第250話

 ケーキは美味しい。

 仙台さんも美味しそうに食べている。

 朝倉さんの言葉も、小松さんの言葉も間違っていなかった。評判は正しく、わざわざ買いに行ったかいがあったと思う。


「一口あげようか?」


 向かい側に座っている仙台さんが、レアチーズケーキをフォークで切り分けながら言う。


「同じの食べてるからいらない」

「ずっとこっち見てるから、食べたいのかと思った」

「前に座ってるから、そう見えるだけでしょ」


 共用スペースでケーキを食べていたら、見るものなんてケーキか向かい側に座っている人間くらいだ。他に見るものはない。


 私はレアチーズケーキを一口食べて、紅茶を飲む。

 仙台さんがいれる紅茶はいつも美味しい。


 甘いケーキと甘くない紅茶は相性が良くて、夕飯を食べた後なのにどんどんケーキがお腹に入っていく。すっきりとした紅茶は、チーズケーキが連れて来る甘さと程よい酸味をより際立たせる。仙台さんを見ると、チーズケーキの三分の二が消えていた。


「ここのケーキ美味しいし、また一緒に食べようよ。なにか食べたいケーキあるなら買ってくるから、教えて」


 そう言って、仙台さんが大きな口でチーズケーキをほおばる。


「仙台さんはチーズケーキとショートケーキで良かったの?」


 私は質問を質問で返す。


「二つとも好きだし、チーズケーキとショートケーキで良かったよ」

「モンブランもあったけど」

「宮城、モンブラン好きなの?」

「別に」

「宮城がモンブラン好きならモンブラン買ってこようと思ったけど、そうじゃないなら別のケーキにしよっか。さっきも聞いたけど、なにがいい?」

「チーズケーキとショートケーキ以外」

「わかった。美味しそうなの買って来る」


 仙台さんがにこりと笑って、残りのチーズケーキを胃に収める。そして、ショートケーキを半分食べてから、顔を上げた。


「宮城、命令って決まってるの?」

「なんで?」

「思いつきで言ったみたいだったから」

「思いつきじゃない」


 彼女の言葉は間違っていないが、とりあえず否定する。

 私はチーズケーキを食べて、仙台さんを見る。


 命令する。


 そう言ったものの、命令したいことはまだ決まっていない。どうせ命令するなら、彼女が嫌だと言いたくなるような命令か困るような命令を見つけたいと思っていたけれど、そんな命令が簡単に見つかるわけがない。


 仙台さんは胸を触られても嫌がらない。

 それはもう何回か試して知っている。


 他の場所を触ったって嫌がらないだろうし、見える場所に印をつけると言っても命令なら嫌がらないだろうと思う。

 そんな彼女が嫌がることや困るようなことを見つけるのは、とても難しいことだ。


 それでも。

 それでも一つ、彼女が嫌がりそうなことが頭にある。でも、あまり良い命令ではないし、しないほうが良い類いのものだと思う。


 私は紅茶を飲んで、残りのチーズケーキを胃に収める。ショートケーキを一口食べてから、仙台さんに質問をする。


「一番好きな色ってなに?」

「好きな色?」

「そう」


 私は、頭の中にある命令を口にするべきか迷っている。

 だから、小さな賭けをする。

 もし、私が納得するような答えを仙台さんがくれたら、命令は無難なものに変えて終わりにしてしまおうと思う。


「そうだなあ」


 仙台さんが静かに言って、私を見る。そして、紅茶を一口飲んで、ゆっくりとテーブルに置いた。


「青かな」


 聞こえて来た声に感情がこもっているのか、いないのかわからない。でも、私がもらったマフラーは青かった。彼女が好きな色である青いマフラーを買って、私にプレゼントしてくれたと思うこともできる。


「ほんとに一番好きなの?」

「一番だよ。このピアスつけてから、青もいいなって思うようになったんだよね」


 私があげた青いピアスを触りながら仙台さんが言い訳のように付け加えたせいで、青が好きという言葉の信憑性が一気に低くなる。


「青が好きになる前は、何色が好きだったの?」

「んー、赤とか黄色?」

「それ、信号じゃん」


 聞こえて来た言葉に、無難な命令に変えるという選択肢がなくなる。でも、私は悪くない。悪いのは、真面目に答えない仙台さんだ。

 私はお皿の上のケーキを食べきってから、紅茶を飲み干す。


「仙台さん、片付けるのはあとにして自分の部屋に行って」


 彼女のお皿の上にもケーキはないし、マグカップも空になっている。


「それが命令?」

「命令は、仙台さんの部屋に行ってからする」

「わかった」


 私たちはテーブルの上にお皿とマグカップを置いたまま、仙台さんの部屋へ行く。


「ベッドに座って」


 エアコンのスイッチを入れている部屋の主に命令すると、大人しく従う。


「座った。次はどうするの?」


 ベッドに腰掛けた仙台さんが、立ったままの私を見上げる。

 暖まらない部屋の中、私は唇を噛む。


 行き過ぎた命令。


 私が口にしようとしている命令はそういうもので、言わずに自分の部屋に戻ってしまった方がいいと思うけれど、今さら引き返せない。

 全部、仙台さんが悪い。


「……一人でしてるところ、見せて」

「一人でってなにを?」


 仙台さんが小さくも大きくもない声で言う。

 でも、私は覚えている。


 自分でするより気持ちがいい。


 私から仙台さんに触れたとき、彼女はそういうようなことを言った。あれから自分でしたのかも聞いたし、なにを考えてするのかも聞いた。だから、命令の意味がわからないなんてことはないはずだ。


「そういうの、いらないから」

「そういうのって?」

「わからないふり」

「……宮城ってさ、私のことエロ魔神って言うけど、自分のほうがエロ魔神じゃん」


 諦めたように仙台さんが言って、私の足を蹴る。


「だったらなに? 命令きいてよ」


 命令は私の権利で、仙台さんはそれに従わなければならない。そういう約束なのだから、私は彼女に言い聞かせるように強く言う。


「宮城」


 仙台さんが小さく私を呼んで、立ち上がる。そして、私の耳たぶを軽く引っ張ってから、ピアスにキスをした。


「約束は守るから、宮城が責任を持って指示して。どこでどうしてほしいのか言いなよ」


 いつもこうだ。

 仙台さんは、すべてを私に投げ出して決めさせる。おかげで私は、命令しているはずなのに、命令されているような気持ちになる。


「……じゃあ、ベッドの上でして」


 腹立たしいけれど命令を放棄するつもりはないから、言われた通り場所を指定する。


「座ってすればいいの? 服は? 脱いだほうがいい? それとも脱がなくてもいい?」


 矢継ぎ早に質問されて、私は手をぎゅっと握りしめた。


「いつもしてるみたいにしてよ」

「覚えてないし、宮城が指示して」

「嘘ばっかり。覚えてないわけないじゃん」

「そんなこと言われても覚えてないし、どうすればいいか指示しなよ。ベッドでどうやってすればいい?」

「……それ、全部私が命令しなきゃいけないの?」

「さっきも言ったでしょ。宮城が責任を持って指示してって。ちゃんというとおりにするから、命令しなよ」


 私は小さく息を吐いてから、ベッドの上の布団と毛布をめくる。


「ここに横になってして。服は脱がなくていいから」

「電気は?」

「消さないで」

「宮城のすけべ」

「仙台さんが指示しろって言ったんじゃん」

「そうだけど。そんなに見たいのかと思って」


 仙台さんが軽い声で言って、ベッドに腰掛ける。そして、私を見上げて「……電気、本当につけたままでするの?」と聞いてくる。


「気になるなら、布団かぶれば」

「それじゃ、見えないけどいいの?」

「仙台さん、見せたいのか見せたくないのかわかんない。どっちなの?」

「そもそも人に見せるものじゃないでしょ。……恥ずかしいし、できればしたくないくらいなんだけど」

「じゃあ、なんでするの?」

「……宮城が命令したから」


 仙台さんは断らない。

 わかっていて命令した。


 他の人なら絶対にしないようなこともする。嫌だと言いたくなるような命令でも、困るような命令でも従う。高校生だった頃の仙台さんのように嫌な顔はしない。私もあの頃に戻りたいわけじゃない。


 私は私に従う仙台さんが見たいけれど、私に従わない本当の仙台さんも見たい。


 彼女に関することはなにもかも上手くいかなくて、相反する気持ちを持てあましている。いつだって、くだらないことばかり言ったり、したりしてしまう自分を止められない。


「ねえ、宮城。ちゃんと自分でするから、キスして」


 彼女の言葉に体温が上がる。

 暖まりきらない部屋がやけに暑く感じて、細く息を吐く。仙台さんが誘うように私の手を引っ張ってくる。


 だから、私は私を止められない。


 ベッドに座っている彼女に顔を近づける。唇にそっとキスをしてゆっくりと顔を離すと、掴まれたままの手が強く引っ張られる。そして、今触れたばかりの仙台さんの唇が私の指先に触れ、柔らかく押しつけられた。


「せっかく二人いるんだから、一人でするより二人でしたい。――宮城がしてよ」


 静かに言って、仙台さんがもう一度指先にキスしてくる。舌先がくっつき、生暖かいものが第二関節の上を這い、手の甲へ向かっていく。

 くっついた唇と舌先から伝わる体温に、背中がぞわぞわとする。


「……宮城、この手で私に触って。それか、触らせてよ。宮城のこと」


 柔らかな声が聞こえ、また唇が手の先にくっつく。仙台さんの髪を軽く引っ張ると、唇が離れ、髪を引っ張った力と同じ力で指先を噛まれた。


「もういい」


 私は彼女の口に含まれている指を引き抜いて、ベッドに転がっていたペンギンを押しつける。


「まだなにもしてないけど」


 ペンギンを抱えた仙台さんが真剣な声で言う。


「わかってるけど、もういい」

「ほんとにもういいの? 一人でするっていう命令」

「もう終わりでいい」

「――じゃあ、二人でするっていうのは?」


 仙台さんが私の手をまた引っ張ってくる。


「……しない」


 私は指先にキスをしようとする仙台さんを押し離し、床へ座る。そして、カモノハシの背中からティッシュを一枚取って濡れた手を拭った。

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