第251話
一人でしてるところを見せて。
あのまま命令し続ければ仙台さんは本当にしてくれたと思うけれど、本当に目の前でされたら困る。
大体、しているところを実際に見たかったわけじゃない。
私が望んだ仙台さんは、嫌だと抵抗したり、できないと困ったりする仙台さんなのだから、素直に一人ですると言われるとどうしていいのかわからなくなる。
「宮城」
ペンギンを抱えた仙台さんが小さく私を呼ぶ。
お正月に手に入れた“仙台さんに命令する権利”は消費してしまったから、私はもうこの部屋には用がない。だから、自分の部屋へ戻るべきだ。このままここにいたら余計なことを言ってしまいそうだし、言われるに違いない。わかっているけれど、動くことができない。
ベッドの上、ぬいぐるみのペンギンが羽ばたく。
正確に言えば、仙台さんがペンギンの手、いや、羽根をパタパタと動かしている。
「ほんとにしないの?」
ベッドの上から降ってきた声に「しない」と返すと、ペンギンが私に向かって飛んできて慌ててキャッチする。
「危ないじゃん」
カモノハシの隣にペンギンを置きながら文句をぶつけるけれど、返事はない。代わりに彼女は静かにベッドから下りてきて、私の隣に座った。断りもなく手が重ねられ、当たり前のように顔が近づいてきて、私は彼女の肩を押す。
「仙台さん、やだ」
「キスするくらいいいでしょ」
「良くない。絶対に変なことするもん」
首筋に触れてくる手を剥がして、仙台さんを睨む。
「変な命令した宮城が悪い」
「変な命令だったとしても、もうしなくていいって言ったんだから、さっきので終わり」
「誘ってるみたいなこと言うから、こんなことになるんでしょ」
「誘ってない。命令しただけじゃん」
「宮城がそう思ってても、私はそう思えない」
聞こえてきた不満を隠さない声を追いかけるように仙台さんの指先が私の唇に触れ、ゆっくりと撫でる。唇を辿る指は、彼女が選んだ新しいリップを私が使っているか確かめているようで、私は指先に強く歯を立てた。
「痛い」
「変なことしたから痛くした」
噛んだ指を解放して、仙台さんをペンギンでぽすんと叩く。
「ほんと、宮城って酷いよね。キスマークつけたり、変な命令したりするくせに、中途半端なところで止めてすぐに私のことを放り出す。たまには責任取りなよ」
「責任ってなに」
「新しい約束しようよ」
耳元で仙台さんの声が聞こえる。
吹きかかる息がくすぐったくて、自分の手をぎゅっと握る。
彼女がなにを言っているのかはすぐに理解できた。
だから、意識がクリスマスへ向かう。
二人で出かけて、ご飯を食べて、クレーンゲームでペンギンを取った日。――私は仙台さんと交わした約束を守った。
仙台さんがとても近くにいて、気持ちが良くて、ふわふわとした記憶。それは忘れたい出来事ではなかったけれど、積極的に思い出してはいけないものだったから、意図的に記憶の底に沈めていた。
良くない。
何度もああいう約束をするのは良くないことだ。
「……やだ」
小さく答えると、初めから用意されていたかのように質問が飛んでくる。
「じゃあ、約束しなくていいから教えてよ。宮城は私としたあのベッドで、私の夢たくさん見た? 一人でしたり、したくなったりしないの?」
「おかしいじゃん。命令する権利があるのは私で、仙台さんじゃない」
「命令タイムは終わったでしょ」
「終わったとしても、仙台さんには質問する権利ないから」
「言わないってことはしてるんだ?」
仙台さんが普段は言わないようなことを言う。
私は、こういう理性にヒビが入った彼女を見たかったわけじゃない。
「してないし、したいと思わない。私は仙台さんと違うから。もう部屋に戻るし、離れてよ」
私は彼女の理性が砕ける前にこの場から逃げ出してしまうことにする。でも、立ち上がる前に腕を掴まれてしまう。
「私と同じことしなよ。部屋に戻ったら、自分でして、明日の朝どうだったか教えて」
「仙台さんの変態」
「いいじゃん。教えてくれても」
「それなら仙台さんも教えてよ。私がここからいなくなったら、ここで一人でするの?」
「……それ、本気で知りたいの?」
よくわからないなにか。
やけに真剣な声から、踏んではいけないものを踏みかけていることがわかって、私は仙台さんの手を振り払う。
「もう少し離れてよ。こういう話がしたかったわけじゃない」
「じゃあ、どういう話がしたいの?」
声は優しくはないけれど、怒ってもいない。
平坦で、淡々としていて、少し胸が痛い。
「……仙台さん、あっち座って」
私はテーブルの向こうを指さす。
「なんで? 話があるならここで話せばいいでしょ」
どうやら彼女は移動するつもりがないらしい。だったら、私が移動すればいい話で、「私があっちに座る」と告げてからティッシュを生やしたカモノハシと一緒に向かい側へ行って座る。そして、テーブルの端にちょこんと置いてあった猫の箸置き三つを仙台さんに向けて並べた。
「どれが好き? 真面目に答えて」
白猫、茶トラ、ハチワレ。
三匹の猫が仙台さんをじっと見つめる。
「宮城は?」
仙台さんが床に置いてあったペンギンを抱えて、思った通りの質問をしてくるから、私はここにはない「黒猫」と答えた。
「それ、ずるくない? それが許されるなら、私は三毛猫」
「ミケちゃんはほんとに好きなんだ」
「宮城はミケちゃん嫌い?」
「普通」
三毛猫は好きでも嫌いでもない。
仙台さんが好きな猫と記憶されているだけの存在だ。
「で、宮城。これ、なんのゲーム?」
「ゲームじゃない。質問。……さっきの命令は嫌だった?」
「宮城に命令されるのは嫌じゃない」
「あんな命令でも?」
「どんな命令でも」
仙台さんはおかしい。
どうかしている。
でも、私はそういう仙台さんをずっと見てきたし、そういう彼女との生活が手放せないものになっている。そして、そういう仙台さんが見せてくれない仙台さんを知りたいと思っている。
目に映る仙台さんだけでは本当の彼女にはならない。足りない部分を補って、私だけの仙台さんを増やしたい。仙台さんがもっとおかしくなったとしても、どうかしてしまったとしても、仙台さんが見せようとしない仙台さんがほしいと思う。
私はカモノハシの小さな手をぎゅっと握る。
「仙台さん」
「なに?」
「……動物園、ハシビロコウすごく可愛かった。寒かったけど、行って良かったと思う」
「急にどうしたの?」
「楽しかったこと教えるって、前に約束したから。あと、くだらない話をするって約束も守ってると思う。だから、仙台さんは本当に嫌なら嫌ってちゃんと言って」
言わなければならないことを一気に告げて、カモノハシの手を離す。
「それって、絶対にしたくない命令があったら言えってこと?」
「命令だけじゃなくて、私といるときに嫌なことがあったら嫌だって言ってよ。あと、本当に好きなものも教えて。私と同じっていうのは禁止」
「なにそれ。目的はなに?」
探るような声で言って、仙台さんが茶トラの箸置きの上にハチワレを乗せる。
「ただ仙台さんのこと知りたいだけだけど」
「なんで急に私のこと知りたくなったの?」
白猫がハチワレの上に乗せられ、できあがった箸置きタワーがすぐに崩される。そしてまた猫が重ねられ、崩され、テーブルの上に並べ直され、仙台さんが催促するように黙ったままの私を見た。
「……興味があるから」
ぼそりと答えると、「えっ」と驚いたような声が聞こえてくる。
「――宮城、熱でもあるの?」
「熱なんてない。仙台さんに興味持ったらいけない? 一緒に住んでるんだし、好きなものとか嫌いなものを聞くのなんて、普通のことじゃん。だから、聞いたらちゃんと答えて」
返事はない。
部屋は静かで、空気が流れる音が聞こえてきそうな気がする。仙台さんは口を開くことなく、箸置きの猫たちをじっと見ている。
私は、カモノハシからティッシュを二枚引き抜き、丸めて向かい側に向かって投げる。白い小さな玉は、仙台さんの頭にぽすんと当たって床に落ちた。
「……なるべく宮城が満足するようにする」
ティッシュが当たってスイッチが入ったのか、仙台さんがぼそぼそとはっきりとしない声で言う。
「その答え、おかしくない?」
「だって、宮城といて嫌なこと本当にないから。あと宮城と同じものが好きなのも本当だから」
「じゃあ、嫌なことと好きなこと作ってよ」
「作ってって言われても。……あっ、嫌なことなら、一つあった」
「なに?」
「離れてって、宮城に言われたくない」
「なんで?」
「近くにいた方が楽しいから」
「仙台さん、すぐ嘘つく」
「嘘じゃないから。近くに行ってもいい?」
柔らかな声に返事をせずにいると、仙台さんが勝手に近寄ってくる。そして、隣に座り、私のピアスにキスをした。
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