飲み下す苦み、空の彼方で動く事態
ぎりぎりと、歯を噛み締める音が響く。
肉体を余す事なく強化された身だ。本来ならばへし折れるほどの圧力も、今の歯茎と歯は耐え抜いてくれる。一方で周囲に響く音は、軋る力の強さに比例して大きくなった。
ジョージの右腕が下ろされる。殺気も何もかもを無理くり抑え込んで、永く緩く息を吐き出す。眼光に宿る怒りだけはそのまま、無言でサイオニックランチャーを背負い直す。
「……ひとつ聞かせろ」
「何だい」
「ここにいるのがキャプテン・カイトだとしても、同じ判断をしたと思うか」
随分と本物を夢見がちに捉えているものだ。
夢を壊すのは本意ではないが、本物だったらもっとうまくやる、なんて気持ちの良い言葉を言ってやる義理まではなかった。
「さあね。でも、僕が言ったことはすべて連邦の基本姿勢だ。他の誰かだから違う答えが出るとは思わないよ」
「……そうか」
最後に一度だけ、戦場の方を振り返って。ジョージは俯きがちに歩き出した。戦場から離れる方向へ。
「行こう」
「ああ」
***
人工天体トラルタン。
執務室のモニターでことの成り行きを監視していた代表のァムラジオルは、くふりと喜んでいる時特有の音を漏らした。
「なるほど。カイト
「ええ、驚きました。争ってでも止めると言いましたよ」
「ィエルケから聞いていた通りですね。考え方がアースリング的ではない」
秘書官が驚きを見せる。アースリングを連邦に受け入れてから暫く経つ。連邦市民の大半は、地球という星からやって来た新しい仲間たちへの評価を随分前に大きく下方修正していた。
要するに、カイトという個人をアースリングの基準としてはいけないと理解したのだ。個人単位で見れば見るところがある個体もいるが、総体としては彼らの父祖たるディーヴィン人に性質が近い。ディーヴィンの干渉下で発展してきたのだから当然とも言えるが。
そんな世界で、連邦的な価値観を備えて現れたカイト・クラウチという個人が特別に異常なのだと、連邦は結論付けたのだ。
「アースリングを雇用した部局の愚痴はよく耳にしますからね。再教育が大変と」
「普通は新しく連邦に入った種族には再教育が必要ですから。必要なく連邦に溶け込んでしまったカイト三位市民は確かに普通じゃない」
連邦がスパイとして送り込んだと言われたら、うっかりそれを信じてしまいそうなほどに。
カイトのみをアースリングではなく『カイト』という別の種族カテゴリに入れた方が良いのではないか、という笑い話も最近では笑い話ではなくなりつつある。何しろ、他のアースリングと比べても。いや、連邦の古株の市民と比べても、果たした業績が違い過ぎる。
秘書官が溜息交じりに言う。
「……カイト三位市民の市民権を昇級させるべきではないか、という意見にも納得です。ディーヴィンの旧悪を世に出したこと、ザニガリゥ大船団の壊滅、宇宙ウナギとの交流。どうします、代表。我々も署名に参加しましょうか」
「本人が嫌がりますよ。彼は秩序よりも自由を重んじるそうですから」
それでも、ァムラジオルはきっと自分でも署名するだろうなと思う。それ程にキャプテン・カイトの物語は刺激的だ。今も、未開惑星にいるだけでトラブルの方から彼に近づいてくるような。
「ですが、我々も役得ですね。カイト三位市民の貴重な監視映像を見ることが出来るのですから」
「カイト三位市民は監視に気付いていますよ」
「えっ?」
「いや、目線が合っていないから気付いているわけではないかな? 監視があって当然と弁えている、の方が正しいか」
ァムラジオルはくるくると、機嫌の良い時特有の音を出しながら続ける。
対して秘書官は表情をこわばらせている。そんな素振り一度も、などと呟く。
「監視されていることを悟らせることなく、自分の言葉だけで説得してみせた。我々への気遣いというより、あそこにいる彼が連邦に悪印象を持たないようにという配慮でしょうね。知らず監視されていたと分かれば愉快ではない」
「それはそうでしょうが。監視があって当然だと思っている?」
「我々はトラルタン4を観察していたのですよ? そして彼らの故郷である地球をも観察していた。同じことが出来ないとは思っていないでしょうし、その精度についても察しはつくでしょう。特に、カイト三位市民はテラポラパネシオの方々に、観察の甘さについて指摘したほど。侮ってはいけません」
ァムラジオルのいう指摘とは、宇宙クラゲが地球を観察していたにも関わらず、海中を観察していなかったことで地球クラゲの発見が出来なかったという話だ。
カイトが聞いたら誤解だと顔をしかめただろう。指摘ではなく、宇宙クラゲに地球クラゲの説明をしている時に宇宙クラゲが勝手に納得したのだと。だが、今の連邦にはカイトの言動を好意的に解釈する層が一定数いるのだ。しかも、相当に市民権の高い辺りに。
トラルタンの高官たちが、そんな誤解から更にカイトへの評価を高めていると、唐突にモニターの中のカイトが足を止めた。カメラの角度をずらすと、視線の先には墜落した船が地面に突き刺さっている様子が映る。
『思ったより破損していないな。乗組員は……無事だろうと思うけど』
「救助隊は?」
「ほどなく準備が整うかと」
「よろしい。画面に映っている船は回収します。破片のひとつたりともこの星に残さないように伝えなさい」
「了解です」
優先するべきは仕事だ。カイトが残りのアースリングを救助した後で、この星にあるべきではない事物を消去すること。救助隊などと言っているが、実質は掃除屋の役割が主だ。
と、執務室にスタッフのひとりが駆けこんできた。随分と焦っている様子で、礼儀もなにも無視している。よほどの重大事か。
「た、大変です」
「何ごとです?」
「カイト三位市民が墜落船に到着したのを確認しました。アースリングの救助ということでしたね」
「ええ。それは私もモニターの方で。それが何か」
こちらのスタッフの役割は、トラルタンに墜落した船の監視。別室で監視を続けていたスタッフのひとりが、画像を切り替えるべく執務室に来たわけだ。
「この映像に映っているクルーは三名でした。うちアースリングは二名です。問題はつい先ほど船から出てきた最後のひとり」
「こいつは!」
映し出された画像に、ァムラジオルも緊張した声を上げる。
「セガリ……セガリ・ググ! タールマケはこんな危険物を雇い入れていましたか」
セガリ・ググ。連邦のみならず、数多くの組織から賞金首として狙われている賞金首だ。罪状は生物の乱獲。特に、売り物にする生物の希少性を高めるためという理由で、商品として持ち帰る以外の生物を虐殺することで知られている。
「まずいですよ。トラルタン4の環境維持に関わる重大事案です」
生物のマーケットでは、当然だが希少性の高い生物の方が高く売れる。セガリ・ググは生物の希少性を高めるためだけに、商品となった生物の仲間を虐殺した。その生物は売買された個体たち以外は絶滅し、現在も種族の存亡は風前の灯火だ。
以来、セガリ・ググは連邦や公社だけでなく、多くの組織から狙われ、追われている。犯罪商社タールマケが匿っていたのも、考えてみれば当然かもしれなかった。
「目的は何でしょうね。アースリングの監視でしょうか」
「それもあるでしょうが、救助に来たカイト三位市民を捕らえる戦力として期待しているのかもしれません」
「なるほど。……部隊を即時出発させてください」
「良いのですか? 準備はまだ完璧ではないはずですが」
「トラルタン4の環境維持のためです。カイト三位市民が後れを取るとは思いませんが、相手は良識を持ち合わせていない異常者です。我々も出来る限りのバックアップを準備しておかなくては!」
「了解です」
指示が飛ぶ。最悪の場合、セガリ・ググは原住民を盾にすることも厭わないはず。陰からカイトを支援する部隊は絶対に必要だ。
そう思っていたところに、再びスタッフが乱入してくる。既視感。
「代表!」
「今度はなんですか!?」
「タールマケの船団がトラルタン星系の外縁部に現れました!」
「馬鹿な!」
何故こうも立て続けに。ァムラジオルは苦悶と怒りを音として吐き出しながら、渡された報告を読む。規模が大きい。旗艦タールマケの姿はさすがにないが、トラルタンの戦力と互角程度には揃えてきている。
間違いない、セガリ・ググの回収と地球人の捕縛が目的だ。どちらを優先するか、ァムラジオルの逡巡は一瞬だった。切り替えて、鋭く声を上げる。
「救助隊への指示を撤回! タールマケの船団を牽制します! 全船武装を対船団仕様に変更して逐次出航を!」
「りょ、了解!」
地球人はともかく、セガリ・ググを押さえられてしまってはタールマケも身の破滅だ。彼らはおそらく戦闘も辞さない。最悪の場合、トラルタン4ごとセガリ・ググの殺害に及ぶことも考えられた。
そんなことはさせられない。ァムラジオルは地上での対応をすべてカイトに任せきりにしてしまうことに心の中で詫びながら、代表としての優先順位を誤ることなく指示を続けるのだった。
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