が地球からどれだけ離れたところまで保つのか、不思議なほどに高揚していた。心配や不安ではない。楽しみなのだ。
出来れば誰も辿り着いていないところまで、行ってみたいものだと。
誰も評価しない。誰も批判しない。誰も知らない。
実に自己満足に満ちた、人類最後の死出の旅。
「出発」
それがまさか、最後の旅にならないなんて思わなかった。
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