第146話
十二時になったら。
そう思っていたけれど、十二時はあっという間に過ぎて午後二時が近づいてきているのに宮城から返事がない。
寝転んだベッドの上、スマホをにらみつける。
宮城からの返事を待つのは昼までだと決めたのだから、早く家を出なければと思う。
今日はバイトがある。
大学はサボっても、生徒という存在がいるバイトをサボるわけにはいかない。このままだらだらと返事を待ち続けているとバイトの時間になってしまうから、早く家を出るべきだ。わかっているけれど、彼女に会ったときの気まずさを考えると家を出ることができない。
いつものように喋る自信がない。
いつものように宮城の顔を見る自信がない。
そして、宮城がいつもとは違う私を見て、日曜日にしたことを私が後悔していると誤解するようなことがあったら耐えられない。誤解を解くために好きだと伝えれば、日曜日の出来事を正当化するために“好き”という言葉を利用したように思われるだろうし、私の本当の気持ちは伝わらない。それに好きだと言えば、宮城はきっとまた私の元からいなくなってしまう。
「駄目だ」
誰に言うわけでもなく呟いて、起き上がる。
返事のこないスマホを見ていると、宮城に会いたいと思う気持ち以上にネガティブな感情に引っ張られる。
『宮城、返事!』
苛立たしさと期待を込めて宮城にメッセージを送る。
でも、やっぱりスマホは微動だにしない。
時間ばかりが無駄に過ぎていき、私は覚悟を決めて家を出る。
雲が少なくて太陽が照っているけれど、暑すぎたりはしない。
早足で駅に向かって、電車に乗る。
鞄の中、スマホは死んだように眠っている。
電車が揺れても反応しない。
スマホを取り出して画面を見るけれど、やっぱり返信はない。いつ帰ってくるかなんて難しい質問ではないのだから、すぐに返事を送ってくるべきだと思う。
窓の外、流れていく景色を見る。
これからしなければならないことを考えると、落ち着かない。次の駅で降りて家に帰りたくなる。私は開くドアに吸い寄せられそうになりながら降りるべき駅で降りて、鉄の靴でも履いているみたいに重い足を進めていく。一歩、また一歩と大学へ向かう。何分歩いたかわからないけれど、目的地が見えてきて私は足を止めた。
「……そう言えば、調べてなかったな」
大学の場所は今の家を決めるときに調べたけれど、中のことまでは調べていないから大学内のことがまったくわからない。宮城のことばかり考えていたせいで下調べをしていなかった。私はスマホを取り出して、大学のどこになにがあるのかを検索する。
「宮城、見つかるといいけど」
来る前からわかっていたことだが、広くて人が多い大学という場所は人捜しに向かない。自分が通っている大学だったとしても、どこにいるかもわからず連絡もつかない相手を捕まえるのは難しい。
もう少し大学の話を聞いておくべきだった。
まったく大学の話をしなかったわけではないけれど、彼女のスケジュールの把握まではしていないから、宮城が今日、この時間、どこにいるかなんて予想すらできない。
私はスマホを片手に大学の中へ入る。他大学の学生も入れるとはいえ、ほんの少し緊張する。
一応、学生が行きそうな場所を覗いてみるが、どこへ行っても、何人とすれ違っても宮城はいない。そもそも宮城が大学に来ているかどうかも定かではないのだから、探していること自体が無駄かもしれない。
一時間近く歩き回って、ベンチに座る。
意味のないことをしているような気がして、ただ歩いていただけなのにやけに疲れた。スマホを確認してみるが、宮城から返信はない。本人にどこにいるのか聞きたいけれど、私が大学に来ていることがわかれば見つからないように逃げてしまうはずだ。そうかと言って、このまま歩き回っていても宮城が見つかるとは思えない。
「門の前にでもいようかな」
大学での人捜しは、砂糖の中から塩一粒を見つける作業に似ている。どこにいても簡単に宮城が見つかるとは思えない。それでもたくさんの人が通るような場所なら宮城が見つかる可能性が高まるはずだ。
私は立ち上がって、正門へ向かう。
歩き回ったせいか、風があるのに少し暑い。
空は腹立たしいほど青く見える。
いつもの私なら良い天気だと思えるだろうけれど、今は空が青ければ青いほどその青さに腹が立つ。
私は小さく息を吐く。
やっぱりもう少し中を探してみようと回れ右をする。どこかに宮城がいるのではないかと思って辺りを見回しながら歩いていると、見たことのある顔が目に映った。
「あっ」
思わず大きな声が出る。
雰囲気が変わっているが間違いない。
「宇都宮!」
「……え、ええっ? 仙台さん?」
私はこちらへ向かって一人で歩いてくる宇都宮に駆け寄って、腕を掴む。
「なに? なんで仙台さん、こんなところにいるの?」
宇都宮が驚いた様子で私を見る。
やっぱりな、と思う。
宮城は宇都宮に私と一緒に住んでいると伝えたと言っていたが、私が宮城のルームメイトだと知っていたら私を見てこんなに驚くわけがない。宇都宮に本当のことを話しているわけがないと思っていたけれど、予想通りだ。
「宮城、探してて」
私は宮城に悪いと思いつつも、彼女の名前を出す。
「宮城って、志緒理のこと?」
「そう、その宮城。もしかして宇都宮の家に泊まってない?」
「……なんで仙台さんが志緒理探してるの?」
「聞いてない?」
「聞いてないってなにを?」
状況が飲み込めていない宇都宮が不思議そうな顔をする。
宮城、絶対に怒るだろうな。
でも、高校は卒業したし、宮城と接点があることを宇都宮に隠す必要はもうない。宮城は隠していたかったようだけれど、言わなければ話が進まない。面倒なことになって宮城が困ったとしても自業自得だ。宇都宮に嘘をついていた宮城が悪いし、返事を送ってこない宮城が悪い。
「私、宮城と一緒に住んでるんだけど。宮城、宇都宮に言ってないっぽいね」
にこりと笑って宇都宮を見る。
「聞いてない。それ、ほんとなの?」
「本当」
「志緒理、私には親戚だって言ってた」
宇都宮が眉間に皺を寄せる。そして、ため息を一つついてから言葉を続けた。
「……志緒理が一緒に住んでる人って、親戚じゃないと思ってたんだよね。まさか仙台さんだとは思わなかったけど」
「宮城、親戚だって言ってたの?」
「言ってた」
妥当な嘘だとは思うが、すぐにバレる嘘だとも思う。現に今バレている。
「なんで志緒理と一緒に住んでるの?」
宇都宮が当然とも言える疑問で、一番聞かれたくない疑問を口にする。高校時代の私と宮城の関係を考えれば聞きたくなるのはわかるが、答えにくい。おかげで宮城のことを言えないほどすぐにバレる嘘を私もつくことになる。
「友だちだからかな」
「信じてたわけじゃないけど、高校の時に志緒理と友だちなのって聞いたら違うって言ったよね?」
「そんなこと言ったっけ?」
覚えてはいるが、宇都宮の言葉を認めると話がややこしくなる。
「言った」
「まあ、いいじゃん。友だちってことで」
適当な理由を考えてくる余裕もなかったし、他に宮城と一緒に住むことになった理由になりそうなものも見つからないから、ここで引くわけにはいかない。私はこれ以上ないほどの笑顔を貼り付けて宇都宮を見る。
「じゃあ、一緒に住むほど仲良くなったきっかけってなに? 同じクラスだった二年の時ってそんなに仲よさそうに見えなかった」
宇都宮が真剣な声で尋ねてくるが、どう答えるべきか迷う。宮城は今だけでなく高校時代も、宇都宮に私たちのことを話していないはずだ。宮城と宇都宮の関係は秘密がいくつかあったくらいで壊れるようなものではないと思うけれど、関係にヒビが入るようなことがあったら宮城に悪い。
「私が財布忘れたことがあって、そのときに宮城がお金貸してくれたのがきっかけ」
「その話、初めて聞いた。お金借りたら、一緒に住むほど仲良くなるもの?」
当たり障りのない答えでは納得してくれないらしく、宇都宮がさらに詳しい話を要求してくる。
「そうだなー。あとは宮城に聞いて」
宇都宮は宮城の友だちだし、どこまで話すかは宮城が決めるべきだ。これ以上話して、二人の関係を壊してしまっても困る。私はとりあえず面倒な話は宮城に押しつけて、本来の目的を果たすことにする。
「で、話を戻すけど、宮城、宇都宮の家に泊まってない?」
「それ答える前に、腕離してもらってもいい?」
「あ、ごめん」
私は掴んでいた宇都宮の腕を離す。
逃げられないように思わず掴んだ腕だが、よく考えれば彼女は宮城ではないのだから私の顔を見て逃げたりはしない。
「志緒理なら私の家に泊まってるけど……。喧嘩の相手って仙台さんだったんだ」
「喧嘩?」
唐突に覚えのない単語が出てきて思わず聞き返す。
「同居してる人と喧嘩したから泊めてって、志緒理言ってたけど」
宇都宮が探るように言って、私をじっと見た。
何日も他人の家に泊まるなら、それなりの理由がいる。けれど、私たちの間にあったことをそのまま宇都宮に言うわけにはいかなかったことは想像できる。宮城が宇都宮に喧嘩の原因をどう伝えているかわからないが、とりあえず話を合わせて会話を繋ぐ。
「まあ、ちょっと。原因はくだらないことなんだけど、言い争いになっちゃって」
「言い争いって、志緒理と?」
宇都宮が驚いたように言う。
喧嘩の原因は“くだらないこと”で通ったようだが、言い争いという言葉はまずかったらしい。
「そう、宮城と」
「志緒理が喧嘩してるところって想像できないなって思ったけど、言い争ってるところはもっと想像できない。二人ってどういう関係なの?」
話が妙な方向へ向かった。でも、それよりも他の部分に私の心が向かう。
私が知っている宮城は私と言い争いをしてもおかしくないけれど、宇都宮が知っている宮城はそうではない。それは私が知っている宮城と宇都宮が知っている宮城が異なる宮城であるということだ。そんなことはずっと前から知っていたが、宇都宮からそうとわかる言葉を聞くと、ほんの少しの優越感とほんの少しの苛立ちを覚える。心の表面を素手で撫でられたようなざわつきが体の中に広がりかけて、私は自分の手をぎゅっと握りしめた。
「ただのルームメイトだって。それより、宮城に早く帰ってこいって伝えてもらってもいい?」
「志緒理、大学来てるし直接言えば? 待っててくれれば呼んでくるし」
「それ、無理だと思う。宮城、私を見たら絶対に逃げる。だから、宇都宮から宮城に家に帰るように言ってくれないかな」
「……そんなに酷い喧嘩なの?」
「まあ、そこそこ」
「なら、絶対に直接話した方がいいって」
宇都宮は人がいいと思う。
私の言葉をすべて信用したわけではなさそうなのに、私の心配をしているように見える。
「逃げられる未来しか見えない」
「じゃあ、うち来て話せば? 志緒理、今日もうちに泊まるって言ってたし」
宇都宮の家なら、宮城も逃げようがないと思う。でも、あまりいい想像ができない。
宮城の嘘を明らかにしてしまったこの状態で彼女に会えば、酷く面倒なことになる。そして、私は宮城と今までと変わらない顔で会えるかわからない。
「そうできればいいんだけど、今からバイトなんだよね。家庭教師やってるから休めなくて。だから、宇都宮から宮城に伝えてくれると嬉しいかな」
嘘ではない理由を告げて、宇都宮に説得してもらうことにする。
「仙台さん、家庭教師やってるんだ。ちょっとイメージと違う」
「そう? 結構、教えるの上手いよ」
「じゃあ、バイト終わってから来たら」
「遅くなるけど」
「いいよ」
宇都宮があっさりと言って、私に住んでいる場所を教えてくれる。どうやら行かないという選択肢はないらしい。悪い予感しかしないが、宇都宮の前で宮城がそこまで酷い態度を取ることはないだろうとも思う。
「ありがと。一応、私の電話番号教えとく」
私はバイトが終わり次第、宇都宮の家へ行くことにしてお互いの連絡先を交換した。
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