第209話

「今日、これ着て」


 ドアを二回ノックして、顔を出した宮城にスカートを見せる。


「……着せ替えするって聞いてない」


 予想通りの言葉に、私はにっこりと微笑む。

 学園祭にスカートをはいていってほしいなんて、いつ言っても宮城が受け入れてくれるはずがない。わかっているが、出かける前に言ったらはいてもらえそうな気がして、学園祭当日の朝になって宮城に告げている。


「言ってないけど、これ宮城のために買ってきたスカートだから」

「買ってなんて頼んでないし、いらない」


 頼まれてはいないし、宮城が頼んでくることもない。いらないと言われることもわかっていたし、私は彼女がどんな服を着ていてもいいと思っている。


 でも、スカートにはそれなりに思い入れがある。


 スカートから見える宮城の足が好きだし、スカートをはいている姿を見ると高校時代を思い出す。いつもはいている必要はないけれど、時々はいて私を喜ばせてくれてもいいと思う。


「高いものじゃないし、もらってよ」


 口にした言葉は嘘ではない。渡そうとしているスカートは、高いか安いかで言えば安い部類に入る。値段を理由にいらないと突き返されたくなくて、ファストファッションのブランドから選んだ。


「仙台さんが自分で着ればいいじゃん」

「宮城のサイズに合わせて二人のお金から買ってきたし、宮城が着てくれないと困る」


 スカートは、高校時代に使っていた貯金箱の中身で買ってきた。二人のものということになっているお金だけれど、宮城からもらった五千円を貯めたお金なのだから、宮城だけが使うものを買ってもおかしくないと思う。


「あれは仙台さんのお金だから」


 宮城が予想通りの言葉を口にするから、私も用意していた言葉を口にする。


「二人のって決めたでしょ」

「じゃあ、仙台さんが一人で使い道決めて買い物してるのなに?」

「宮城が協力してくれたら、二人で使ったことになるけど」

「協力?」

「買う担当と着る担当。これも協力でしょ」


 二人のお金で買ったスカートをはかせるには苦しい理由だけれど、今の宮城なら押し通せそうだと思う。宮城が本気で嫌だと思っていたら、もうドアが閉められているはずだ。


「そんなの協力じゃないじゃん」


 宮城がスカートを見ながら不機嫌そうな声で言う。


「これ着ないなら、この家から出さない。宇都宮、待たせることになるけどいい?」


 こんな言葉が脅しになるとは思っていないし、脅しになる言葉だとしても宇都宮を待たせるわけにはいかない。でも、宮城は文句ではない言葉をぼそりと口にした。


「……上は?」

「上?」

「なに着ればいいの?」


 そう言うと、眉根を寄せて私の足を蹴ってくる。私がはいているスカートが小さく揺れ、宮城がもう一度ちょこんと足を蹴った。


「宮城が持ってるパーカーでいいと思うよ。私の服貸してもいいけど、どうする?」

「自分の着る」

「じゃあ、着替えたら私の部屋に来て。軽くメイクしてあげるから」


 不満しかない顔をした宮城にスカートを渡すと、少し低い声が聞こえてくる。


「しなくていい」

「どうしても嫌ならしないし、とりあえず呼びには来てよ」

「わかった」


 いつものように不機嫌な顔をした宮城がドアをバタンと閉めて、私は共用スペースに取り残される。


 いくつもの印をつけられた土曜日と印が増えた日曜日。


 あれから、たくさんあった跡は時間の経過とともに薄れ、私に同化し、私たちの生活は元に戻っている。


 ――表面上は。


 私は小さく息を吐いて、部屋へ戻る。

 ベッドに腰かけ、宮城に蹴られた足を見る。


 宮城は、いつも通りの生活に新しいルールを一つ加えた。

 話し合いをして決めたわけではないし、私はそのルールを認めてはいない。


 鎖骨の下を服の上から撫でる。

 ここには、宮城がつけた新しい印がある。


 新しいルール。

 儀式と呼んでもよさそうなもの。


 それは、たくさんの跡が消えていく中、私の体にいくつかの新しい跡を作った。


 宮城が勝手に作ったルールが適用される日は、カフェのバイトがある日で、家庭教師のバイトがある日には適用されない。だから、印はカフェのバイトがある日に一つつけられ、家庭教師のバイトがある日にはつけられない。


 印をつけるバイトとつけないバイトがある理由は聞いていないけれど、おそらく宮城は後から増えたカフェのバイトが気に入らないのだと思う。


 私はドアに視線をやる。

 スカートをはくだけなのに、宮城はまだ来ない。


 鎖骨の下を強く押さえる。

 了承した覚えがないのにそういうことになって、バイトにあわせて印がつけられ、消えていく。そして、たぶん、増えることはない。


 理由は簡単だ。

 学園祭までという約束通り、カフェのバイトが終わってしまったから、新しいルールが適用される日がもうない。


 そして、それは私を少し落胆させている。


 体につけられた跡は、宮城が口にした、全部私のものだから、という言葉を表すように宮城を強く感じられるものだ。


 印をつける宮城の唇は、私の告げられない気持ちを強く刺激するけれど、宮城に私のものだと囁かれているようで気持ちがいい。もっと跡をつけてほしくなる。でも、数を増やしすぎない印は、理性から私が逃げ出す前につけ終わってしまうから丁度いいとも思う。


 五分、十分と時間が経って、ドアがノックされる。

 ベッドに腰をかけたまま「入って」と言うと、渡したスカートをはいた宮城が部屋に入ってくる。


「着替えた」


 閉めたドアの前で宮城がつまらなそうに言うから、私は立ち上がって彼女に近づいた。


「似合ってる」

「そういうこと言わなくていい」

「可愛いと思うよ」

「仙台さん、黙ってて。うるさい」


 文句しか言わない宮城に手を伸ばして、髪を耳にかける。

 ピアスを撫でてから耳に唇を寄せてくっつけると、シャンプーの香りが鼻をかすめた。


「いい匂いする」

「自分のシャンプーじゃん」

「今は宮城のシャンプーでもあるでしょ」

「……そうだけど」


 宮城は自分のシャンプーがなくなっても、新しいものを買わずに私のシャンプーを使ってくれているから、バスルームには今、シャンプーが一種類しかない。それは、共用スペースで宮城のリップを拾った日にした約束が守られているからで、最近の宮城は私と同じ香りを身に纏っている。


 そういう些細なことが嬉しくて、宮城の髪を撫でる。

 一房手に取って唇を寄せると、髪に唇が触れる前に宮城が私の体を押した。近かった距離が少し離れ、宮城の手が私のブラウスのボタンを二つ外す。鎖骨の上を手が這って、心臓がどくんと鳴る。


 宮城を止めようと思えば止められる。

 でも、止めたくはない。


 宮城の指が鎖骨の下にある跡を撫で、顔を寄せてくる。でも、そこに唇が寄せられることはなく、首筋に歯が立てられた。軽い痛みのあと、柔らかなものがくっつく。そこは服で隠れるような場所ではないのに、唇は皮膚を強く吸ってくる。


「ちょっと」


 宮城の肩を押すが、離れない。

 首筋で宮城の体温と私の体温が混じり合い、一つになった熱が心臓を針のようにちくちくと刺してくる。


 バイトが終わって儀式も終わったと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。


 罰ゲームから始まったこの儀式は、逆らうことが難しい儀式で、見える場所に跡がつけられていることがわかっているのに宮城を抱きしめたくなる。


 私は肩を押した手を背中に回す。

 強く抱きしめかけてパーカーをぎゅっと掴むと、首筋から唇が離れた。


「宮城、跡ついてない?」


 わざわざ聞かなくても私の首筋がどうなっているかはわかるけれど、聞いてみる。


「ここについてる」


 私の首筋を指先で撫でながら、宮城が反省というものが感じられない声で言う。


「そこ、見えるところなんだけど。もしかして学祭行かせたくなくてつけた?」


 止めなかった私にも責任があるけれど、これから宇都宮に会うのに見える場所にキスマークがついているのはマズい。宮城がつけたとは思わないだろうが、面倒なことになる。


 着替えるしかないかな。


 メイクをしてしまっているから着替えたくはないけれど、キスマークが見えるよりはマシだ。


「仙台さん、ピアスに誓ってよ」


 ため息をつきたい気分になっている私に、宮城が静かに言う。


「学祭に行かないって?」


 こんなことくらいで学園祭に行けなくなるわけではないけれど、宮城はそういう理由で跡をつけそうではある。


「違う。舞香にその跡が見つからないようにするって」

「見つかっても宮城につけられたなんて言わないから安心しなよ」

「そういうことは心配してない。その跡、私が見られたくないだけ」

「だったら、見えない場所につけなよ」

「仙台さんは私のなんだから、どこにつけたっていいでしょ」


 宮城の不機嫌を極めた声が耳に響く。

 その声は怒っていると言ってもいい声なのに、キャラメルのように甘くて私はなにも言えなくなる。ただ彼女の声に従うしかなくなって、指先でプルメリアのピアスに触れて誓いの言葉を口にする。


「……宇都宮に見つからないようにする」


 自分で見える場所に印をつけて、それを見つからないようにしろだなんて理不尽極まりない。


 宮城は本当に酷い。


 そう思うのに、私は彼女のピアスに唇をつけた。

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