第270話

 一秒が長い。

 私の気持ちを聞いたのに、宮城が喋らない。


 こういうときの沈黙は良くないと思う。

 普段とは空気の流れが違って、宮城が黙っている時間が長いほど、私が口にした言葉の正しさが気になってしまう。


 さっき唇で触れた宮城の手を握る。

 私からなにか言うべきか迷う。

 言葉を探しながら繋いだ手に力を入れると、宮城がぼそりと言った。


「……ワニどけて」

「ワニってあれのこと?」


 ベッドの上で真っ直ぐになっているワニのティッシュカバーに視線をやると、「それ以外にワニいないじゃん」と返ってきて、繋いだ手がほどかれる。私は立ち上がり、ワニを床の上にいるカモノハシの隣へ置く。


「これでいい?」

「いいよ。あとカーテン閉めて」

「わかった」


 ティッシュカバーの役割を果たすことができないワニと、ティッシュカバーの役割を果たしているカモノハシの頭をぽんぽんと叩いてから、言われた通りにカーテンを閉める。

 電気が点いているから、部屋はまだ明るい。


「次はどうする?」


 問いかけるが、宮城はなにも言わない。

 眉間に皺を寄せ、ワニをじっと見ている。


 こういうときにする顔じゃないな。


 質問に対する答えを考えているだけということはわかるけれど、不機嫌そうにも見える顔はこれからする行為に相応しくない。宮城から「私がする」と言ってきたのだから、もう少し柔らかな顔をしても罰は当たらないはずだ。


「どうするの?」


 もう一度問いかけてベッドへ腰をかけると、宮城が私たちがすることに見合わない顔をこちらへ向け、小さな声を出した。


「服、脱いで」

「いいけど、私だけ?」

「仙台さんだけ」

「宮城も脱ぎなよ」

「やだ」


 服を脱ぐのは私だけ。

 いつもそうだ。

 彼女は私だけを脱がそうとする。


「こういうときって、二人とも脱ぐものじゃない?」


 立ったまま動かずにいる宮城の足を蹴る。


「脱がなくてもできるじゃん」

「じゃあ、私も脱ぐ必要なくない?」

「仙台さんは脱いで」


 きっぱりと言われる。

 宮城には嫌だという権利があるが、私にはない。


 嫌なことがあったら嫌だと言って、と彼女から告げられたこともあるけれど、こういう場面で嫌だと駄々をこねても良いことが起こらないことは知っている。宮城の言葉を否定するようなことを言い続ければ、彼女はもういいだとか、部屋に戻るだとか言って、私の前から消えてしまうに違いない。


 だったら、することは一つだ。


 私は立ち上がり、宮城が望む通りにニットとスカートを脱ぐ。


「これも」


 キャミソールが引っ張られ、私はそれも脱ぐ。でも、宮城は納得しない。


「まだ脱ぐものあるじゃん」


 言われると思っていた言葉が聞こえ、床へ落とした服に視線をやると、畳まずに置いたそれがやけに生々しく見えた。これからすることを強く意識せずにはいられない。


「脱ぐのは服だけじゃなかった?」

「覚えてない」


 一瞬でわかる嘘が聞こえてくるが、言った、言わないで言い争っても仕方がない。


「宮城が脱がせてくれるって選択肢は?」

「ないから、仙台さんが自分で脱いで」

「前は脱がせてくれたよね?」


 罰ゲームと称して、たくさんの印を体に付けられたとき、宮城は今と同じように服を脱げと私に命じた。そして、下着だけになった私のブラを外した。


 あのときと今日が重なる。

 だったら、今も脱がしてくれたらいいと思う。


 私がすると宮城が言って、正しい手順を踏んで、ここまできた。相手の服を脱がすことだって正しい手順の一つのはずだ。けれど、宮城は私の言葉を受け入れない。


「自分で脱いで」


 硬い声が聞こえてきて、小さく息を吐く。


「さすがに電気消さない?」

「なんで今さらそんなこと言うの? 明るいところで脱ぐの初めてじゃないじゃん」

「そうだけど、今日はちょっと」


 ――恥ずかしい。


 いや、今までだって恥ずかしくなかったわけではないけれど、今日はこれまでとは違う。


 初めて宮城とこういうことをしたとき、上るべき階段を三つも四つも飛ばしたような気がした。そのあとの私たちも、階段をいくつも飛ばして先へ進んできたと思う。でも、今日は一段、一段飛ばすことなく上がっている。


「仙台さん」


 小さな声で呼ばれる。

 私が嫌だと言わない限り、必ずこの先に宮城が望み、私も望んだことが待っている。それは不確かな未来ではなく確実な未来だ。


 早く先へ進みたいと思う。

 でも、心臓がうるさすぎる。


 わざわざ正しい手順を踏んでこういうことになっているから、いつもなら熱情で溶ける理性が溶けてくれない。宮城の正しさが私の理性をコーティングして体の中に留めようとしてくる。


 宮城の手がブラのストラップに触れる。

 指先が押しつけられるけれど、そこから手は動かない。

 ずらすようなことはしないし、ホックを外すようなこともしない。ただ催促するように私を見てくる。


 こういうとき、理性は邪魔だ。


 今までできたことができなくなる。

 宮城の目の前で自分だけが裸になることに抵抗がある。


「今日、積極的だよね。……なんで?」


 私は答えが返ってこないであろう質問をする。

 今までとは違う状況を受け入れるための時間がほしい。


「なんででもいいじゃん」

「気になる」

「気にしなくていい」

「理由ないの?」

「……私だって、こういうことしたいって思うことくらいある」

「え?」


 今、なんて言った?


 聞こえてきたのは、宮城の口から絶対に出てこないような言葉だった。


「宮城、今の――」

「仙台さん、うるさい。早く脱いでよ」


 耳を疑う言葉について聞きたかったけれど、機嫌が良いとも悪いとも言えない声で遮られてしまう。結局、私は「うん」と答えるしかなくなって、小さく息を吐いて、吸って、宮城の顔を見ないようにして、自分でホックを外してブラを取った。


「これでいい?」


 返事がないけれど、露わになった胸に視線を感じる。

 彼女はこういうときに遠慮をしたりしない。


「……あんまり見ないでほしいんだけど」


 足元で重なっている服の上にブラを落とす。

 胸に注がれる視線から逃げるように、宮城に体をぺたりとくっつける。


「見たい」


 肩を押されてくっついた体が離れかけ、私は宮城を抱きしめた。


「見たいって、なんで?」

「仙台さん、綺麗だから」

「食べ過ぎでお腹出てるし、綺麗じゃないよ」

「仙台さんはいつだって綺麗じゃん」


 こういうときだけさらりと綺麗だなんて言い出すから、本当に宮城はわからない。普段は私を褒めたりしないのだから、なんでもないことのように流してくれたらいいのにと思う。けれど、宮城が私を褒めるというシチュエーションは、それほど悪いものではなくて頬が熱い。


「……それはどうもありがとう」


 小さく答えると、宮城の手が私の腰を撫でる。するりと手が滑って私を覆う最後の布に触れてくるから、自分からくっついた体を押し離す。


 上も下も、全部。

 脱いで宮城に見せたら、心臓が壊れてしまうかもしれない。


「宮城。この紐、邪魔になりそうなんだけど。これだけでも脱がない?」


 誤魔化すようにパーカーの紐を引っ張ると、宮城があからさまに不機嫌な顔をする。


「やだ」

「人をこれだけ脱がしたんだから、少しぐらい譲歩しなよ」


 もう一度紐を引っ張ると、宮城が仕方がないという顔をしてパーカーを脱いだ。ついでとばかりに彼女のカットソーを掴んで「これも脱ぎなよ」と言うと、低い声が聞こえてくる。


「パーカーだけって言ったじゃん。仙台さんは、大人しくベッドに横になって」


 宮城が足首を蹴ってくる。仕方なく布団をめくってベッドの上に座ると、なにも言わずに電気が消される。


「……なんか明るい」


 宮城が不満そうに言う。


「そうだろうね。外、明るいし」


 外の光を遮るという謳い文句付きのカーテンではあるけれど、部屋は真っ暗にはならない。閉めたカーテンの隙間から、窓の向こうの光が入り込んでいる。


 だから、私は、まだ恥ずかしい。


 でも、自分が触れられるわけでもないのに、見られたくないと言って私に目隠しをしてきたことがある宮城は、こういうときに限ってタオルを出してと言わない。


 宮城に見られていてもタオルで自分の視界が奪われていれば、恥ずかしさが暗闇に紛れそうなのに、彼女はなにも言わずにベッドの上へ来て、私を押し倒す。


「……キスしてもいい?」


 宮城が静かに言って、私の唇を撫でる。いいよ、と言う代わりに私からキスをすると、ベッドに貼り付けるように肩を強く押された。


「私からする」


 断言されて、宮城の頬に触れる。黙って目を閉じると、柔らかなものが唇に触れる。


 一回、二回。


 ついばむようにキスをされ、耳を囓られる。

 いつもするように思い切りではなく柔らかく。

 そっと。


 耳たぶから宮城の体温が伝わってきて、気持ちがいい。生暖かいものが押しつけられて、耳が湿っていく。宮城が息を吸って吐く音が聞こえて首筋がむずむずする。


「宮城、くすぐったい」

「やなの?」

「やなわけじゃないけど」

「じゃあ、いいじゃん」


 そう言うと、宮城が耳ではなく首筋に噛みついてくる。

 皮膚にぐっと歯が食い込む。

 柔らかな唇と硬い歯の感触に気持ちがいいのか痛いのかわからなくなる。


 優しくするならずっと優しくしてくれればいいのに、唐突に普段の宮城に戻られても困る。こんな風に緩急をつける意味がわからない。


 首筋に感じる強さと同じ力で宮城のカットソーを掴む。


 脱いでくれたらいいのに、と思う。


 宮城を覆う服は、彼女と私の間にいくつかある壁と同じだ。私を受け入れてくれてはいるけれど、すべてを許してくれているわけではない。私が宮城のものになったように、宮城も私のものになってくれとは言わないけれど、もっと私を許してほしい。


「宮城」


 小さく呼ぶと、食い込んでいた歯が離れて、跡がついているだろう場所にキスが落とされる。そして、舌が這う。


「これ、脱いで」


 伸びそうなくらいカットソーを引っ張る。


「やだ」


 宮城が短く答えて、首筋に唇を押しつけてくる。

 キスが何度も繰り返されて、鎖骨の少し上に吸い付いてくる。

 私はカットソーの上から彼女の肩を撫でる。


 あとどれくらい時間をかけたら、宮城はこの服を脱いでくれるんだろう。


 彼女が印をつけている部分と同じ部分を触りたくて、手を動かすと、手首を掴まれる。邪魔だというようにベッドの上に置かれ、押しつけられる。


 手の行き場がない。

 ぎゅっとシーツを握って、離すと、宮城が馬鹿みたいに丁寧に印をつけはじめる。


 首と肩の境目、胸の少し上、たくさんの跡がつけられて、宮城で埋め尽くされていく。小さな痛みと唇から伝わってくる体温に気持ちが引っ張られて、理性を強固なものにしていたコーティングがぽろぽろと剥げ落ちる。


 手を伸ばして、宮城の髪を梳く。

 さらさらしていて気持ちがいい。


 指先に纏わり付く髪をぴっと引っ張ると、宮城が顔を上げた。


「触ってもいい?」


 静かに、でも、はっきりと聞いてくる。


「どこ?」

「ここ」


 私を見たまま、宮城が指先を滑らせ、胸の先にぴたりとくっつける。


 もう触ってるじゃん。


 そんな簡単な言葉が出てこない。

 宮城の指先が触れている部分は、私が意識しないようにしていた場所で、そこは人に見せたくないようなことになっているはずだ。

 私はぎこちなく体を動かして、胸の先にある宮城の手を掴む。


 部屋を覆う薄闇は視界をモノクロに近づけているけれど、私から彼女の顔が見える。と言うことは、宮城からも同じように私が見えているということで――。


 体の変なところに力が入る。

 正しい行為は良くない行為だ。

 宮城を変に意識してしまう。


「仙台さん、触りたい」


 ぼそぼそと宮城が言う。

 彼女なりに、私を大切に扱ってくれているということはわかる。でも、確認することが人を大切に扱うことのすべてではない。わざわざ確認されたくないこともある。


「全部確認しなくていいから。宮城のしたいことして」

「なんで聞かなくていいの?」

「聞かれるの、恥ずかしいから」

「いつも平気そうなのに?」

「平気じゃないし、いつも恥ずかしいから。だから、聞かないで好きなことしなよ。止めないから」

「……どこ触ってもいいの?」

「いいよ」


 小さく答えると、宮城と目が合う。

 白と黒ばかりの部屋の中、宮城の瞳がより濃く見える。


 髪が邪魔だと思う。

 今の私はあまり見られたくない私だけれど、宮城のことはもっとよく見たい。


 手を伸ばして、さらさらとした髪を耳にかける。頬を撫でて、みやぎ、と呼ぶと、鎖骨の下に手がぺたりとくっついた。


 ゆっくりと肌の上を滑って、胸を覆う。

 意識が一点に集まる。


 宮城の手のひらに硬くなったものが当たっているはずで、息が止まりそうになる。首筋に熱いものがくっついて吸われる。手が感触を確かめるように緩やかに動き、宮城の服をまた掴む。


 ――こんなに気持ちが良かったっけ。


 されていることは、この前、宮城にされたときとそう変わっていないはずだ。でも、この前以上に気持ちがいい。


 あのときは、どうだった?


 呆れるほど反芻しているのにはっきりと思い出せない。


 宮城が私に触れたときのことも、私が宮城に触れたときのことも、すべて記憶していると思っていたのに探し出すことができない。正しい記憶にねつ造した記憶を混ぜたことが良くなかったのかもしれない。


 私が作り出した宮城と、今ここにいる宮城がごちゃごちゃになってしまっている。


「仙台さん」


 耳元で声が聞こえて、息を呑む。

 宮城の指先が胸の中心を撫でてくる。

 明らかに変化しているそこを強く押されて、勝手に体がびくりと動く。吐き出す息が震える。


「まって」


 宮城は答えないし、待ってはくれない。

 胸の先に唇が触れる。

 猫が毛づくろいするように丁寧に舐められて、噛まれる。


「んっ」


 声が漏れて、唇を噛む。

 これまで恥ずかしくても平気だったことができなくなっている。


 宮城に触れてもらえるなら声くらい聞かれても良かったはずなのに、今は声を聞かせたくない。あんなに溶かしたかった理性を固めて、私の中につなぎ止めておきたいと思う。消えてなくなってしまったら、自分がどうなるかわからない。


 舌先が押しつけられて、歯が当たる。

 強く吸われて、思わず宮城の肩を掴む。


「ちょ、っと」


 してはいけないことではないし、してほしかったことだけれど、気持ちが追いつかない。


 呼吸が浅くなっていく。

 吸って、吐いて、吸う。

 意識して整える。


 コーティングが剥げた理性はどろどろに溶けようとしていて、役に立たない。


「みやぎ」


 掠れた声が出て、また唇を噛む。

 声を出したくない。

 でも、宮城を止めたい。


「や、めて」


 聞こえているはずなのに、彼女の唇は胸に同化したままで離れない。肩を強く掴むと、宮城が顔を上げた。


「……仙台さん、どこ触ってもいいって言ったじゃん」

「なめてもいいとは、いってない」


 宮城が「うそつき」と低い声で言って、さっきまで唇をくっつけていた部分を指先でゆるゆると撫でてくる。


「みやぎ、やだってば」


 マズいと思う。

 宮城の触れている部分にだけ神経が集まっている。

 感覚が何倍にもなって、気持ちの良さが増幅されている。


「なんで、そ、こばっか」


 宮城は答えない。

 指先が動き続け、私の唇からは聞かせられないような声が漏れる。


 気持ちが良くなる行為をしているのだから、これは正しい反応だと思う。でも、私の体は反応しすぎている。ずっと宮城とこういうことをしたかったからと言って、胸を触られているくらいでこんなにも気持ちが良くなっていいわけがない。


 そう思うけれど、走り出した体は自分の意思ではどうにもできない。


 体の奥が熱い。

 もっと触ってほしいところがある。

 私は胸の上にある手を掴んで、無理矢理止める。


「も、そこはいいから」

「なんで?」

「さきにすすんで」


 耳元で囁く。


「先って?」

「わざときいてるの?」


 掴んだ手を肋骨の下辺りに置く。

 ぎゅっと押して、そのままもう少し下へとその手を滑らせる。


 してほしいことはどうしてもしなければならない行為ではないけれど、できれば何度でもしたい。宮城と数え切れないほど、飽きるくらいにしたいと思っている。


 それはこの行為がルームメイトはしない行為だからだ。


 ルームメイトであることを望む宮城が、ルームメイトはしないことをしてくれる。それは私にとって大きな意味がある。


「……もっときもちよくしてよ」


 宮城に聞こえるように、でも、それほど大きくはない声で告げる。返事はないけれど、手がゆっくりと下着の中に入ってくる。自分のそこがどうなっているかはわかっているから、宮城に顔を見られたくはないが、視線はそらさない。目をつぶったり、視線を外したりしたら、私に触れる宮城のことを見ることができなくなってしまう。


 体に張り付いている下着を剥がすようにして、宮城の指が足の間に滑り込む。そして、触れてほしかった部分に指先が届き、ゆるゆると動き出す。


「きもちいい?」


 掠れかけた声が聞こえてくる。


「う、ん」

「……自分でするより?」


 体の中で溶けた理性が宮城の指に導かれるように流れ出てくる。私から溢れ出たものは宮城を汚し、指先の動きを滑らかにする。


「みやぎがいい」


 私の言葉に反応するように、指が強く押し当てられる。


 唇を噛むより先に声が漏れ出る。


 宮城だけにしか許さない場所に宮城の体温があると、私に好意を持っているはずなのに、まったくそれを見せてくれない彼女の好意を感じられる。


 これが誰にでもするようなものではなく、私にしかしない行為のはずだからそう思う。


「みやぎ」


 服を掴んで呼ぶ。

 宮城の呼吸が少し早くなる。

 唇が首筋に押しつけられ、耳を囓られる。

 どろどろとした欲求が溢れ出て、宮城の指先が濡れていく。


 私たちは誰にも見せない自分を見せている。


「……しおり」


 小さく呼ぶと、目が合って、色がはっきり見えないのに彼女の頬が赤くなっているとわかる。私は「かわいい」と告げる。


「そういうこと、いわなくていい」

「かわい、い」

「だまってて」


 そう言うと、宮城の指先が滑り降りて、強く擦り上げてくる。腰が跳ねそうになって、シーツを掴む。硬くなった体をほぐすように、宮城の体温がゆっくりと下へと向かって止まり、またぎこちなく動き出す。そして、なにかを探すように、迷うように彷徨い続ける。


「いいよ」


 宮城の腕を引っ張って告げる。


「……なにが?」


 うろうろとしていた指先が止まる。


「みやぎのしたいこと、してもいいよ」


 指先が躊躇っているもの。


 それは私の体の中へ入るという行為で、それは私が決して止めることのない行為だ。でも、指先は止まったままで動かない。


「わたしは、みやぎのものなんだから。――わたしのことぜんぶ、たしかめなよ」

「ぜんぶ?」

「そう、ぜんぶ。わたしがみやぎのものだっておしえてよ」


 宮城が、ふう、と小さく息を吐く。

 いいの、と問いかけられて、腕をまた引っ張る。


 そろそろと指が動き出し、ゆっくりと、触れると壊れてしまうものでも扱うように慎重に、私の中に宮城の体温が入り込んでくる。自分に自分ではないものが混じる感覚に、体が引っ張られて呼吸が上手くできなくなる。


 吸って、吐く。

 そんな単純なことが難しく感じる。


 宮城の顔を見る。

 なんだか難しい顔をしているようにも見えるし、高揚しているようにも見える。よくわからない。ただ、宮城が私を見ていることは確かで、それが嬉しい。


 私のものではない体温は、焦れったいほどにゆっくりと奥へと向かい続け、私の体は異物でしかないはずの宮城を呆れるほどあっさりと受け入れる。


 もちろん、私ではないものに対する抵抗はある。体が違うものだと認識している。私ではない宮城が、私に入り込むことで、私と宮城は他人で、でも、誰よりも近くいるとわかる。私と宮城の境目がどんどんと曖昧になっているのに、どこまでいっても私は私で、宮城は宮城だ。けれど、だからこそ、宮城との繋がりを強く感じる。


「みやぎ」


 確かめるように呼ぶ。

 野良猫のような宮城は、隙間だらけだった高校生の私にそっと入り込み、ゆっくりと馴染み、私を私にしてくれた。彼女がいなければ、私は作り笑いばかりのモノクロの世界で生きていたと思う。


 だから、宮城を離したくない。


「だいじょうぶ?」


 不安そうな声が聞こえて、宮城に視線を合わせる。

 目がそらされて、でも、すぐにまた私を見てくる。

 返事をするよりもよくわかるように、宮城の背中に手を回して彼女を抱きしめる。


 私と混じり合っているものがどの指かはわからない。

 ただ、気持ちがいい。

 そう伝えたい。


「……ちゃんとできてる?」


 頼りない声に「み、やぎ」と呼びかける。

 ちゃんと、とか、できているとか。

 そういうことは関係ない。

 宮城がしてくれればなんでもいい。


「もっ、と」


 して。

 ずっと。

 壊れるくらいに。


 そう思うのに、加減を知らないはずの宮城が静かに指を動かす。


 宮城と深く混じり合っている部分は、私より正直で、宮城を捕まえて離さない。もっと混じり合いたいと伝えている。


 今以上に、宮城にあげたいと思う。

 今以上に、宮城に知ってほしいと思う。


 私は嫌になるほど貪欲で、嫌になるほど宮城を求めている。

 緩やかに体温が近づき、遠のく。

 私の中に留めておけない感情が溢れ出て、宮城を汚す。


 体の外で宮城の指先が、神経が集まり鋭敏になりすぎた部分に触れる。


 呼吸の仕方がわからない。

 息が苦しい。

 体の中も外も宮城が触れている。


 背中に爪を立ててどれだけ気持ちが良いか伝えようとするけれど、宮城が爪を切りすぎたせいで上手くいかない。私は爪を立てられない分、過去に宮城がしたように彼女の首筋に歯を立てる。


 強く、強く、跡が一生残るくらい強く。


「いた、い」


 宮城が苦しげに言って、手を止める。

 人に跡を残すことしか考えていない宮城は本当に馬鹿だ。


 彼女は、私に触れられたときに自分がしたことを思い出すべきだ。歯を立て、爪を立てた自分がどういう状況だったのかを。


「も、おわりに、して」


 耳元で囁いて、耳たぶをプルメリアのピアスごと甘噛みする。舌先でピアスに触れると、宮城の指が強く押し当てられる。


「せんだいさん」


 心地の良い声が鼓膜を震わせる。

 宮城が私と深く繋がる。

 勝手に動きそうになる体をなだめすかして、懇願する。


「もっと、よんで」


 小さな声で仙台さんと呼ばれる。


 葉月。


 そう呼んでほしいけれど、口にだす余裕がない。


 仙台さん、と繰り返し呼ばれて、体の奥から熱の塊が引きずり出される。気持ちが良くて、苦しくて、早く解放してほしくて、宮城をぎゅっと抱きしめる。


 体の中心にある体温が強く交わる。


「し、おり」


 このベッドで呼ぶことのある名前が無意識のうちに口から出て闇に消え、床に転がるワニのように体からくたりと力が抜けた。


 ぼんやり、と。

 数分間。

 呼吸を整える。


 薄暗い部屋の天井から隣で横になっている宮城に視線を移して、彼女の服を引っ張る。


「仙台さん、伸びる」

「伸ばされたくなかったら、ハグして」


 私のしたいことではあったけれど、宮城の好きにさせた。

 だから、これくらいの我が儘は許されると思う。


「……手、汚れてるから」

「いいよ」

「良くない。仙台さんが汚れる」

「私が汚したんだから気にしなくていい。自分に返ってくるだけだし」


 どうせ、体は汚れている。

 べたべたして、どろどろして、気持ちが悪い。

 けれど、宮城がくれたものだから拭おうとは思えない。


「でも」


 私は宮城の手首を掴んで、汚れた指先にキスをする。


「仙台さんっ」

「いいじゃん、宮城のじゃなくて私のなんだから」

「良くない」


 宮城が私を押し離そうとして、その手が私の胸元にくっつく。ぬるりとしたものがべたりとついて、宮城が「あっ」と間の抜けた声を出した。


「気にしなくていいから」


 汚れた手を掴んで引き寄せると、宮城が私の肩に額をくっつけてくる。


「……葉月は私のものなんだよね?」


 滅多に呼ばれない名前を呼ばれて、息が止まりかける。


「そうだよ」


 何度も聞かれた質問にいつものように答えるけれど、これだけ深く繋がっても私が宮城のものだと証明することはできない。だから、宮城も何度も聞くのだと思う。


 手っ取り早く私が宮城のものだと証明するなら、周りの人に「仙台葉月は宮城志緒理のものだ」と言って回ればいい。宇都宮にも、澪にも、それ以外の人にも。私が宮城のものだと知れば、その人たちは「仙台葉月は宮城志緒理のものだ」と扱うはずで、そういう人が増えれば私が宮城のものだという事実が積み上がっていく。


 認識が関係を強固にする。


 けれど、ただのルームメイトでしかない私たちがそういう方法を取ることは許されない。


「こういう仙台さん、誰にも見せないで」


 呼び方が元に戻る。


「うん」

「あと、誰とどこにいてもいいけど、私のものだってこと忘れないで」

「うん」


 宮城の服を掴む。


 彼女を包むオブラート。

 私と彼女を隔てているもの。


 たぶん、こういう行為だけを繰り返してもそれを取り払うことはできない。


 好き、と一言言えたら、私たちにまだある隙間を埋めることができるのかもしれないけれど、オブラートが画用紙や鉄になる可能性だってある。


「宮城、かわいい」


 好き、と伝える代わりに目の前の光景を正しく伝える言葉を口にする。


「うるさい」


 べたついた手が私を押す。

 だから、私は宮城が遠く離れてしまわないようにぎゅっと抱きしめた。

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