第195話

「うん。いい感じ」


 仙台さんがピアスを開けたばかりの耳を手鏡に映して、機嫌が良さそうな声で言う。

 ピアスは私の耳にもついているけれど、仙台さんについている方がしっくりくる。


「宮城はどう思う?」


 仙台さんが手鏡を置いて私を見る。


「ピアス?」

「そう」


 彼女の耳についているのは、数ヶ月前まで私がつけていたピアスと同じものだ。私が使ったものと同じピアッサーを使ったのだからなにも不思議なことはないし、同じピアッサーを使った何人もの人が同じピアスをしている。


 だから、過去に私がつけていたピアスと同じものが仙台さんの耳についていることは当たり前のことで、特別なことじゃない。来年の約束を留めているものではあるけれど、見た目は何の変哲もないピアスだ。それなのに、私には仙台さんのピアスがとても綺麗なものに見える。


「ピアスしてると、噛みつきにくそう」


 思ったことをそのまま言葉にすることはできなくて、頭の真ん中にあるものではなく隅っこで小さくなっていたものを口にする。


「噛みつきにくくなっただけで、どうせピアスしてても噛むんでしょ」

「仙台さんの耳、私のものなんだから噛んでもいいと思うけど」


 開けたばかりのピアスに触るのは悪いような気がして、仙台さんの耳たぶの少し上を引っ張って離す。


「耳あげるって、そういう意味じゃないから。わかってて言ってるでしょ。って言うか、そういうこと聞きたかったわけじゃないんだけど」


 静かな声とともに、仙台さんが私のピアスに触れる。

 指先が小さな花を撫でて、耳たぶを軽く押さえる。

 真面目に答えて、と言われて私は小さく息を吸った。


「……ピアス、似合ってる」


 吐き出す息とともに答える。

 あまり大きな声にはならなかったけれど、仙台さんには伝わったようで柔らかな笑みが返ってくる。


「そっか。良かった」


 ピアスは仙台さんによく似合っていて、ずっと前からそこにあったように馴染んでいる。高校生だった頃からピアスを開けていてもおかしくない雰囲気だったから、本当の仙台さんになったような気がする。


「褒めてくれたお礼にこれあげる。もう一個のプレゼント」


 そう言うと、仙台さんはピアッサーが入っていた袋よりもしっかりとした小さな袋を出してきて、私の前へ置いた。


「なんで二個もプレゼントあるの?」

「宮城も私に二個プレゼントくれたでしょ。私のいうこときいてくれて、次の日に箸置き。だから、私も二個あげる」


 仙台さんはにこやかに言うと、「開けてみて」と付け加える。

 袋の中を見ると、綺麗にラッピングされた小さな箱が一つ。そっと取り出すと、リボンがかけられた長方形のそれはいかにもプレゼントという形をしていた。


 いらない。


 と言っても、仙台さんが私の言葉を聞き入れることはないと思う。でも、できればこのまま返したい。それは、箱の形から中身が予想できるからだ。


 細長い長方形の箱。


 この中からスティックのりが出てきたりはしない。

 乾電池が出てきたりもしないはずだ。

 きっと出てくるのは私があまり使わないもので、縁遠いもの。


「宮城、早く開けなよ」


 急かされて、仕方なくリボンを解いて包装紙を剥ぐ。中から、高そうなリップが出てきてため息を一つつく。


「そんなにがっかりした顔しなくてもいいじゃん」


 仙台さんが不満そうに言う。


「だって、こういうの苦手だし」


 リップは唇がベタベタしてあまり好きじゃない。そもそも私はメイクというもの自体が好きではないし、それは仙台さんも知っているはずだ。


「そう言うと思った。でも、それ、宮城が使いたくなるヤツだから。たぶん、メイク苦手でも気に入ると思う」


 過去に気乗りのしない私にメイクを何度かした仙台さんが笑顔を作る。


「気に入らないと思う」

「そんなことないって。いい匂いするよ。美味しそうな」

「苺とかそういう匂い?」


 リップには興味を持てないけれど、匂いが気になってキャップを外そうとしたところで、仙台さんに奪われる。


「塗ってあげる」

「匂いなら塗らなくてもわかるから、返してよ」

「それじゃつまんないでしょ」

「つまんなくていい」

「一回くらい私の前で使いなよ」

「やだ」

「私は宮城からもらった箸置き、ちゃんと使ってるのに」


 珍しく仙台さんが恨みがましい声で言って、拗ねたように私を見た。


 わざとだ。

 絶対にわざとだ。


 私にいうことを聞かせたいから恨みがましい声を出しているだけだし、拗ねたふりをしているだけだ。


「宮城」


 今日は私の誕生日で、私が譲歩するのは間違っている。


 でも、仙台さんはホールケーキを一緒に食べるという約束を守ってくれたし、来年も一緒にホールケーキを食べてくれると約束してくれた。ずっとほしかったピアスという印も私にくれた。


 私は大きなため息をついてから、仙台さんの方に体を向ける。


「大人しくしててよ」


 仙台さんが念を押すように言って、リップのキャップを外す。そして、私の頬に手をやると、唇にリップを押し当てた。


 仙台さんが近くにいることは珍しいことじゃない。肩が触れ合うほどの距離にいることも、唇が触れ合う距離にいることもよくあることだ。


 でも、今日は近すぎる仙台さんに、どこを見ればいいのかわからなくなって目を閉じる。


 暗闇の中、べたりとしたものが唇を覆っていく。

 見えないのに視線を唇に感じる。

 くんくんと鼻を動かすまでもなく、フルーツのような甘い香りが漂ってくる。


「はい、できた。すごく可愛くなった」


 声が聞こえて、目を開ける。

 仙台さんが私をじっと見ていて、思わず目をそらす。


「そういうのいいから」

「本当のことだから」

「仙台さん、うるさい。黙っててよ」


 べしんと太ももを叩くと、「いい匂いするでしょ」と聞かれる。


「する」


 短く答えて、唇に触れる。

 リップが指について甘い匂いが指にも移る。どんなフルーツの匂いか聞かれてもはっきりと答えられないけれど、いい匂いであることは間違いない。


「舐めても美味しいらしいよ」


 楽しそうな声が聞こえてくる。


「らしいってなに」

「私、それ使ったことないから。宮城が使ってくれそうなの調べて匂いはお店で確かめたけど、味は確かめてないから舐めてみて」


 言われたとおりに唇を舐めると舌先にリップがついて、わずかに甘みを感じる。


「……美味しい」

「ほんと?」

「うん」

「じゃあ、味見」


 してもいいと言っていないのに、仙台さんが顔を近づけてくる。反射的に目を閉じると、甘い匂いのする唇に仙台さんの唇がくっつき、柔らかな感触とともに湿ったものが触れる。味見と言ったくせに湿ったものは唇を舐めずに、私の中に入り込もうとしてくる。


 抗議の代わりに仙台さんの腕を掴むと、唇が一度離れる。でも、すぐに一度目のキスよりも強く唇が押し当てられ、舌先が私の中に入り込んでくる。私の舌を絡め取ろうとしてくるそれは、リップよりもケーキよりも甘い。


 舌先がくっついて、離れて。

 小さく吐息が漏れる。


 異物であるはずの仙台さんは私に溶け込み、体の一部のように感じられる。流れ込んでくる体温が気持ちいい。

 唇が離れて、舌先が塗ったばかりのリップを舐める。


「美味しかった」


 仙台さんがにこりと笑う。


「リップとれるじゃん」

「そうだね」


 軽やかな声とともに仙台さんがまた顔を近づけてきて、私は彼女の肩を押した。


「リップとれるって言ってるんだけど」

「少しくらいキスしてもなくならないから大丈夫。まだいっぱいあるし」

「いっぱいあるからって、いっぱいキスしていいわけじゃない」

「宮城って、ほんとにけちだよね。いっぱいしたっていいじゃん」

「けちでいい。大体、いっぱいって何回キスするつもりなわけ」

「プレゼントしたリップだけじゃ足りないかな」


 仙台さんが真面目な顔をして言う。

 彼女は冗談としか思えないことを本気で実行するから困る。キスは嫌いじゃないけれど、続きは今度でいい。


「仙台さん、馬鹿じゃないの。今日はもう終わり」


 ぐいっと仙台さんの体を押す。

 なにか文句を言ってくるかと思ったけれど、彼女は素直に体を離すと、ベッドに背中を預ける。そして、「そうだ、宮城」と思い出したように私を呼んだ。


「一ヶ月くらいしたら、耳噛んでもいいよ」

「ピアスホールが安定したらってこと?」

「そういうこと」


 仙台さんは静かな声で言うと、にこりと笑った。

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