第363話

 本当に仙台さんはどうしようもなく馬鹿だと思う。


「一緒に入ろっか」


 彼女は爽やかに言った。

 それはお風呂に入ってから寝ようという話になって、どちらが先に入るかじゃんけんで決めようとしたときだ。


 話は一緒に入るか、入らないのかではなく、どちらが先に入るかだったのだから、あの台詞はおかしい。仙台さんは綺麗な顔をしているくせに、その顔に似合わないろくでもないことばかり言う。


 私はテレビの中で戦い続ける女の子を見る。


 仙台さんがお風呂に入っている間の暇を潰すために見始めたアニメだけれど、面白い。


 これなら仙台さんと一緒に見ても良かったかもしれない、なんて考えて息を吐く。

 今まで趣味を共有する相手は舞香だったのに、仙台さんが入り込むようになっている。


 停止ボタンを押して女の子の動きを止め、テレビを消す。


 じゃんけんに勝ったのは私で、お風呂に先に入った。

 仙台さんは後からで、今、バスルームにいる。


 私は髪を引っ張る。

 それなりの時間をかけてちゃんと乾かしたのに、仙台さんが戻ってこない。


 一言で言えば遅い。


 そんなに時間が経ったわけではないけれどそんな気がするのは、仙台さんがさっさと戻って来ないからで、戻って来ないことに文句を言いたくなるのは、仙台さんを待っているから、ということになる。


「……起きてる必要ないじゃん」


 なんとなく仙台さんと一緒に寝ることになってしまったが、彼女がお風呂から戻ってくるまで待っているという約束をしたわけじゃない。

 

 私はベッドに寝転がる。

 電気を消して、目を閉じる。


 今日はいろいろなことがあって疲れた。


 眠たかったわけではないけれど、暗闇とともに睡魔がやってきて現実から遠ざかる。

 カフェでの出来事がぼんやりと脳裏に浮かび、消える。


 夢と現実が入り交じり、言わなくていいけれど誤魔化されたら腹立たしいネックレスの話をする仙台さんの声が頭に響く。


「宮城」


 遠くから私を呼ぶ。


「宮城」


 なにかを叩く音が聞こえてくる。


「宮城、ちょっと。開けるよ?」


 聞こえてくるのは声だけで、体温は近くにない。


「宮城」


 目を開けて、体を起こす。

 やっぱり仙台さんはいない。


「宮城、大丈夫なの?」


 目を開けて、電気を点ける。

 ぼうっとした頭で考える。

 私はベッドの上にいて、仙台さんはいない。


 それは彼女がお風呂に入っていたからだ。

 でも、部屋の外から声が聞こえるということは、仙台さんのお風呂は終わったということだ。


「宮城、開けるよ」


 聞こえてくる声は今すぐにでもこの部屋に入ってきそうなものなのに、行儀の良い仙台さんは入ってこない。


 私はベッドから下り、ドアを開ける。


「仙台さん、うるさい」


 Tシャツにスウェットパンツをはいた仙台さんに文句を言うと、柔らかな声が返ってくる。


「ただいま」 


 近づかなくてもわかる。

 仙台さんからは私と同じ匂いがする。

 髪は乾いていて、さらさらしている。


 お風呂から出たばかりの彼女はいい匂いがして綺麗だ。


「……おかえり」


 入れば、と付け加えて、私はテーブルの前に座る。仙台さんが当然のように隣に座って、「寝てたの?」と問いかけてくる。


「起きてた」

「それ、嘘でしょ。寝てたみたいな声してる」

「してない」


 私はエアコンのリモコンを仙台さんに渡す。


「なに?」

「温度、好きにすれば」


 この部屋の温度は私には丁度いいけれど、お風呂から出てきたばかりの彼女には暑いくらいのはずだ。


 そもそも仙台さんは暑がりで、適温が私とは違う。


「いいよ。宮城に風邪引かれても困るし」


 仙台さんがリモコンを返そうとしてくるから、受け取らずにその手を押し返す。


「寒くなったら勝手に温度上げるし」

「じゃあ、私も暑くなったら勝手に温度下げる」

「今は?」

「このままで大丈夫」


 そう言って仙台さんがふわりと笑い、リモコンをテーブルの上へ置く。そして、「寝よっか」と付け加えた。


「お喋りするんじゃないの?」

「お喋りは今したし、私も眠いしね」


 仙台さんが立ち上がり、「宮城、どっち側で寝る?」と聞いてくる。


「壁側」


 短く答えて、仙台さんよりも先にベッドに横になる。


 もう少し向こうに行って、と言いながら仙台さんが私の隣にやってきて陣地を広げようとするから、狭い、と言って彼女の肩を押しやった。


「宮城のけち。電気、消すよ」

「うん」


 返事をすると、すぐに部屋の電気が常夜灯に切り替わる。


 世界がぼんやりとした灯りに包まれる。

 仙台さんのほうへ体を向ける。


 やっぱりいい匂いがする。


 手を伸ばして髪に触れる。

 私より明るい色のそれは触り心地が良くて、触れているだけで気持ちがいい。


「宮城のベッド、寝心地いいよね」

「普通のベッドだけど」

「毎日寝たくなるベッドだと思うけど」


 仙台さんの手が伸びてきて、私の脇腹に触れる。

 彼女の顔が見える。


 薄暗い部屋、目が合ったことがわかる。


 Tシャツの中に手が入り込もうとしてきて、彼女の足を蹴る


「痛い。無言でそういうことするのやめなよ」

「蹴るから」

「言えばいいってもんじゃないでしょ」

「仙台さんが無言はやめろって言ったんじゃん。触りたければ自分のお腹触れば」


 私は仙台さんの手を掴んで、彼女のお腹にぐいっと押しつける。


「隣に宮城がいるのに自分のお腹触っても面白くない」


 真面目な声で仙台さんが言って、ごろりと仰向けになる。

 私は薄明かりに照らされた彼女の横顔を見てから、ゆっくりと目を閉じた。


「宮城、寝た?」

「寝てるわけないじゃん」


 目は閉じたけれど、それから十秒も経っていない。

 そんなにすぐには眠れない。


「そっか。誕生日、どんなお酒が飲みたい?」


 寝ようかと誘ってきた人間が睡眠の邪魔をしてくる。

 私も眠い、なんて言っていた人間と同じ人間とは思えない。


「仙台さん、お喋り終わりって言ったじゃん」


 文句を言って目を開けると、横顔だった仙台さんの顔が私のほうを向いている。


「終わりとは言ってないし、質問に一つ答えるくらいいいじゃん」


 彼女の声はどう考えても眠ってくれそうにないもので、質問に答えないという選択肢は用意されていない。答えなければ、きっと延々と同じことを聞かれる。


「……仙台さんが理性なくさないならなんでもいい」

「余計な一言つけないでよ」

「大事な一言だもん」

「理性なくすまで飲まないから大丈夫」

「信用できない」


 こういうものは、大丈夫、と断言する人ほど大丈夫じゃないことが多い。


「大丈夫」


 信用できない言葉を仙台さんがまた口にして、言葉を続ける。


「お酒飲み過ぎたら、記憶なくしそうで嫌だし」

「なくしたくないの?」

「記憶なくしたい人なんていないでしょ」


 当然だというように仙台さんが言う。


「なくしたくなくてもなくすこと、あるんじゃないの」

「まあ、澪はなくすことがあるみたいだけど」


 仙台さんが身近な例を挙げて、「ときどき二日酔いになってる」と情報を付け加える。


「澪さん、お酒飲んだらうるさそう」

「確かに。今日のメンバーだと、宇都宮はあまり変わらなそうな気がする。にこにこしながらたくさん飲みそう」


 この場で出てくるとは思っていなかった名前が仙台さんの口から出てきて、耳がぴくりと反応する。


 澪さんのことは事実で、舞香のことは予想だ。


 あったことを振り返るのは仕方がないことだと思う。

 でも、舞香とお酒を飲む予定もないのに飲んだときのことを話されるのは面白くない。


 手が勝手に仙台さんの胸元に伸びる。

 鎖骨を撫でて、ネックレスのチェーンを辿る。


 四つ葉のクローバーに触れかけて、やめる。


「触らないの?」


 仙台さんが囁くように言う。


「触らない」

「触りかけたのに?」

「触りかけてない」


 今触ったら、まるで嫉妬しているみたいだと思う。


「……舞香、来年になるまで飲めないから」


 仙台さんに背を向けて、目を閉じる。

 舞香が二十歳になるのはまだ先で、お酒の話はまだ早い。


「知ってる」


 単調な声とともに、Tシャツを引っ張られる。

 振り向かずにいると、また仙台さんの声が聞こえてくる。


「……宮城、キスしてよ」

「しない」

「宮城」

「したければすればいいじゃん。なんでそんなこと頼んでくるの」

「寝ることとお喋りすることしかしないって約束したから」

「じゃあ、それ守って」


 そう言って背中を丸めると、仙台さんが私の背中に手を当てた。


「約束守って寝るから、こっち向いて」

「やだ」

「……志緒理」


 手が強く押し当てられる。

 志緒理と呼んでいいとは言っていない。

 私は文句を言うべく、仙台さんのほうを向いた。

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