第362話
共用スペースに入るなり、仙台さんに腕を掴まれる。
「宮城は今からどうするの?」
「部屋に戻る」
「じゃあ、宮城の部屋に行ってもいい?」
仙台さんが柔らかな声で言う。
「駄目だって言ったら?」
「いいって言うまで、行ってもいい? って聞く」
「そんなの、駄目だって言う意味ないじゃん」
「あるよ。宮城が絶対に駄目って言ったら行かない」
私が断ったりしないと思っているのか、仙台さんがにこにこしながらそう言って、「部屋に行ってもいい?」と聞いてくる。
彼女のそういうところが本当にむかつく。
澪さんに呼ばれて行ったカフェから帰ってきたばかりで疲れているし、今日の仙台さんは目に余る振る舞いが多かったから「駄目」と言ってもいい。彼女の足を蹴って、部屋に戻ってしまえばそれで終わりだ。
「宮城」
仙台さんの手が四つ葉のクローバーにそっと触れる。
私はその手を掴んで力一杯握り、仙台さんを見る。
「痛いんだけど」
「もっと痛くする」
手に力を入れて、もっともっと仙台さんの手を握る。彼女の眉間に皺が寄って、でも、今度は痛いと言わない。
おでこを私のおでこにこつんと当てて「キスしてもいい?」なんて馬鹿みたいなことを聞いてくるから、私は彼女の足を蹴った。
「……明日の夕飯、ハンバーグ作るの仙台さんね」
今日はもうカフェでご飯を食べてきたから、夕飯を作る必要がない。だから、仙台さんが夕飯を作るのは明日になる。
「明日、ハンバーグなんだ?」
「やならいい」
「いいよ。作る」
柔らかな声とともに、仙台さんの唇が私のピアスに触れる。
約束は絶対で、明日の夕飯が決まる。
「宮城、麦茶でいい? 鞄置いたら、お茶入れて宮城の部屋に持って行く」
部屋に来ては駄目だと言わなかったが、いいとも言っていない。それなのに、仙台さんが私の部屋に来ようとする。でも、文句を言うほどのことではないから「サイダーがいい」と言い残して、自分の部屋へ戻る。
鞄を置いて、ベッドに腰掛ける。
舞香と澪さんにカフェで会ったこと自体は楽しくなかったわけではないけれど、明日も同じように集まろうと誘われたら断るくらいには疲弊している。
仙台さんがみんなに合わせてにこにこしているところを見るのは面白いことではないし、彼女がみんなに合わせて口にする言葉を黙って聞いているだけしかできなかったことも面白いことではなかった。
はあ。
大きく息を吐き出して、前髪を引っ張る。
仙台さんには、今日のことについて言いたいことが山ほどある。けれど、どの話からしていいのかわらない。
ため息をついて、足をぱたぱたと動かす。
最初に言うべきこと。
それはなにかと考えて、舞香と澪さんが頭に浮かぶ。
今日、彼女たちと話したことの中には話題にしてほしくなかったことがいくつもあった。
床にぺたりと足をくっつけて、はあ、とまた息を吐き出すと、ドアがノックされて仙台さんの声が聞こえてくる。
「宮城、入っていい?」
「今、開ける」
ベッドから立ち上がり、ドアを開ける。
両手にグラスを持った仙台さんが「ありがと」と言って部屋に入ってきて、テーブルの上にグラスを並べて置く。私がサイダーの前に座ると、仙台さんが当然のように隣に座って麦茶を一口飲んだ。
「疲れてない?」
優しい声が聞こえてくる。
私はサイダーをごくりと飲んで、仙台さんの胸元を見た。
「疲れてるに決まってるじゃん。それより、なんでそれ、私からの誕生日プレゼントだって言ったの?」
「それって?」
わかっているくせに仙台さんがわざとらしく聞いてくるから、グラスをテーブルの上へ置き、四つ葉のクローバーを掴んで引っ張る。
「これ」
「ネックレス?」
「そう」
「本当のこと言ったほうが良かった?」
「……良くない」
「そう言うと思ったから、誕生日プレゼントだって言った」
「誕生日プレゼントなんて言う必要なかったし、誰からもらったか言わないって選択肢だってあったじゃん」
私は四つ葉のクローバーから手を離し、仙台さんを睨む。
「友だちからもらったとか言ってほしかった?」
そんな嘘を許せるわけがない。
私は仙台さんの胸元に手をくっつけ、ネックレスを強く押さえる。
「これ、仙台さんが私のものって印だって覚えてるよね?」
「一生忘れない。だから、宮城からもらったって言いたかったし、言うなら誕生日プレゼントって言うしかなかった。……ほかの人からもらったなんて誤解されたくない」
手のひらを通じて仙台さんの声が私に響く。
彼女の言葉は私に重なる。
私があげたものが、他人があげたものにすり替わってしまうなんてあってはならない。
つきたくなくても嘘をついて真実を隠しておきたいものもあるけれど、嘘で覆い隠したくないものもある。仙台さんは、嘘で守るべきものと、真実で守るべきものを正しくわけて、私に見せてくれる。
「ねえ、宮城。私が宮城からネックレスをもらったって言ったとき、どう思った?」
仙台さんが私の手をぎゅっと押さえる。
手のひらが彼女にくっついて離れない。
四つ葉のクローバーも私にぴたりと張り付いている。
「そんなこと聞いてどうするの?」
「宮城の気持ちが知りたいだけ」
「……気持ち?」
仙台さんの真意がわからず声が少し低くなる。
手のひらをネックレスから離そうとするけれど、仙台さんが強く私を押さえてくる。
私と仙台さんは今、限りなく近い。
私のものである印が、私のものである体温が、嘘偽りなく伝わってきて、苦しい。でも、手が仙台さんにくっついているから、考えることから逃げられない。
あのとき、舞香が仙台さんにネックレスをプレゼントする人が気になると言い、仙台さんがそれにすんなりと「宮城」と答えた。
誕生日プレゼントというのは嘘だけれど、「宮城」という言葉に嘘はなかった。
あのとき私は――。
「嫌だったとかむかついたとか。――嬉しかったりとか」
仙台さんが静かに言い、「どれだった? 教えて」と私の手をネックレスごと握る。
視線を上げて、仙台さんを見る。
目が合って、唇を寄せる。
嘘でコーティングされた真実に感じた気持ちを伝えるよりも、キスがしたい。
仙台さんの唇に軽く触れて首筋を噛む。
ネックレスのチェーンに唇で触れ、四つ葉のクローバーにキスをする。
「……言いたくないってこと?」
小さな声が降ってきて、仙台さんの唇にまたキスをする。
何度も、何度も。
触れるだけのキスを繰り返す。
「宮城、ずるい」
なにがずるいのかわからないけれど、キスの合間に仙台さんがぼそりと言って強く唇を重ねてくる。生温かい舌が私に入り込んできて、体温が交じる。彼女に抗わず舌を絡めると、息が出来ないくらい抱きしめられて深く、深くキスをされる。
酸素が足りなくなって仙台さんの肩を押す。
それでも私を離してくれなくて彼女の舌を噛むと、ようやく体も唇も離れた。
「こんなにキスしていいって言ってない」
「宮城からしてきたんでしょ」
「だからって息できないくらいキスするの、馬鹿じゃないの」
私はテーブルの下にいるワニの尻尾を掴んで、大きな口を仙台さんにぶつける。
「痛い」
「痛くないでしょ。大体、仙台さんなんなの、あれ」
「あれって?」
「……誕生日」
「誕生日がどうかした?」
「誕生日を祝うとかなんとかで四人で集まることになったし、来年も浴衣着なきゃいけない感じになった」
「誕生日は私のせいじゃないでしょ。宮城が自分でみんなで集まろうって言ったんだから」
確かに澪さんの「そのうちでいいから、二人の誕生日をまとめて祝わせてよ」という提案に、私が「みんなで集まろう」と言った。
でも、そんなことを言うきっかけを作ったのは仙台さんだ。
「私の誕生日、予定あるなんて言うからじゃん」
葉月&志緒理誕生日会を開催したい。
そう言った澪さんに仙台さんが「私と宮城は予定あるから」なんて言ったせいで、私が言わなくてもいいことを言うはめになった。
「宮城の誕生日のことで適当な言い訳したくなかったし、本当のこと言うしかなかった。宮城の誕生日は、二人でホールケーキ食べるって去年決めたでしょ。あと二人でお酒も飲まなきゃいけないし」
仙台さんが私の手を握って、ベッドに寄り掛かる。
繋がった手が温かい。
「宮城。誕生日、二人でどこか行こっか」
優しい声が聞こえてくる。
「行かない」
「お祭り行ったし、まあいいか。でも、当日、食事作るのは手伝って」
「え? 今年も作るの? 仙台さんの誕生日も料理手伝ったし、作ってばっかりじゃん」
「一緒に作ったほうが楽しいでしょ。あと今日は一緒に寝ていい?」
仙台さんがどさくさ紛れに聞き捨てならないことを言う。
「なんで私が仙台さんと一緒に寝なきゃいけないの」
「なんでって、私が宮城のものだって感じられる時間が足りなかったから」
「なにそれ」
「ただ一緒に寝るだけだからいいでしょ」
「……それ、ちゃんとピアスに誓ってよ」
「いいよ」
そう言うと、仙台さんが「寝ることとお喋りすることしかしない」と囁いてから私のピアスにキスをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます