いつだって宮城は変わらない
第358話
履きたくない。
お揃いの下駄を見た瞬間、宮城は仏頂面でそう言ったけれど、隣を歩く彼女は私と同じものを履いている。それはお揃いの下駄を履いているということで、私の機嫌がいいということでもある。
浴衣を着ている宮城は、私が思った通り可愛くて綺麗だ。
黒い髪に藤色がよく映える。
誰にも見せたくないくらい浴衣が似合っていて家に閉じ込めておきたくなるけれど、すべての人に自慢したくもなる。
私は胸にある四つ葉のクローバーにそっと触れる。
今日はいい日だと思う。
宮城は、お祭りに相応しいとは言えない顔をしているけれど。
「あのさ、宮城。これから行く場所がどこかわかってる?」
私の着替えはじっと見ていたくせに、今は目を合わせようともしない宮城に笑顔で尋ねる。
「お祭りでしょ」
「わかってるなら、もう少し楽しそうな顔しなよ」
機嫌の悪さを取り繕おうともしない宮城を見る。
「……どんな顔してたっていいでしょ」
「お祭りって楽しい場所なんだし、口角上げたくならない?」
「ならない」
宮城が素っ気なく答える。
彼女はいついかなるときも変わらない。
お祭りという非日常的な空間へ向かうときですら、愛想も気遣いもない。いつもと変わらず不愉快そうだ。
本当に宮城は、不機嫌が世界一似合う。
そして、私はそんな宮城でいいと思っている。
無理に彼女の口角を上げようとすることがどんなに馬鹿らしいことか知っているし、笑ったことがないわけでもないから不機嫌でもかまわない。宮城はどんなに不機嫌だったとしても、笑いたいときがくれば笑う。
――ペンギンの前で笑ったように。
作り笑いをさせてもあれ以上の笑顔にはならないから、いらない。けれど、笑ってほしくはあるから、ついついかまいたくなる。
「じゃあ、写真撮るから笑いなよ」
私はスマホを取りだして、宮城に向ける。
「絶対に笑わない」
低い声と一緒に手が伸びてきて、スマホのカメラを覆い隠そうとする。だから、私は宮城に捕まってしまう前に、不機嫌な彼女をスマホに保存した。
「仙台さん、それ消して」
カシャリ、という音に反応した宮城のさらに低い声が聞こえてくるが、いうことをきくつもりはない。浴衣姿の宮城を収めたスマホをしまって笑顔を作る。
「やっぱり暑いね」
私は手で顔を扇ぎながら、連日、三十度以上という真夏日を作り出している元凶を見上げる。
「夏だもん。こんな暑い中、お祭りとか行きたくない」
写真を消去できなかった宮城が恨みがましい声で言う。
「お祭り、そんなに遠くないしいいじゃん」
「遠くなくてもやだ」
「そんなこと言わないでさ。もうすぐ着くし、頑張って歩いて」
「言われなくても歩いてる」
お祭りは、家から歩いて行けるところを選んだ。大きな花火が打ち上がったりはしないが、屋台が出て御神輿もある。
電車に乗って遠出して花火を見る。
なんてプランもあったけれど、宮城が首を縦に振るとは思えなかったし、私が見たいものは花火ではなく宮城だから、行き先は彼女が行ってくれそうな場所に限られている。
「髪、上げてくれば良かったかな」
宮城に浴衣を着せることで頭がいっぱいだったし、浴衣を着せたら着せたで宮城が行きたくないと駄々をこねないうちにと思って急いで家を出ることになったから、ここにいるのはいつものハーフアップで代わり映えがしない私だ。
どうせなら、ネックレスと一緒に青いピアスも見せたかったと思う。
「髪、上げても涼しくならないと思う」
宮城がぼそりと言って私を見る。
「気持ちの問題」
「だったら、それでいいじゃん。仙台さん、どんな髪型も似合うし」
「……浴衣は似合ってる?」
「私が着るより、仙台さんが着てるほうがいいと思う」
宮城は心臓に悪い人間だ。
普段は私を褒めたりしないのに、予想もしないときに急に褒めてくるから寿命が縮む。
不機嫌な顔のまま、私をまじまじと見て「私は着ないけど、仙台さんは来年も着れば」なんて付け加えてもくるから、太陽に焼かれて死んでしまいそうだ。
灼熱の太陽も、茹だってしまいそうな夏の空気も苦手だし、真夏日と言われる日は外に出たくない。
でも、宮城と一緒なら話は変わる。温度を上げるだけの太陽も、のぼせそうな空気も、宮城の言葉も、すべてが私の気持ちを弾ませる。
一歩、二歩、三歩。
お揃いの下駄が小さく鳴る。
下駄なんて何年ぶりに履いたかわからないけれど、宮城とお揃いで気分がいい。
お祭りの喧噪が近づいてくる。
宮城と並んで歩いているだけで楽しい。
「人、増えてきた」
面倒くさそうな声が隣から聞こえてくる。
「屋台、見えてきたしね」
「仙台さん、お祭りでしたいことあるの?」
「宮城は?」
「私?」
「そう、宮城。たとえば金魚すくいとか、ヨーヨーつりとか」
「金魚はすくったら世話が大変そうだし、ヨーヨーはいらない」
愛想のない声で言い、宮城が足を進める。
私は隣を歩く。
あっという間に神社の前に辿り着き、人がさらに増える。
「宮城、食べたいものは?」
「そういうの、誘った人が責任持って決めてよ」
人混みの中、宮城が私の腕をぺしりと叩く。
うーん。
小さく唸って、並んだ屋台に書かれた主張の激しい文字を見る。
かき氷、串焼き、唐揚げ。
ほかにもたくさん食べ物の名前が書いてある。
「仙台さんは、こういうところでなにが食べたいの?」
高校生の頃はその場にいた人に合わせていたから、なにが食べたいのか聞かれると困る。
「んー、リンゴ飴は美味しそうだけど食べにくそうだし……。そうだ、宮城。この前、宇都宮とお祭りに行ったことがあるって言ってたけど、そういうときってなに食べてたの?」
「そういう質問ずるい。自分で考えてよ」
ここで食べるものは宮城が食べたいものがいいけれど、聞き出すことは許されないらしい。そうなると、自分で答えを導き出さなければならなくて、私は屋台を眺めて考える。
「そうだなあ……。わたあめ、食べよっか」
「仙台さん、わたあめ好きなの?」
「まあね」
ただのザラメが姿を変えたもの。
それ以下でもそれ以上でもない食べ物がわたあめだ。好きか嫌いかどちらか選べと言われたら好きなほうだと答えるが、好んで食べるようなものではない。
でも、今日はそんなわたあめが魅力的に見える。
「一緒に食べよう」
そう言って歩きだすと、宮城がついてくる。
わたあめの屋台はすぐそこで、お金を払って二つ買う。
宮城がふわふわのわたあめを食べているところを見たい。
ただそれだけで、自分の分を払うと言ってお財布を出そうとしている宮城にわたあめを一つ押しつける。
「ありがと」
小さな声が聞こえてくる。
宮城が大きなわたあめを小さくちぎって口に運ぶ。
雲よりも白いふわふわが宮城の口の中に消える。
美味しい、とわたあめよりも柔らかな声とともに、宮城がわずかに微笑む。
「良かった」
本当に、本当に良かった。
宮城がお祭りを楽しんでくれていそうで、嬉しくなる。
私もわたあめを小さくちぎって口に運ぶ。
ペンちゃんの中に詰まっているであろう綿みたいな食べ物なのに、とても美味しい。口の中が甘くなるだけの食べ物だけれど、もっともっと食べたくなる。
私はわたあめを食べながら、宮城を見る。
浴衣を着てわたあめを食べている彼女は本当に可愛い。
口数は少ないが、そんなことはいつものことで気にならない。
私たちはわたあめを食べながら、屋台が並ぶ神社の中を歩く。
「イカ焼きとか、ベビーカステラとかも食べる?」
どうせ食べるなら、普段あまり食べないものがいい。
「仙台さん、そういうのが好きなの?」
「お祭りっぽいから」
私たちは話さなくてもいいけれど、話せば楽しいことを話して歩き続ける。神社の奥まで行って折り返す。
出かけたからといって饒舌になる宮城ではないが、機嫌が良さそうにわたあめを食べ終えると「たこ焼きにする」と少し先にある屋台を指さした。
「いいね。美味しそう」
私たちはたこ焼きを一パック買って、テーブルが置かれた休憩所のような場所へ行く。椅子に座って、一パックを二人で食べる。
私はわたあめを食べたときのように、たこ焼きを食べる宮城を見る。
ふうふうとたこ焼きを冷まし、浴衣を汚さないようにそっと食べる彼女は可愛い。ひと目見てわかるほどに口角が上がっているわけではないけれど、楽しそうに食べている。
私は、半分ね、と分けられたたこ焼きを一つ食べる。
浴衣を着て機嫌が良さそうにしている宮城を見られただけで、ここへ来た意味があった。
のんびりとたこ焼きを食べていると、御神輿が来た、という声が聞こえてくる。
「見に行く?」
宮城に声をかけると「行く」と返ってきて、ベビーカステラを買って歩く。
人だかりの中、宮城の歩くスピードが落ちる。
御神輿が見え、威勢のいい声が聞こえてくる。
宮城がゆっくり、ゆっくり歩く。
私は宮城のスピードに合わせて歩いて神社を出る。
勇ましい声が響く中、のんびり、ゆったり、時が進む。
騒がしいお祭りには似つかわしくない時の進み方だけれど、私には丁度いい。
立ち止まって宮城を見ると、浴衣の袖を掴まれた。
「手、繋ぐ?」
宮城に問いかけると、「繋がない」と即座に返ってくる。
「繋いでないと、迷子になるかも」
「仙台さんが?」
「宮城が迷子になる」
「ここ掴んでるから、迷子にならない」
きっぱりと宮城が言った。
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