第214話
首筋に立てた歯が仙台さんの皮膚に静かに食い込む。
柔らかな肌に唇がつき、舌を押し当てる。
今日ずっとほしかった、私の部屋にいる私の仙台さんがどこにもいかないように、さらに強く噛んで腕を掴む。
「宮城」
仙台さんの小さな声が鼓膜を震わせる。
唇をくっつけるように力を入れて、皮膚を裂くように歯を立て続ける。痛い、という声が聞こえてきてもおかしくないくらい首筋を噛んでいるのに、仙台さんは痛いと言わない。代わりに背中に手が回され、抱きしめられる。
強く歯を立てた分、背中にまわった手が私を強く引き寄せてくる。くっついた体から伝わってくる熱が血液に混じり、体温が上がったような気がして、唇を離して首筋を見ると、赤い跡を囲うようについた歯形が目に映った。
「……くっついてくるの、なんで? いつも服が伸びるとか、痛いとか言うじゃん」
私を抱きしめてくる体を強く押して、隙間を作る。
「服が伸びるし、痛いけど、今日楽しかったからいいかなって」
仙台さんが優しく笑う。
「楽しかったら噛まれてもいいってこと?」
「共用スペースでも噛みつけたのに、わざわざ部屋に呼んで噛んでくれたから嬉しい」
「変態じゃん、そんなの」
「私が変態だって言うなら、それ、ほぼ宮城のせいだから」
そう言うと、仙台さんが私の頬にぺたりと手のひらをくっつけた。手は頬を柔らかく撫で、指先がピアスに触れてくる。
「なんで部屋に呼んでから噛んだの?」
「……仙台さん今日、楽しそうだったから」
この部屋に仙台さんを閉じ込めたかったから。
どこにも行かせたくないから。
そんなことを考えたなんてことは、バイトにも大学にも行かないでここにいると約束してくれない仙台さんには言いたくない。絶対に叶わないとわかっていることを口にしたら、またなにも言わない仙台さんを見ることになってしまう。
「なにそれ」
「わかんなくていいから、ベッドに座って」
「いいけど、また跡つけるつもり?」
仙台さんが大人しくベッドに座って私を見上げる。
「つけない。スマホ出して」
床に置かれていた鞄を仙台さんに渡すと、少し低い声が聞こえてきた。
「出したらどうなるの?」
「出したら教える」
私がなにを言うか予想がついているのか、仙台さんはなかなかスマホを出そうとしない。あからさまに気が乗らないという表情をしているから、このまま待っていてもスマホを出してくれることはなさそうだと思う。
「仙台さん」
催促するように呼ぶと、仙台さんがため息を一つついてからスマホを鞄から出した。
「で、これからどうなるの?」
「今日撮った写真、全部消して」
「罰ゲームされるようなことしてないと思うけど。これ、宇都宮に見つからなかったし」
仙台さんがニットの上から赤い印がある場所を撫でる。
「罰ゲームじゃないけど、消してよ」
「消さない」
「なんで? 写真なんかいらないでしょ」
スマホに残っている今日は、全部消してしまわなければならない。
私の写真も。
仙台さんと舞香が写っている写真もいらない。
勿体なくても、全部消してしまうべきだ。
「いるよ。今日の思い出だし」
静かに言って、仙台さんが私の手を掴む。
「宮城、座って」
掴まれた手が引っ張られ、糸の切れた操り人形のように隣に座ると、仙台さんがスマホに今日撮った写真を表示した。
「学園祭の思い出なんかいらないじゃん」
一枚、また一枚と写真を表示する仙台さんのスマホの画面を手で覆う。
「学祭の思い出じゃないよ。私と宮城の思い出。これを見ながら、学祭の日にこんなことあったなって思い出したい」
「仙台さんが?」
「宮城も」
「思い出さなくていい」
「じゃあ、宮城は今日撮った写真、全部消すの?」
「私は……」
消す。
そう決めて家に帰ってきた。
でも、全部ということは消す対象に仙台さんの写真も含まれることになる。それは私のスマホに閉じ込めてある仙台さんがいなくなるということで、本当に消したいのか急に自信がなくなる。
「宮城、迷うなら消すのやめなよ。私も消したくないし」
スマホが私の手の下から逃げ出して、仙台さんの横に置かれる。
やっぱり消さなきゃ駄目だ。
舞香と楽しそうに写っている仙台さんは見たくないし、私と仙台さんの写真も見たくない。
写真は、仙台さんの言うように思い出になる。
それは記憶よりも確かで確実な思い出だ。
薄れたり、劣化することのある不確かな記憶とは違って、写真はその一瞬を正確に残す。時間を形あるものとして切り取り、残し続ける写真は、思い出の地図となり、今日の記憶に辿り着く道しるべとなる。今日の写真を見れば、今日の記憶が感情とともに引きずり出される。
学園祭で撮った写真には、私のあまり良くない気持ちが染みのように残っていて、写真を見るたびに今日感じた独占欲が蘇ることになるはずだ。それは、特別になってしまった仙台さんをより特別にするものだと思う。
――だから、消さなければいけない。
「宮城、こっち向いて」
名前を呼ばれて、意識が仙台さんへ向く。
目が合って次の瞬間、仙台さんの唇が頬に軽く触れてくる。指先が唇を撫でてきて、私はその手を掴んだ。
「仙台さんは私のものでしょ?」
「突然なに?」
「答えて」
「言わなくてもわかってるよね?」
「言わなきゃわかんない」
「……私は宮城のものなんでしょ」
「だったら、いうこときいてよ。写真消して」
私の言葉に仙台さんが黙り込む。
掴んでいる手を引っ張っても、なにも喋らない。
彼女の視線が床へ落ち、少し経ってからゆっくりと私を見た。
「……じゃあ、宮城が私を自分のものにしておきたい理由言いなよ。教えてくれたら消してもいい」
仙台さんの声が鼓膜を揺らし、私に溶け込み、心臓を強く鳴らす。
私は仙台さんがバイトへ行くことも、私の知らない人と親しくすることも許せない。今日は舞香のいうことをきく仙台さんが許せなかったし、舞香の隣で笑っていた仙台さんが許せなかった。
その気持ちを辿っていけば独占欲に突き当たる。
ずっと私につきまとっていて、剥がそうとしても剥がれてくれないその感情が、仙台さんを私のものにしておきたい気持ちに繋がっている。
でも、たぶん、仙台さんは私の感情に気がついている。
私が気づけることに彼女が気がつかないなんてあり得ない。誰かを自分のものにしておきたい理由なんて、独占欲以外にはないはずだ。だから、きっと、これは仙台さんの知りたいことじゃない。
「宮城、答えなよ」
答えたくない。
答えちゃいけない。
仙台さんの知りたいことは、この感情の根元にあるもので、辿って掘り起こしたりしない方がいいものだ。仙台さんをこの部屋に閉じ込めておきたい感情の根元にあるものなんていいものじゃない。なだめすかして、心の底の底で眠らせておいた方がいいはずだ。今でさえ、自分の感情に振り回されて、痛くて、苦しくて、どうしていいのかわからないのに、この先にあるものを知ってしまったら仙台さんの隣にいられなくなる。
「……先に写真を消してくれたら教える」
今日、見えかけた気持ちは噛み砕いて、飲み込む。
特別な仙台さんをもっともっと特別にしてしまったら、私がどうなるかわからない。仙台さんがいなくなるようなことがあったら、どうしようもなくなってしまう。
告げる言葉は仙台さんが気づいているものでいい。
「消したら、絶対に本当のこと教えてくれる?」
仙台さんが静かに言って私を見る。
ちゃんと教える。
そう言えばいいとわかっているけれど、言うことができない。
ぎゅうっとシーツを掴むと、仙台さんの声が聞こえてきた。
「やっぱり消さない。宮城も理由言わなくていいよ」
「……なんで?」
「写真残しておきたいし。宮城は消したかったら消せば。まあ、消したら私がまた送るけど」
「それじゃ、消す意味ないじゃん」
「そうだね」
そう言うと、仙台さんがシーツを掴んでいる私の手を握った。
宮城、と呼んで、顔を近づけてくる。
目を閉じることができないまま、彼女の唇が私の唇に触れて離れる。そして、ぺたり、と仙台さんの手が私の首に張り付いた。
「ねえ、宮城。私も宮城に跡をつけたい」
「やだ。私は――」
「仙台さんのものじゃないって言うんでしょ。それくらいわかってる。私は宮城のものだけど、宮城は私のものじゃない。それを誓うために印をつけるだけ」
私の言葉を奪って一気に言うと、仙台さんがまた私にキスをする。
「印なんてつけなくても誓えるじゃん」
「ピアスに?」
「そう」
「じゃあ、ピアスと宮城の体、両方に誓わせてよ」
私の耳元で囁くと、仙台さんがピアスにキスをしてくる。そして、いいと言っていないのに、私のパーカーの裾をめくって中に手を入れた。
「跡つけていいって言ってないし、めくっていいとも言ってない」
「めくるなっていうならそうするけど、そうしたら見えるところに跡つけることになるけどいい?」
手のひらが脇腹に押しつけられ、撫で上げられる。首筋にはそうすることが当然のように唇がくっついてきて、私は彼女の肩を押した。
「やだ」
「聞こえない」
首筋にまた唇が押しつけられ、軽く吸われる。脇腹にあった手は胸の下に辿り着いていて、私はパーカーの上から彼女の手を叩いた。
「仙台さん、やめてよ」
「見えるところと見えないところ、どっちにする?」
「どっちもやだ」
「宮城、たまにはいいって言いなよ。私がいないときも、私を宮城の側にいさせて」
仙台さんが唇を首筋に這わせ、耳を噛んでくる。
柔らかく当てられた歯がくすぐったくて体を動かすと、舌先が押し当てられて、私は彼女を押し離した。
「どういうこと?」
「跡をつけたら、消えるまで一緒にいられるでしょ」
パーカーの中に入り込んだままの手が柔らかく動いて、脇腹を撫でる。
「……見えないところならいい」
このまま仙台さんを放っておくと見えるところに跡をつけられそうで、彼女の言葉を受け入れる。
「じゃあ、横になって」
仕方なく。
本当に仕方なくベッドに横になると、仙台さんが私の横に座った。
パーカーの裾がめくりあげられ、お腹がすうすうする。覆うものがなくなった肌の上、仙台さんの手が這って肋骨を辿っていく。指先が緩やかに滑り、私の体を探ろうとする。
「仙台さん、触っていいって言ってない」
「どこがいいかなって。宮城はどこがいい?」
指先がお臍の上や脇腹を撫で、パーカーがブラの下までめくり上げられる。
「それ以上めくるなら、跡つけさせない」
「わかった」
仙台さんが静かに言って、肋骨の上に温かいものがくっつく。
味見をするように舐められ、最初は軽く、少しずつ強く吸ってくる。吸い上げられる皮膚から伝わってくる熱と刺激が気持ちいい。手を伸ばすと彼女の髪が指先に触れて、軽く引っ張る。
唇は離れない。
強く吸ったまま私にくっついていて、もう一度髪を軽く引っ張るとやっと離れる。でも、また唇が同じ場所にくっつき、離れる。指先が皮膚を撫で、追いかけるように唇が押し当てられる。
「仙台さん、終わり」
「宮城だって同じことしたのに」
顔を上げて不満そうに言う仙台さんにかまわず、めくり上げられたパーカーを下げようとすると手を掴まれた。
「ちょっと待って」
仙台さんが言って、カシャリ、と音が聞こえる。
「え? 今の音」
慌てて体を起こすとスマホを持っている仙台さんが見えて、彼女がベッドの上にスマホを置いていたことを思い出す。
「記念」
仙台さんが私にスマホの画面を見せてくる。そこには私のお腹と彼女がつけた跡が写っていて、私はスマホに手を伸ばした。
「消してよ」
顔は写っていないけれど、人のスマホに自分のお腹の写真を残しておきたくはない。
「消さない」
「消して」
「消してほしかったら、宇都宮の隣にいるときみたいに私の隣でも笑いなよ。そしたら宮城が消してほしい写真、全部消してあげる」
仙台さんが憎らしいくらい鮮やかに微笑む。
「全部?」
「全部。そのときに宮城が消せって言えばね」
「なにそれ」
「いいでしょ、消すんだから」
仙台さんの声が楽しそうで、むかつく。
でも、彼女の手からスマホを奪うことは難しそうで、私はこれ以上写真を増やさせない方法を選ぶ。
「……それでいいから、これからは私がいいっていうとき以外は写真撮らないで」
「許可取れってこと?」
「そう」
「わかった」
そう言うと、仙台さんが「約束」と囁いて私のピアスにキスをした。
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