宮城に向かう気持ち

第189話

 目が覚めたら、宮城の顔が目の前にあった。


 昨日の夜、お泊まり会を中止にして部屋へ戻ろうとした私を引き留めたのは宮城で、彼女のベッドで眠ることに決めたのは私だ。彼女が私に背を向けて寝たことも間違いのないことで、それもよく覚えている。でも、今は宮城の顔が良く見える。


 いつ宮城が私の方を向いたのかわからないけれど、嬉しい。


 私は頬をつつく。

 宮城はぐっすりと眠っていて反応しない。

 過去に朝まで一緒に眠ったときは宮城の方が先に起きていたから、ぴくりともしない彼女に少し驚く。


 宇都宮と出かけた後だったから疲れていたのかもしれない。


 私は宮城の髪を撫でる。

 昨日は、あんなことをするはずではなかった。

 気が早いけれど冬休みにバイトを一緒にしようと誘って、映画かドラマを見るか、宮城の好きなゲームかなにかをして過ごすつもりだったのに、ささやかな望みは耐えられないほど大きな望みになってしまった。


 宮城のピアスに触れる。


 誓った約束は守ることができたとは言い難い。

 結果だけ見れば破っていないことになるのだろうけれど、そこへ辿り着くまでにしたことを考えると、宮城が私を部屋から追い出さずにいてくれたことが奇跡に思える。


 まあ、この奇跡はなかなか苦しいものでもあるけれど。


 宮城の側にいたいし、一緒のベッドで眠りたい。

 いつだってそう思っているけれど、昨日は部屋に戻った方が楽だった。


 ああいうことがあった後に大人しく眠ろうと思ったら、それなりの努力が必要になる。気持ちは簡単には切り替わらない。そういう努力を私に強いる宮城は酷い。でも、それは私への信頼の証でもあるとわかっているから、宮城へ向かおうとする気持ちをせき止めて、流れを変えて、何事もなかったかのように眠った。


 それでも、目が覚めたら昨日のことを考えずにはいられない。


 彼女の胸の感触。

 いつもより熱い体。

 乱れた呼吸。

 そして、私を引き寄せる手。


 すべて私を受け入れているとしか思えないもので、私を止めるものにはならなかった。囁き続けて、触れ続けて、私の感情で押し流してしまえば、あのまま宮城は私を許し続けたはずだと思う。でも、考える隙も与えずに彼女を手に入れたら、私にとって良いことは起こらない。同意もなく、明るい部屋で、宮城に触れ続けたら、一度目でさえ逃げだした宮城は今ここにいないはずだ。


 そして、いなくなった宮城は簡単には見つからないだろう。


 さすがに一度目と同じように宇都宮のところには行かないだろうし、宇都宮と私が連絡を取り合っていると知っているから宇都宮さえも知らない場所に行くはずで、そうなると連れ戻すことができない。


 昨日、彼女の言葉を引き出し、彼女の言葉を聞こうとしたことは間違っていない。私自身も宮城がなにを考えているのか知りたかった。

 宮城の隣で大人しく眠った昨日の私は正しかったと思う。


 そう納得してはいるけれど、私を受け入れてくれそうな宮城を見ていると待てなくなる。宮城はいつだって曖昧で、手が届きそうで、ときどき苦しくなる。


 はあ、と小さく息を吐いて宮城の前髪を軽く引っ張る。

 やっぱり宮城はぴくりともしない。


「ほんとよく寝てる」


 ――人の気も知らないで。


 私を止めるのなら、もっと強い言葉で止めればいいのにと思う。


 まだルームメイトでいて。


 なんて中途半端な言葉で私を止めるから、眠っている宮城に触れたくてたまらなくなる。


 “まだ”はいつまでなのかわからない。永遠にまだが続くのかもしれないし、すぐにルームメイトではないなにかになってくれるのかもしれない。少なくとも、ルームメイトとして一緒に住むことは嫌がっていない。それは私に多少なりとも好意があるということで、その好意が私と同じものになる可能性を多分に含んでいる。


 宮城は私のことが好きだ、なんて言い切るほどの自信はないけれど、今までよりは私のことを想ってくれていると感じられる。


 “まだ”というたった二文字の言葉には希望がたくさん見えて、自分の気持ちを心の中に押しとどめておけなくなりそうで怖くなる。

 まだ関係を変えたくないと言っている宮城に私の気持ちを突きつけたら、彼女は二度と私を見てくれなくなるかもしれない。


 寝ている宮城になら「好き」と言う言葉を囁いても許されそうだと思うけれど、宮城という人間はこういうときに限って目を覚ましそうな気がする。


 宮城は良くも悪くも私が思うような行動をしてくれない。

 私は口から出かかった言葉を飲み込んで、他の言葉を囁く。


「……志緒理」


 これくらいなら許されるはずだ。

 彼女が目を覚ましてもちょっと機嫌が悪くなるだけで、取り返しがつかないことにはならない。


 黒い髪を梳いて、頬を撫でる。

 もう一度、志緒理と小さく呼んで唇にキスをする。

 力のない腕に指を這わせて、手を繋ぐ。


 指先にキスをして、唇にまた触れると、さすがに宮城がごそごそと動き出す。手が私から逃げ出しかけて強く掴む。腰を引き寄せると、宮城の目が開いた。


「おはよう」


 眠そうな宮城に声をかける。


「……せんだいさん?」


 寝ぼけた声が聞こえてくる。

 私は彼女の唇に指を這わせて、口にしてほしい言葉を告げる。


「葉月」

「ん? はづき?」

「そう。もう一回言って」


 ぼんやりしている宮城に優しく言ってみるけれど、宮城は目を覚ましたばかりでもすぐにいつもの宮城になってしまって私の思い通りにはなってくれない。


「……なんでこっち向いてるの?」


 ぼそぼそと言って、繋いだ手も腰を引き寄せた手もバリバリと剥がしてくる。


「覚醒しちゃったか」


 本当に宮城はけちだ。

 夢を見させてくれる時間があまりにも短い。

 もう少し寝ぼけた宮城でいてほしかったと思う。


「変なこと言わせないでよ」


 タオルケットの中、宮城が私の足を蹴ってくる。


「人の名前を変なことって酷くない?」

「酷くない。暑いし、離れてよ」


 肩を強く押されて宮城の手を掴むと、引っ張られて指に歯が立てられる。


 痛い。


 加減はされているが結構な力で噛みつかれて、私は彼女から少し離れた。


「宮城のけち。いいじゃん、くっついてても」

「もう起きる」


 宮城が体を起こしてベッドから下りようとするから、彼女のTシャツを引っ張る。


「もうちょっとゴロゴロしてなよ」

「朝ご飯は?」

「作るの面倒くさいし、お昼と一緒でいいじゃん」

「やだ。お腹空いたし、作ってくる」


 私はTシャツを掴んだ手に力を入れる。

 昨日とは逆だ。

 寝る前に部屋へ戻ろうとして引き留められた私が、朝は宮城を引き留めている。


「仙台さん、Tシャツ伸びる」

「伸ばしたくないなら、もう少し横になってなよ」

「いつまで寝てるつもりなの?」

「お昼まで」


 なにがあるわけでもないけれど、もう少しくらい同じベッドで過ごしたい。今は多くは望まないから、隣で体温を感じさせてほしいと思う。


「……お昼、仙台さんが作ってよ」


 不機嫌そうに言って、宮城がベッドに横になる。

 でも、顔は見えない。

 見えるのは背中だ。


「いいよ。お湯沸かして入れてあげる」

「それ、お昼カップラーメンですませようと思ってるでしょ」

「簡単だし」

「ちゃんと作ってよ」

「こっち向いてくれたら、美味しいもの作ってあげる」

「美味しいものってなに?」

「相談しようよ」


 腕を引っ張ると、宮城が私の方を向いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る