第69話
大学へ行く。
仙台さんは夏休みの前からそう言っていたし、聞かなくてもその大学が県外であろうことはわかっていた。
予想していたことを聞いただけ。
ただ、ほんの少しショックだった。
正しく言えば、予想していたことを聞いただけなのに、そのことばかり考えている自分にショックを受けている。
仙台さんが県外へ行きたい理由は、夏休みに彼女の家で見たことから推測することができる。
家から出たい。
そんなところだと思う。
この理由が正しければ、私には仙台さんの進路を変えることはできない。
違う。
そうじゃない。
私は仙台さんの進路を変えたいわけじゃないし、変えることに意味はない。私たちの関係は、高校を卒業したらそこで終わりだ。そもそも、彼女の進路は彼女が決めるべきことで、私が口を出すようなものじゃない。
そんなことはわかっているのに、仙台さんが帰ってから動けずにいる。彼女が座っていた場所に座りっぱなしだ。
夕飯は一緒に食べなかったから、まだ食べていない。
でも、お腹は空いていない。
私はのろのろと立ち上がり、着替えを持って浴室へ向かう。のんびりとお湯につかっていると余計なことばかり考えてしまいそうで、シャワーを浴びてベッドに寝転がる。
このまま行けば志望校には通る。仙台さんと同じ大学に行くには足りないけれど、良い大学に行くことは目的にしていないから問題ない。
大体、仙台さんは私のことに口を出しすぎる。
私の正確な成績を知りもしないのに、同じ大学に行こうだなんて適当なことを言う。県外の大学に行きたいと言えばお父さんは良いと言うだろうけれど、今の成績で同じ大学なんて絶対に無理だ。夏休みに二人で勉強したことを加味しても、難しいと思う。今度ある中間テストの結果を見たら、仙台さんだって無理だと言うはずだ。
受かるはずもない大学を受けるなんて無駄でしかない。
「あー、なんでこんなこと真剣に考えてるんだろ」
私はごろりと寝返りを打って、照明を消す。
お父さんは帰って来ない。
この部屋だけでなく、この家のすべての照明が消えていると思うと少し心細い。
「大丈夫」
怖くなんてない。
心の中で呟いて目を閉じる。
いつも寝る時間よりも早いせいか、まったく眠くない。それでも、ぎゅっと目を閉じる。
羊が一匹、羊が二匹。
古典的な方法に頼って羊を数えてみるけれど、睡魔はやって来ない。結局、うとうととするくらいで熟睡できないまま朝がやって来て、仕方なく学校へ行く。
教室へ入っても睡眠不足の頭はすっきりしない。
授業を受けて、一時間経っても二時間経っても頭は霧がかかったようにぼんやりとしている。先生がなにを話していたのか覚えていない。気がつけば、三回目の休み時間になっていて舞香に声をかけられる。
「志緒理、行くよ」
「え?」
「次、視聴覚室」
「あ、ああ」
私は慌てて教科書とノートを引っ張り出して、立ち上がる。忘れ物がないか確かめる間もなく、亜美に腕を掴まれる。そして、引きずられるようにして教室を出て、廊下を歩く。
早寝早起きをするタイプじゃないけれど、それなりの時間になれば自然に眠くなるタイプだ。だから、眠れなくて寝不足になって、午前中が潰れるほどぼんやりしているなんてことはあまりない。
私がこんなにシャキッとしないのは、仙台さんのせいだ。
人の進路を決めるようなことを言い出すから、眠たくて授業もまともに受けられない。
本当に腹が立つ。
八つ当たり気味に勢いよく足を進めると、タンッと廊下が鳴る。その音にぼんやりしていた頭が少しはっきりとして、もう一度廊下を勢いよく踏むと亜美の声が聞こえた。
「志緒理、前、前」
「前?」
「こっち」
舞香に腕を引っ張られる。
体が少し傾いて、足元にあった意識を前へとやる。
仙台さんと目が合う。
――え、仙台さん?
どうして。
いや、おかしなことじゃない。
学校に来ているのだから、仙台さんと会っても不思議はない。けれど、今まで彼女と学校で目が合ったことはない。
当たり前と当たり前ではないことが同時に起こったことに驚いていると、いつの間にか斜め前にいた仙台さんと肩がぶつかる。
「わっ」
かすったというわけではなく、肩と肩が交わるように当たったせいで痛みがあった。舞香に引っ張られて傾いた体を自分で支えることができず、転びそうになったことに声が出る。
「志緒理、大丈夫?」
舞香がよろけた私を支えながら、尋ねてくる。
「大丈夫」
体勢を整えて答える。
仙台さんから外れた視線を彼女に戻すと、茨木さんとその友だちも一緒に映り込んでくる。
「葉月、大丈夫?」
「うん」
私と舞香がしたような会話をしている茨木さんから目が離せない。
――仙台さんの隣は私の場所だ。
そんな台詞が頭の中に浮かんでそれを打ち消そうとしていると、「ごめんね」と聞き慣れた声がした。
「大丈夫だった?」
よそよそしい声で言って、仙台さんがじっと見つめてくる。
馴れ馴れしくするわけにはいかない。
それはわかっているけれど、こういう彼女は苦手だ。
私は仙台さんから視線を外す。
「……大丈夫。こっちこそ、ごめん。ぼうっとしてて」
私と仙台さんのどちらが悪いのかと言えば、きっと私だ。
前を見ていたけれど、見ていなかった。
舞香も亜美もそのまま歩き続けたら危ないと教えてくれていたのに、ぼうっとしていて気がつかなかった。その理由を辿れば仙台さんに行き着くけれど、ここでそんなことを言うわけにもいかない。
「大丈夫?」
なんとなく「仙台さん」と呼べなくて、この場で何度も飛び交った言葉をかける。
「私は平気。拾うね」
そう言って、仙台さんが廊下に落ちた教科書を手に取る。私はそれを見て、ようやく自分が教科書もノートも持っていないことに気がついた。
「ごめん。自分で拾う」
しゃがんでノートを手に取る。そして、ペンケースに手を伸ばすと、仙台さんに手首を掴まれた。
「拾うよ」
穏やかな口調で仙台さんが言う。
掴んだ手首は離してくれない。
痛いくらい強く掴まれている。
「自分で拾うから」
ここが私の部屋なら、離して、と強く言えばすむ。けれど、ここは学校で、私は穏やかな言葉を選んで彼女に手を離してくれと伝える。
「あ、ごめん」
私の手首を強く掴んでいた手が離れる。
「これで全部?」
仙台さんが持っていた教科書を私に渡しながら聞いてくる。
「うん、全部。ありがとう」
「気にしないで」
にこり、と良くできた人形みたいな笑顔を見せてから、仙台さんが歩き出す。彼女はすぐに私の前から消え、廊下に響く茨木さんの声だけが聞こえてくる。
私は教科書とノートをパンパンと叩く。ついでにペンケースも叩いて、舞香と亜美に「行こう」と声をかける。
「――仙台さんになにかしたの?」
舞香が私の肩を叩いて、好奇心に満ちた顔を向けてくる。
「なにって?」
「ヤバいくらい志緒理のこと見てたし、腕も掴んでたじゃん。なんかしたんじゃないの?」
「痛かったんじゃない。結構、強く当たっちゃったから」
そんなに見られていたとは思えない。
でも、掴まれた手首は痛かった。
痕はついていない。
どうして仙台さんがあんなことをしたかはわからない。
掴まれた手首を見る。
仙台さんとぶつかる前となにも変わっていない。
消えないようななにかが残っていればいいのになんて思いかけて、私はため息をついた。
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