友だちではない宮城がすること

第59話

 宮城と友だちごっこをして、彼女の家に寄って、キスをした。


 昨日したことはそれだけで、宮城に渡された五千円は貯金箱の中にある。五千円はキスの対価だ。そして、五千円は対価としては多すぎる。


 いらない。


 キスの後、何度か断ったけれど、宮城は引かなかった。無理矢理渡された五千円は貯金箱をほんの少しだけ重くして、私は今日、よく眠れないまま宮城の家に来ている。


 簡単に言えば、睡眠が不足していて頭が回らない。


 居眠りをするほどではないけれど、瞼が重くて宮城のベッドに横になる。目を閉じるといつもは気にならない宮城の匂いが気になって、眠たかったはずの頭が冴える。


 本当に嫌になる。


 眠れなかった理由はいくつもある。

 その理由を口にしたところで睡眠不足が解消されるわけではないから挙げ連ねたりはしないが、大雑把にまとめると宮城のせいだ。勉強が一段落して休憩している今も、彼女のせいでうたた寝もできない。


 部屋の主はいないから文句を言うこともできず、寝返りを打つ。宮城は今ごろ、キッチンでサイダーと麦茶を空になったグラスに注いでいるはずだ。


 炭酸が嫌いだと告げてから、宮城は馬鹿の一つ覚えみたいに麦茶を出し続けている。他に飲みたいものがないのかとか、好きな飲みものはなんだとか聞かれたことはない。


 一年を超えても一緒にいるのだからもう少し興味を持ってくれても良いと思うけれど、私も宮城にそんなことを聞いたことがないからお互い様なのかもしれない。


 目をぎゅっと閉じて耳を澄ますと、廊下を歩く音が聞こえてくる。

 すぐにドアが開く音がして、宮城の呆れたような声が耳に響いた。


「仙台さん、寝ないでよ」

「起きてる」


 彼女のベッドを占領したまま答えると、テーブルにグラスを置いたらしいカチャリという固い音が聞こえた。


「目、開いてないじゃん」

「休憩中だから、目を開けてなくてもいいの」


 声の方向に体を向けて、背中を丸める。


「仙台さん、起きなよ」


 声が思ったよりも近くで聞こえて、ぺたり、と頬を触られる。

 目を開けると、宮城がベッドの前に座っていた。


 昨日もそうだったが、友だちになれないという宮城は軽率に私に触れる。


 ずっと機嫌が悪かったくせに勝手なヤツ。


 昨日の宮城は私が気に入らなかったらしく、私を置いて帰ろうとした。友だちごっこをするという彼女に合わせて機嫌を損ねないようにしたにも関わらず、だ。私には、何が悪かったのか未だにわからない。


 過去に宮城から友だちではないと言われたことがあるが、今回はこの先も友だちになることはないというようなことを言われた挙げ句、気持ちが悪いという言葉までつけられた。


 さすがに面白くない。

 本人がまったく気にしていないように見えるのも、腹立たしい。でも、友だちという言葉が私たちにあまりにも馴染まなかったことは事実だ。


 どこがと言われても困る。

 空気も、距離も、なにもかもがずれているような気がする。


 友だちという言葉は、一番近くて一番遠いものに見えて、私たちの間にぴたりとはまらない。小さすぎるようでいて大きすぎるようにも感じられるピースは、収まる場所がなかった。


「問題集、まだ終わってない」


 宮城が静かに言って、手を頬から首筋へと滑らせる。

 くすぐったいと言う前に、鎖骨の上で止まって手のひらを軽く押しつけられる。


「先にやってて」

「わかんないところあるし」


 自分から問題集のことを持ち出してきたくせに、宮城は私の方を向いたまま動かない。


 宮城とは、本屋で会わなかったら友だちになるどころか話すこともなく卒業したはずだ。もともと友だちになるタイプではなかった。それでも、彼女との関係が友だちというものに落ち着くならそれが一番良いことだと思ったが、今となってはそういう結末を迎える可能性はないように思える。


 私は、鎖骨の上にある宮城の手に手を重ねる。


「なに?」


 宮城が低い声で言って手を引こうとするから、その手をぎゅっと握る。


「今、ドキドキしてる?」

「……今?」

「そう、今」

「……今はしてないけど」

「けど?」

「仙台さんはどうなの? 今、ドキドキしてる?」

「してないかな」


 側にいると意識はするけれど、今は心臓がうるさく感じるほどドキドキしたりはしていない。ついでに言えば、宮城と手を繋いで街を歩きたいというわけでもない。でも、そんな宮城の隣が私の居場所になっていて、そのことに不満も違和感もない。


 私は宮城の手を解放して、指先で彼女の唇に触れる。


「今日もキスしようと思ってるわけ?」


 静かに尋ねると、静かに答えが返ってくる。


「……思ってたらいけない?」

「さあ、どうだろ」


 これは正しい。

 これは間違っている。


 すべてを二つのうちのどちらかに分類できればいいけれど、世の中には分類できないものがある。そして、宮城との間にあるものは、圧倒的に分類できないものの方が多い。


 綺麗に色分けできない混じり合った色をした答えは、曖昧すぎて不安定だ。無理に仕分けようとしたら、壊れて消えてしまいそうで怖い。だったら、カテゴライズするよりは放っておいた方がいい。それに、宮城はいけないと言っても私のいうことを聞いたりしない。


「宮城。問題集のわからないところ、教えてあげる」


 体を起こして、テーブルの上に視線をやる。


 宮城がわからないという問題の解き方を教えたら、新学期の予習をして今日は終わりだ。


 そんなことを考えながらベッドから下りようとするが、先に宮城が立ち上がって机の中から何か出してくる。


「これ」


 ぶっきらぼうに宮城が言って、五千円札を私に渡そうとした。

 どうやら、問題集の続きはどうでも良くなったらしい。


「いらない」

「受け取りなよ」

「お金渡せば良いと思ってるでしょ」

「間違ってないと思うけど」


 宮城の言葉は、正しくて間違っている分類できない言葉だ。


 五千円は私たちを繋ぐために必要なものではあるけれど、夏休みにこの五千円は必要ない。家庭教師代という名目ですでに五千円をもらっているから、それ以上はもらいすぎにあたる。


「命令したいことがあるなら、すれば。最近はそんなに勉強教えてないし、家庭教師代に命令する権利が含まれてるってことでいいよ」


 手がかからなくなったといったら偉そうだが、宮城が私に「わからない」という回数は夏休み前に比べて減った。新学期は、成績が上がるはずだ。


「それとこれとは別問題だから。受け取って」


 宮城が当然のような顔をして、五千円を私の膝の上に置く。


 この五千円は、夏休み前の五千円とは違う。

 話の流れからして、昨日の五千円と同じ種類のものだ。


 命令の先にあるものはおそらくキスで、キスくらいなら五千円はいらない。家庭教師代に含まれていることにしてくれた方が気が楽だ。わざわざ払われる五千円は、たいしたことじゃないことをたいしたことにしそうな気がする。


「いらないってば」


 強く言うと、宮城の瞳が揺らいだ。

 彼女の目に不安が見て取れて、私は大きく息を吐く。


 おそらく、ここまでしたのに断られたくないとか、そういうことなんだと思う。


 私は膝の上の五千円札を四つに折って、一度ベッドに置く。


「受け取るから、命令しなよ」


 平坦な声で言うと、宮城がほっとしたような顔をした。


 どうせ、宮城はたいしたことはしてこない。

 偉そうに命令するくせに臆病なところがある。


「じゃあ」


 命令の前置きというように言って、宮城が私をじっと見る。そして、しばらくしてから「動かないで」と何度も聞いたことのある命令を口にした。

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