仙台さんがいない時間
第275話
二つ目の唐揚げを囓って、ごくりと飲み込む。
休みが長かったから、大学という場所にまだ体が慣れない。でも、舞香も朝倉さんも私とは違って楽しそうにランチを食べている。
春休みが終わって、大学が始まって、二年生になって。
気がつけば、みんな休みなんてなかったみたいに普通の顔をして講義を受けている。いつまでも春休みに後ろ髪を引かれているのは私だけだ。騒がしい大学の食堂も、休み前となにも変わらない。
「春休み終わるのって早くない?」
私はため息を飲み込んで、むしゃむしゃと口を動かしている舞香と朝倉さんに問いかける。
「早くないって。めちゃくちゃ長くなかった? 大体、あれ以上長かったら人間が駄目になりそう」
舞香が軽い声で言って、パスタをくるくると器用にフォークに巻いてぱくりと食べる。
「たくさんバイトできるのはいいけど、あんまり長すぎてもね」
オムライスを食べていた朝倉さんも舞香に同意するが、私は二人に同意できない。
「休みは長い方がいいじゃん。ずっと家でゴロゴロしてたいし」
四角いテーブルを三人で囲んでいる私たちの周りを見れば、明るい食堂にキラキラとした人たちが集まっていて、なにが面白いのか楽しそうに笑っている。仙台さんがここにいたら、あの輪の中で当たり前のように笑っていそうだ。
大学は嫌いじゃないし、舞香たちと一緒にいるのは楽しいけれど、仙台さんのようになれない私は家にいる方が落ち着く。
「志緒理。それ、大学生になった意味ない」
呆れたような舞香の声に、朝倉さんの声が続く。
「宮城さんって、ほんとインドアだよね。ルームシェアしてたら家でゴロゴロしにくくない? あ、もしかして仙台さんも――。ゴロゴロはしないよねえ」
「ゴロゴロしてるのは志緒理だけで、仙台さんはきちんとしてそう」
くすくすと笑って、舞香がパスタをフォークに巻く。
酷い言われようだけれど、事実ではある。
仙台さんは休み中も、私より規則正しい生活を送っていた。夏も冬も、いつの休みも。朝も昼も、夜もきちんとご飯を食べている。掃除をしたり、洗濯をしたり、部屋を綺麗に片付けている。
いつだって彼女はきちんとしていて綺麗だ。
顔も体も、全部。
みんなが知っている仙台さんのイメージと大きなズレはないと思う。
でも、彼女にだって誰も知らない部分があって、私はそれを知っている。
ベッドの上の仙台さんは私しか知らない。
そして私は、またそういう彼女とそういうことをし――。
「志緒理、またぼーっとしてる。いくらもっと休みたいからって、ぼんやりしすぎじゃない?」
舞香に呼ばれて、仙台さんに囚われかけていた意識が戻ってくる。
駄目だ。
こういう場所で考えることじゃない。
「ゴールデンウィークに向けて頑張る」
私は小さな目標を口にして、唐揚げを囓る。
味噌汁もごくりと飲んで、ご飯を口に運ぶと、半分ほどオムライスを食べた朝倉さんが言った。
「宮城さん、ゴールデンウィークもバイトしないの?」
大学が始まって、舞香がバイトをするという話を朝倉さんとしたときに「宮城さんは?」と聞かれた。私はそのときに口にした答えと同じ言葉をもう一度言う。
「バイト向いてないし」
仙台さんに「私もしようかな」と春休みに言ったが、あれは本気じゃない。おそらく彼女も私が本気で言ったとは思っていないだろうけれど、あれはただの八つ当たりだ。
私は仙台さんからバイトの話を聞きたくない。
でも、仙台さんがバイトの話をしないことも許せない。
矛盾した気持ちが言わなくてもいいことを言わせる。
あんな言葉で仙台さんがバイトを諦めてくれるとは思っていないし、諦めさせることができないこともわかっているけれど、余計な言葉を口にせずにはいられなくなる。
「ずっと家にいたら暇じゃない?」
「志緒理のところ、仙台さんいるし」
舞香が私が言うよりも先に答えて、「いくらでも暇を潰せそう」と付け加える。でも、朝倉さんは「えー」と言いながら私を見て尋ねてくる。
「ルームシェアって、相手と一日中一緒にいるわけじゃないよね?」
「部屋は別だし、一日中一緒ってわけじゃないけど、一緒になにかすることも多いし」
「そうなんだ。でも、宮城さんと仙台さんがルームシェアしてるの、未だに信じられない。二人がどんな会話してるのか想像できないもん」
何度か聞いたことがある台詞を朝倉さんが言って、オムライスを頬張る。
「そう言えば、仙台さんバイト増やしたんでしょ。一人の時間増えるんだし、志緒理もバイトしたら?」
「バイトしたらって、どこで?」
私はバイトが嫌いだ。
したいなんて思わない。
それでもここで、絶対にしたくないと駄々をこねるようなことを言うわけにはいかない。
「私と一緒のところは? ハンバーガー売ろうよ。バイト募集してるよ」
「接客無理」
「じゃあ、仙台さんがバイトしてたカフェ」
「接客じゃん」
「バレたか。だったら、家庭教師」
からかうように舞香が言って、私は「もっと無理」と答える。
そう、絶対に無理だ。
家庭教師のバイトは特に嫌いなものだから、今よりも頭が良かったとしても絶対にしない。それなのに、仙台さんは家庭教師のバイトを増やす。
私は視線を落として自分の指を見る。
誰よりも仙台さんを知ったはずなのに満足できない。
仙台さんを深く知れば知るほど、彼女が深く私に入り込んでくる。こんな風に何気ない会話の中に仙台さんの名前が出てくるだけで、すべてが彼女に繋がっていく。
「みんなバイトするし、つまんない」
私は大げさにため息をつく。
誰もいない家は好きではないけれど、高校生の頃の私なら誰もいなくてもそんなものだと思えた。でも、今は一人でいることに慣れていた私が消え、仙台さんにずっといてほしいと思っている。だから、当たり前のことが許せない。
バイトがある日は、帰ってくるのが遅くなるだけ。
彼女がバイトを始めた頃から許せなかったそれが、前以上に許せなくなっている。
こんなとき、青いマフラーがあればいいと思う。
あれをぎゅっと握ったら、少しは落ち着く。
「そんなにつまらないなら、やっぱり志緒理もバイトしようよ。同じところで働いたら楽しそうじゃん」
「舞香と一緒なのはいいけど、バイトは無理だもん」
「バイトはしなくてもいいけど、宮城さんって就職はどうするの?」
朝倉さんが真面目な顔をしてそう言うと、私を見た。
「それはするしかないけど」
「あ、すごく嫌そうな顔してる」
笑いながら朝倉さんが言って、オムライスをぱくりと食べる。そして、大きな口でもう一口食べて、お皿を空にした。
「いっそのこと仙台さんに養ってもらうのは?」
舞香が無責任なことを言いだす。
「ルームシェアするの、大学の間だけだし」
「就職しても一緒に住めばいいじゃん。家賃が半分になったら楽に暮らせそうだし」
舞香が口にした未来に心が揺らぐ。
ずっと。
これから先。
大学を卒業しても。
仙台さんと一緒にいれば、私が帰る家は“誰かがいる家”になる。大学を卒業してから先の未来はぼんやりとしていて、色も形もわからない。就職した自分を想像することができないし、就職することができるかどうかもわからない。でも、“誰かがいる家”は想像できる。
「……そうだけど、そういう約束じゃないから」
私は小さく息を吐いてから、ランチの唐揚げをすべて胃の中に押し込んだ。
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