第39話
「足を舐めろ、でしょ」
宮城との付き合いもそれなりに長くなってきて、過去と照らし合わせれば彼女が言いたいことくらいすぐに理解できる。
「わかってるなら、やって」
私を見下ろした宮城が楽しそうに言う。ぐずぐずと煮え切らないような機嫌よりも気分が良さそうにしていてくれる方がいいが、今は歓迎できない。
それは、この先ろくな事にならないことがわかるからだ。こういう状況で宮城の機嫌が良くて、私に良いことが起こった記憶はない。
「足、ちょっと上げてよ」
手を使えないというのは不便だ。いつものように、足を丁度良い場所に持ってくることができない。
私は、床に下ろされている宮城の足を見る。
足を舐めることに文句はない。
そんなことはこれまでに何度もした。
ただ、手を縛られたまま舐めるというのは難しい。
「やだ」
短くはっきりと答えが返ってくる。
それは協力はしないということで、なかなか意地悪だと思う。
このまま命令に従え。
そういうことに他ならず、私は膝の少し下に舌先をつける。
膝だって脛だって、足には違いない。
けれど、宮城はお気に召さないようだった。
「足の先から舐めて」
声が上から降ってくる。
「この状態で?」
「その状態で。仙台さん、私の言うこと聞くの好きでしょ」
好んで命令に従っているわけじゃない。
でも、そんなことを言っても無意味だ。私が選ぶことができるのは命令に従うか、五千円を返してこの部屋から出て行くかのどちらかしかない。
床の上から宮城を見上げる。
彼女は動こうとしない。
命令に従うためには、自分から宮城の足に近づく必要がある。
この部屋の主は私にだけ我が儘で、無遠慮だ。
他の人には言わないようなことを平気で言う。それでも、宮城に従おうとする私は過去最高にどうかしている。
「仙台さん」
催促するようにちょんと膝を蹴られて、私はゆっくりと宮城から視線を外す。そして、床を舐めるようにして彼女の足の先を舐めた。
結構、屈辱的な格好だな。
他人事のように思う。
「そういう仙台さんもいいね」
それはそれは楽しそうな声が聞こえて、少し腹が立つ。
楽な姿勢ではないし、苦しい。けれど、五千円を返すという選択肢には行き着かず、指先から足の甲へと舌を這わせる。足首まで舐め上げて唇を押しつけると、足を引かれた。追いかけるように舌先を足の甲へとつけるが、今度は宮城の方からも足を押しつけてくる。
面白がっているとしか思えない。
「宮城」
文句を言うかわりに名前を呼ぶ。
それが気に入らなかったのか、宮城が私の顎の下に足を滑り込ませ、甲を使って顔を上げさせる。
「なに?」
にこやかに言って、宮城が私を見た。
「動かないでよ」
「命令していいのは私で、仙台さんじゃない」
宮城の言葉は間違ってはいない。
でも、何でこんな格好をしてまで言うことを聞かなきゃいけないんだ。
自分で選んでおきながら、不満に思う私がいる。
「続きしてよ」
心の声を口に出す前に、命令が下される。
足は床に戻され、私はもう一度その甲に唇をつけた。
命令されて、それに従う。
そういうことが当たり前になりすぎていて、腹立たしいと思いながらも体が動く。
指を舐めて、唇で滑らかな肌に触れる。
舌先に微かに感じる骨を辿って足首を柔らかく噛むと、宮城の体がわずかに動く。甘噛みを繰り返して、脛に舌を這わせる。
舐めて噛んで、唇をつけて。
これが唇だったらと思わなくもない。
キスをしたときのように、唇でゆっくりと膝に触れる。
何度か唇をつけてから強く吸うと、宮城が私の髪を掴んだ。
「もういい」
「なんで?」
「仙台さんがやらしいから」
「なにそれ」
「気持ち悪いってこと」
宮城が単調に言って、掴んだ髪を離す。
私は甘噛みを越えて、歯形がつくくらいの力で膝に噛みつく。骨が当たるけれど気にしない。思いっきり歯を立てると、額を思いっきり押された。
「痛い。やめてよ」
「やらしくないようにしただけだけど」
「命令してないことしないで」
「舐めるだけってこと?」
「そうだけど、もうしなくていい」
命令はこれで終わりとはっきりとは言わないが、そういう素っ気ない声が聞こえてくる。けれど、縛られた私の手は解放されない。
「じゃあ、ネクタイ外して」
「ずっとその格好のままでいれば」
「帰れないじゃん」
宮城の命令は、私の一日を拘束するものではない。
一日のうちほんの数時間だけ宮城のものになるという約束だ。だから、ネクタイを外してくれという要求は通ってしかるべきもので、拒否されるいわれはない。そのはずだ。でも、宮城がネクタイをほどいてくれることはなかった。
「帰らなければいい。このまま私に飼われたら? ご飯なら食べさせてあげる」
冗談とは思えない口調で、宮城が冗談を言う。
「くだらないこと言ってないで、ほどいてよ」
「じゃあ、もっとちゃんと頼みなよ」
さして面白くなさそうなのに、つまらない冗談は簡単には撤回されない。
ほら早くというように、宮城が私の膝を軽く蹴る。
見下ろしてくる目を見ても、感情は読めない。
頭を下げてお願いをする。
しようと思えば今すぐできるけれど、今の宮城にネクタイをほどいてくださいとお願いするつもりにはなれない。それは、少し、いや、かなり宮城の態度が気に入らないからだ。
「そのままでいたいの?」
頼むまでは外すつもりはないとばかりに、ブラウスの襟を掴まれる。力一杯というほどでないが、引っ張られてブラウスにつられるように体が宮城に引き寄せられる。
少し乱暴だと思うくらいの行動に、私は宮城を睨む。
「離して。いくらなんでも行き過ぎでしょ」
強く文句を言うと興味を失ったように手が離されて、私はバランスを崩す。倒れるほどではなかったけれど、扱いがぞんざいでもう一つ文句を言いたくて口を開く。だが、言葉を発する前に宮城から問いかけられた。
「仙台さんって、私にどうされたいの?」
「どういう意味?」
「されたい命令でもあるのかと思って」
「そんなのあるわけないじゃん」
命令されたくて、ここにいるわけじゃない。
かといって五千円が欲しいわけでもないけれど、宮城にして欲しいことがあるわけでもなかった。
「じゃあ、どこまで許してくれるの?」
言葉にはされなかったが、“命令の内容”について問われているのだとわかる。
ここまで好き勝手にやっておいて、今さら?
何があって私にそんなことを尋ねようと思ったのかは知らないが、一年近く経ってから聞くようなことではないと思う。
「どこまでって。そんなの常識の範囲内で命令しなよ」
「今の命令、常識の範囲内なんだ?」
縛られて、床を舐めるように足を舐めて。
今もなお、縛られ続けている。
それを受け入れているものの、そういう常識は私にない。
「断らなかったってことは、そういうことだよね?」
宮城が言ったからした。
ただそれだけのことで、常識ではない。
他の人には絶対にしないし、相手にもしないだろう。
でも、宮城にわざわざそんなことを言いたくない。
「意地悪な聞き方だよね。それ」
「仙台さんだって、意地悪な聞き方するじゃん」
珍しく拗ねたように宮城が言った。
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