第324話
宮城がいない。
バイトをしているわけでも、サークルなんていうものに入っているわけでもないのに、家のどこにも宮城がいない。
私はもう一度、宮城がいなければおかしい部屋のドアをノックする。
トン、トン。
中から声が聞こえてきたりはしないし、物音もしない。
ドアに耳をぺたりとつけてみる。
人がいる気配はない。
スマホを確かめる。
さっき見たときと同じで連絡はない。
澪とご飯を食べてくると連絡をしたときに、宮城は『わかった』とだけ返してきた。私も遅くなるとか、用事があるとか、そういったメッセージは送ってこなかった。もちろん、電話だってかかってきていない。
共用スペースのテーブルの上に鞄を置き、椅子に座る。
宮城に『家に着いた』とメッセージを送って、『遅くなるの?』と付け加える。でも、一分待っても二分待っても返事が来ない。
宇都宮にも宮城の所在を尋ねるメッセージを送る。
返事がない。
当たり前だ。
まだ十秒も経っていない。
冷静に考えれば、慌てるようなことではないと思う。
誰だって友だちと出かけて遅くなることはあるし、連絡を忘れることもある。
宮城が誰かと一緒にいるのなら相手は宇都宮だろうし、二人で盛り上がっていて私からのメッセージにどちらも気がついていないということもあるはずだ。朝倉さんという友だちもいて時間を忘れて騒いでいるということもある。
本当にそんなことになっていたらむかつくけれど。
テーブルに突っ伏して、おでこをごつんとぶつける。
でも、もしかしたら。
私が澪とご飯を食べに行くなんて言ったから、宮城が機嫌を悪くして家に帰ってきていない。
そういう可能性だってある。
宮城は澪と仲良くしろと言ったけれど、むかつくとも言っていた。だから、考えられないことではないと思う。
「うーん」
仮定が事実だとして、澪と仲良くしながら宮城をむかつかせずにいることは不可能に近い。
「無理だよね。でも……」
私が誰かと仲良くしていると不機嫌になる宮城はとても可愛い。もっともっと彼女の機嫌を損ねるようなことをしたくなるくらい可愛いと思っている。
けれど、そういう宮城を見るよりも、今までのように彼女といたいと思う。
澪と出かけることが楽しくないわけではないが、宮城と過ごす時間にはかなわない。
私が優先したいのは宮城だ。
だが、それではなにも変わらない。現状を維持しても宮城の信用を得られないし、彼女が望む私になることもできないことはわかっている。
私と宮城以外の人間をこの世界から消し去ることができるのなら、それが最良の方法だと思うけれど、私にそんな力があったらもうそれを実行している。
「まあ、今日は澪と出かけたかいがあったけど」
澪との会話の中で、能登先輩のことを今までよりも知ることができた。澪との食事が打算だらけのものになる考え方ではあるけれど、大きな収穫だ。
能登先輩は、高校時代から落ち着きのない澪のことを心配して交友関係にまで口を出していたらしい。
大学生になってもそれは変わらないようで、澪は今も能登先輩に世話を焼かれていると言っていた。
どうやら能登先輩は、私が思っている以上に澪のことを気にしているらしい。
「警戒されてる、のかな」
私は用心されるほど怪しい人間ではないと思うけれど、澪と親しくしているから目を付けられているのかもしれない。
高校時代の私なら澪にも能登先輩にも好かれるように振る舞っていただろうけれど、必要以上に人に合わせることを放棄した今はそういう関係を面倒だなと思う。
「宮城まで巻き込もうとする意味がわからないけど」
はあ、と息を吐き出して顔を上げる。
スマホを手に取り、宮城に連絡をするか迷っていると、宇都宮から『志緒理なら私の家にいたけど、さっき帰ったよ』というメッセージが届く。そして、数十分経ち、私の耳に宮城の声が飛び込んでくる。
「ただいま」
「おかえり」
私は立ち上がり、にこりともしないで部屋に直行しようとする宮城の服を引っ張って椅子に座らせる。
「遅くなるなら連絡しなよ」
そう言って、宮城が逃げないように彼女の前に立つ。
「仙台さん、澪さんと会ってるからもっと遅くなるのかと思ってた」
「そう思ったとしても連絡して」
「じゃあ、罰ゲーム」
不機嫌としか言いようのない声で宮城が言う。
「私が?」
不満だ。
一緒に住むことになって“遅くなるときは連絡をする”というルールを作ったが、今回そのルールを破ったのは宮城だ。罰ゲームとしてなにかするのは私ではなく宮城だと思う。
「違う」
宮城がさらに低い声をだす。
「違うってなにが?」
「私が罰ゲームする。仙台さん、なにかしてほしいことある?」
「キスして」
「なんでそんなこと即答するの。仙台さんってほんと馬鹿だよね」
「ほかに今してほしいことないし」
「違うのにしてよ」
「じゃあ、宮城が機嫌悪い理由教えて」
澪さんとご飯食べてきたからむかついている。
宮城にそう答えてほしい。
嫉妬していると言って、私を睨んでほしい。
「別に悪くない」
宮城が視線を床に落とし、静かに言う。
彼女は私の思い通りにならない。
でも、思い通りになったらなったで宮城がどうかしてしまったのかと心配になるから、私はどんな彼女でも受け入れることになる。
それでも一つくらいは文句を言いたくて「悪いじゃん」と呟くと、宮城の低い声が聞こえてきた。
「……澪さんと楽しかったのかなって思っただけ」
「澪と仲良くしろって宮城が言ったから、ご飯食べてきただけだから」
機嫌の悪さを隠さない声にそう返すと、宮城が視線を上げて私を見た。
「私に言われたから、ご飯食べてきたの?」
声が少し大きくなる。
失敗した。
たぶん、私は言わなくてもいいことを言ってしまった。
「そうだ。今日、能登先輩に会った」
良いことが起こりそうにない話題を変えたくて、思わず言うつもりがなかったことを言ってしまう。
「……そうなんだ。能登さん、なにか言ってた?」
「宮城と会って楽しかったって」
「へえ。仙台さんは? 楽しかった?」
「能登先輩と会って?」
「違う。澪さんとご飯食べて」
宮城がそれかけた話を元に戻す。
今日の宮城は良くない宮城だと思う。
「まあまあ」
素っ気なく答えると、宮城がつま先を私の足にトンッと当てた。
「澪さんって、仙台さんとご飯食べるときほかの人誘うの?」
「誘うときもあるけど、今日は澪だけ」
「ふうん」
「澪と会わないほうがいい?」
「そんなこと言ってないじゃん。澪さんとだけ会って仲良くしてほしいって思ってる」
面白くない。
つまらない。
宮城はいいことを言わない。
私は宮城に「澪と会わないでほしい」と言ってほしい。でも、そんなことは絶対に言わない。
わかっている。
私は澪と仲良くしなければいけない。
「ちゃんと澪と仲良くする」
宮城にそっと手を伸ばし、プルメリアのピアスに触れる。
唇を近づけて、触れる前に離れる。
このピアスには意味がある。
宮城が私以外の誰かを好きになることがあったら。
そんなことがあったら、私の代わりにピアスが宮城の幸せを願ってほしい。
大切な人の幸せを願うという意味を持つピアスに、そんな気持ちを托して贈った。でも、今の私は、宮城が私以外の誰かと幸せになることをピアスが願うことすら許せない。
ピアスは、私が宮城を幸せにできるように願うべきだ。
「宮城。前にも言ったけど、ペンダント選んでよ。ネックレスでもいいけどさ」
私の耳には宮城が選んだピアスがついている。
でも、私が宮城に贈ったピアスほど“重い”ものではないと思う。私と宮城の想いが釣り合うべきだとは思わないけれど、宮城はもう少し私に“想い”を向けるべきだ。
「……選んでもいいけど、しばらく待ってて」
珍しく宮城が素直に私の言葉を受け入れる。
「しばらくっていつまで?」
「わかんないけど、ちゃんと買ってくる」
「買うときは言って。お金は私が払うから」
「いい。私が選んで、私が買う。それを仙台さんがつけて。あとネックレス選ぶ代わりに一つ条件」
「なに?」
「澪さんと会った日は私のいうこと一つきいて」
「いいよ。今日もいうこときく?」
宮城のいうことなら二つだって、三つだってきく。
今までだって命令をいくつもきいてきた。
「今日は、澪さんと会った日は私のいうこときくってピアスに誓って」
「わかった」
私は宮城のピアスに触れ、彼女が口にした言葉を復唱する。そして、ピアスではなく唇にキスをした。
ゆっくりと軽く触れてから、唇を離す。
宮城は眉間に皺を寄せているけれど、文句は言ってこない。
足にさっきより強く彼女のつま先が当たる。
「あともう一つ言うことあった」
平坦な声で宮城が言って、私を見る。
「なに?」
「バイトする」
「え? 誰が?」
「私が」
「……は?」
宮城が言ったとは思えない言葉に思考が完全に停止した。
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