第56話

 あれでもない、これでもない。


 服をベッドの上に並べて唸って、クローゼットに戻すなんてことを三十分くらいしているにも関わらず、着ていく服が決まらない。

 洋服ごときに、こんなにも時間をかける必要はないとわかっている。


 昨日、仙台さんと観る映画は決めなかったけれど、行き先はすぐに決まった。


 普段、私たちが行かないような場所で、同じ学校の生徒も行かないような場所。


 待ち合わせはそんな場所で、電車に乗って行かなければならない。


 仙台さんと放課後に会っていることは誰も知らないし、夏休みに会っていることも秘密だ。知り合いにばったり会うような場所に行くわけにはいかないから、わざわざ遠い場所を私が選んだ。


 駅へ行って、電車に乗って。


 映画を観るためだけにしては、行程に時間がかかる。それでも、会う約束は午後からだから時間はまだある。


「これでいいや」


 白いブラウスにジーンズ。


 この間、舞香たちと会ったときに着た服を手に取る。

 仙台さんと会うために気合いを入れる必要はない。


 だらだらと考えていないで、さっさと決めれば良かった。


 手早く着替えて、引っ張り出した服を片付ける。髪を結ぼうか悩んで、カーテンを開ける。窓の外を見ると、ギラギラと眩しいほどの太陽の光が溢れていた。


 暑そうだな。


 首筋が焼けてしまいそうで、髪を結ぶかわりに日焼け止めを塗る。時計を確認すると、家を出るにはまだ少し早かった。


 ため息を一つつく。

 仙台さんが冗談で口にしたであろう言葉に乗ったものの、気が重い。観たいと思っている映画はあるけれど、仙台さんが観たい映画かどうかはわからない。彼女に観たい映画があったとして、それを私が観たいと思えるかもわからなかった。


 私は、仙台さんの友だちなら知っているようなことをよく知らない。


 好きな映画や好きな音楽、好きな食べ物。


 彼女の友だちなら当然のように知っているようなことを聞いたことがなかった。


 長く息を吐いてから、ぱん、と頬を軽く叩く。


 今日は“友だちごっこ”をするだけだ。

 難しいことじゃない。


 舞香たちと過ごすように、仙台さんと過ごせばいい。観たい映画が違っても妥協点はあるはずで、これまで舞香たちとも趣味嗜好の違いをすりあわせてきている。


「少し早いけど、いいか」


 鞄を持って、マンションを出る。

 十分も経たないうちに汗が流れ出て、シャツに染みを作る。車が走る音に混じって聞こえてくる蝉の声のせいで余計に暑くて、鬱陶しい。


 ビルの影に逃げ込んで、足を止める。


 そう言えば、仙台さんの家は私の家からそう遠くなかった。目的地が一緒なら、乗る電車も同じかもしれない。

 彼女の姿を探すつもりはないけれど、周りを見てしまう。


 いるわけないじゃん。


 いつもは乗らない電車に乗るために改札を通る。蒸し暑いホームの上にもそれほど涼しくない車内にも、見慣れた顔はなかった。


 いくつかの駅を通り過ぎて、電車を降りる。駅の中、待ち合わせ場所に指定したヘンテコな像の前へ向かう。けれど、ヘンテコな像に近づく前に私は仙台さんを見つける。


 遠目にも仙台さんだとわかるその人は、私の家に来る仙台さんとは服装も雰囲気も違っていた。


 彼女が着ているロングスカートにノースリーブのシャツはどこにでもあるような服で、特別変わった服じゃない。でも、よく似合っているし、容姿のせいか目立っているように見える。


 待ち合わせをしていなかったら絶対に声をかけたりしないタイプで、待ち合わせをしていても声がかけにくい。クラスにいたら仲良くなったりしないし、同じグループに属することはないと言い切れる。二年になったばかりの頃、こういう関係になる前に感じていた印象に近い仙台さんだ。


 でも、声をかけないわけにもいかない。

 ため息を飲み込んで三歩足を前に出すと、仙台さんと目が合う。私が近寄る前に彼女の方から私に近づいてきて、「宮城」と手を振った。


「ごめん。待った?」


 待ち合わせの時間に遅れたわけじゃない。約束の時間までにまだ十分くらいはあるから謝る必要はないけれど、友だちなら謝っておいた方がいいだろうと一応謝る。


「予備校から直接来たら、ちょっと早く着いちゃって」


 何分待ったかは知らないが、気にしないでと仙台さんが笑う。そして、上から下まで私を見てから言った。


「宮城、あんまり家にいるときと変わらないね」

「変える必要ないから」

「そっか」

「仙台さんは、いつもそういう感じなの?」


 この前、茨木さんと一緒にいる仙台さんを見かけたときは、距離が離れていたからかもしれないが今とは少し雰囲気が違って見えた。


 なんとなく気になって尋ねてみたけれど、日によって服装が違うなんて珍しくないことで、聞くほどのことでもなかったと思う。でも、彼女はスカートをつまんでやけに真剣な顔をした。


「そうだけど変?」

「別に。なんとなく聞いただけ」

「ならいいけど。とりあえず行こっか」


 ふわりとスカートを翻して、仙台さんが歩き出す。目的地は言われなくても映画館で、駅の中を少し歩いてエレベーターに乗る。何階か上へあがってエレベーターを降りると、壁に貼られたポスターが目に入った。


「観たい映画ある?」


 ポスターを見ながら、仙台さんが尋ねてくる。


「一応」

「あるんだ。なに?」


 私は、家にある恋愛漫画が原作になっている邦画の名前を告げる。


「あー、あれかあ。羽美奈が観たいって言ってたんだよね」

「茨木さんが?」

「ヒロインの相手役の人、好きみたいでさ」

「そうなんだ」


 呟くように答えて、「仙台さんも好きなの?」と続けかける。でも、すぐにその言葉を飲み込んで、この場で最も自然な台詞を口にした。


「仙台さんは観たい映画あるの?」

「ある」


 そう言った彼女の口から聞こえてきたのは、この世の中で私が一番聞きたくない映画のタイトルだった。


「それ、観たいの?」

「夏向きでしょ。宮城はホラー大丈夫?」


 大丈夫じゃない。


 仙台さんが観たいという映画は、学校を舞台にした所謂B級ホラー映画だ。彼女は、こういう映画を観るタイプには見えない。そして、私はホラー映画はCMすら観たくない。


 この映画を観ると言うなら今すぐ回れ右をして家へ帰りたいくらいだけれど、仙台さんに観たくないと言ったらからかわれそうで言いたくない。


「……」

「あれ、宮城ってホラー駄目な人?」


 黙っている私に仙台さんが問いかけてくる。


「駄目っていうか、違う映画が観たい」

「あれだ。夜になったら、お化けが出るかもーってトイレに行けなくなるタイプだ」

「違う」

「違うなら、ホラー観る?」


 楽しそうに仙台さんが言う。

 こうなるから、観たくないと絶対に言いたくなかった。でも、このままホラーを観ることになっても困る。


「……幽霊なんかいるわけないけど、トイレから手が出てくるかもしれないじゃん」


 背後になにかいる。

 なにもいないことはわかっているけれど、一人で家にいるとそんな気がするときがあって怖くなる。そういうときは、トイレからなにかが出てきたっておかしくないと思う。


「宮城、親が帰ってくるの遅いんだっけ?」


 遅いどころか家にはあまり帰って来ない。けれど、そんなことをわざわざ言いたくなくて口をつぐんでいると、仙台さんがくすくすと笑いながら言った。


「いいよ、宮城が観たい映画で。夜、トイレに行けなくなったら困るもんね」

「馬鹿にしてるでしょ」

「そんなことないって。子どもみたいで可愛いなーって思ってるだけ」

「やっぱり馬鹿にしてるじゃん」

「してないって。ただ、宮城ってハッピーエンドが好きなんじゃなかったけ? これ、ハッピーエンドじゃないでしょ」


 私が観たい映画は恋愛映画で、原作の漫画ではヒロインが死ぬ。仙台さんが言うようにハッピーエンドとは言えない終わり方をするけれど、主人公は片想いをしていた男の子と結ばれるし、後味の悪い終わり方はしない。


 でも、今は映画の結末よりも仙台さんの記憶の方が気になる。


 確かに彼女の前でハッピーエンドではない恋愛小説をつまらないと言ったことがあるが、それは一度だけだ。


「よく覚えてるね」

「ネタバレされたから恨んでる」


 仙台さんが冗談か本気かわからない口調で言う。


「結局、最後まで読んだくせに」

「まあね。で、映画はハッピーエンドじゃなくてもいいの?」

「ハッピーエンドじゃなくても、好きなのはあるから」

「じゃあ、チケット買おう」


 私に微笑みかけて仙台さんが背を向ける。

 今日の彼女は、いつもよりも笑顔が多い。


 友だちだから。


 それが理由だとしても昨日とは違う仙台さんのせいで、私は映画が始まっても落ち着かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る