宮城がいるから
第352話
去年のような今日を望んでいた。
でも、まったく同じ必要はない。
去年は大きなピザとチキンナゲットがテーブルに並んでいたけれど、今年は唐揚げとカプレーゼとパスタが並んでいる。
そして、場所も違う。去年は宮城の部屋だったけれど、今年は私の部屋だ。その上、私たちはルームメイトでもなくなっている。
大事なことはすべてが同じであることではなく、私の前に宮城がいることで、今日はそれが叶っている。
『来年の誕生日もお祝いしてよ』
去年、私が口にしたこの言葉を宮城は忘れずにいてくれた。
「仙台さん、ケーキはあとでいいよね?」
テーブルの向こう側、宮城が誕生日という日に相応しくない不機嫌な顔で言う。
こういうところは去年と変わらない。
いや、いつもと変わらない。私の前にいるときの宮城は不機嫌が基本だ。上機嫌なんてものは存在しないに等しい。
「宮城が今、ケーキ食べたいなら今でいいけど」
にこりと笑って言うと、少し低い声が返ってくる。
「仙台さんのケーキなんだから、私はどうでもいいじゃん」
「宮城が買ってきたケーキだし、宮城が決めて」
「……じゃあ、ケーキはあとからにして、先にご飯食べる。あと、仙台さん」
抑揚のない声で宮城が言い、私をじっと見る。
でも、なにも言わない。
なにか言いそうなのに、私を見たまま黙り込んでいる。
「続きは?」
私の声に宮城が眉根を寄せ、息を吐く。
そして、小さな声で言った。
「……誕生日おめでとう」
心臓がぴょこんと跳ねて、胸が熱くなる。
八月二十二日の夜、正確には真夜中を過ぎて二十三日になってから「誕生日おめでとう」のメッセージがいくつも届いた。
それは毎年のことで嬉しいものではあるけれど、誕生日の人間になら誰もが送る言葉で特別なものではないから、大喜びするようなものではない。当然、体のどこかが反応するようなものでもなかった。
けれど、宮城の口から出た言葉は違う。
ありふれた言葉が私だけのたった一つの言葉になる。
「ありがとう」
「……食べる」
ぼそりと言って、宮城が困ったように視線を落とす。
私を見ない目は、三毛猫の箸置きに着地する。
いただきます、はまだ言わない。
ただひたすら三毛猫の箸置きと見つめ合っている。それはきっと、おめでとう、と言ったくらいで私を見られなくなっているからで、彼女のこういうところは本当に可愛いと思う。
しかも、今日の宮城は、私がメイクをして、私が編んだ髪で、私の服を着ているから特別に可愛い。だから、本当は一人で外へ出すなんてことはしたくなかった。この家に閉じ込めて、私が作った宮城を見ていたかった。
けれど、メイクも髪も着せ替えも、宮城を一人で外出させる代わりに手に入れたものだったから、どこへも行かせないなんてわけにはいかなかった。
せめて、宮城のために買い、私のものだと言って渡した鞄を宮城が持って太陽の下を歩くところを見たかったけれど。
「食べないの?」
顔を上げようとしない宮城に問いかける。
このままずっと可愛い宮城を見つめていたいが、そんなことをしていたらパスタも唐揚げも冷めてしまう。せっかく二人で作ったのだから、二人でする食事を冷めないうちに楽しみたい。
「食べるって言ってるじゃん」
宮城が三毛猫の箸置きから顔を上げ、息を吸う。
「いただきます」
私と宮城の声が重なる。
なんでもないことだけれど、一年で一回しかない私の誕生日に私の言葉と宮城の言葉が重なったことに嬉しくなる。
宮城が笑顔だったらもっと良かったかもしれないが、私は宮城が好きなペンギンではないから仕方がない。宮城に誕生日を祝われているという事実だけで十分だ。
私はカプレーゼを大きな口でぱくりと食べる。
モッツァレラチーズの弾力が心地良い。
宮城が切ったトマトは少し厚いけれど、気にならない。クセのないチーズとバジルの爽やかな風味と混じり合い、一口では足りなくなる。
「宮城が作ってくれたカプレーゼ、美味しい」
「味付けは仙台さんがしたんじゃん」
不満そうに宮城が言い、カプレーゼを食べる。
けれど、彼女が食べたのはトマトとモッツァレラチーズだけだ。一緒に盛り付けてあった緑は省かれている。
「バジル、嫌いなの?」
「別に」
素っ気なく答える彼女は、バジルを食べないままパスタをフォークに巻いていく。そして、一口で食べるには少し大きいパスタの塊を口へ運んだ。
「美味しい?」
ソースは温めただけのカルボナーラで、失敗することのないものだ。それでも味が気になって、むぐむぐとパスタを食べている宮城を見る。
「……仙台さんも食べてよ」
答えを出さない彼女に「味は?」ともう一度問いかける。
「美味しい」
宮城が素っ気なく答え、唐揚げを頬張る。
どうやら料理は満足する出来らしい。
去年のようにデリバリーのピザというのも悪くはないけれど、誕生日に食べるなら、作ったことも記憶に残る二人でした料理のほうがいい。
今日という日が私に残って、同じものが宮城に残る。そういうことを繰り返していって、私自身を宮城でいっぱいにしたいし、宮城も私でいっぱいにしたい。ほかの人やものが入る隙間なんて、なくしてしまいたいと思う。
私は宮城のようにパスタをぐるぐるとフォークに巻き付け、ぱくりと食べる。
少し安っぽいカルボナーラが酷く美味しい。
唐揚げを齧っても美味しい以外の感想はでてこない。
今日はいい日だと思う。
カプレーゼも唐揚げも美味しくて、レトルトのソースがかかったパスタも美味しい。手の込んだものは一つもないけれど、明日も明後日も食べたいくらい美味しく感じる。
宮城をじっと見る。
バジルを避けながらカプレーゼを食べている。
「宮城。……私と一緒に住んでくれてありがと」
お姉ちゃんと同じ出来の良い私にならなくて良かった。
姉とは違う私として大学生になることができて、本当に良かったと思う。親が望む私になっていたら、宮城に会うことはなかったし、こうしてここにいなかった。
「急になに?」
「今の気持ちを伝えておこうと思って」
「……一人暮らしのほうが良かったって思わないの?」
「思わない。一人だったら今日を楽しいとは思えなかったから、宮城がいてくれて良かった」
私は胸元の四つ葉のクローバーに触れる。
葉月の葉っぱ。
こんなことを考えてネックレスを渡してくるのは宮城だけだ。
「仙台さん、大げさ過ぎる」
「大げさじゃないよ。宮城のおかげで楽しいってどういうことか思い出した」
昔、楽しかった誕生日は、いつしか年齢が変わるだけのものに変わり、日付が変わった後に友だちから送られてくる「おめでとう」のメッセージに「ありがとう」と返すだけの日に変わった。
私はずっとそういう誕生日を過ごすのだと思っていた。
でも、変わった。
「……仙台さんにとって楽しいって、どういうことなの?」
「今日みたいな日のこと」
誕生日は家族に祝ってもらえていた過去よりも待ち遠しいもので、楽しいものになっているし、誕生日ではない日も楽しい日になっている。それは私の毎日に宮城がいるからで、いない日は考えられない。
「一緒にご飯食べてるだけじゃん」
宮城がぼそりと言って、サイダーを飲む。
彼女の喉が動き、見えないはずのサイダーが見える。
できることなら、彼女の体の中を見たい。
二人で作った料理の行方を目で追いたいと思う。
「ケーキも食べるでしょ」
「そうだけど、普通の日だって食べる」
また宮城がごくりとサイダーを飲む。
動く喉に触れたくなって、クローバーをぎゅっと握って離す。
「でも、そういう日が楽しい。……私、宮城と会う前の毎日がずっと楽しくなかったから」
「……友だちいっぱいいたのに?」
「数は関係ない」
「……今は楽しいんだよね?」
「うん。でも、宮城がいなかったら楽しいとは思えなかった。――ありがと」
家族との関係が壊れた後も楽しいと思うことはあった。
でも、その“楽しい”は本当の“楽しい”ではなかった。
宮城と会う前の生活はまやかしみたいなものだ。
「別に私はなにもしてない」
「しなくていいから、ずっと私といてよ」
宮城が私をじっと見て、困ったように視線を外す。
黙って唐揚げを齧り、なにも言わない。
こういうとき、ずっといるから、と答えてほしいと思うけれど、それが難しいことはわかっているし、その言葉を無理矢理言わせて奪いたいわけではない。
彼女が心から、私とずっと一緒にいたいと思ってくれる日を待ちたいと思っている。そして、私は、こういうときに気の利いた言葉を言わない宮城が好きだ。
「宮城、来年の誕生日もお祝いしてよ」
私は、宮城の前にある透明な液体が入ったグラスを手に取る。
宮城が視線を私に合わせる。
文句は聞こえてこない。
しゅわしゅわしていて少しも美味しくない液体を一口飲む。
「まだケーキも食べてないのに来年の話なの?」
「そう、来年の予約。来年も再来年もこの先ずっと同じこと言うから、ずっと叶えてって言ったでしょ。忘れてないよね?」
笑顔を向けると、宮城が眉間に皺を寄せる。
「……覚えてるし、わざわざ言わなくていい」
「ありがと」
十九歳の誕生日は、十九回の誕生日のうち一番嬉しかった。
二十歳の誕生日は、十九回目の誕生日よりももっと嬉しい。
宮城がいてくれれば、二十一歳の誕生日は今日よりももっと嬉しくて楽しい日になる。
「……仙台さん。私、ケーキもってくる」
宮城が小さな声とともに、空になったお皿を重ね始める。
「まだパスタ食べてるんだけど」
「もうすぐ終わるし、いいじゃん」
そう言うと、彼女がすっくと立ち上がったから、「待って。私も一緒に行く」と声をかける。
「来なくていい。主役は座ってて」
宮城が私を睨み、部屋を出て行く。
当然、私は彼女の後を追う。
「なんでついてくるの」
共用スペースへ出ると、すぐに宮城が不満しかない顔で文句をぶつけてくる。
「キスしたいから。……してもいい?」
「やだ」
冷蔵庫の前、毛を逆立てた黒猫が鋭い目を向けてくる。
たぶん、手を出したら噛まれる。
それでも艶やかな毛を撫でたいし、牙を隠す唇に触れたい。
私はそっと宮城に近づいて手を伸ばす。
頬に触れる。
噛みついてはこないが、腕を掴まれ、引っ張られる。
「私がする」
え、と言いかけた唇を不機嫌な黒猫に塞がれる。
でも、それは一瞬であっという間に唇にあった熱が離れた。
「……仙台さん、私の誕生日も楽しくしてよ」
聞き逃してしまいそうな声とともに、足をちょこんと蹴られる。
小さな低い声が嬉しくて、断りなく唇を重ねる。
柔らかな唇を噛んで、腰を引き寄せる。
腕の中、宮城がぴくりと動く。
舌を絡める間もなく、肩を押される。
「仙台さんからしてもいいって言ってないじゃん」
「駄目だった?」
「きかなくてもわかるでしょ」
むすっとした宮城が私をさらに押し、距離を取る。
離れた熱が恋しくて腕を掴むと、ぺしりと手を叩かれてしまう。
「誕生日なのに」
宮城と過ごせるだけでいい。
そう思ってはいるけれど、キスができるならもっとしたい。
「誕生日だからって、なんでもかんでも許されるわけじゃないから。仙台さん、反省してケーキ自分で持っていって」
「宮城はなに持ってくの?」
「なにも持っていかない」
可愛い格好をしていても宮城という人間は、可愛くないことを言う。でも、そんな宮城がまるごと可愛くて、離れた距離を詰めて彼女の頬にキスをした。
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