第47話

 きっと、一日置きなんて面倒なスケジュールがいけない。

 昨日のことを思い出して、今日は何をしているかな、なんて考える余裕がある。


 繰り返し考えていると、記憶に強く残る。勉強と同じだ。家から予備校へ向かう道、予備校から家へと向かう道、お風呂に入っているとき、眠りつくまでのベッドの上。宮城が入り込む隙間はいくらでもあった。だから、金曜になった今日も昨日の宮城が何をしていたのか気になっている。


 高校生が夏休みにできることなんて限られているから、行った場所を予想することはできる。


 カラオケや買い物、映画を観たり、遊園地へ行ったり。

 それくらいのもので、特別変わった場所へ行ったなんてことはないはずだ。


 昨日、どこ行ったの?


 今、本人に聞くこともできるけれど、水曜日に聞いても答えてくれなかったことを今日答えてくれるとは思えない。


「仙台さん、ここわかんない」


 隣に座った宮城が、広げた問題集の上の方をペンで指す。


「ああ、これは――」


 数字がいくつも並んだ紙の上、当てはまる公式を教える。


 記憶から必要なものを引っ張り出して、口にすることはそう難しいことではない。こんなものは家庭教師ではないし、お金をもらうほどのことじゃないことはわかっている。けれど、何の理由もなく休み中に宮城の家へ来ることはできなかったから理由を作った。


 そんなことは宮城も気がついていると思う。


 宿題をしてあげたからと言ってした首筋へのキスだって、宮城には怒る権利があった。五千円分働いているとは言い難い私の言い分に従う必要はない。


 じゃあ、どうしてキスをした後に本気で怒らなかったのか。


 聞きたいと思うけれど、これも聞いたところで答えてくれそうにない。こうして口に出せないものが増えていくと、いつか窒息してしまいそうで怖くなる。


「……昨日、どこ行ったの?」


 飲み込んでいた二つの言葉のうち、聞きやすい方を口にする。


「宿題やってくれたら答える」


 あっさりと宮城が答えて、問題集を私の前に置く。


 まあ、こうなるよね。


 私が宿題をやるわけがないと思って言っているだろうから、答えるつもりがないんだろう。


「今日はもうやめよっか」


 私は宮城の問題集を閉じて、ベッドに寄りかかる。


「早くない?」


 勉強を始めてからまだ一時間しか経っていないから、早いか遅いかで言えば早い。これで終わりだと言えるような時間ではないから、一つ提案をする。


「早いから、命令していいよ」

「なにそれ」

「勉強終わらせるような時間じゃないし、月曜日も教えてないから、その分命令していいよってこと」


 そもそも、こんなものは家庭教師じゃないという言葉は口にしないでおく。


「そうやって勝手に新しいルール作るのやめてよ」

「世の中には臨機応変っていう便利な言葉があるし、いいんじゃないの」

「良くない」

「じゃあ、宮城が決めていいよ。命令以外のなにか提案して」


 家庭教師を早めに切り上げるかわりに私がすることは、何だっていい。命令にこだわっているわけではないから宮城にすべてを放り投げると、他に案がないのか宮城が意見を翻した。


「……命令する」

「わかった。なにすればいい?」

「今から仙台さんの家に連れてって」

「は?」

「いつも私の家だし、たまには仙台さんの家に行ってもいいでしょ」


 何故、そんな命令をしようと思ったのか。

 宮城の頭を叩いて割って中を見たいと思う。


 高校に入ってから今まで、友だちを家に呼んだことがない。何度か遊びに行きたいと言われたことがあるけれど、すべて断った。友だちが来たからといって親が出てくるようなことはないが、ばったり会う可能性はある。


 そういうことがあったら、きっと面倒なことになるはずだ。家族と折り合いが悪いことをわざわざ知らせるようなことはしたくないし、自分のテリトリーに人を入れたくはなかった。


「冗談だから」


 宮城がつまらなそうに言って、私が閉じた問題集を開く。


「まだなにも言ってないんだけど」

「これから駄目だって言うんでしょ」

「そんなのわからないでしょ」


 そう言って、一昨日の私のようにショートパンツを穿いている宮城の太ももを軽く叩くと手を振り払われた。


 たぶん、これは機嫌が悪い。


 私は息を吸って、勢いよく立ち上がる。


「宮城、行くよ」

「え?」

「え、じゃなくて。私の家に連れてけって言ったの、宮城でしょ」

「そうだけど」

「行かないなら、座る」


 気は進まないが、宮城なら部屋に入れても良いとは思っている。でも、言い出した本人に行く気がないなら、無理をして家に行く必要はない。


「行くけど、一緒に行くの?」


 私が座る前に立ち上がり、宮城がおかしなことを言う。


「一緒に行かないとわかんないでしょ。宮城、私の家知ってるの?」

「知らない」


 当然だ。

 私は彼女にどこに住んでいるか聞かれたことがないし、言ったこともない。わからない場所には一人で行けないのだから、一緒に行くしかない。でも、宮城は立ち上がったまま動こうとしなかった。


「なにか言いたいことがあるなら言えば」

「……二人で歩いてるところ、見られるかもしれないけどいいの?」


 放課後にあったことは誰にも話さないし、学校で話しかけたりもしない。


 そういう約束だから、私が宮城と会っていることは誰も知らない。ずっと二人だけの秘密で、これからも二人だけの秘密のままだ。だから、一緒に歩かないと言いたいのかもしれないが、元クラスメイトとたまたま会って一緒に歩くことくらいあるだろうし、同じ場所に向かうのに別々に行くなんて面倒だ。


「いいよ、別に」


 短く答えると、宮城が食い下がってくる。


「教えてくれたら別々に行くから。その方がいいでしょ」


 気を遣ってくれているのか、自分の友だちに会いたくないだけなのかわからないが、一緒に行きたくないと駄々をこねる。


「面倒だし、一緒に行けばいいんじゃない。宮城が迷子になっても困るしさ」

「地図があれば迷わない。方向音痴じゃないし」

「そうだとしても、一緒に行くから。ここからそんなに遠くないし、一緒に歩いてても誰かに会ったりしないでしょ」


 今まで家の近くでばったり会った知り合いなんて、宮城くらいのものだ。彼女の友だちとだって、会ったりしないだろう。


 私はテーブルの上を片付けて、宮城の手首を掴む。そして、彼女を引きずるようにして部屋を出る。


「二十分くらい歩くけどいい?」


 玄関で靴を履きながら尋ねる。


「遠い」

「近いって」


 さっさと歩けば十五分で着くから、そう遠くない。


 私たちはエレベーターに乗って、エントランスへ向かう。マンションを出てゆっくり歩き出すと、宮城が少し後をついてくる。私は立ち止まって、彼女を待つ。


「途中でコンビニ寄ってもいい?」


 隣にやってきた宮城に尋ねる。


「いいけど」

「じゃあ、行こう」


 私は宮城を置いていかないように、歩調を合わせて家へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る