第351話
誕生日は印が付く日だ。
カレンダーに丸をつけなくても記憶に残る。
私にとってそういう日は避けるべき日でしかなかった。
もちろん、友だちの誕生日にプレゼントを贈るくらいのことはしていたし、私も誕生日にプレゼントをもらうことがあった。でも、大げさに祝うなんてことは積極的にしていなかった。
ずっとそういう私でいたのに、大学生になってからそういう私ではいられなくなっている。
はあ、と息を吐く。
日々はあっという間に過ぎていき、お盆も過ぎた。そして、仙台さんの誕生日がやってきて、私はショーケースの向こうの丸いケーキとにらめっこをしている。
誕生日を祝うのは私一人。
主役も当然一人。
ケーキを食べる人間はそれ以上増えないのだから、丸いケーキはいらないような気がする。けれど、仙台さんは丸いケーキがいいと言っていた。
「……うーん」
ずっとお父さんが買ってくる誕生日の丸いケーキが好きじゃなかった。お父さんはいつも仕事で帰って来なかったし、豪華で綺麗なケーキは一人で食べるには多すぎた。冷蔵庫に入れた残ったケーキは家に一人でいる自分と重なり、寂しくなった。
今は仙台さんがいて丸いケーキが残ることはない。
それはよくわかっている。
仙台さんが丸いケーキを良い記憶に変えてくれた。
彼女は今日もケーキを残したりしないと言っていたが、私は丸いケーキが跡形もなくなるのか不安で、カットケーキにしたくなっている。
相談相手はいない。
お昼と夕方の間、中途半端な時間帯の店内はそれほど混んではいないし、一緒に行きたいと言っていた仙台さんは家へ置いてきたから、ゆっくり悩むことができる。
引き換えに、外見の自由を失ったけれど。
ケーキを一人で買いに行きたいと仙台さんに告げた結果、私は彼女によって髪を編まれ、メイクされ、着せ替え人形になることになってしまった。
イメージチェンジと言ってもいいくらい外見を変えられたのだけれど、仙台さんが人に留守番をさせるつもりならこれくらい受け入れろとうるさく言ってくるから仕方がなかった。
私は耳の辺りに作られた三つ編みを引っ張る。
夏空の爽やかさを写し取った仙台さんのスカート。
仙台さんが使っているところを見たことがない仙台さんの鞄。
なにもかもが可愛すぎる。
私に似合っているとは思えない。
ショーケースに映る自分を睨む。
だからと言って、髪型も顔も着ているものも変わらない。家を出たときのままで眉間の皺が深くなる。
こうして見ていると、ケーキよりも自分が気になってくる。
一人でここまで来たのは、今日買うものが誕生日という一年に一度しかない日に食べるケーキだからだ。そういうものは誰かに用意してもらうほうがいいもので、仙台さんが自分で選ぶものじゃない。
私はショーケースから視線を外して、床を見る。
一、二、三と数えて気持ちを落ち着けてから、ケーキを見る。
誕生日は白いケーキがいい。
苺がのっていて、生クリームが美味しそうなケーキがいい。
でも、形は味に関係がないから、二等辺三角形と丸のどちらでもいい。
私は息を吸って、吐く。
ショーケースの向こう側に向かって声をだす。
「そこの一番小さいホールケーキください」
今日の主役は仙台さんだ。
私は丸いケーキに、お誕生日おめでとうのプレートとろうそくをつけてもらって家へ向かう。
灼熱の太陽に焼かれながら歩道を歩く。
ケーキがあるから急ぎ足になる。
去年、仙台さんの誕生日を祝ってしまったせいで、今年も祝うことになってしまった。そして、間違いなく来年も祝うことになる。
思い出が増えることは避けられない。
時を経て、仙台さんがルームメイトから大事なものに住んでる人に変わったように、私も変わっている。思い出が増え続けた先に待っているものがなんなのかわからないけれど、増えてしまったものを今さら捨てるわけにはいかない。
仙台さんが私の耳につけたピアス。
黒猫の首にかけたネックレス。
ワニのティッシュカバーが仙台さんと過ごした時間。
ほかにもいろいろなものが増えて、私の周りは仙台さんで溢れている。思い出が自分の意思で捨てられないように、目に見えているものも自分の意思で捨てることができない。。
随分と荷物が増えてしまったと思う。
これから増える荷物の重さを考えると足がすくんでしまいそうになるけれど、なくしてしまうことも考えられない。
仙台さんが作った三つ編みを引っ張る。
急いでいる足がもっと速くなる。
生ぬるい空気をかき分け、太陽から逃げるように歩く。見慣れた建物が見えてきて、階段を上って三階、玄関のドアを開ける。
ただいま、小さく声にだす。
ドアを閉めて、靴を脱ぐ。
共用スペースに入ると仙台さんがいて、「ただいま」と告げる。
「おかえり。ケーキ、なに買ったの?」
「……丸いヤツ。仙台さん、責任持って残さずに食べてよ」
「もちろん」
明るい声が返ってきて、気持ちが軽くなる。
「仙台さん、なにやってるの?」
鞄を置いて冷蔵庫にケーキを押し込み、調理台でなにかしている仙台さんの隣に行く。
「夕飯の準備」
「えっ、作るの?」
予定と違う。
今日は夕飯の準備をしなくて済むように、デリバリーのピザを食べてケーキを食べることになっていた。
去年と同じ。
朝、そうしようと二人で決めた。
「今から唐揚げとカプレーゼとパスタ作る」
「……カプレーゼ?」
聞き慣れない言葉が耳に飛び込んできて、思わず聞き返す。
「そう。嫌い?」
「カプレーゼがなにかわかんないから、嫌いかどうかわかんない」
「そっか。カプレーゼっていうのは、切ったトマトとモッツァレラチーズに塩、こしょう、オリーブオイルをかけて、バジルを添えたイタリアの料理」
「サラダみたいなもの?」
「んー、似たような感じかな。今から作るから宮城も手伝って」
唐揚げの下ごしらえをしていた仙台さんが、笑顔で面倒くさいことを言う。
「ピザ頼もうって言ったじゃん」
なにもしないつもりで帰ってきたから、唐突に増えた作業にげんなりする。
「唐揚げはもう揚げるだけになってるし、カプレーゼは切るだけだから」
「パスタは?」
「茹でるだけ。ソースはレトルトで済ませれば簡単でしょ」
「そうだけど」
難しいか簡単かで言えば簡単だ。
パスタはお湯の中に入れるだけだし、ソースもレンジかお湯の中に入れるだけでできあがる。
「じゃあ、文句言わずに手伝って」
「ご飯にはまだ早いじゃん」
「少しくらい早く食べてもいいでしょ。宮城は、冷蔵庫に入ってるトマトとモッツァレラチーズを五ミリぐらい、厚くても一センチくらいで切って」
今日の主役は働き者で、手を抜くということをするつもりがないらしい。
その証拠に、今日二十歳になった仙台さんは、衣をつけた鶏肉を揚げ油に黙々と入れている。そうなると、誕生日を祝う側の私がなにもしないというわけにはいかなくなる。
「なんで祝われる人がごはん作るの。大人しくしてればいいじゃん」
冷蔵庫からトマトを出して、未練がましく仙台さんに文句をぶつける。
「誕生日って一年に一回しかないじゃん」
「だからこそ楽したらいいと思うけど」
トマトを洗ってまな板の上へ置くと、仙台さんが私を見た。
「一回しかないから宮城と一緒になにかしたい。去年は一緒にピザを食べたから、今年は一緒に作ったご飯を一緒に食べようよ」
仙台さんが柔らかな声で言い、優しく笑う。
そして、パスタを茹でる鍋を用意しながら言葉を続けた。
「本当はケーキも一緒に買いに行きたかったけどね。でも、まあ、行けなかった代わりに宮城を可愛くできたし、良かったかな」
そう言うと、仙台さんが私をまじまじと見てくる。
「趣味悪い」
私は機嫌が良さそうににこにこしている仙台さんを睨む。
今日は彼女の誕生日だから受け入れざるを得なかったが、私の外見なんて変えたって仕方がない。多少変わったところで、仙台さんのようにはならない。
「趣味いいでしょ。どれも宮城に似合ってるし」
仙台さんがにこやかに言う。
本当に彼女は適当な言葉ばかり口にする。
彼女の趣味がいいのは本当だけれど、私に似合っているわけではない。だから、趣味が悪いと思う。
はあ、と息を吐き出して、トマトに視線をやる。
「仙台さん、ちゃんと唐揚げ見ててよ。焦げたらやだし」
「宮城のほうこそちゃんとトマトとチーズ切ってよ。分厚すぎるの駄目だからね」
「厚くなんて切らないし」
人を信用していない仙台さんを睨んでから、まな板に置いたトマトに包丁を入れる。
ゆっくり、慎重に。
包丁を動かすと、赤いトマトがすうっと切れる。
「……トマト、二センチくらいあるんじゃない?」
唐揚げではなくトマトを見ていた仙台さんが細かいことを言う。
「お腹に入ったら一緒だもん」
「まあ、確かにね」
平坦な声が聞こえてきて、仙台さんではなくトマトを睨む。
そして、なるべく薄くトマトを切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます