私のものじゃない仙台さん
第205話
ただいまでもなく、おかえりでもなく、いらっしゃいませ。
仙台さんから初めて言われた言葉は居心地の悪いもので、頼んだケーキがまだ来ていないのにもう帰りたくなっている。でも、一人で来ているわけではないから、ケーキが来ないのに帰るわけにもいかない。
「志緒理。仙台さん、制服似合ってるね。カフェエプロンだっけ? 私、あれ好きなんだよね」
仙台さん、と言うよりも、このお店の制服の一部になっている腰から下を覆うタイプのエプロンは確かに格好いいが、格好いいことが居心地の悪さに繋がってもいる。
仙台さんが私の知っている仙台さんじゃない。
一人で家にいるよりもと思って、舞香を誘って仙台さんのバイト先まで来たけれど、来なければ良かった。一人でいることがつまらなくても、寂しくても、嫌でも、家にいれば良かったと思う。
「誕生日にプレゼントしようか、って、来年で良ければだけど」
私は、隣のテーブルにやってきた店員を見ている舞香に声をかける。
「今年の誕生日終わっちゃったしね」
「……クリスマスでもいいけど」
ぼそりと言うと、舞香から明るい声が返ってくる。
「クリスマスいいね。今までしてなかったけど、今年はプレゼント交換しようか」
高校までの私たちは友だちの誕生日を祝うことはあっても、バレンタインやクリスマスにチョコレートやプレゼントを交換することはなかった。
私はそういうことに興味がなかったし、イベントごとになにかすることをつまらない儀式だと思っていて、私はずっとそういう私でいると思っていたけれど、そうじゃなかった。
仙台さんがバレンタインにチョコレートを持ってきたり、クリスマスにプレゼントを渡してくるから、私は私のままでいられなくなっている。
私のどこか、目に見えない場所が、気がつかないうちに仙台さんに変えられている。
「クリスマスプレゼント、舞香はエプロンでいいの?」
「そうだなあ。家で使うなら胸まで隠れるエプロンのほうが服が汚れなくていいかなあ」
そこまで言うと、舞香がうーんと唸る。
「エプロンじゃなくてもいいし、ほしいものがあったら言ってよ」
「ありがと。考えとく。志緒理もクリスマスプレゼントなにがいいか考えといてね」
「うん」
私たちはまだ先の真冬の話をしながら、三分の二ほどの席が埋まっている夕方の店内を見る。
大きくはないけれど小さくもないカフェは、お洒落だけれど珍しいタイプのお店ではない。常連が多いのかお店の人と話をしているお客さんがいて、くだけた雰囲気がある。
私はカウンター近くのテーブルを見る。
視線の先、仙台さんが少し怖そうなお客さんと話をしている。
会話の内容は聞こえてこないけれど、親しそうだと思う。
他のお客さんのテーブルにいるよりも、長くそこにいる。
「仙台さんって接客業向いてるよね」
しみじみと言う舞香の声が聞こえてくる。
「一ヶ月も働いてないのに一年くらい働いてるみたいに見えるもん」
「そうだね。すごく馴染んでる」
笑顔を作って答えてから、視線を窓に向ける。
やっぱり家にいれば良かった。
ここにいる仙台さんは、私のものにはならない仙台さんだ。
私が知ることのできない時間を仙台さんがどう過ごしているか。
それはとても気になることではあったけれど、知ったところでどうにもできない。現に今、私が知らなかった時間の仙台さんを見ているけれど、どうにもできずにいる。ただよく知らない女の人と話をしている仙台さんを見ているしかできない。
テーブルの上、可愛いグラスに入った水を飲む。
舞香が新しく買った漫画の話をし始めて、相づちを打つ。
しばらくすると仙台さんのかしこまった声が聞こえてきて、私は彼女のエプロンを見た。
「お待たせいたしました」
チーズケーキとショートケーキに紅茶とコーヒー。
運んできた仙台さんがテーブルの上に置く。
「店員さんっぽい」
舞香が楽しそうに言って、仙台さんを見る。
「店員だからね」
「カウンターの近くに座ってる人って、常連さん?」
私が気になっていたことが舞香の口から飛び出る。
「んー、常連でもあるけど先輩でもある人かな。家庭教師のバイト紹介してくれた人なんだよね」
仙台さんと関係が深い人。
そんな人が仙台さんのバイト先の常連であることに、ケーキを食べる前から胃が重くなる。
「そうなんだ」
落ち着かなくて二人の会話を聞きながら店内を見るけれど、やっぱり店員がお客さんとお喋りをしていても誰も気にしていない。仙台さんも、一つのテーブルに長くいることを気にしていない。
「宮城」
唐突に名前を呼ばれて、チーズケーキを見ながら答える。
「なに?」
「さっきから思ってたけど、そのリップ似合ってるね」
「……自分が選んだヤツだから言ってるでしょ」
家を出る直前まで悩んで、仙台さんからもらったリップを塗ってきた。それは仙台さんに見せるためではなく、舞香に会うからだ。大学でもリップを塗っていることが多いし、休みの日だけ塗らなかったら変に思われる。それだけのことで塗っているだけだから、仙台さんに褒められる必要はない。
「バレたか」
仙台さんが小さく笑う。
彼女は昨日のことを気にしていないのか、朝からいつもと変わらない顔をしている。
昨日、私がしたことは酷いことで、ルームメイトにするべきことではなかった。それを考えると、仙台さんは怒っていてもいいはずなのにどういうわけか機嫌が良い。私をからかいたいだけだろうけれど、リップを褒めるくらい余裕がある。
でも、私は仙台さんとは違って、朝から彼女の顔をちゃんと見ることができない。見ると、昨日のことを思い出す。
彼女の体。
いくつもつけた赤い印。
脳裏に焼き付いている。
そして、言うべきことではないことまで口にした自分。
ため息がでそうになって飲み込む。
仙台さんが早くここからいなくなればいいのに、いなくならない。
「そうだ、宇都宮。学祭、行きたいんだけど案内してよ」
チーズケーキとにらめっこをしていた私の耳に予想もしなかった言葉が飛び込んできて、思わずずっと見られなかった仙台さんの顔を見た。
「あ、丁度良かった。仙台さん、学園祭に誘おうって志緒理と話してたんだよね」
楽しそうに答える舞香の言葉は間違っていない。
確かに彼女は、仙台さんを学園祭に誘おうと言っていた。でも、私は「うん」とはっきりは言っていない。
――嫌だともはっきり言っていないけれど。
「そうなんだ。なら、遊びに行くから案内よろしく」
仙台さんが弾んだ声で言って、ずるい、と思う。
私には一言も学園祭に行きたいなんて言わなかった。
それはたぶん、私に言えば「来ないで」と言われるとわかっているからだ。そして、舞香に言えば絶対に「来て」と言われるとわかっているからだ。
本当に仙台さんはずるい。
「任せといて。ね、志緒理」
当然のように舞香が答えて私を見る。
「あ、うん」
嫌だ。
来ないで。
舞香の前で言えるわけがない。
「じゃあ、そういうことで」
にっこりと笑って、仙台さんが他のテーブルへ行く。
私は彼女の姿が完全に消えてからチーズケーキを一口食べて、大きなため息をついた。
「なにそのこの世の終わりみたいなため息」
「……他人の記憶を消す方法を知りたい」
額を押さえながら言って、紅茶を一口飲む。
「それ、怖いから。もしかしてなにかあったの? 今日、急に仙台さんのバイト先に行かない? って連絡してくるしさ」
「なにもないけど」
「なにもないのに記憶消したいほうが怖いじゃん」
「まあ、そうだけど」
消したいのは昨日の仙台さんの記憶で、それを舞香に話すわけにはいかない。
はあ、ともう一つため息をつく。
仙台さんは何事もなかったかのように接してくれているけれど、昨日したことも、話したことも、彼女の記憶に残っているはずだ。してしまったことはとにかく、言ってしまったことは言わなくても良かったことで、彼女の記憶から消したいと思う。ついでに、今の学園祭に関する記憶も消してしまいたい。
「あ、わかった。また仙台さんと喧嘩したんでしょ。……と言いたいところだけど、違うか。喧嘩してたらバイト先に来たりしないもんね」
「まあね」
私は他のテーブルで注文を取っている仙台さんの背中を見る。
制服は似合っていて、少しよそいきの声は綺麗だ。
いつもと違う彼女は私の心を灰色の雲で覆う。
仙台さんの記憶は消したいけれど、昨日つけた跡は消したくない。
それどころか、足りなかった、と思う。
制服の下に隠れた赤い印。
彼女の体をすべて覆ってしまうくらいつけておけば、心の雲をもっと小さなものにできたかもしれない。
フォークでチーズケーキを大きく切って、ぷすりと刺す。
やっぱり来なければ良かった。
私はフォークに刺さったチーズケーキをぱくりと食べて、小さく息を吐いた。
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