第290話
「美味しい」
ほとんど姿が見えない柔らかな豆腐を胃に落とし、宮城に感想を伝える。
「仙台さん、すぐ嘘つく」
不満そうな声が返ってきて、私は麻婆豆腐をもう一口食べた。
辛くなくて美味しい。
辛いものが苦手だというわけではないが、宮城が作った甘めの麻婆豆腐は間違いなく美味しい。私にとって宮城が作ったというだけで価値があるけれど、それを抜きにしても嘘は言っていない。
「本当のことしか言わないから。宮城は美味しくないの?」
「美味しいけど……」
ぼそぼそと自信がなさそうに言って、宮城が麻婆豆腐を口に運ぶ。
「宮城、料理上手くなったよね」
「こんなの、麻婆豆腐の素に豆腐入れただけじゃん」
不満だということを表すような低い声が聞こえてくる。
どういうわけか褒めれば褒めるほど、宮城の機嫌が悪くなっていく。
彼女はいつだって理不尽だ。
それでも夕飯を作って私を待っていてくれたことが嬉しくて、率直な気持ちを伝える。
「どんなものを使ったって最終的に美味しいものができれば、上手くなったってことでしょ」
「……仙台さんならもっと美味しく作れる」
「あんまり変わらないと思うけど」
「変わる」
「変わるんだとしたら、それは宮城よりも長く料理を作ってるからってだけだと思うよ」
「そうじゃないと思う」
「そんなものだって」
私が言うことはなんでもかんでも否定したい宮城を否定して、彼女が作った麻婆豆腐を減らしていく。向かい側では宮城も麻婆豆腐をパクパクと食べている。
きっと作った本人も美味しいと感じている。
この家に来てから麻婆豆腐を作ったことはなかったけれど、これからは作ってもいいと思う。
「宮城は絹ごし豆腐が好きなの?」
麻婆豆腐に入っている豆腐は柔らかさとのどごしから絹ごし豆腐で、形が崩れにくい木綿豆腐ではない。
「冷蔵庫に入ってたから使っただけ」
「そっか。今度麻婆豆腐作るなら、木綿と絹ごしどっちの豆腐がいい?」
「これがいい。仙台さんは?」
「絹ごしかな」
木綿豆腐のほうが見栄えがいい麻婆豆腐が作れそうだけれど、作るなら宮城が食べたいものがいい。そして、宮城が食べたいものが私の食べたいものでもある。
甘口。
絹ごし。
私は宮城が好きな麻婆豆腐を覚えておく。
「仙台さん」
ゆっくりと味わいながら麻婆豆腐を食べている私を宮城が呼ぶ。
「なに?」
「ご飯、食べたいものってあるの?」
そう言うと、宮城がぱくりと麻婆豆腐を食べる。
「んー、そうだなあ。宮城はなにが食べたい? やっぱりハンバーグ?」
太ったという宮城のために最近ハンバーグ作りを控えているが、食べたいと言うならいくらでも作る。リクエストされる前に作ってもいいけれど、宮城の体重が気になる。
私は、彼女が太っていようが痩せていようが健康であればどちらでもかまわない。でも、増えた体重を減らすために宮城が私を置いて散歩に行くようなことがまたあったら困る。
宮城はダイエットだと認めなかったけれど、早朝の散歩はそういうものに違いがないから、彼女の体重は私が管理するべきだと思う。
「ハンバーグは食べたくなったら言う」
ぼそりと宮城が言う。
「ほかに食べたいものは?」
「嫌いなものじゃなければそれでいい」
「嫌いなものってブロッコリー?」
「春菊とかピーマンとかも。ほかにもある」
「……多くない?」
「多くない」
宮城が断言して麻婆豆腐を大きな口で食べる。
私も麻婆豆腐を口に運ぶ。
たわいもない話をしながら夕飯を食べていると、あっという間にお皿が空になって、私は食器を片付ける前に「これからどうするの?」と宮城に尋ねた。
「仙台さんは?」
「宮城と映画を観たいかな」
「……怖いのは絶対に観ない」
向かい側からどう聞いても不機嫌でしかない声が聞こえてくる。
――あれが悪かったかな。
宮城が嫌そうに言う理由は聞かなくてもわかる。
私を置いて散歩に行った仕返しというほどのことでもないけれど、あのあと、予告無しに宮城にホラー映画の予告編を見せた。おそらくそれを根に持っている。
「そんなに警戒しなくてももう見せないって」
予告は怯えるようなものではなかった。
音楽がそれっぽいくらいのものだったから、ちょっとした下心とともに宮城に見せたら彼女は想像以上に怖がった。
悪いとは思っている。
ほんの少し怖がらせたら、今日は一緒に寝よう、なんて提案が受け入れられやすくなると思っただけだ。ゴールデンウィークなのだから、そういう出来事があってもいいかと考えたけれど、宮城はそんなことを考えたりはしないらしい。
二人のものにしたペンちゃんを奪い、部屋へ戻ってしまった。
「じゃあ、先になに観るか教えて」
機嫌の悪さを隠さない宮城が私を睨む。
「宮城が観たいもの選びなよ。それなら絶対に怖いヤツにならないでしょ。で、私の部屋と宮城の部屋、どっちで観る?」
「私、まだ観るって言ってない。勝手に決めないでよ」
宮城が立ち上がり、食器を片付け始める。私も彼女の後を追いかけるように食器を運ぶ。そして、スポンジを持っている宮城に「観ないの?」と尋ねる。
「……暇だし、仙台さんの部屋で観る」
小さな声が返ってきて、私は宮城からスポンジを奪う。
「じゃ、さっさと洗っちゃうね」
彼女が食器を洗うよりも私が洗ったほうが早い。
私は宣言通り手早く洗い物を済ませ、グラスを二つ用意してサイダーと麦茶を注ぐ。宮城が透明な液体が入ったグラスを持ち、私は残ったグラスを持って部屋へ行く。
二人でテーブルの上にカタンとグラスを並べて置いてから、宮城がベッドを背にして座る。私もタブレットを持って来て、宮城の隣へ座る。
タブレットを宮城に渡すと、数年前の邦画を選んで再生ボタンを押した。画面に最近顔を見ない俳優が映し出され、漫画が原作の映画が始まる。
去年のようだと思う。
あのときもゴールデンウィークは二人で映画を観て過ごした。
でも、今年は去年とは違う。
当たり前のように宮城が私の部屋へ来るようになっているし、当たり前のようにゴールデンウィークに入ってから映画を観ている。それはとても良いことで、ずっと続いてほしいことだけれど、物足りないとも思う。
私は宮城の手を握る。
彼女は嫌がったり、逃げたりしない。
肩をぶつけると、面倒くさそうに私を押してくるけれどそれだけだ。肩と腕を宮城にぺたりとくっつけると、さすがに文句が飛んでくる。
「仙台さん、近い」
「いいじゃん」
「良くない」
そう言いながらも、宮城は私の手を離さない。
こういうときキスの一つでもしてくれればいいと思うけれど、宮城はそういうことをしてくれない。してもらおうなんて策を弄するとろくなことにならないこともわかっている。
私が考える“宮城がキスをしたくなるようなこと”をしたって、彼女はキスをねだってきたりはしない。それどころか、私からのキスすら拒むようになる。
それが宮城だと思うし、そういう宮城でいいと思っているけれど、キスはしたいし、キスを拒まれたくない。
「宮城」
呼んでも返事はない。
くっつけた肩と腕に力をかけて、宮城に寄りかかる。
私と同じシャンプーの匂いが鼻をくすぐる。
同じものを使って、宮城に私を感じてほしいと思っていたけれど、たぶん、宮城が私を感じるよりも、私が宮城を感じる瞬間のほうが遙かに多いはずだ。
私は宮城のもので、宮城は私のものではないのだから、それに不満はないけれど、宮城の中の私が占めている部分が大きくなればいいとは思う。
「……キスしよっか」
どうせ宮城は「する」なんて言ってはくれないから、返事を待たずに唇を彼女の頬にくっつける。でも、彼女の熱を感じる前に、体を力一杯押されてせっかくくっつけた唇が離れてしまう。
「変なことしなくていいから、映画観て」
「宮城は映画観てれば」
「仙台さんが変なことすると、観られないんだけど」
「ここにキスするくらいだったら観られるでしょ」
彼女の頬を撫でて、もう一度キスをする。
「観られない」
「だったら、あとからにしない? 映画観るの」
宮城の服を引っ張って、私のほうを向かせる。
文句を言いそうな唇を塞いで、舌を忍び込ませる。けれど、舌を絡ませる前に宮城が私の肩を押した。
「あとからじゃなくて今観る」
不機嫌な声を出して、タブレットを私には見えないように自分のほうへ向ける。
「宮城からキスしてくれたら、映画の続き観てもいいけど」
宮城につまらない策は役に立たない。
でも、交換条件は結構役に立つと知っている。
そして、宮城には理由が必要だということも知っている。
私はタブレットをベッドの上へ置いて、彼女の腕を引っ張る。私のほうへと強く、思いっきり。そして、そのまま私は床へ自分の背中をくっつける。
「なんなの、これ」
私に覆い被さる形になった宮城が眉間に皺を寄せる。
「私に押し倒されるほうが良かった?」
「そういうわけじゃない。キスするだけなら、こんな風にしなくてもいいじゃん」
「してくれるんだ、キス?」
「そんなこと言ってない」
「映画の続き、観なくてもいいの?」
優しく問いかけると、宮城の指先が私の唇に触れた。
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