第218話

 宮城はいつも躊躇うくせに遠慮はしない。

 結局、ブラウスのボタンを全部外して、私をじっと見ている。


 視線には、私に対する配慮は感じられない。キャミソールを着ていると言っても、一方的に体を見られていると思うと落ち着かない。


「見て、じゃなくて、印をつけてって言ったはずだけど」


 胸元を見ている宮城に声をかける。


「今つけるから、黙っててよ」

「はいはい」


 私の声に、宮城の指がキャミソールの肩紐を辿る。

 キスマークをつける雰囲気はない。

 ただ私を見て、私の体に指を這わせている。


 宮城の視線も気持ちも独り占めできるこの時間は、悪いものではない。遠慮のない目に見つめられていることに恥ずかしさを感じるけれど、宮城が私だけを見て、私のことだけを考えているとわかるからこの時間が続けばいいと思う。


「仙台さん」


 遠慮がちな声で呼ばれて「なに?」と答えると、宮城がキャミソールの上からそっと胸を撫でた。


「私が跡をつけた場所に仙台さんもつけるんだよね?」

「そうだよ。決まった?」

「もうすぐ決まる」


 小さな声とともに肩紐がずらされかけて、脱がすつもりがあるのかと体が一瞬硬くなる。でも、宮城の手は迷ったように止まって、キャミソールで隠された胸の少し上を押した。


「ここにつける」


 宮城が宣言して、押した場所に唇をくっつける。

 体から熱を奪うように皮膚を強く吸われる。


 唇が押しつけられてる場所に神経が集まり、宮城に印をつけられていることをはっきりと意識する。水と油のように混じり合うことのない他人の体なのに、触れ合っている部分は溶けて宮城と一つになりたがっている。


 私は宮城の髪を撫で、頭を抱きしめる。

 唇が強く体にくっついて、でも、すぐに体を押されてしまう。


「つけた」


 宮城がぼそりと言って、私の腕から逃げ出す。

 下着の少し上、視線をやると小さな跡がついている。

 宮城の指がついたばかりの跡を撫でて、離れる。


「印、一つでいいの?」

「いい」

「この前、宮城がつけた印消えたし、つけ直してもいいよ」


 太ももの内側にあった赤い印。

 それは足を舐めてという命令に従わなかった宮城がつけたもので、もう消えてしまった。キスマークは永遠ではない。時間が経てば消えて、私に同化し、またほしくなる。

 だから、宮城がつけたいと言うならもう一度つければいいと思う。


「……つけ直したら、仙台さんも同じ場所につけるんでしょ」


 宮城が低い声で言う。


「もちろん」

「なら、つけない」

「じゃあ、宮城。スウェット脱いで」


 そう言うと、宮城が大人しくスウェットを脱いでカットソーだけになる。


「それも脱いで」


 私は彼女が着ているカットソーを引っ張る。


「え、なんで?」

「着たままだと印つけられないと思うけど」


 宮城は、胸の少し上にキスマークをつけた。

 それはブラウスのボタンを外さなければつけられない場所で、カットソーを着たままではつけられない場所だ。同じ場所に印をつけようと思ったら、カットソーを脱いでもらうしかない。


「脱がなくてもつけられるでしょ」

「無理だって。脱ぎなよ」

「やだ」

「自分で脱ぎたくないなら、脱がしてあげる」


 上を脱ぐくらいのことは過去にもしているし、私だってブラウスのボタンを外されているのだから、宮城もカットソーくらい脱ぐべきだ。


「それもやだ」

「脱がないとつけられないって」

「そう思ってるの、仙台さんだけだから」

「宮城」


 強く名前を呼んで引っ張っていたカットソーの裾を離すと、不満そうな声が聞こえてくる。


「じゃあ、仙台さんも脱いでよ」

「別にいいけど、宮城は?」

「自分で脱ぐ」

「それでいいから、先に脱いで」


 彼女の言葉は予想通りのもので、従うことに躊躇いはない。でも、私が先に脱いだら、宮城は交換条件通りにはしてくれないような気がする。


 私は宮城を見る。

 予想が当たっているのか彼女は服を脱ごうとしない。


「脱がないなら見える場所にキスマークつけるけど、いい?」


 静かに尋ねると、宮城が眉根を寄せてから仕方がないといった様子でカットソーを脱いで下着だけになった。


「仙台さん、これでいい?」

「いいよ。これ預かるね」


 私は返事を聞く前に、宮城の服を自分の体の後ろに隠す。そして、文句を言われる前に約束を守ってブラウスを脱ぐ。


「それも脱いで」


 宮城が私のキャミソールを引っ張る。


 まあ、そうだよね。


 ブラウスを脱いだくらいで許されるわけがない。私は大人しくキャミソールも脱いで、ブラだけになる。

 でも、宮城はまだ納得してくれない。


「服、返してよ」

「印つけてからね」


 不機嫌そうな顔をしている宮城を見る。

 控え目な胸を覆う白い下着が目に映る。


 心臓がうるさい。

 呼吸が苦しいくらいに心臓が鳴っている。こういう宮城を過去に見たことがあるはずなのに、酷く緊張している。


 こんな風になるのは宮城にだけで、彼女は私にとって特別なのだと意識せずにはいられない。


「見てないでつけてよ」


 低い声に「宮城だって見てた」と返すと、睨まれる。

 私はブラのストラップに触れる。

 シンプルなデザインのそれは、華やかなものよりも宮城らしい。でも、もう少し可愛いものでも良いと思う。


「印つけないなら服着るから返して」


 怒っているようには見えないが、かなり機嫌が悪い声が聞こえてくる。

 できればずっと宮城を見ていたいけれど、あまり見ていると印をつける前にこの部屋から追い出されそうだ。

 私は宮城の胸の少し上、自分が印をつけられた場所と同じところに指を這わせる。


 ここは宮城が印をつけたかった場所で、私がつけても良い場所だ。


 私は、自分が印をつけられた場所と同じ場所に唇を寄せる。彼女の体を溶かすように強く押しつけて、皮膚を強く強く吸う。少しでも長く宮城の体に私が残るように、この場所が特別になるように跡をつけて唇を離す。


「宮城。もう一つ、つけてもいい?」


 今、つけたばかりの赤い印を撫でながら尋ねる。


「私、一つしかつけてない」

「私がつけたところに宮城もつけていいから」

「仙台さん、羞恥心ないからやだ。変なところにつけようと思ってるでしょ」

「前にも言ったと思うけど、恥ずかしいって気持ちくらい私にだってあるよ」


 失礼なことを言う宮城に反論をするけれど、彼女は信じられないという目を私に向けてくる。


「あるように見えない」

「あるって」

「じゃあ、つけたいところってどこ?」


 私は視線を宮城の足に落とす。

 許されるなら、彼女の太ももの内側に唇をつけたい。赤い跡を残して、足の先にキスをして、舌を這わせたいと思う。


「この前、宮城がつけたところ」

「つけかえされるのに?」

「つけかえしてほしいと思ってる」

「仙台さんのエロ魔神」


 不本意な名称で呼ばれて、私は小さく息を吐いた。


「じゃあ、宮城は私がつけかえさないなら、どこにつけるつもりだったの?」

「……これ、脱いでよ」


 宮城がブラのストラップを引っ張りながら言う。


「脱がなきゃいけないような場所につけたいってこと?」

「いけない?」

「エロいの私だけじゃないじゃん」

「仙台さんほどじゃない。もう服返して」


 そう言うと、宮城が催促するように手を出した。


「私のつけたい場所に跡をつけさせてくれたら、脱いでもいいよ」


 服を返す代わりにそう悪くないはずの提案をする。でも、宮城は気に入らなかったらしく冷たい声が聞こえてくる。


「服返して」

「返さない」

「仙台さん、返して」


 宮城が私に近寄り、体の後ろに隠してある服を奪うべく手を伸ばしてくるから抱きしめる。ブラはしているけれど、覆うもののない肌と肌がくっついて体温が交わる。


 温かくて、熱くて、気持ちがいい。


 滑らかな肌が私に吸いつき、体温の心地よさだけではなく不純な気持ちも連れてくる。


「仙台さん、暑い。離れてよ」


 耳元で声が聞こえてくすぐったい。

 宮城の体に回した手に力を入れると、脇腹をつねられる。


「私の好きな場所に印つけさせてくれたら、離れてあげる」

「……仙台さん」

「なに?」


 早く離れて。

 次の言葉を予測して、小さく息を吐く。


「管理しときなよって言ってたけど、私に管理されてそれでいいの?」


 宮城が思ってもいなかったことを聞いてくる。


「いいよ」

「なんで?」

「ピアス選んでほしいから」

「――ほんとにそんなことのため?」


 探るように宮城が言って、私の体を押す。

 くっついていた肌が離れ、交わっていた熱がなくなり、急に頼りなくなる。


「そんなことのためだよ。だから、早く選んで」


 暖かすぎるはずの部屋が寒くなったような気がして、宮城の手を掴む。指先にそっとキスをすると、小さな声が聞こえてきた。


「……仙台さんに似合うピアスわかんない」

「なんでもいいよ」

「よくない。ネックレスは見えなかったけど、ピアスは見える」


 高校の頃にもらったペンダントは隠す必要があった。

 体につけられる印も隠さなければいけない。

 でも、ピアスは隠さなくていい。

 私は見える場所に宮城からもらったものをつけていたい。


「見えるからいいんでしょ」

「……仙台さん、綺麗じゃん」

「へ?」


 消えそうな声で言われた言葉は予想していなかったもので、間が抜けた声が出る。


「変なの選べないもん」


 ごにょごにょと宮城が言って、視線を落とす。


「それってどう――」

「なんでもいいから早く服返して」


 どういうこと?


 と、問いかける前に隠していた服を奪われる。そのままぼんやりと宮城が着替えているところを見ていると、彼女の手がまた私の印を撫でてくる。そして、その少し下に唇を押しつけ、皮膚を強く吸って新しい跡をつけた。


「宮城、今の場所に印つけるよ」

「やだ」


 聞き分けのない宮城の手が新しい跡を撫で、さらにその下を撫でようとする。


 これ以上は良くない。


 交換条件がなくてもブラを外して、そこに印をつけられたいと思ってしまう。

 同じことを宮城にしたいと思ってしまう。


 私は印をつけるという行為で、私の中にある邪な気持ちを誤魔化してきたけれど、ずっとは続けられそうにない。


「宮城、約束守ってよ」


 私の声に宮城が顔を上げる。


「ピアスはちゃんと選ぶ」

「それもだけど、もう一つの約束」

「もう一つ?」

「そう。宮城がどれくらい気持ちがいいか言えって、変態みたいなこと言ってきた日にした約束覚えてるでしょ」

「……変態じゃない」

「次は私から宮城にしてもいいって約束。それ思い出してくれたら、変態じゃないことにしてあげてもいいけど」


 目隠しをされた私が宮城に触れられた日。

 宮城は私にされてもいいと言った。


「あれは、次は仙台さんからしてもいいって約束じゃなかった」

「そういう約束だよ」

「……仙台さん、ルームメイトでいてくれるんだよね?」


 約束は守りたくない。

 そういう口調で宮城が言う。


「ルームメイトのままでもできるでしょ」


 私ははっきりと言って、宮城を見る。

 曖昧なままの関係がいいなら、それでいい。

 宮城が望む形でいたいと思っている。

 ただ、私からしてもいいという曖昧な約束を形にしたいと思う。


「そのうち約束守ってよ」

「……それっていつ?」

「そのうちはそのうち」


 そう言って、私は宮城のピアスにキスをした。

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