第194話
テーブルに置いたピアッサーを見る。
これを使えば、仙台さんの耳にピアスを開けることができる。
高校生だった私がほしかったもので、大学生になっても手に入れたいと思っていたもの。
その権利が目の前にある。
私は自分の耳を触る。
ピアスを撫でて、仙台さんを見る。
彼女は、私が口にしたことのほとんどを受け入れてくれる。
今だってプレゼントが気に入らないと突き返して他のものがほしいと言えば、用意してくれると思う。代わりに命令する権利がほしいと言えばくれるだろうし、その権利を使って足を舐めてと言えば舐めてくれるはずだ。
そういう仙台さんが許してくれなかった数少ないもの。
それがピアスだ。
氷が溶けて少し薄くなったアイスティーをごくりと一口飲む。
どうして、急に。
過去に、絶対に嫌だとまで言ったピアスを開ける気になったんだろう。
「仙台さん、ピアスしないって言ってたよね?」
「言ったね。でも、記念になるようなことがあったらしてもいいとも言った。覚えてない?」
「……覚えてるけど」
私の耳についている小さな花のピアス。
このピアスを彼女がつけてくれたときに「どうしてピアスをしないのか」と尋ねた私に、仙台さんはピアスを拒否していた過去をあっさりと覆してそう答えた。
「でも、今日って記念になるような日?」
「なるような日でしょ」
「なんの記念?」
「宮城の誕生日って記念」
仙台さんが事も無げに言う。
「私の誕生日を記念日みたいにするの、おかしくない? そう言うのって普通、人の誕生日じゃなくて自分の誕生日にするでしょ」
私の誕生日は、仙台さんがずっと拒否していたピアスを開けてもいいと思うほどの日じゃない。
「自分の誕生日じゃ意味ないから」
「なんで?」
去年の私なら、なんで、なんて聞かずに仙台さんの耳にピアスを開けていた。でも、今は潔く過去をなかったことにする彼女がなにを考えているのか知りたいと思う。知ることができなければ、テーブルの上のピアッサーに手を伸ばすことができない。
「宮城の誕生日に、宮城が私に開けたピアスに誓いたいから」
仙台さんが静かに言って、私をじっと見る。
「誓うってなにを?」
「来年の今日、またホールケーキを一緒に食べるって。この前は今年の約束しかしなかったから」
今年と同じ来年は、ピアスと同じで私のほしいものだ。
また仙台さんと一緒にホールケーキを食べたいと思っている。
だけど、誓われるのは怖い。
誓いは約束よりも重くて、言葉を強く縛る。行動と結びつけ、それを確かなものにする。そして、仙台さんはピアスに誓ったことは破らない。今日という日に仙台さんの耳にピアスを開けて誓ってもらえば、それはより強固なものになる。
だから、怖い。
決して破られるはずのないものが破れてなくなるようなことがあって、来年の誕生日を一人で過ごすようなことになったら、そこから先の仙台さんを信じられなくなる。
「誓わなくていい」
自分のピアスに誓われることすら怖い私は、仙台さんから差し出されたものを受け取ることができない。
「それならピアスに約束するのは?」
「約束だったら、ピアスを開けてまでする必要ないと思う」
仙台さんには、ずっと私を裏切らない仙台さんでいてほしい。
「あるよ。宮城からいつでも見える場所に約束を残しておきたい」
仙台さんが優しい声で言う。
「なんでそこまでするの?」
「私がそうしたいから。他に理由いる?」
「……いらない」
「じゃあ、ピアスに来年の約束させてよ。できれば、その先の誕生日も」
テーブルの上には、ケーキがのっていないお皿とピアッサー。
聞こえてくる声はいつもより甘くて、アルバムに封じ込めていた幸せな過去が溶け出して今と混じり合いそうになる。
「……駄目」
「どうして? 宮城も約束してくれたじゃん。私の誕生日、来年も再来年も、その先もずっと祝ってくれるって。それと同じだよ」
小さな子どもに言い聞かせるような声が聞こえてくる。
「同じなの?」
「同じだよ」
心地の良い声が耳に響く。
仙台さんの顔を見ると、だから大丈夫、と聞こえた気がして喉の奥にあった言葉をゆっくりと押し出す。
「じゃあ、来年の約束ならしてもいい」
「わかった」
仙台さんがにこりと笑って、消毒液とコットンをテーブルの上に置く。
「ほんとにいいの?」
「いいよ。ピアスを開ける場所は、宮城の好きな場所でいいから」
ピアッサーを手に取ると、仙台さんに「こっち来て」と呼ばれる。言われた通り、隣へ行くとペンを渡される。
ピアスを開ける手順は、ピアッサーのパッケージを見るまでもなく頭の中にある。
耳を消毒して、ペンで穴を開ける位置に印をつけて、ピアッサーを使う。
それだけのことをするだけで、仙台さんの耳に穴が開く。
難しいことは一つもない。
実際、私の耳にも簡単に穴が開いた。
それなのに、酷く難しいことのように思える。
ピアッサーをテーブルに戻して、仙台さんの耳に手を伸ばす。
彼女が私の耳に穴を開けたときのように、耳たぶに触れる。
傷一つないこの耳に穴を開けるというのは、仙台さんの形を変えるということで、大きな意味があるように思える。
私は、仙台さんの柔らかな耳たぶを引っ張って離す。
丸から三角へと形を変えられたケーキのように、彼女を今とは少し違うものに変える。それは酷く魅力的なことであると同時に、本当にこの耳にピアスを開けていいのか私を迷わせることでもある。
彼女の形を変えることで、変えたくないと思っていた関係も変えてしまいそうな気がする。
人差し指を仙台さんの耳たぶの裏に這わせる。
「くすぐったい」
仙台さんが小さく言って、私の手首を掴む。
私の耳は私自身が望み、彼女によって変えられた。
穴を開けられ、仙台さんが選んだ花で飾られた耳は、約束を留めておくという目的を果たすものになっている。
これからすることは、私が望んだことと大きく変わらない。
仙台さんの望みによって、私が彼女を変えて、約束を留める。
私たちが大きく変わるようなものじゃない。
大丈夫。
仙台さんの耳に穴を開けたくらいで、ルームメイトという関係が変わったりはしない。
「手、離して」
そう言って仙台さんの耳たぶを引っ張ると、掴まれていた手首が解放される。
耳たぶをそっと撫でて、離す。
綺麗な形の耳が見える。
ピアスをつけたら、今と同じ耳を見ることはできない。
私は唇を寄せて、仙台さんの耳たぶに軽く触れる。
少し冷たくて、柔らかくて、気持ちがいい。
軽く歯を立てると、仙台さんがぴくりと動く。
耳ではないけれど、彼女の体にこうして唇をつけて何度も跡を残してきた。でも、唇でつけた印は長くは持たない。噛んだって同じだ。仙台さんにずっと残ったりはしない。だから、私がつけられるずっと消えない印がほしいと思っていた。できれば、誰から見てもわかる印がほしかった。
ピアスを彼女の耳につけることができれば、私のものだというタグではないけれど、どんな人にも見えて、私には私がつけた跡だとわかる印になる。
これから穴を開けてピアスをつける場所を舌先でつつくと、仙台さんに背中を叩かれる。
「宮城、そろそろ終わり」
聞こえないふりをして、耳たぶをもう一度噛む。
耳たぶの下に唇をつけ、耳の後ろに指を這わせる。
「ちょっと宮城。そういうのヤバいから」
そう言うと、仙台さんが私の腰を掴む。指先が脇腹を撫でてきて、くすぐったさに体を離すとそのまま肩を押された。
「遊んでないでさっさと開けなよ」
仙台さんが消毒液とコットンを強引に渡してくる。私は押しつけるように渡されたそれを受け取り、コットンを消毒液で湿らせる。そして、仙台さんの耳を冷たいコットンで拭ってペンで印をつけてから、ピアッサーのパッケージを開けた。
仙台さんの体に消えない印をつけるものにしては、重みのないものがでてくる。
――私にピアスを開けたとき、仙台さんも同じように感じたんだろうか。
「いい?」
小さく尋ねると「いいよ」と返ってきて、おもちゃのようなそれをそっと仙台さんの耳たぶに当てた。
あとは力を入れるだけで、仙台さんの耳に穴が開く。
息を吸って吐く。
大丈夫。
思ったほど痛くなかったし、呆気なかった。
仙台さんだって同じように感じるに違いない。
そう思うのに、手が動かない。
「宮城」
仙台さんが柔らかな声で私を呼ぶ。
その声が足を止めてばかりいる私の背中を押す。仙台さんと同じスピードで歩くことはできないけれど、止まりがちだった私の体が動く。
指に力を込める。
どくん、どくんと胸が苦しくなるくらい心臓が大きな音を鳴らす。
小さく息を吐く。
ぎゅっとピアッサーを押すとバチンッという音が響き、彼女の耳がピアスで飾られ、私のどこかが軋んだ音が聞こえる。
「もう少し痛いのかと思った」
仙台さんがほっとしたように言って、私を見る。
「こっちも開けるね」
ピアスを開けた耳とは反対の耳に触れる。
「いいよ」
消毒をして印をつけて、ピアッサーを耳に当てる。力を入れると、反対側と同じようにバチンッという音が響いて仙台さんの耳に穴が開き、また私から音が聞こえたような気がした。
右と左、両耳に一つずつ。
仙台さんに二つの穴を開けた音は、きっと私を覆う殻のようなものにヒビを入れた。
私によってピアスをつけられた仙台さんをじっと見る。
小さな亀裂が入った私はいつもよりも風通しが良くなっていて、仙台さんがほんの少しだけだけれどよく見えるようになった気がした。
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