私と宮城だけしかいらない
第323話
「仙台ちゃん、顔怖いよ」
能登先輩が、私の表情なんてまったく気にしていないような軽い声で言う。
「怖くしてるんです」
「それはなんでかな?」
「心当たりありませんか?」
「心当たり? んー、ないなあ。とりあえず、この手を離してもらってもいい?」
にこりと笑うと、先輩が私の手をつついた。
一週間ほど前、宮城と能登先輩が宇都宮のバイト先で会ったという話を聞いた。あれから先輩に連絡をしていたものの、もらえるのは返事だけで会う機会を作ってもらうことができなかったから、この手を離したいとは思えない。
この機会を逃すと、適当なところがある先輩と次に会える日がいつになるのかわからない。
「離すのはかまいませんが、少し時間いいですか?」
「そう言えば話があるんだっけ。どこかでなにか飲みながら話そうか」
先輩が明るい声で言い、私に腕を掴まれたまま歩きだそうとする。
受けるべき講義はすべて終わっているから時間もある。
けれど、私がしたい話はわざわざどこかでなにかを飲みながらするような話ではないと思う。かと言って、校舎と校舎の間にあるこの並木道でするような話でもない。
ようするに、能登先輩との話し合いに適切な場所はない。
「ここでいいです。すぐに終わる話なので。……先輩、宮城と会いましたよね?」
そう言って掴んでいる腕をぐいっと引っ張ると、先輩が髪の毛をくしゃくしゃとかき上げて思い出したように言った。
「宮城ちゃんのお友だちのバイト先で会ったけど、それがどうかした?」
「なに話したんですか?」
能登先輩がバイト先に来たことはないか。
宇都宮にこの前の話以外にそんなことはなかったかと確認したが、あれ以外に先輩を見たことはなかったと言っていた。
と言うことは、能登先輩が宇都宮のバイト先に現れたことにはなんらかの理由があるはずだ。先輩は、澪のように純粋な“楽しそう”という気持ちで動いたりしない。
「宮城ちゃん本人に聞いたほうが早いと思うよ」
「聞きました。……たいした話はしてないって言ってましたけど」
「じゃあ、そういうこと。世間話しただけ。楽しかったよ。宮城ちゃんは楽しかったって言ってた?」
先輩がにっこりと笑う。
そして、離せというように私の手をまたつついてきたから、大人しく腕を解放する。
「宮城から聞いてないのでわかりません。それより、先輩。本当に宮城と世間話しただけなんですか?」
「そうだよ」
「なにか隠してますよね?」
「それ、宮城ちゃんも仙台ちゃんに隠し事してるってことになるけどいい?」
「良くないけどいいです」
本当は、私に言えないことが宮城にあるなんて許したくない。
宮城が考えていることはすべて知りたいし、宮城がしていることもすべて知りたい。今、大学でなにをやっているのかとか、私がバイトの日に家でなにをしているのかとか、そういうすべてを宮城の口から聞きたいと思っている。
でも、彼女がすべてを話すとは思っていないし、私だって宮城に言えていないことがある。
たとえば、宮城が好きだとか。
そういうことを言えずにいる。
「仙台ちゃんはそれでいいんだ?」
念を押すような声に「いいです」と答えると、先輩が私をじっと見た。
「宮城ちゃんは愛されてるねえ」
聞こえて来た声は馬鹿にしたものではなかった。
けれど、背中に得体の知れないものをくっつけられたような気持ちの悪さがある。
「……なにが目的なんですか」
宮城と能登先輩が会っていた。
そして、宮城がそれを隠していた。
どちらも気に入らないことで、面白くないことだったから、能登先輩を探して捕まえた。それは宮城を追及したところで私の知りたいことを教えてもらえるとは思わなかったからだ。
宮城は“悪いこと”を隠そうとする。体の調子が悪くても教えてくれなかったし、都合が悪くなったときは家を出て隠れてしまった。
「目的って?」
「宮城に近づいた目的です」
澪が知っているなら聞くことができただろうけれど、彼女の口からは地獄の会で言っていたこと以上のことはでてこなかった。
そうなると、能登先輩に直接聞くしかない。
「目的ねえ。強いて言えば、澪のためかな。高校のときからずっと私の大事な後輩だからね」
「澪? 宮城と関係ないじゃないですか」
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
微妙な言葉とともに、能登先輩が歩きだす。私はその腕を掴もうとしてやめる。先輩が歩く速度は、逃げ出そうとする人間のものではない。
「意味がよくわからないんですが、そんなに澪が大事なら首に縄でもつけておいたらどうですか」
私は、先輩の歩調に合わせてゆっくりとその少し後ろを歩く。
「犬じゃあるまいし、縄なんてつけないよ。で、仙台ちゃんは宮城ちゃんとの同棲生活上手くいってるの?」
「心配いりません」
「ってことは、上手くいってるんだ」
さっき感じた気持ちの悪さ。
能登先輩の今の言葉にはそれに繋がるものがある。
なんだ、この背筋がぞわぞわする感じ。
考えろ、考えろ、考えろ。
「それはルームメイトとしてかな?」
思考に能登先輩の声が割り込んできて、足が止まる。
聞こえて来た言葉は久しぶりに聞いたもので、私はその言葉に心当たりがある。
宮城が突然、“ルームメイトやめるから”と言いだした日。
あの日、宮城は様子がおかしくて、ずっと変だと思っていたけれど、その変だった原因が能登先輩と会ったことだったとしたら――。
宇都宮は能登先輩がバイト先にいつ来たのかはっきりと覚えていないと言っていたが、あの日だと考えると、すべてが繋がるような気がする。
「仙台ちゃん、話聞いてる?」
少し前を歩いていた能登先輩が振り返って私を見る。
視線が交わる。
きっと、宮城と先輩はあの日会った。
先輩が宮城になにを言ったのかわからないが、良くない。
ものすごく良くない。
こんなことは許してはいけない。
「……先輩、宮城に関わらないでください」
能登先輩にはお世話になっている。
でも、絶対に立ち入らせてはいけない場所がある。
「それは、仙台ちゃんには関わっていいってこと?」
「私とは現状維持でいいです。でも、宮城には関わらないでください」
「二度も言わなくて大丈夫。控えておく」
先輩がにこりともせずに言う。
声は平坦で、なにを考えているのかわからない。聞こえてきた言葉は信じていいものとは思えず、もう一度告げる。
「控えるんじゃなくて、絶対に関わらないでください。私と宮城のことは私と宮城で解決します」
「なるほど。二人の間には解決するような問題があるんだ」
悪気があるとは思わない。
先輩になにかしたいわけでもない。
そう思っているけれど、勝手に手が動いて能登先輩の腕を掴む。
「ごめん、ごめん。仙台ちゃんを怒らせたいわけじゃないから。宮城ちゃんに悪いことはしないから安心して」
腕を掴んだ私の手をべりべりと剥がしながら能登先輩が明るい声で言い、「もう行くね」と歩きだす。けれど、すぐに足を止め、振り返って私を見た。
「そうだ、仙台ちゃん」
「なんですか?」
「生徒、増やす気ある?」
「今はないです」
「残念。仙台ちゃん評判いいから」
能登先輩がにこりと笑うけれど、笑顔を返すことができない。
たぶん、今の私はあまりいい顔をしていない。
でも、能登先輩はまったく気にしないというように手を振って険悪に近かった空気を亡き者にして去っていき、私はその場に取り残される。
なんなんだ、あの人は。
面白がっているのか、それともほかに目的があるのか。
なんだかわからないけれど、いい気分ではない。
私と宮城の問題は私と宮城のもので、ほかの誰かが口を出していいものではない。停滞したとしても、行き詰まったとしても、私と宮城がなんとかするべきで、上手くいっても行かなくても私と宮城でなんとかしたい。
はあ、と大きく息を吐き出す。
早く家へ帰りたい。
今の出来事について話すつもりはないけれど、宮城の顔が見たい。
「……帰ろ」
私は、一刻も早く私がいるべき場所に向かうために回れ右をする。けれど、歩きだす前に弾んだ声が耳に飛び込んできた。
「葉月、見つけた!」
澪、と言う前に彼女は私のもとにやってきて、さっき私が能登先輩にしたように腕を掴んでくる。
「スマホ見てないでしょ」
恨みがましい声に鞄の中からスマホを出そうとすると、「見なくていいから、これから暇か教えてよ」と言われる。
「暇だったらなに?」
私は今、急いでいる。
暇はあったけれど、なくなった。
だが、澪からの連絡に気がつかなかったことへの罪滅ぼしに用件くらいは聞くべきだと思っている。
「葉月、こわっ。機嫌悪いじゃん。なにかあった?」
「なにもないけど。……ごめん」
なにかあったことはあった。
でも、今はなにかあったことよりも、家へ帰ろうとしたことを阻止されたことに問題がある。もちろん澪のせいではないが、タイミングが悪い。悪すぎると思う。
「謝らなくていいから、ご飯食べにいこ。少し早いけどさ」
そんな気分になれない。
私は早く帰って宮城に会いたい。
「志緒理ちゃん呼んでもいいし」
澪の明るい声に記憶が蘇る。
そう言えば、宮城に言われていた。
仙台さんは澪さんと仲良くして。
私は宮城の信用を得るために、澪と仲良くしなくちゃいけない。
あれからも私は澪の誘いを断っている。
彼女には能登先輩のことを何度も聞いたし、そのお礼くらいはしたほうがいい。
「いいよ、ご飯。宮城は忙しいと思うし、二人で行こう。私が奢るし」
「やった!」
「ちょっと連絡したいところあるから待ってて」
そう言って、鞄からスマホを取り出す。
『澪とご飯食べてくるからちょっと遅くなる』
メッセージを送ると、すぐに宮城から『わかった』という愛想のない言葉がスマホに届いた。
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