第309話

 電車に乗って、降りて。

 今はただ仙台さんの隣を歩いている。

 何故なら、隣以外を歩く必要がないからだ。


 行き先を知っていても二人でいるのだから五歩も六歩も先を歩いていたらおかしいし、五歩も六歩も後ろを歩くのもおかしい。


 会話が弾んでいるわけではないけれど、歩調を合わせて進んでいくのは妥当なことだと思う。


 でも、文句はある。


「仙台さんの変態」

「なに急に。酷くない?」


 仙台さんが視線を上げて、私を見る。


「酷いこと言われたくないなら、スカートばっかり見ないでよ」


 ずっとというわけではないけれど、結構な頻度で視線を感じる。ここが家なら仙台さんの足を思いっきり踏むか蹴っているところだが、外でそんなことはできないからしないでおいてあげているだけだ。


「前に水族館に行ったときもスカートだったし、あの日みたいだなって」


 今日の目的地は水族館で、“前に行った水族館”へ行く。


 行き先は同じ。

 シチュエーションも似ている。

 だからといって、今日とあの日が同じなわけじゃない。


 あのときは夏だったけれど、今日は春というには中途半端で、夏と言うには早すぎる季節だ。そして、今日もあのときのようにスカートをはいてはいるけれど、あのときとは違う。


「この前は、頼んでもいないのに仙台さんが勝手にスカート持ってきたんじゃん」


 今日とあの日は重ならない。

 仙台さんの視線が気になってスカートを選んだことを後悔しそうになってはいるけれど、大丈夫だ。


 五月の終わり、無駄に青い空の下、スカートをはいていてもおかしくはないし、今日はスカートをはかなければいけなかった。


「とにかくもうスカート見るの禁止だから。仙台さんは前を向いてて」

「似合ってるし、もう少しくらい見たっていいでしょ」

「見なくていい」


 仙台さんは私以外を見るべきではないと思うけれど、今日は見られていると落ち着かない。


 もともとそんなにはかないスカートをはいているから、雲の上でも歩いているような心許ない気持ちになる。それにあまり見られると、私が仙台さんを見られなくなってしまいそうだと思う。


「宮城のけち」

「けちでいい」


 隣を歩く仙台さんの腕を押す。

 ほんの少し距離が離れて、彼女が前を向く。


 スカートはちょっとしたお詫びに過ぎない。


 本当は連休中にペンギンを見に行く予定だったのに、私が風邪を引いたせいで予定は予定のまま終わってしまった。


 その上、仙台さんに看病をさせてしまったし、私が立てるはずだった予定を立ててもらうことにもなった。


 全部、全部、仙台さんに任せてしまった。


 だから今日は、事あるごとにスカートを私にはかせようとしてくる仙台さんに言われる前に、スカートをはいてみた。罪悪感を薄める行為でしかないけれど、こんなに彼女から見られることになるとは思わなかった。


 スカートはたまたまなんとなく買うことになっただけのものだから、クローゼットの中にあるものから選べば良かった。


 彼女が見たことのあるものをはいていたら、視線を感じることもなかったのにと思う。


「ねえ、宮城」


 仙台さんが、去年の夏を辿るように歩く私を静かに呼んで言葉を続ける。


「服、私が選ぶの嫌?」


 彼女の視線は私に向かない。

 私が言った「仙台さんは前を向いてて」という言葉を守っている。


「なんでそんなこと聞くの?」

「また宮城が着る服を選びたいと思ってるから」

「……嫌だって言ったら?」


 小さな声で言ったわけではないけれど、声が人混みに紛れて消えそうだと思う。


 水族館と書かれた案内板が指し示す方向に向かう人が多すぎる。


 なんの変哲もない日曜日の午前中で、夏休みでも連休でもないのに、どこからやってきたのかたくさんの人が一つの塊となって水族館へ向かっていく。


「宮城が本気で嫌だって言うなら諦めるけど」

「じゃあ、本気かどうか自分で判断して」

「判断間違ったらどうなるの?」

「間違うの、許さない」

「宮城が言うことって、難易度高いよね」


 大げさに息を吐き出しながら仙台さんが私を見る。


 たくさんの人が水族館に向かっているのに、仙台さんがそこから浮き出ているように見える。


 どういうわけか彼女は人混みに紛れたりしない。


「前向いて」


 仙台さんに冷たく言うと「はいはい」と返ってくる。会話が途切れて黙って歩いていると、私たちを水族館へ運ぶエレベーターが見えてくる。


 人混みに押されるようにエレベーターに乗る。


 流れ作業のようにエレベーターが上に着いたら人が降りて、私たちも降りる。そして、夏休みと同じように列に並んで、高校生だった私たちの間を繋いだ五千円ではなく、自分たちの財布に入っているお金でチケットを買う。


 同じようで違う日が進んで、水族館の中へ入る。


 目の前に広がる光景はあまり変わらない。

 館内は、あの日のように深い海の底にいるような青い空間が広がっている。


 仙台さんはどんなに人がいても私の隣にちゃんといる。

 人の波に呑まれて迷子になったりはしない。


「順路通りでいい?」


 パンフレットを見ながら仙台さんが尋ねてくる。


「先にペンギンのところに行く」

「ほかのは見ないの?」

「あとから」


 今日の約束はペンギンを見るという約束で、魚を見るという約束じゃない。だから、最初に見るのはペンギンだ。


 約束は破ることができるけれど、今日の約束は破られたくない。


 水族館に来たもののペンギンを見ることなく帰った、なんてことになったら困る。絶対に嫌だ。


 水族館の中になにがいても優先するのはペンギンに決まっている。


「じゃあ、ペンギン見てから次になにを見るか決めよっか」


 そう言うと、仙台さんが歩きだす。

 私も隣を歩いて、ペンギンがいる場所へ向かう。


 迷ったりはしない。

 ペンギンがどこにいるかはわかっている。


 それなりの速度で足を動かす。

 サメやエイが泳ぐ水槽に張り付く人たちを置き去りにして、私たちは進む。


 彼氏は作らないのだとか、好きな人の話だとか。


 ここでそんなくだらないことを仙台さんに聞いたなんてことが頭に浮かんで、歩く速度を上げる。


「そうだ、宮城。写真撮ってもいい?」


 仙台さんが私の腕を掴んで言う。


「やだ」


 きっぱりと答える。

 でも、彼女は腕を離してくれない。

 歩く速度が落ちる。


「いいじゃん。撮ろうよ、写真」


 明るい声が聞こえて、腕が解放される。

 仙台さんが鞄の中からスマホを取り出して、私に向ける。


 水槽の前、足が止まる。


 パシャリ、と乾いた音がして、彼女のスマホに私の姿が保存されたことがわかる。


「撮っていいって言ってない」


 思わず眉間に皺が寄る。


「宮城も撮れば。ペンギンのところで」


 仙台さんが止まっていた足を動かす。

 彼女の夏休みとは違うスカートが揺れる。

 私は鞄の中からスマホを取りだして、歩きだした仙台さんに向ける。


 カシャリ。


 三歩前を歩く仙台さんの写真を一枚撮って、彼女の隣を歩く。


「宮城、ペンギンじゃなくて人間撮るなら一緒に写ろうよ」


 不満そうな顔をして仙台さんが私を見た。


「やだ」


 さっき言ったばかりの言葉を口にして、歩くスピードを上げる。

 写真なんて撮っている時間はなかった。


 早く、早く。

 約束が破られないように。


 私はペンギンがいる場所へ急いだ。

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