第354話

 綺麗に焼けた目玉焼きに綺麗に焼けたトースト。

 ハムも綺麗に焼けたし、トマトは綺麗に切れた。

 朝食の準備は順調だ。


 夜はよく眠れたし、二十歳の私は気分がいい。


 鼻歌交じりで三毛猫の箸置きを宮城の前へ置くと、「仙台さん、やっぱり手伝う」と声をかけられる。


「宮城は座ってて。昨日のお礼みたいなものだから」


 私は朝食を並べたテーブルに黒猫の箸置きを置き、食器棚からグラスを出しかけて手を止める。

 宮城から昨日もらった黒猫のマグカップと三毛猫のマグカップに視線が向かう。


 いつもはグラスでオレンジジュースを飲んでいるけれど、オレンジジュースはグラスじゃないと飲めないというものではない。


 私は真新しい二つのマグカップを取り出して、テーブルの上へ置く。オレンジジュースの紙パックを冷蔵庫から出してきてマグカップに注ぐと、宮城が私を見ながら言った。


「仙台さん、そんなに朝ご飯の準備するの楽しい?」

「楽しいよ」


 マグカップ以外、私の周りにあるものはいつもと変わらない。

 見慣れたテーブルや椅子。

 冷蔵庫も食器棚も誕生日が来る前と同じものだ。


 宮城だって変わらない。

 いつも通り少し不機嫌そうに椅子に座っている。


 でも、それが嬉しくて楽しい。


 昨日となにも変わらない今日があることが私の気持ちを弾ませる。


「はい、宮城のマグカップ」


 三毛猫のマグカップを宮城の前へ置く。


「……ありがと」

「どういたしまして」


 私は黒猫のマグカップを自分の席の前へ置き、オレンジジュースの紙パックを冷蔵庫に戻してくる。椅子に座って「食べようか」と宮城に告げて「いただきます」と言うと、その声が揃った。


 些細なことだけれど、こういうことも嬉しくて楽しい。

 誕生日の翌日も幸せな日が続いている。


 私はトーストにバターとジャムを塗って、ぱくりと齧る。


 パンもバターもジャムもいつもと同じものなのに、三倍くらい美味しい。目玉焼きの白身とハムを口に運ぶ。トマトを食べる。どれも美味しくて料理の腕が上がったのではないかと錯覚する。


「仙台さん」


 バターとジャムを塗ったトーストを黙々と食べていた宮城が私を呼ぶ。


「なに?」

「……誕生日プレゼントってもらった?」


 宮城がぼそりと言って、三毛猫のマグカップに入ったオレンジジュースを飲む。


「それって、友だちから?」

「……うん」

「もらってない」

「なんで?」

「夏休みに入ってから会ってないから、もらう機会がないかな。みんな、大学始まったら渡すとは言ってるけど」


 夏休みに入ってから遊びに行こうと誘ってきた友だちはいたけれど、断った。誕生日プレゼントを渡すから会いたいと言ってきた友だちもいたが、やっぱりそれも断ったから、私の元に“友だちからのプレゼント”というものは存在しない。


 プレゼントとしてもらったものは、友だちでもルームメイトでもない宮城からもらったマグカップだけだ。


「……澪さんは? 夏休みに入ってから会ったよね」


 宮城が小さな声で言う。


「澪は誕生日に会いたいって言ってきてたんだけど、断った。それからずっと、いつでもいいから直接プレゼントを渡したいし、誕生日を祝わせろって言われてるんだけど、そのうちもらうから待っててって言ってある」

「納得してた?」

「してない。いつまで待ってればいいのって言ってる」


 大学の友だちはみんなそれなりに聞き分けがいい。

 言い換えれば、深く踏み込んでこない。

 予定があるだとか、忙しいだとか二回も言えば諦めてくれる。


 けれど、澪は違う。

 私の言葉に屈することなく、定期的に連絡をしてきて会おうと誘ってくる。


 宮城もそれが予想できるのか、「澪さんっぽいね」と返ってくる。


「本当に澪って感じ」


 でも、そういう彼女が嫌いではない。

 面倒くさいと思うときもあるけれど、気遣いを忘れなかったり、変にあっさりしているところもあるから憎めない。


「……ほかには?」


 宮城がもごもと言って、目玉焼きを食べる。


「ほか?」

「去年、もらってたじゃん」


 十九歳の誕生日にもらったなにか。


 そう言われても、頭に浮かばない。

 私は記憶の引き出しをいくつか開けて、去年の誕生日を引っ張り出す。すると、ころりとクッキーが転がり出てきて家庭教師の生徒が頭に浮かぶ。


「……桔梗ちゃん?」


 去年、私は桔梗ちゃんから誕生日プレゼントだと言って手作りのクッキーをもらった。


「誰のことでもいいけど、ほかの人のこと」

「桔梗ちゃんのことなら、誕生日には早いけどって去年と同じクッキーもらったよ」

「ふうん」


 宮城が低い声で言い、オレンジジュースを飲む。

 次の言葉はない。


 彼女が聞いてこないクッキーがどうなったのかというと、私の胃の中に消えた。

 要するに、もらったその日に食べてしまった。


 桔梗ちゃんからのプレゼントが、この家に残るものではなくて良かったと思う。おそらく“手作り”というワードに込められた気持ちは私には重すぎるもので、この家に残すものではない。そして、誰かに分け与えるものでもない。


 去年の私は宮城と一緒に食べようとしたけれど、断ってくれて良かった。


「あ、そうだ。お祭り、今週末だから」


 黙々とトーストを食べている宮城に、彼女が私にくれると言った誕生日プレゼントで、私が楽しみにしている夏休みの予定を告げる。


 家庭教師の話は、宮城が好きな話ではない。彼女の機嫌があからさまに悪くなっているわけではないが、続けるべきではない話をし続けるよりは違う話をしたい。


「……今週末?」


 宮城が眉根を寄せて私を見る。


「そう、土曜日」

「急すぎるんだけど」

「誕生日のあとだって言ったじゃん。早く言ったって遅く言ったって行くことには変わりないんだからいいでしょ」


 私はにこりと笑って宮城を見た。

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