仙台さんは他の誰とも違う

第185話

「九月になっても夏休みって変な感じ」


 久しぶりに会った舞香がしみじみと言う。

 約一ヶ月を実家で過ごしてきた彼女は、ほんの少し日に焼けていて健康的に見える。


「大学生って、夏休み長いよね」

「長いけど、ほとんど実家にいたから大学生っぽいことなにもできなかった。せっかく一人暮らししてるのに、この部屋まったく使えなかったし」


 舞香が大げさに床に倒れ込むが、浜辺でひなたぼっこをしているアザラシのように横になっているから悲壮感はない。どちらかと言えば楽しそうに見える。

 私は視線を舞香からテーブルの上へと移す。


 麦茶が入ったグラスが二つとポテトチップスの袋が一つ。


 私は水滴がついたグラスを取って、喉を湿らせる。

 お土産があるからと言われて遊びに来た彼女の部屋は、暑くもなければ寒くもない。私にとっての適温に保たれている。


「まだ夏休みなんだし、今から大学生っぽいことすればいいじゃん」

「大学生っぽいことってなに?」


 間髪をいれずに舞香が尋ねてくる。


「さあ、なんだろ」


 大学生になって半年近くが経ったけれど、高校生だった頃とさほど変わらない私に聞かれても困る。こういうことは私ではなく、仙台さんに聞いてほしい。でも、舞香が仙台さんに連絡をすると言いだしたらあまり良い気分にならないとわかっているから、言わずにおく。


 私たちは、お互いが思う“大学生っぽいこと”を挙げては否定するという生産性のないことを繰り返す。


「志緒理、旅行は?」


 何回目かの声に「面倒くさい」と答えると、舞香がアザラシから人間に戻って起き上がった。


「そうだ、亜美が冬休みは帰ってこいって言ってたよ」

「この前、亜美に冬休みも帰らないって言ったけど」


 八月の終わり、亜美から冬休みの予定を聞かれて帰らないと伝えた。まだ先の話だけれど、予定が変わることはない。


「説得してって言われた。年末年始も帰らないの?」

「帰らない」

「親、うるさくない?」

「うち、放任主義だし」


 父親は仕事が一番で、干渉してくるほど私に関心がない。

 そもそも私に干渉できるほど家に帰ってこないから、夏休みは帰らなかった。


「羨ましい。私も冬休みはずっとこっちにいたいけど、帰るしかないかな。お年玉もあるしね」

「いいね、お年玉」

「志緒理も帰れば? 亜美が喜ぶよ」

「亜美には会いたいけど」


 口にした言葉に嘘はないけれど、誰もいない家に帰りたいとは思えない。


「年末年始はみんな帰るだろうし、一人だとつまらなくない?」


 一緒に帰ろうよ、とは言わないが、そう言いたいとわかる声で舞香が言う。


「仙台さんも帰らないと思うし、一人にはならないかな」


 仙台さんの予定は聞いていないけれど、年末年始だからといって家に帰ったりはしないはずだ。だから、誰も帰ってこない実家にわざわざ帰るよりここに残りたい。


「仙台さんも帰らないんだ。そう言えば、仙台さんって夏休みも帰ってないよね?」

「家にいたけど」

「二人で遊びに行ったりとかした?」

「出かけたことは出かけたけど」


 聞きたくなるのはわかる。

 私も舞香の立場だったら同じことを聞くはずだ。

 でも、答えにくい。

 やましいことがあるわけではないのに、後ろめたい気持ちになる。


「どこ行ったの?」


 舞香が軽い調子で聞いてくる。

 深い意味はないとわかっているし、出かけたと言えばどこへという流れになることに不自然な点はない。


「水族館」


 私は短く答えて、麦茶を飲む。


「意外。仙台さんってもっと違うところに行きそうなのに。っていうか、水族館ってデートみたい」

「デートじゃないから」


 ルームメイトと出かけることはおかしなことじゃない。

 その場所が水族館だとしても問題はない。

 友だちと行ってもいい場所だし、ルームメイトと行ってもいい。

 デートみたいだと言う舞香の方がおかしいだけだ。


 仙台さんとのことを人に話すときに意識しすぎている私もおかしいけれど、彼女とはルームメイトとは言えないようなこともしているからそれを気にしすぎているだけだと思う。


「まあ、デートっていうのは冗談だけど。いいなー、私も遊びに行きたかった」

「じゃあ、二人で遊びに行く?」

「いいね。どこ行く? ――って、志緒理。誕生日、今月じゃん。誕生日に遊びに行けばいいんじゃない?」

「あ、誕生日は……」


 急に誕生日という単語が出てきて、言葉に詰まる。

 去年まで私の誕生日を祝ってくれていたのは舞香と亜美だ。

 でも、今年はそうはならない。


「ん? もしかしてなにか予定ある?」


 舞香が不思議そうな顔をする。

 言いにくいけれど、言わなければならない。


「……約束ある」

「あ、約束あるんだ」

「うん。仙台さんと」

「二人で?」

「……そんな感じ」

「ええー、今年は私が志緒理と二人で出かけようと思ってたのにー」


 舞香が大げさに言う。

 そして、にこりと笑うと言葉を続けた。


「……って言いたいところだけど、去年も大したことしてないしね。誕生日は仙台さんに譲るか」

「ごめん」


 舞香に気を遣わせているとわかるから、悪いなと思う。

 本当は舞香も呼んで三人で誕生日を過ごせばいいのだろうけれど、そうは言えない。


「約束してたわけじゃないし、謝ることないって。そうだ、仙台さんの誕生日っていつなの?」

「八月」

「もう終わっちゃったんだ。二人でなにかしたの?」

「一応」


 なにかした、と言うほどのことではないが、誕生日っぽいことはしたと思う。

 ただ、渡すべきか迷って渡した誕生日プレゼントがあれで良かったのかはわからない。仙台さんは喜んでいたけれど、もらったものを突き返すような人ではないから嬉しいという言葉が本心だったのかは謎のままだ。


 彼女の優しさに少しは応えたいと思って誕生日を祝ってみたものの、上手くいったとは思えずにいる。


「志緒理、夏休み満喫してたっぽくてずるい」

「舞香は亜美と遊んできたんだし、いいじゃん」

「そうだけどさー。ここでも満喫したかった」


 舞香が珍しく駄々っ子のように言うと、また床に倒れ込んで浜辺のアザラシになる。


 私は仙台さんから教えてもらったアザラシとアシカの違いを思い出しながら、舞香と九月に入っても続いている夏休みについて語り合う。そして、大学が始まるまでにもう一度会ってどこかへ遊びに行こうと決めて、二人で夕飯を食べてから、電車に揺られて家へ帰る。


 階段を上って三階、玄関のドアを開けると今日はどこにも行かないと言っていた仙台さんの靴がある。本当に出かけなかったのかわからないが、家にはいるらしい。

 共用スペースへ行くと、部屋から出てきた仙台さんに「おかえり」と言われて「ただいま」と返す。


「宇都宮、元気だった?」


 夏休みに入ってから機嫌が良いことが多かった仙台さんが、浮かない顔をして言う。


「元気だった。日に焼けて健康的になってたし」

「それなら良かった」

「これ、お土産。二人で食べてって」


 仙台さんに舞香からもらったお土産を渡すと、「今、食べる?」と聞いてくる。さっきご飯を食べたばかりでお腹に余裕がなくて「明日でいい」と答えると、ゆっくり話をするつもりなのか仙台さんが椅子に座った。


「今日、楽しかった?」

「まあ、久しぶりに会ったし。休み中にまた遊びに行く予定」

「それっていつ?」

「まだ決めてない」

「そっか」


 仙台さんがぼそりと言って、座ったばかりの椅子から立ち上がろうとする。どうしても話したいことがあるわけではないけれど、彼女に部屋へ戻ってほしくはなくて、私は口を開いた。


「仙台さんって、冬休みは家に帰るの?」

「帰らない。冬休み中だけできる短期のバイトしようかなって思ってる」


 予想していた答えと予想していなかった答えが返ってきて、私は自分の手をぎゅっと握りしめる。


「家庭教師は?」

「それとは別に」

「……バイト増やすの?」


 今でも受け入れられない家庭教師のバイトの他に、さらにバイトをするという仙台さんを見る。


 家庭教師は、生徒が過去の自分と重なりすぎる。

 私としたことを生徒にするわけがないとわかっていても、彼女がバイトをしていると気持ちが晴れない。仙台さんの時間も奪っていくし、今でも辞めてほしいと思っている。


 他のバイトだったら許せると思ったこともあったけれど、私は家庭教師をしている仙台さんだけじゃなく、他のバイトをする仙台さんも受け入れられそうにない。


「そのつもり。宮城は帰るの?」


 仙台さんが私を見る。


「帰らない」

「じゃあ、冬休みも一緒にどこか行く?」

「バイト増やすなら、そんな時間ないじゃん」

「どこにも行けないほど増やすつもりはないんだけど」


 にこりと仙台さんが笑って、わけもなくキスがしたくなる。


 どうして。

 どうして仙台さんは他の誰とも違うんだろう。


 特別な存在にしたくないのに、他の誰かが代わりになることはない。彼女の存在を私の中で大きくしたくないと思っていても確実に大きくなっていて、一緒にいると理由もなく他の誰にもしないなにかがしたくなる。


 私は、仙台さんの唇に手を伸ばして触れる。

 指先を強く押しつけると、仙台さんは当たり前のように目を閉じた。


 唇を寄せると、触れる前から彼女の熱が伝わってくる。

 自分の気持ちを見ないように目を閉じて、唇に噛みつく。


 仙台さんが体を引きかけて、私の腕を掴んでくる。

 歯を強く立てると、腕を掴む手の力も強くなる。


 唇に傷をつけるつもりはないが、仙台さんがどこでなにをしていてもすぐにわかる印をつけておきたくなる。彼女は私のものではないけれど、私以外の誰が見てもわかる印をつけたい。


 柔らかですぐに血が出そうな唇を強く、強く噛んで、彼女を解放する。


「……めちゃくちゃ痛かったんだけど」


 仙台さんが不満そうに言って、唇を指で撫でる。そして、指先に血がついていないことを確認すると、小さく息を吐いた。


「怒れば」


 私はずるい。

 仙台さんが本気で怒ったりしないとわかって言っている。


「宮城がわけわからないことするの、もう慣れた」


 呆れたように言うと、仙台さんが立ち上がった。

 でも、部屋には戻らない。


「機嫌悪い?」


 そう言って、私の前髪を軽く引っ張ってくる。


「悪くない」


 口にした言葉に嘘はない。

 だから、それを証明するために私は彼女の唇にキスをした。

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