銀河放浪ふたり旅~宇宙監獄に収監されている間に地上が滅亡してました

榮織タスク

さよならふるさと

滅んだ世界と見捨てられた青年

別に僕はピテカントロプスじゃない

「マスター・カイト。本機は先ほど木星の軌道を通過しました」

「了解」

「おめでとうございます。マスター・カイトは人類史上初めて、木星軌道を超えた民間人として記録されました」

「ありがとう。低くない確率で最初で最後になるんじゃないかな」


 それほど大きくない鉄の棺桶の中で、カイト・クラウチはサポートロボット『エモーション』の報告にぼんやりと返した。

 目は手元のタブレットに注がれている。日課であるトレーニングと食事を終えたあとは、趣味の読書に耽溺するのが彼の流儀だ。


「エモーション。次は阿修羅鰻先生の『ニューウェイブ』を出してくれるかい」

「またですか? 私のメモリには古今東西の著作が保存されています。何もそんな古典ばかり読まなくてもいいじゃないですか」

「名作は何度読んでもいいものさ。阿修羅鰻先生の作品群も、テリー8先生の『ロスト・エド』も何度読んでも新鮮な感動があるよ」


 思想犯罪者279502号。

 それがカイトの最終的な肩書だった。

 その存在が地球人類に悪影響を及ぼすと判断され、かなり一方的な裁判を経て有罪判決が下され。それほど間を置かずに宇宙空間に誂えられた『個人牢獄』に収監されて三年弱を過ごした頃。

 地球は滅亡した(らしい)。

 理由は不明。地上の情報を収集する権限は与えられていなかったし、滅亡した理由をいちいち知りたいとも思わなかった。

 カイトは自分とエモーションしかいないこの空間での生活を、地上で暮らしていた頃よりもずっと満喫していたからだ。


「それで、エモーション?」

「はい?」

「食料と水と酸素の残りはどれくらいかな」

「申し上げにくいのですが、食料と水の残存量はマスター・カイトの消費量から考えますと四十日分程度です。消費量を減らして延命の可能性を探りますか?」

「いや、必要ないよ。酸素は?」

「循環機能は正常に動いています。不慮のアクシデントがなければ四十日以上は保つでしょう」

「そっか」


 欠伸をひとつ。

 最後に見た地球は、色あせつつあった。宇宙へと上ってきた時に見たカラフルな色彩が徐々に赤と茶色に浸食されていたのだ。滅亡したという説明を額面通りに理解出来てしまう、そんな変貌。

 人類文明の崩壊にともなう、刑期の消失。

 囚人番号ではなく名前を取り戻したカイトは現在、片道切符の宇宙旅行の真っ最中だ。


「まあ、それ以外のアクシデントに見舞われることなくここまで来られたのはツイていたんだろうね」

「一応、尊厳死の機能は残っていますので」

「了解。食べるものがなくなったら頼むよ」


 目的地はなし、期間は死ぬまで。宇宙船はそれまで使っていた監獄そのもの。

 酸素がなくなるか、小惑星なりに衝突するか、星の重力に引かれて墜落するか。自分の命に対する何の保険もかけていない、運任せの自殺行為とも言えた。

 だが何の幸運か(あるいは不運か)、このまま行くと食料がなくなっての餓死という終わりを迎えてしまいそうだ。こちらを苦しませまいとするエモーションの配慮に感謝する。


「さて、エモーション。今日はメタルが聞きたいな。メロディアスなやつを頼むよ」

「分かりました、マスター・カイト」


 スピーカーから流れてくる芯に響くようなドラムの音に身を任せながら、カイトは実に久々に外部カメラを起動し。


「……何アレ」


 モニターに映った光景に言葉を失った。


「エモーション?」

「何でしょう?」

「外部カメラの向こうにある構造物について、僕は何の説明も受けていないんだけど」


 しかも、船はどうやらその構造物に向かっているように見える。

 巨大な構造物だ。この距離からは全貌が確認出来ない。小さな惑星ほどだろうか。

 あちらこちらから漏れている光は、宇宙から見えた夜の地球の光にも似て。

 カイトは自分で思っていた以上に強く郷愁を覚えた。


「何のことです? センサーは何の異常も示していませんが」

「ということはこれは幻覚かな。このモニターの向こうに見えているコレは、僕の脳が作り出した錯覚というわけだ」


 深層心理が生み出した、帰る場所の幻覚。感じた郷愁など、思い当たる節がありすぎた。エモーションの中から彼女にしては珍しく回路の動く音がする。

 カイトはエモーションからメンタルに対する強い警告が出るのを覚悟した。

 が。


「驚きました。確かにメインカメラが巨大構造物を映しています。あの大きさでこちらのセンサーを誤魔化しているのか、あるいはセンサー類の不調でしょうか?」


 エモーションの電子音声が、混乱している色を帯びる。

 彼女の内部から聞こえてくるキュルキュルという音は、彼女なりに目の前の現実を処理しようとしている音だろう。

 カイトは手にしていたタブレットを置いて、頭を掻いた。


「これも民間人では初ってことでいいのかな? エモーション」


 収監されてから一度も切っていない髪は、腰まで伸びている。無意識に手でそれを束ねながら、ぽつりと呟く。


「生きたまま踊り食いとか、卵を産み付けられるとかは勘弁願いたいなあ」

「古典ムービーの見すぎです。マスター・カイト」


 まだ処理途中のはずのエモーションが、切れ味鈍く答えた。

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