第204話

 部屋の中に入って、息を吸って吐く。

 早足で歩いたときのように跳ねている心臓を落ち着かせる。

 この部屋には何度も入っているけれど、宮城の様子がいつもと違うから今日は少し緊張する。


「そこに立って、服脱いで」


 宮城がベッドの前を指差し、平坦な声で言う。


「服ってこれ?」


 カーディガンを引っ張って、隣にいる宮城に尋ねる。


「Tシャツとスカートも」

「カーディガンとTシャツだけじゃなくて?」


 思わず聞き返す。

 服を脱げという言葉がカーディガンと下に着ているTシャツを指しているだろうことまでは予想したけれど、スカートも含まれるとは思っていなかった。


「スカートも、って言った」

「それは、下着だけになれってこと?」

「それ以外にあるなら教えて」

「……ないね。電気は消すの?」

「消さない。早くそこに立って服脱いでよ」


 宮城が静かに言う。

 カーテンは閉められているから、外から見えることはない。部屋も寒くはないし、暑くもない。だからといって、はいそうですかと服を脱げるわけではない。

 上だけなら宮城の前で脱いだことがあるけれど、スカートもと言われると躊躇う。


 あまりいい罰ゲームじゃないな。


 私はゆっくりと息を吐いて、宮城を見る。

 服を脱げと冗談で言っているようには見えない。


「宮城は脱がないの?」

「仙台さんがする罰ゲームなのに、私が脱ぐわけないじゃん」

「私だけ脱ぐの、さすがに恥ずかしいんだけど」

「罰ゲームだから、恥ずかしいくらいが丁度いいでしょ」


 遅くなるという連絡をしなかったし、ねだられているとわかっているのにキスをしなかった。宮城の機嫌が悪い理由は思いつくが、どちらも服を脱がされるほどのことではないはずだ。


「仙台さん」


 宮城が苛立ちを隠さずに言って、私を見る。

 たぶん、彼女の機嫌は罰ゲームが終わるまで良くならない。


 全部脱ぐわけじゃないし。


 私は自分に言い聞かせてベッドの前に立つ。


「ここでいい?」

「いいよ」

「一応、聞いておきたいんだけど、服を脱がせてなにがしたいの? 常識の範囲内で罰ゲームするってルールがあるんだけど」

「電気を消さなくちゃいけないようなことするわけじゃないから、いいでしょ」


 宮城の言葉を聞いても、自分がなにをされるかわからない。


 私がときどき夢に見ること。


 服を脱いでと言われて、そういうことだったらいいなと一瞬考えた。でも、宮城ならそういうことをするときは電気を消すはずだし、キスすら許してくれない今の宮城がそういうことをするとは思えない。


「電気を消さなくちゃいけないことってなに?」

「仙台さんが考えてること。そういうことはしないから、早く脱いでよ」


 まあ、そうだよね。


 罰ゲームがそんなことのわけがない。

 私はカーディガンを脱いで、畳んで床へ置く。


 宮城はじっと私を見ている。

 遠慮をするつもりがないらしく、視線がザクザク突き刺さって痛い。見られている人間の心情は考えられていない。目を伏せたり、視線を外したりしてもいいのに、宮城は瞬きという機能が壊れているみたいに私を見続けている。


 Tシャツの裾に手をかけて、息を吐く。


「……脱がなかったら?」


 罰ゲームに従わなかったらどうなるか。

 それくらい聞く権利がある。


「部屋から追い出すし、一生入れない」


 それが私にとってどれくらい重いものか理解して宮城が言っているのかわからないが、的確に私が言われたら嫌だと思うことを言ってくる。


「少し視線外すとかしてくれない?」

「仙台さん、羞恥心ないでしょ」


 宮城が酷く失礼なことを言う。

 私にだって羞恥心くらいある。


 でも、服を脱ぐくらいで宮城の機嫌が直るなら脱いでもいいと思ってしまうし、この部屋に入った瞬間から私に断るという選択肢はない。宮城の言葉は私からあらゆる選択肢を奪う。用意された答えに向かって行くしかできず、逆らうことができない。


 どうかしていると思う。

 自分がおかしいことはわかっているけれど、水が上から下へと流れていくように私は宮城が望む方向へ流れていく。


「さっきも言ったけど、私にだって恥ずかしいって感情あるんだけど」


 彼女の視線を纏わりつかせたまま、Tシャツを脱ぐ。そして、スカートも脱いで床へ置く。


 明かりは煌々とついていて、私を見ている宮城は服を着ている。

 自分だけ服を脱いで立っていると、落ち着かない。

 宮城がゆっくりと近づいてきて、布団をめくる。


「座って」


 宮城の声が頭に響く。

 罰ゲームの内容が気になる。


「仙台さん」


 私の首に手をぺたりとくっつけて、宮城が言う。


 手は温かくも冷たくもないけれど、流れ込んでくるものが宮城の体温だとはっきりとわかる。過去に何度もこうやって宮城の熱を感じているはずなのに、まるで初めて感じるみたいに首筋が硬くなり、彼女の手を意識する。


 宮城の指先に力が入り、私はベッドに腰を下ろす。

 体の大部分を隠す布がないだけで、自分の体が頼りないもののように思えてくる。


 首に置かれた手が下へと滑り、肩を撫でる。

 宮城を見上げると、ブラのストラップを引っ張られた。


「やっぱりこれも脱いで」


 いいと言っていないのにストラップがずらされ、肩から落ちる。


「服脱いだし、罰ゲーム終わりでしょ」

「まだ始まってないから。これは罰ゲームの準備。外すね」


 宮城が抱きしめるみたいに腕を背中に回してくる。でも、抱きしめられたりすることはなく、言葉通りブラのホックを外してくる。留めておく力がなくなった下着は簡単に胸を覆う機能を失って、私はブラを手で押さえた。


「ちょっと、宮城。脱ぐのは服だけじゃなかったの?」

「手、どけて」


 機嫌が悪そうな声が降ってくる。

 私の質問に答えるつもりはないらしい。

 手をどけたっていいけれど、心の準備くらいさせてほしいと思う。


「少し待ってよ」

「やだ」


 即答されて、私は息を静かに吐く。


「じゃあ、少し離れて」


 宮城の足にちょこんとつま先を当てると、距離が少し空く。

 ゆっくりと手をどけて、ブラを外す。

 小さく息を吐くと、宮城が私のブラを奪って脱いだ服の上に置いた。


 体を覆うものがなくなるたびに、宮城の視線が強く刺さる。

 今は胸に彼女の視線をはっきりと感じる。


「……見過ぎじゃない?」


 無遠慮に私を見ている宮城に声をかけると、静かな声が返ってきた。


「仙台さんって、顔も体も綺麗だよね」


 思ってもいなかった言葉に面食らう。


 宮城が私を褒めるようなことを言うなんて珍しい。どこかに頭でもぶつけたのではないかと心配になるが、そもそもまともな状態なら罰ゲームでここまで人の服を脱がそうとはしないはずだ。ただ、宮城がおかしくなっているのだとしても、普段は言わない言葉をこんな場面で言ってくるから余計に目を合わせられなくなる。


「それはどうもありがとう。でも、あんまり見られると恥ずかしいんだけど」


 頬が熱い。

 たぶん、赤くなっている。


「連絡しない仙台さんが悪いし、早く帰って来なかった仙台さんが悪い。明日、バイト行かないって言うなら、もうやめてもいいけど」

「バイトは行くから」

「じゃあ、続き。ベッドに横になって」

「電気を消さなくちゃいけないようなこと、しないんじゃなかったの?」

「しないから、いうこときいてよ」


 宮城が私に近づき、耳に触れてくる。

 指先が柔らかくピアスを撫でて離れる。


 彼女がなにを考えているのかわからない。

 それでも言う通りにするしかない。

 抵抗に意味がないことはわかっている。


 ゆっくりと横になると、宮城がベッドの上に乗ってきて私のお腹の下あたりに跨がった。指先がまたピアスを撫でて、顔が首筋に近づく。そして、歯が立てられる。


 私からキスすることすら許してくれなくなっていたくせに、躊躇いもなく噛みついてくる宮城に心臓が忙しなく動く。


 伝わってくる体温が嬉しくて、痛い。


 耳を噛まなかったのは宮城なりの配慮だろうけれど、久しぶりに思い切り歯が立てられているから酷く痛くて、首筋が熱くて、呼吸を忘れかける。皮膚に、肉に、めり込む歯に宮城の肩を掴むと、痛みから解放される。


「宮城。さっきなにもしないって言ったよね?」


 したかったのはキスで、歯を立てられることではない。噛まれたのは短い時間だったから跡が残ったりはしないだろうけれど、不意打ちすぎる。


「なにもしないとは言ってないし、言ったとしても、今までしてきたことを考えたら、これくらいのことなにもしてないうちに入ると思うけど」

「適当すぎない?」

「仙台さんのがうつった」


 軽い声でそう言うと、宮城がまた顔を寄せてくる。


 ぴたり、と鎖骨の下に唇がくっつく。

 そのまま押しつけられて、強く吸われる。

 そして、唇が離れ、ほんの少し位置をずらしてまた押しつけられて、強く吸われる。


 鎖骨の下からさらに下、胸の上に唇がくっつく。

 強く吸っては離れる。

 同じ場所には触れてこない。

 離れて、くっついて、また別の場所にくっつく。


 何度も、何度も、繰り返される。


 宮城の唇は、角砂糖のように小さな痛みを私に与えてくる。角がぶつかり、尖った痛みとともに彼女の体温が入り込み、血液に溶けて体の中を巡る。体の表面に残った跡には唇の感触が残っていて、甘くて、痛くて、もっとほしくなる。今していることがおかしなことだという意識が薄れていく。


 唇は胸からその下へと向かい、肋骨の上に押しつけられる。強く吸って、歯が立てられて、思わず体が小さく動く。骨に当たるほど噛みつかれ、シーツを掴む。唇から伝わる甘さは消え、痛みだけが脳に突き刺さる。唇は場所を変え、吸ったり、歯を立てたりと、種類の違う痛みを与えてくる。


 宮城から伝わってくる熱は、肌を、神経を焼いていく。吐く息が浅くなって、意識が彼女に向かわないように息を深く吸う。宮城を引き寄せて、服を脱がせて、体温を奪ってしまうことのないように、呼吸を整える。


 宮城の行動に、跡をつける以外の意図は感じられない。

 決められたことを決められたように粛々とこなしている。

 そう感じるほど、宮城は淡々と私の体に跡をつけている。


 赤い跡は数を増やし、私を蝕み、宮城を染みこませていく。


「宮城」


 胃の上あたりに跡をつけている宮城を呼ぶが、返事がない。


 彼女はそうすることが義務であるかのように、私の体に唇をつけて、離している。

 印をつけるのはかまわないけれど、あまり長く続くと困る。


「こういうことする目的は?」


 髪を軽く引っ張って尋ねると、宮城が顔を上げた。


「あとつけたいだけ」

「こんなの、いくつつけたってすぐに消えるでしょ」

「わかってるけど、つけたい」

「それって、どうして?」


 宮城が眉間に皺を寄せる。

 プルメリアのピアスを撫でながら、私をじっと見てくる。


「……遅くなるときは連絡するって約束を破らないように。これだけ印つけたら忘れないでしょ」


 そう言うと、宮城はピアスから指を離し、鎖骨の下についているであろう印を撫でた。


「そういう約束、宮城のピアスにするんじゃなかったの? そのためにピアスしたんでしょ」

「仙台さん、ピアスに誓ってもバイトのことは絶対に破るからやだ。そういう守るつもりのない約束、ピアスに誓ってほしくない」


 宮城が今日、一番不機嫌な声で言う。


「じゃあ、私の耳は? 宮城にあげたじゃん。ホールケーキを一緒に食べるって約束だけじゃなくて、他の約束してもいいよ」

「耳だけじゃ足りない。仙台さんは耳だけじゃなくて全部私のものだから、私の好きな場所に約束の印をつける」


 全部私のもの。


 聞き間違いかと思うような言葉に心臓がどくんと大きく反応する。宮城の顔をもっと近くで見たくて体を起こそうとするけれど、鎖骨に強く歯を立てられてベッドから起き上がることができない。


「約束破ったら、また今日みたいに印つける」


 宮城が鎖骨を撫で、ゆっくりと指を滑らせる。

 言われなくても、私の体の上を這う指がなにをしているのかすぐにわかる。宮城は、自分がつけた跡を確かめている。


 赤い跡を一つ撫で、指を滑らせ、次の赤い跡を撫でる。


 同じことを繰り返しているだけで、彼女から不純なものは感じない。


 指先で私の感情を波立たせようとしているわけではないはずだ。でも、指先が動けば感情が小さく揺れる。頭に宮城の“全部私のもの”という声が残っていて、唇が体に跡をつけていたときよりもはっきりと私を高ぶらせていく。


「宮城」


 胸につけた印を確かめている彼女を呼ぶ。

 返事はないけれど、寄せては返す波が大きくなっていく。


「ねえ、宮城。もうやめて」


 呼吸がまた少し浅くなっている。

 劣情、という言葉を思い出す。

 今、私の中にあるどろどろとした不透明な気持ちはそう呼ぶべきものかもしれない。熱くて、濁っていて、一つところに留まっていることができないものが体の奥底から湧き出てくる。


 この感情はよくないものだ。

 理性が飴玉のように溶け、宮城に触れたくなってくる。


 今の私の中にあるのは、不純で不誠実な想いだ。宮城と釣り合いが取れない感情で、今日はどこかに隠しておくべきものだとわかっているのに、宮城に同じ気持ちになってほしいと望んでいる。


「だめだってば」


 私は印を辿っている宮城の手を掴む。

 このままだと、印がついているところも、ついていないところも、もっと触れてほしくなる。


「仙台さんが私に駄目って言うの、なんかやだ。ずっと私のいうこと聞いてきたんだから、今日だっていうこときいて大人しくしててよ」


 宮城が私の肩を噛む。皮膚に歯が食い込んで、鋭い痛みに掴んだ手を離す。宮城の指が胸の上にある印を確かめる。赤い跡を一つ撫でて、緩やかに指が動き、次の跡へ移動する。医者が検査をするように触れているだけなのに、私の体は宮城の指先に反応する。


 マズい、と思う。


 呼吸が乱れる。

 宮城に他意がなくても無理だ。印を辿っているだけだとわかっていても、不純な想いを留めておけない体がその先を期待する。


 指先は膨らみの上へと向かい、視線を強く感じる。

 でも、宮城は一番触れてほしい部分に触れない。


 意識したくないのに神経が胸の中心に集まり、宮城の目から見てもわかるように変化している。


 電気を消してほしいと思う。

 宮城の目に映る私の胸は、触れてほしいという感情をはっきりと伝えているはずだ。


 見られたくない。


 私と宮城の求めるものが一致しているならいいけれど、溝がある状態で私の感情だけを知られるのは不公平だ。

 宮城の手をもう一度掴む。


「動かないでよ」


 不満そうな声が聞こえてくる。


「これ以上はヤバいから。もういいでしょ」

「やだ。離して」


 強く言われて、手を離す。

 理性はどんどん溶けていて、肌を滑る指が気持ちいい。


 赤い跡しか触ってくれないなら、もっと跡をつけてほしい。


 違う。

 そういうことは考えちゃいけない。


 でも、違うと私が伝えても、体だけ走っていく。止めることができないし、印以外触れてくれない指を待っている。


「みやぎ」


 掠れた声がでて、宮城が私を見る。


 指先が触れてほしい場所をかすめて、唇が胸の上に新しい跡をつける。小さな跡は根を張り、体温も息遣いも宮城のすべてを私の奥深くに連れてくる。ただの内出血で、怪我と変わらないはずの跡は、なにもなかった私を変色させ、宮城のことしか考えられない私にする。


 ずっと残っているピアスとは違う。


 消えるからこそ、宮城がほしくなる。

 消えないように、宮城がほしくなる。


「み、やぎ」


 宮城の頭を抱きしめる。


 なんかもう、こんなのは、嫌だ。

 もっとちゃんと触ってほしい。

 

「仙台さん、離して」

「なんで」

「もう終わりにするから」


 そう言うと、宮城が無理矢理私から離れて顔を上げる。


「ずるい」


 宮城の服を引っ張って、引き寄せる。

 首筋に唇をつけ、舌を這わせる。


 宮城にそういうつもりがなかったことはわかっているけれど、人を好きなように触っておいて勝手に終わりにするなんて酷いと思う。


「仙台さん、やだ」


 宮城が私を呼んで、額を押してくる。

 声の強さに大人しく唇を離すと、宮城が体を起こした。


「ごめん」


 私が謝る必要はないような気がするけれど、もっと宮城に触れることを許してほしくて謝る。


 宮城の服を引っ張って、体を起こす。キスがしたくて顔を寄せると、不機嫌な声が聞こえてくる。


「キスしたいなら謝るんじゃなくて、ちゃんと言ってよ」


 宮城が気に入らないという感情を隠さずに、肩を押してくる。


「宮城にキスしたい。させて」


 宮城から求めてほしかったのに、私から求めることになっている。どうしてこんなことになったのだろうと思うけれど、どうしようもない。


 宮城の唇を指先で撫でて「志緒理」と呼ぶ。

 目が合って「いい?」と尋ねると、宮城が静かに目を閉じた。


 彼女が逃げてしまわないようにそっと顔を近づけて、唇を合わせる。柔らかで、温かくて、気持ちが良い。宮城が私の体に印をつけたときのように、唇を離して、またくっつける。ずっとできなかった分のキスを何度もして、桃を囓るように唇に歯を立てると宮城に肩を押された。


「足りない。志緒理、キスしてよ」


 宮城が過去にしたように服を引っ張ると、頬を撫でられる。

 目を閉じると、唇が重なる。

 でも、キスは一度だけですぐに離れて小さな声が聞こえてくる。


「……はづき」


 宮城の声に掴んでいた服を離す。


「え? いま――」


 幻聴。

 違う。


 唇が離れた瞬間、小さくて聞き逃してしまいそうな声だったけれど確かに聞こえた。

 体の奥でくすぶっていた熱が一気に上がって、消える。


 もう一度。

 もう一度言ってほしい。


「志緒――」


 言いかけた言葉は、すべて口にできなかった。


「わっ、ちょっと」


 宮城が私の頭に布団をかぶせてきたせいで、視界が暗くなる。襲いかかってきた布団を剥ごうとするけれど、布団ごと宮城に捕まる。


「仙台さん」


 呼び方が聞き慣れたものになる。


「私が自分勝手だってことはわかってる」


 布団と一緒に私を抱きしめながら、宮城が小さな声で喋り続ける。


「でも、仙台さん突然新しいバイト始めるし……」


 布団で隔離された世界の向こうから聞こえてくる声は、油断をすると布団の壁に吸い込まれて消えてしまいそうで、私はどんな言葉も聞き逃さないように耳を澄ませる。


「勝手に私の夢に出てきて名前呼んだり変なことするし、してほしいことわかってて無視するし、なんかいろいろ上手くいかない」


 変なこと?


 声は私と宮城を隔てる布団に阻まれてはいたけれど、聞き間違いではない。

 宮城は確かに、変なこと、と言った。

 夢を見たことは聞いたけれど、変なことをする夢だとは聞いていない。


 それって。


「……むかつく。仙台さん、責任とってどうにかしてよ」


 聞いた言葉を整理する前に、ぽすん、と布団の上から叩かれて「志緒理」と呼ぶと、布団の向こう側から「宮城」と強く訂正される。


「――宮城。私はどうしたらいい?」

「わかんない」

「言いなよ。私にできることならするから」

「どうしたらいいかわかんないけど。……誰もいない家好きじゃない」


 ぼそぼそと宮城が言って、布団を押さえる手が緩む。

 私は顔を出して彼女を見る。


「ちょっと遅くなることもあるけど、必ず帰ってくるから宮城は一人じゃないよ」


 小さな子どもに言い聞かせるように言って、唇にキスをする。

 でも、もう葉月とは呼んでくれない。


 宮城が私をじっと見てから、ベッドから下りる。そして、私の服を手に取ると布団の上に置いて、背を向けた。


「着たら」


 低い声が聞こえてくる。

 いつまでも裸でいたいわけではないから、渡された服を着る。服を脱いだとき私をじっと見ていた宮城は、今度はちらりとも見ない。


 それはそれで気に入らない。

 見られなかったら、見ればいいのにと思う。


 我ながら面倒くさいと思いながら「着たよ」と告げると、「部屋に戻って」と素っ気ない声が返ってきた。


「罰ゲームは?」

「もういい」


 宮城はそう言うと、私の手を掴んで部屋の外まで連れて行く。共用スペースに追い出された私は、ドアが閉まる前に声をかける。


「宮城。家に一人でいるのが嫌なら、明日カフェに遊びに来なよ。宇都宮と一緒でもいいし」


 どれだけ言っても宮城が来ないことは知っている。

 それでも伝えておく。


「……考えとく」


 ドアが閉まりかけて、宮城の服を引っ張る。


「もう一度、キスしたい」


 やだ、という声は聞こえない。

 顔を寄せると宮城が目を閉じた。

 だから、私はそっと唇を重ねた。


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