第62話

 暗闇の中、首の上を宮城の体温が這う。

 他意を感じない手は、事務的に鎖骨へと下りていく。


 いつもとは違うことをするのかと思ったけれど、本人が言った通りいつもと同じことをするつもりらしい。手を縛っても、目隠しをしても、宮城がすることは変わっていない。たぶん、いつもと同じように触っている。


 でも、私にはいつもと同じようには思えなかった。


 視覚を奪われているから。


 それが理由だと思う。

 いつもとかわらないはずの宮城の手が、体温を吸い取るように蠢いているように感じる。


 そろそろと動く熱はくすぐったくて宮城の手を払い除けたくなるけれど、ネクタイが邪魔をしてできない。


「宮城ってヘンタイだよね」


 肌の上を這う熱を逃がすように、細く長く息を吐く。


 手首を縛って、目隠しをする。


 元クラスメイトにこんなことをするなんて、宮城はマニアックだと思う。前にも一度、手首を縛られたことがあったけれど、あのときよりも倒錯的だ。


「黙ってて」


 愛想のない声が聞こえて、鎖骨の上で手が止まる。


「黙ってて欲しかったら、宮城が喋っててよ」


 隣にいることはわかっているけれど、黙ったままでいられると鎖骨の上に置かれている手が本当に宮城のものなのかと不安になる。


「やだ」


 無愛想に宮城が言う。


 本当にケチだ。

 喋ったからといってなにかが減るわけではないし、少しくらい口を動かしてもいいと思う。


 でも、宮城は喋らない。

 黙ったまま手を滑らせていく。


 布越しに彼女の熱を感じる。

 鎖骨の下、心臓の上辺りに手が置かれる。


 五千円を払ってキスに繋がる命令をするという不道徳な行いを除けば、宮城は行儀が良い。キスは触れるだけのものだし、体も表面を撫でるくらいのことしかしてこない。それも五千円に見合わないと思うくらい短時間のことで、いつもそうした行為はすぐに終わる。


 今日もそうだと思っていた。


 けれど、宮城はやめない。

 頬に、唇らしきもので触れてくる。


 心臓の上に置かれた手が動き、肩を撫でられる。頬の表面に感じた熱が離れ、今度は首筋に生暖かい空気を感じた。

 そして、すぐに首筋に柔らかいものがくっつく。


 何度も、何度も、何度も。


 小さな音とともにキスをされて、意識がそこに集中する。気持ちが良いというよりも、たんぽぽの綿毛が纏わり付いているみたいで落ち着かない。


 タオルで目を覆われ、強制的に光を奪われているせいで感覚が鋭敏になっていて、今まで受け入れることができていたことを受け入れることができそうにない。


 宮城を押しのけたくても押しのけられない私は、自由を奪われた手のかわりに自由になる声を出す。


「ちょっと宮城」


 返事をするつもりがないらしく、首筋から熱が離れない。

 それならばと宮城の足を蹴ると、キスを繰り返していた唇が離れた。


「痛い」


 軽く蹴ったにも関わらず、大げさな声で宮城が言う。


「いつまでするつもり?」

「答える必要ないから」


 無愛想な声とともに、首筋に熱がくっつく。

 熱の大きさと柔らかさから、それが手だとわかる。


 指先が顎の下を撫で、血管を探すみたいにごそごそと動く。


 どんな顔でこんなことをしているのか見たいと思う。


 私に触るとき、宮城は微妙な顔をすることがある。最近は少なくなっているけれど、今もそういう顔をしていないか気になる。


 でも、できればそういう顔を見たくないという思いもある。


 視覚を奪われているのは良いことなのかもしれないなんて考えかけて、私はすぐにそれを後悔する。


 宮城の唇が頬に触れ、手が耳を撫でて柔らかに滑っていく。

 私は彼女の顔よりも、その唇が、手が気になり始める。


 深い意味がなさそうな触り方なのに、手も唇も酷くくすぐったい。宮城の手を止めたくてネクタイで縛られた手首を動かしてみるけれど、拘束する布は外れない。宮城の手は、私の理性を試すみたいに動き続けている。


 首から肩へ。

 腕を撫でて、脇腹を這っていく。

 体の上を這う手は太ももに下りて、布越しに私を触り続ける。


 気持ち悪いとくすぐったいの間くらい。


 宮城の手が与えてくる感覚はそういうもので、今までずっとそうだった。けれど、いつの間にかあってはならない感覚が二つの間に割って入ろうとしていて、私は手を止めようとしない宮城に強く言った。


「宮城、やめて」


 こんなの、絶対にヤバい。


 事務的な手つきだと言っても、このまま続けさせるわけにはいかない。でも、宮城は手を止めるつもりがないらしく、私に触れ続けている。


「やめてってば。変なことしないでって言ったの、忘れたの?」

「変なことじゃなくて、してるのはいつもと同じことだけど?」

「変なことしてる」

「してない」


 宮城が言い切る。

 彼女がしていることは、いつもと同じことで間違いはない。

 変なことの定義が食い違っているだけだ。


 ただ、変なことの定義について話し合うつもりはないし、やめてくれと頼んだ理由を口にできるわけがない。


「じゃあ、これ以上はルール違反って言えばわかる?」


 問いかけると、宮城が手を止めた。


「脱がしてないし、ただ触ってるだけなのに?」

「そうだけど、ルール違反。まだ続けるなら本気で怒るから」


 服を脱がさないことだけがルールじゃない。

 暴力は振るわないという約束もあるし、セックスはしないという約束もある。


 命令はきくけれど、体を売るわけじゃない。

 だから、これ以上はルール違反だ。

 

「もう怒ってるじゃん」

「そう思うならやめて」


 今、当たり前のようにしているこの行為が行き着いた先の知識くらい持っている。宮城だって持っているだろう。


 お互いこの先になにがあるかわかっているから、そこへ行き着くことがないようにしていたはずだ。私も夏休みになってから、宮城を脱がしたり、キスをしたりとルールをないがしろにしすぎているけれど、最後の砦は守るべきだと思っている。


「じゃあ、これで終わり」


 そう言って、宮城が私の肩を掴む。


 触ってるじゃん。


 文句を口にする前に、首筋に柔らかなものが触れる。それが唇だとわかると同時に軽く歯を立てられ、すぐに離れた。けれど、ネクタイもタオルも外されない。体の自由は奪われたままだ。


「終わったなら外してよ」

「背中、こっち向けて」


 宮城の言葉に従うと、手首を縛っているネクタイがほどかれる。


「あとは自分で外せば」


 無愛想な声が聞こえて、宮城の気配が遠くなる。


 私は自分で目隠しをとって、テーブルの上の麦茶を手に取る。そして、ベッドに座り直し、ネクタイをクローゼットに片付けている宮城の背中に文句をぶつける。


「宮城のヘンタイ、すけべ」

「仙台さん、うるさい」

「宮城が変なことするから悪い」

「してない。変なのは仙台さんでしょ」


 宮城が不満そうに言って、テーブルの前に座る。

 私は彼女にタオルを投げつけて、宣言する。


「もう、こういうのなしだから」

「こういうのって?」

「縛ったり、目隠しするの」

「また勝手にルール増やしてる」

「ルールじゃないけど禁止」

「ルールじゃないなら、したっていいじゃん」


 本気でまた同じことをするつもりなのかはわからないが、宮城ならしそうな気がしてくらくらする。


 冗談じゃない。

 今日みたいなことがこの先何度もあったら困る。


「よくない」


 はっきりと言って、麦茶を飲み干す。


 もうすぐ夏休みが終わる。

 残りわずかな休みは何事もなく終わるべきだし、そういう予定だ。


 ちょっとした休憩ならしてもいいけれど。

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