第220話

 目の前にはボウルが二つ。

 それは仙台さんが冷蔵庫から取り出したもので、どちらも中にはこねられたひき肉が入っている。ボウルが二つある理由はわからないけれど、中身から想像できるものは一つしかない。


「ハンバーグ?」

「外れ」


 軽やかな声が返ってくる。


「じゃあ、なに作るの?」

「餃子。ボウルの中身は、宮城が帰ってくる前に作った餃子の具。しそとチーズの二種類ね」


 仙台さんがボウルをテーブルに置いて、私を見た。


「餃子? わざわざ作るの?」

「そうだよ。包んで焼くだけになってるから」

「できてるの買ってくればよかったのに」

「にんにく入ってない餃子が食べたくて」

「それも探せば売ってるじゃん」

「そうだけどさ、一緒に作ったら楽しいでしょ」

「……鞄置いてくる」


 ご飯の準備を手伝ってほしいと言った仙台さんに、手伝うと返事をした覚えはない。でも、彼女は私が手伝う前提で話をしているから、部屋へコートと鞄を置いてくる。

 共用スペースへ戻り、手を洗い、仙台さんの隣に立つと、私の前へ当然のようにボウルが一つ置かれた。


「宮城はしその方を包んで」


 スプーンを手渡され、私はボウルの中をじっと見る。


 仙台さんはなんでも作りたがって、人に手伝えと言う。今までにも唐揚げを作ったり、クッキーを作ったりしてきた。他にも一緒に料理をしたけれど、私たちが作ったものはわざわざ作らなくてもお店に行けば売られているものばかりだ。私はずっとそういう売られているものを買って食べていた。


 餃子だってそうだ。

 私にとっての餃子は冷凍やチルドのようなすでに餃子の形になっているもので、皮に包むところから作るものじゃない。


 面倒くさいと思う。


 どうして仙台さんが、なんでもかんでも作りたがるのかわからない。

 でも、どういうわけか仙台さんが作ったものは美味しくて、面倒くさいと思っても彼女を手伝うことになる。


「……作ったことないし、包み方わかんない」


 テーブルには、ボウルの他に水が入った小皿と餃子の皮が用意されている。私は餃子の皮を一枚手に取って、仙台さんを見る。


「じゃあ、具をスプーン一杯分くらい、皮の真ん中にのせて」

「こう?」


 言われた通りにスプーン一杯の具を皮の真ん中にのせる。


「そうそう。次は皮のふちを水で濡らして、右端を摘まんで、こうやって端から順番にひだを作って閉じていくだけ。簡単でしょ」


 仙台さんが具の包み方を実演してくれるが、よくわからない。皮の端っこから畳むようにしてひだを作っているのはわかったけれど、わかっただけだ。同じようにできるとは思えない。

 それでもやらないわけにはいかず、とりあえず皮の端っこを閉じてひだを作っていく。


「……破けた」


 理由はわからない。

 具を包むことはできたけれど、皮が裂けて中身が見えている。


「具の量、減らしたら?」


 仙台さんのアドバイスを元に、さっきより少なめにした具を皮の真ん中にのせて閉じていくと不格好な餃子ができあがる。仙台さんが作った餃子のように綺麗にはできない。


 たぶん、ひだがあるからいけない。


 私は餃子の皮を一枚取る。

 皮の真ん中に具をのせて四角に折りたたみ、仙台さんに見せる。


「餃子って言うより、四角いクレープみたい。ひだの数減らして作ったら」

「ひだなんかあってもなくても食べたら一緒だし、これでいいじゃん」


 私は四角い餃子をもう一つ作って、お皿の上へ置く。


「……宮城って不器用だよね」

「不器用じゃない」

「まあ、宮城の好きな形でいいよ。裂けた餃子も形が悪い餃子もクレープっぽい餃子も可愛いし」


 私が作った餃子を見ながら、仙台さんがくすくす笑う。


 むかつく。


 私は仙台さんの足をぎゅっと踏んで、大切なことを思い出す。


 のんびりと餃子を作っている場合じゃなかった。


 仙台さんに言わなければいけないことがある。

 私はひだのある不格好な餃子をもう一個作ってから、息を吸って吐く。そして、もう一枚皮を取り、真ん中に具をのせて、右の端をくっつけてから大きくも小さくもない声で尋ねる。


「クリスマスなんだけど、用事ある?」


 私の声に、仙台さんが餃子を作る手を止めた。


「クリスマスって二十五日?」

「二十四日」

「それイブ」

「どっちだっていいじゃん、そんなの。用事があるかないか、答えてよ」


 ほんの少し早口になって、なんだか特別なことを聞いてしまった気がしてくる。クリスマスの予定を聞くことなんてたいしたことじゃないはずなのに、隣を見ることができない。私は、ひだが上手く作れないまま餃子の皮を閉じていく。


「暇だけど」


 仙台さんの静かな声が聞こえてきて、息を吐く。不格好な餃子をお皿の上へ置いて、言わなければいけないことを一気に口にする。


「舞香が三人で集まりたいって」

「……宇都宮が?」


 仙台さんがいつもよりも硬い声を出す。


「そう」

「宮城はなんて答えたの?」

「予定ないって」

「それは二十四日は宇都宮に会うってこと?」

「そうだけど」


 ずっと心の底に沈めておきたかった感情が浮かび上がってくる。その感情はいつだって上手く制御することができなくて、なにかに引っ張られるように強く仙台さんに向かう。そして、舞香に会ってほしくないと思ってしまう。見えるところにたくさん印をつけて、この家に閉じ込めてしまえばなんて考えが浮かんで、暗く燃える炎のような感情とともにその考えを消し去りたくなる。


「宮城は私にどうしてほしいの?」


 問いかけられて、答えに迷う。

 仙台さんを舞香に会わせたくないけれど、舞香との約束を破りたくもない。


 どうしよう。


 答えは一つにしなければいけない。

 選ぶなら、一つだけ選ぶなら、それはきっと自分自身を好きになれない答えになる。だから、それを口にしたくない。


「イブは宇都宮と三人で会うってことでいいよ」


 さっきほど硬くはないけれど、柔らかくもない声で仙台さんが言って、餃子の皮を一枚取った。彼女は皮に具をのせ、手早くひだを作って閉じていく。あっという間に具が包まれて餃子がお皿の上へ置かれたけれど、それは皮が裂けていて具が見えていた。


「宮城」


 仙台さんが静かに私を呼ぶ。


「なに?」

「代わりにクリスマスは一緒に過ごして」

「クリスマスって二十五日?」

「そう」

「……仙台さん、友だちと約束ないの?」

「しない」

「ないじゃなくて?」


 約束があるのか、ないのか。

 私の質問に対する答えは二通りのはずで、しない、という返事はおかしい。


「しない」


 また微妙に正しくない答えが返ってくるけれど、彼女にとってその答えは間違いではないらしく声に迷いはなかった。


「二人でなにするの?」

「ケーキ食べようよ」


 仙台さんが柔らかな声で言う。


「二十四日も食べると思うけど」

「二十五日も食べればいいでしょ」

「ケーキ食べるだけでいいの?」

「朝から晩までケーキ食べたいなら、それでもいいけど」

「どういうこと?」

「二十五日一緒に過ごすってことは、丸ごと全部、朝から晩まで私と一緒に過ごすってこと」

「朝から晩までって、そんなにすることないじゃん」

「あるよ。たとえば、朝から買い出しに行って、今日みたいに夕ご飯を一緒に作るとか」


 私は料理は好きじゃない。

 向いていないと思う。

 空腹を満たせれば、インスタントやレトルトでかまわない。


 ずっとそう思ってきたけれど、不器用で仙台さんのように上手くできなくても、面倒くさくても、こうして餃子を作っていると、クリスマスに二人で料理を作ることも悪くないと思える。


「なに作るの?」

「宮城の食べたいもの」

「特にない」

「じゃあ、考えといてよ。他にしたいことがあるなら、料理じゃなくてもいいしさ。だから、宮城の二十五日、私にちょうだい」

「……いいけど」


 クリスマスは特別なものには思えないけれど、クリスマスに仙台さんが私を置いてどこかに行ってしまうのは嫌だ。丸ごと全部がほしいし、予定があるなら予定を埋める誰かから奪ってしまいたいと思う。


 大事な日も大事じゃない日も、置いていかれたくない。


 二十四日も鎖に繋いで私のものにしておきたいと思うけれど、諦めるしかない。舞香は私の友だちで、仙台さんの友だちでもある。彼女は、仙台さんを私から取り上げたりはしない。だから、仙台さんを舞香に会わせたくない私をなだめすかして、仄暗い感情を心の奥底に沈めて蓋をしておく。


「じゃあ、約束」


 そう言うと、仙台さんが私のピアスにキスをしてクリスマスを誓ってから、耳元で囁いた。


「この前の約束もそこまで待つから」

「約束って?」


 問いかけた言葉には、答えが返ってこない。

 でも、私はその約束がなにか知っている。

 それでも聞かずにはいられない。


「仙台さん、質問の答えは?」

「餃子、綺麗に作れたら答えてあげる」


 彼女の言葉に皮で具を包むと不格好な餃子ができあがって、仙台さんがくすくすと笑った。

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