第217話

「仙台先生、そのピアス気に入ってるんですか?」


 通い慣れた部屋、テーブルの向かい側から桔梗ちゃんが私の耳をじっと見てくる。


「新しいの買おうと思ってるんだけど、なかなかいい感じのが見つからなくてね」


 宮城にあげた私の耳には、小さなピアスがついている。それは彼女の誕生日からずっと私の耳にあって、近々新しいものに変わる予定になっている。でも、ピアスを選ぶと言った宮城は、あれから一週間以上が経ってもピアスを選んでくれていない。


「高校合格したら私もピアスしたいな」


 桔梗ちゃんが静かに言って、視線を問題集に落とす。


「学校で怒られるよ」

「ですよね。でも、合格記念にピアスって格好いいなって」

「格好いいけど、他のものにしたら? 高校に合格したら、先生がなにかプレゼントしてあげる」

「本当ですか?」


 握っていたペンを置いて、桔梗ちゃんが身を乗り出してくる。彼女の少し長い前髪が揺れ、キラキラした目がよく見える。


「本当。あまり高いものは買えないけど、ほしいものプレゼントするからなにか考えておいて」

「はい」


 弾んだ声が返ってくる。

 問題集のページが勢いよくめくられて、桔梗ちゃんのテンションが上がったことがわかる。プレゼントの一言でわかりやすくやる気メーターが上昇する彼女は、中学生らしくて可愛いと思う。


 宮城とはまったく違って新鮮だ。


 高校生だった私が宮城に勉強を教えていたときに、彼女から桔梗ちゃんのように弾んだ声が出たことはない。


 あの頃に、桔梗ちゃんのように喜ぶ宮城を見たかったと思う。不機嫌な宮城も可愛いけれど、水族館でペンギンを見て笑っていた宮城も可愛かった。高校生だった私の隣に、ああいう楽しそうな宮城がいたら良かったのにと思わずにはいられない。


「先生、ここなんですけど」


 思考が宮城に偏っていたところに桔梗ちゃんの声が聞こえてきて、彼女が指差している問題に視線をやる。


「ここはね」


 桔梗ちゃんの質問に答えて、そのまま学校の授業の予習までやってしまうと、決められた時間はあっという間に終わる。


 私は桔梗ちゃんと別れて、電車に揺られて家へと向かう。


 家庭教師をしていると、高校生だった宮城のことをよく思い出す。懐かしさを感じることもあるこのバイトは面白い。宮城を説得して、生徒を一人増やしてもいいかもしれない。


 私は電車を降りて、冷たくなった風に吹かれながら歩く。秋が終わり、冬の初め、覆うものがない首に夜の空気を直接感じる。薄手のコートでは頼りないと思うくらい寒い。早く宮城に会いたくて急ぎ足で歩き、階段を三階分上って玄関を開ける。


 靴を脱いで共用スペースへ行くけれど、宮城はいない。


 コートと鞄を部屋に置いて、共用スペースへ戻る。

 宮城の部屋を三回ノックすると、少し間があってからカチャリとドアが開いた。


「おかえり」

「ただいま。入っていい?」

「いいけど」


 そっけない声とともに、ドアが大きく開かれる。エアコンで暖められた居心地の良い部屋に入ると、机の上に本が何冊か置いてあって勉強していたことがわかった。

 ブラウスのボタンを一つ外して、宮城の隣に座る。


「ねえ、宮城。ピアス、いつ選んでくれるの?」


 ベッドを背もたれにしている宮城の耳を引っ張る。


「いつって、この前選ぶって言ったばっかりじゃん」

「一週間以上待った」

「仙台さん、気が早くない? ゆっくり選びたいんだけど」

「じゃあ、ゆっくりでいいから、一緒にピアス見に行かない? 私が買うし、宮城は選んでくれるだけでいいから」


 本当は待つべきだと思う。

 ゆっくりと時間をかけて、宮城が選びたいと思ったときに選んでもらうほうがいい。野良猫のような彼女は気まぐれだ。急かしたところで、私の思うとおりには動いてくれない。


 そんなことはよくわかっているけれど、待つ時間が長くなってくるとピアスを選ぶと言った宮城の言葉が幻聴だったような気がしてくる。


「行かない。私が選んで、私が買ってくる。だから、仙台さんは待ってて」


 宮城が思ってもみなかったことを言う。


「自分で買うからいいよ。さっきも言ったけど、宮城は選んでくれるだけでいいから」

「私が選んで、私が買う」


 はっきりと宮城が言って、エアコンの温度を一度上げた。

 外は寒かったけれど、この部屋は十分暖かい。

 温度を上げるほどではなくて、私は彼女からリモコンを取り上げてベッドの上へ置く。


「いつまで待てばいい?」

「私が買ってくるまで」


 曖昧な答えが返ってきて、私は自分のピアスを触った。

 小さな飾りが指先に当たり、ゆっくりとピアスをなぞる。


「宮城がそう言うなら待つけど、ピアスの代わりをもらおうかな」

「代わりってなに」


 耳から手を離して、探るような声を出した宮城の唇を撫でる。


「印つけてよ。それくらいなら今すぐできるでしょ」

「……印ってどこに?」

「宮城の好きなところ」


 柔らかく告げると、怪しげなものを見るような目が向けられる。


「この前、つける場所指定させてって言ってたのに?」

「言ったけど、今日は宮城の好きな場所につけていいよ。その代わり、同じ場所に印つけさせて」


 聞かなくても返事はわかっている。

 だから、私は「駄目」と言われる前に宮城の唇に唇を重ね、言葉を奪う。手を掴み、抵抗することもできなくしてしまうと、合わせた唇と掴んだ手から心地良い体温が伝わってくる。もっと宮城がほしくて舌先で唇に触れ、その先へ押し入れる。でも、すぐに強く噛まれて、追い出されてしまう。


「仙台さん、早くピアス選ばないと、こういうことになるシステムだって言わなかった」


 不機嫌な声が聞こえてくる。


「今、決めた。さっさとピアスを選ばない宮城が悪い」

「ずるい」

「宮城は印つけたくないの?」


 問いかけると、掴んでいた手が私から逃げていく。宮城の指先が床をなぞり、私のブラウスを引っ張る。


「……仙台さん、ほんとに同じ場所に印つけるの?」

「つけるよ。だから、よく考えて印つけなよ」


 キスマークは何度もつけられている。

 今さら躊躇うものではないから、ルームメイトという関係を維持しながらできることの一つになっている。場所を選ぶのは宮城だし、前にも私からキスマークをつけているから、私が印をつけることも大きな問題ではないと思う。


 だから、少しくらい宮城を試したっていい。


 こういうときに、どこにキスをして、どこに触れてほしいと宮城が思うのか知りたい。

 回りくどい方法だと思う。

 でも、ストレートに聞いたら絶対に答えてくれない。


「決まった?」


 静かに尋ねると、宮城が眉間に皺を寄せて「まだ」と答える。


「服、脱いだ方がいいなら脱ぐけど?」

「脱がなくていい」

「早くしなよ。考えすぎ」


 急かすように彼女の耳たぶを引っ張って、ピアスに触れた指先に力を入れる。


「離して」


 刺々しい声に耳から手を離すと、宮城が私のブラウスのボタンを二つ外した。

 ボタンが三つ外れたブラウスの中に宮城の手が入り込んでくる。彼女の手が肩を撫でて鎖骨を辿る。そして、ゆっくりとブラウスを大きく開いた。

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