第156話
宮城は肩をくっつけてきたけれど手は繋いでくれなかったから、私から繋ぐ。
文句を言われることはなく、手を繋いだまま映画を観る。
触れ合う部分を増やしたくなるけれど、余計なことをしたらくっついている肩も繋いでいる手も離れてしまうだろうから、大人しく画面を見続ける。
映画はよくある恋愛もので、つまらなくはないが面白いというにはなにかが足りない。それでも宮城はなにも言わずに観ているから、私も同じようにタブレットの中で動き回る人たちを見る。気がつけば雷のゴロゴロという音も消えていて、時間が静かに過ぎていく。
「これ終わったら他になにか観る?」
エンドロールへと近づいていく画面を見ながら問いかける。
けれど、返事がない。
隣を見ると、まばたきというには長すぎるほど瞼が閉じていた。二時間近く映画を観ているから、眠たくなってもおかしくはない。
そろそろ宮城を寝かせた方がいいと思う。
でも、この部屋で寝るとしたら私のベッドしかないし、宮城が素直にベッドを使ってくれるとは思えない。もう寝たらなんて言ったら、部屋に帰ってしまいそうだ。
できれば、声をかけたくない。
まだこの部屋にいてほしい。
かといって、このまま眠そうな宮城を放っておくわけにもいかない。
「宮城、眠いなら寝ていいよ」
空いている手をタブレットに伸ばして画面に触れると主人公が変なポーズで止まって、隣から眠たそうな声が聞こえてくる。
「大丈夫」
「半分寝てるじゃん」
「寝てない。起きてる」
「映画、最後まで観られる?」
「……部屋に戻る」
思った通りの答えが返ってきて、私は宮城が立ち上がる前に繋いだ手に力を入れた。
「約束ちゃんと覚えてるから、ベッド使いなよ」
「いい。自分の部屋で寝る」
眠そうだった宮城がはっきりと言う。
ここで眠りたくない気持ちはわからないでもないけれど、帰したくもない。どうすれば宮城がここにいてくれるのかわからなくて、繋いだ手にもっと力を入れる。
「……仙台さんの“今”っていつまで?」
ピアスに誓った『変なことはしない』という約束には“今”という前置きをつけたけれど、宮城は“今”を曖昧なままにしておいてはくれないらしい。
答えを間違えれば宮城はこの部屋から出て行ってしまうだろうから、慎重に言葉を選ぶ。
「宮城がこの部屋から出て行くまで」
繋いでいた手が逃げていく。
でも、宮城は立ち上がらない。
「私は映画観てるから」
言葉を付け加えると、隣から小さな声が聞こえてくる。
「いつまで?」
「朝まで」
「……ベッド借りる」
ぼそりと言って、宮城が背もたれにしていたベッドに横になる。
私は照明を落として、常夜灯をつける。
タブレットにイヤホンをさして、再生ボタンを押す。変なポーズで止まっていた主人公が動き出して、物語もエンドロールへ向かって動き始める。でも、後ろにいる宮城が気になってストーリーを追うことができない。映画は流れているだけだ。意識のほとんどは背中にあって、体を動かすこともできない。
気にしたら駄目だ。
そう思うけれど、上手くいかない。
背中の筋肉がぴりぴりする。
息を小さく吸って、ゆっくりと吐き出そうとしたところで、背中になにかが当たる。イヤホンを外して振り返ると、当たったものは私の枕で、もう寝たと思っていた宮城がベッドに座っていた。
「仙台さん」
「なに?」
「本当に約束覚えてる?」
確かめるように宮城が言う。
「大丈夫。覚えてる」
彼女が少しでも安心して眠れるようにはっきりと告げると、小さな声が聞こえてくる。
「……ベッド半分使えば」
「使えばって、宮城流に言うとこの部屋は私の陣地なんだけど」
「でも、ベッドは私の陣地だから」
「なんでそうなるの」
思わず聞き返すと、宮城が枕で私を叩いた。
「仙台さん、使っていいって言ったじゃん。だから、ベッドは私の陣地で、私が仙台さんに半分貸してあげるの」
使っていいと言ったベッドは、いつの間にか所有権が宮城に移っていたらしい。
ただ、ベッドの所有権なんて些細なことだ。そんなことよりも、宮城の隣で寝ることが許されたことに驚く。
「ほんとに半分使っていいの?」
「嫌なら映画観てれば」
宮城が素っ気なく言って、背中を向けて横になる。
「私も寝る」
タブレットの電源を切る。
ベッドは壁側の半分を宮城が使っていて、私は空いたスペースに入り込む。
「なんか狭い」
すぐに隣から不満そうな声が聞こえてくる。
半分使っていいと言ったくせに文句を言ってくるところが宮城らしいけれど、納得がいかないとも思う。
「シングルベッドだしね。ダブルベッド買おうか?」
「買わなくていい。もうここで寝ないし」
目が覚めたのか、随分としっかりした声が聞こえてくる。
「じゃあ、これから毎晩怖い話しようかな」
「そんなことしたら、仙台さんと一生口きかない」
「冗談だって」
すぐに前言を撤回するが、宮城が背中を丸めて掛け布団を思いっきり引っ張ってくる。必然的に私の体から布団がなくなる。寒いどころか少し暑いくらいだから掛け布団がなくてもかまわないけれど、宮城の背中が布団に埋もれて見えなくなってしまうのはつまらない。
どうせなら布団を見ているよりも宮城の背中を見ていたいし、触りたい。もっと言えば、布団もスウェットもめくって、その中に手を入れて、宮城に直接触れたいと思う。
でも、約束を破ることはできない。
ピアスに誓った約束を破ったら、宮城は本気で怒るはずだ。
それでもどこかに触れたくて、私は布団を少しめくって宮城のスウェットを掴む。
「仙台さん、寝ないの?」
低い声が聞こえてくる。
「まだ寝ない。宮城、こっち向いて」
「なんで?」
「キスしたい」
宮城が許してくれないであろう言葉を口にする。
「今はやだ」
思った通りの言葉がすぐに返ってくるけれど、思っていたよりも柔らかい否定で、私はスウェットの上から背中にそっと触れた。
「宮城のけち」
「けちでいい」
宮城が私の方を向く気配はない。丸まったままの背中を指先でトンと叩くと、宮城が「仙台さん」とやけに真面目な声で私を呼んだ。
「なに?」
「……ピアスって」
そこで言葉が途切れる。
「ピアスがどうかした?」
「意味があるの?」
宮城が耳を澄まさなければ聞き逃しそうな声で言う。
「意味って?」
「ピアス、プルメリアの花がモチーフになってるんでしょ?」
質問に質問が返ってくる。
「そうだよ」
「花言葉調べた」
「なんて書いてあった?」
「……気品とか、内気な乙女」
「宮城にぴったりじゃん」
「そんなこと思ってないくせに」
不機嫌そうな声が聞こえて、私は背中に置いた手を離して息を吐く。
宮城がプルメリアの花言葉を調べるかもしれないと思っていた。だから、花言葉そのものは大きな意味を持っていない。
「ピアスは約束を忘れないようにするためのものだし、それ以上の意味なんてないから気にしなくていいよ。それともなにか意味があった方が良かった?」
「……なくていいけど」
ぼそりと言って、宮城が黙り込む。
私は彼女がそれ以上追求してこないことに胸を撫で下ろす。
宮城は間違っていない。
本当のことを言えば、ピアスには意味がある。
正確に言えば、その意味は花言葉ではなく、プルメリアをモチーフにしたアクセサリー自体にある。
大切な人の幸せを願う。
宮城の耳についているピアスにはそういう意味がある。
小さな花のピアスが気に入っていろいろ調べているうちに、プルメリアをモチーフにしたハワイアンジュエリーが持つ意味に辿り着いて、宮城の耳を飾るものとして選んだ。
でも、宮城には意味があるものだと知られたくない。
「お守りみたいなものだと思っておきなよ」
なんでもないことのように言って、奪われたままになっていた掛け布団を引っ張って自分の体にかける。
ピアスに込めた意味は私だけが知っていればいい。
意味を知ったら、宮城は絶対に身につけてくれない。彼女が意味に気づいたとしても、知らなかったと誤魔化すつもりではあるけれど。
「宮城、眠かったんでしょ。そろそろ寝なよ」
「仙台さんも寝なよ」
「言われなくても寝るから」
ピアスが持つ意味を知って、考えたことがある。
私は私を好きにならない宮城は許せるけれど、私以外を好きになる宮城は許せない。
今、宮城に好きな人がいるようには見えない。
もし、誰かを好きになるなら私であるべきだと思う。
でも、もしも、いつか、宮城が私以外の誰かを好きになることがあったら。
彼女の幸せを願えるほど私の心は広くない。だから、私が宮城の幸せを願えないときには、私の代わりにピアスが宮城の幸せを願ってくれたらと思う。同時に、プルメリアの花言葉のように、誰かを好きになっても告白する勇気がない内気な宮城であればいいと思っている。
私は、宮城のスウェットを引っ張る。
「おやすみ」
小さく告げると、「おやすみ」と小さな声が返ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます