第288話
朝ご飯を食べて、当然買って来たプリンも食べて。
部屋へ戻ろうとすると、仙台さんがついてくる。
連休中に特別したいことはないし、やらなきゃいけないことがあるわけでもない。舞香はバイトだし、朝倉さんもバイトだ。
忙しそうな二人と予定を作ることはしなかったから、仙台さんが部屋に来ても困らない。けれど、私の後をついてくる彼女があまりいい顔をしていないから気にはなる。
「自分の部屋に行かないの?」
部屋のドアを開けて振り返る。
「行かないけど、宮城は行ってほしい?」
「……そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、中入って」
仙台さんが自分の部屋のように言って私の背中を押してくる。
「それは私の台詞だから」
そう言って中へ入ると、仙台さんがついてきてドアを閉めた。私がベッドを背もたれにして座ると、仙台さんも当たり前のように隣に座る。
並んで座るなんてことはいつものことで、気にするようなことじゃない。でも、気になる。それは私と仙台さんの間にある空間がいつもよりも広いからだと思う。
距離にして、ワニのティッシュカバー二個分くらい。
いつもより遠い。
仙台さんは私を見たりしない。
本棚から本を持って来ることもない。
持ってきたスマホの画面をじっと見ている。
今日の彼女はあまり機嫌が良くない。
朝ご飯を食べているときからそうだ。
プリンを食べても機嫌は直らなかった。
朝、なにも言わずに外へ出たことがその原因になっているのだろうけれど、大人げないと思う。
この家に、朝一人で出かけてはいけないというルールはない。
仙台さんは寝ていたし、わざわざ起こすようなことでもなかった。
だから、私は悪くない。
――ほんの少し反省しているけれど。
私は空いている場所にワニを置いて隙間を埋める。
でも、すべては埋まらない。
いつもよりも遠いワニ一個分の距離が空いたままだ。
ぽすん、とワニの頭を叩いて、スマホに視線を落としたままの仙台さんに声をかける。
「なに見てるの?」
「別になにも」
仙台さんが平坦な声で言って、スマホをテーブルの上へ置く。
「なにも見てないなら、漫画でも読めば?」
「読みたい漫画ないし」
「ゲームは?」
「したくない」
愛想のない声とともに、仙台さんがワニの手を握る。
こういう彼女は珍しいと思う。
高校生だった頃と違って、大学生になってからの仙台さんはあからさまに機嫌が悪くなることがあまりない。
「……じゃあ、なんでここにいるの?」
私を見ない仙台さんをじっと見ると、彼女はワニを抱えてワニに話しかけた。
「宮城がどこにもいかないようにここにいるだけ」
「行くところないし、どこにもいかない」
「人のこと置いて、朝から散歩に行ってたくせに」
恨みがましい声が聞こえてくる。
「……それは悪いと思ってるけど、仙台さん寝てたし」
言い訳だけれど事実を告げてから、ごめん、と付け足すと、ワニに話しかけていた仙台さんが私を見た。
「そんなの、起こして誘いなよ。っていうか、出かけるなら一言言って。心配するじゃん」
「暇つぶしに行ってただけだし、すぐ帰ってくるつもりだった。心配するほどのことじゃないと思う」
「心配する。――宮城、いなくなった前科あるし」
「……」
仙台さんの言葉がなにを指しているのかすぐにわかる。
去年、私は仙台さんになにも言わずに舞香の家へ行き、そのまま帰らずにいた。
仙台さんが迎えに来るまで舞香の家に居続けたことは悪かったと思っているけれど、今その話はしたくない。だから、なにも言えない。
結果、この部屋の空気が微妙なものになる。
そして、私はこういう空気を変えることが苦手だ。
できることならこの部屋から出て行きたいけれど、自分の部屋から逃げ出しても行くところがない。共用スペースに行くという方法もあるが、そんな場所に逃げても仙台さんがすぐに私を連れ戻しに来るだろうから意味がない。
「宮城、なんか言いなよ」
「……なんか」
ぼそりと答えると、ワニが私に向かって飛んできて腕に当たって床へ落ちた。
「なんか言いなよっていうのは、そういう意味じゃないから」
仙台さんが、はあ、と大きく息を吐く。そして、とにかく、と言葉を続けた。
「明日も散歩に行くなら私も一緒に行くから。寝てたら起こして。絶対に」
「わかった。……けど、もう行かないから」
慣れないことはしないほうがいい。
こんなことになるのなら、去年と同じように過ごした方がいい。
バイトがあったって少しくらいは時間があるはずだから舞香を誘ってもいい。時間がないというなら、私がバイト先に行ったっていいはずだ。
「宮城のケチ」
「ケチじゃない」
「ケチじゃん」
仙台さんがぼそりと言って、床に落ちていたワニをまた抱える。
本当に今日の仙台さんは珍しい。
いつもならこういうことをしない。
だからかもしれないけれど、今日の彼女は綺麗というよりも可愛い。
いつもよりも。
なんとなく可愛く見える。
部屋着のカットソーとスカート。
特別なものではない見慣れたものを着ているだけの仙台さんがいつもよりも可愛く見えるなんて、それなりの理由があっても私はどうかしている。
「……勉強は? バイトの予習かなんかしなくていいの?」
会話が途切れてしまうと、どうかしている私がさらにどうかしてしまいそうで、たいして聞きたくないことを尋ねてしまう。
「そういう時間はちゃんとあるから」
「まだそういう時間じゃないんだ?」
仙台さんから視線を外して床を見る。
「今は宮城の部屋にいる時間」
「そうなんだ」
小さく答えると、手を握られる。
繋がった手が気になって、視線を外したばかりの仙台さんを見ると、彼女が抱えていたワニはいつの間にかいなくなっていた。代わりに仙台さんがさっきよりも近くにいる。
温かな手に視線を落とすと、ゴールデンウィークになる前からずっと私が選んだ色に塗られている彼女の爪が目に入った。
「……似合ってる」
マニキュアが使われ初めてから一度も告げていなかった言葉を告げる。
「なにが?」
「爪」
「ありがと。宮城にも塗ってあげようか?」
「このままでいい」
「そっか」
少し残念そうな声が聞こえて、繋がった手がぎゅっと握られる。
去年もこうやって隣に座っていた仙台さんに手を握られた。
でも、あれは私の部屋ではなく、仙台さんの部屋だったから、去年と同じようで違う。それに去年の私は朝から散歩はしなかったし、仙台さんは私が選んだ色の爪をしていなかった。
似たような日々を繰り返していると忘れてしまいそうになるけれど、去年と今年は同じになったりしない。
昨日と今日が違って、今日と明日が違う。
そうやって毎日がどこか違って、去年と今年が違うものになる。来年も今年とは違う。
繋がった手を引っ張る。
私が選んだ色をした爪を見る。
「宮城?」
仙台さんが私を呼ぶ。
だから、彼女の唇に自分の唇で触れる。
少しだけ。
くっつけて、離れる。
「……機嫌取られてたりする?」
仙台さんが自信のなさそうな声で聞いてくる。
「そういうのじゃない」
「だったら、どういうのなの?」
「わかんない」
どうしてこうなってしまうのかわかれば苦労しないと思う。
仙台さんに向かう感情はいつだって複雑すぎる。
わかろうとすることが無駄なことだと思えるほど、難しい。それでもルームメイトという関係は無駄ではないもので、もっとずっと仙台さんが隣にいればいいと思う。
毎日がまったく同じになることはないけれど、そう思わずにはいられない。
「宮城ってさ、ほんとわかんないよね」
仙台さんが呆れたように言って、私のピアスを撫でて耳を引っ張る。
「わかんなくていい」
難しいことはいらない。
私たちはわからないくらいが丁度良い。
私は自分の唇で、もう一度仙台さんの唇に触れた。
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