第184話
幸せな時間はあっという間で、目が覚めると誕生日が終わっていた。
ベッドの上、体を起こして天井に向かって腕を伸ばす。
今日も明日も明後日も永遠に誕生日が続いてほしいけれど、一日しかないものだからこそ宮城が祝ってくれたのだと思う。
きっと宮城は、無理をしていた。
普段の彼女からは想像できない。
私のためにピザを頼んで、ケーキを用意して、この先の約束までしてくれるなんて。
あまり無理をしてほしくはないが、自分が無理をしてもらえるような存在になれたことが嬉しくもある。
私は大きな欠伸を一つして、ベッドから下りて床に座る。
桔梗ちゃんから誕生日プレゼントとしてもらった小さな紙袋をテーブルの上から取って、開ける。手作りだと言われたクッキーは、お店で売っているもののように綺麗にラッピングされていた。
勿体ないと思いながらリボンを解いて、クッキーを囓る。
「美味しい」
昨日、ピザやケーキでお腹がいっぱいになって結局手をつけることがなかったそれは少し歪な形ではあるけれど、今までもらった誰からのクッキーよりも味がいい。私はもう一枚クッキーを摘まんで口に運ぶ。
私が桔梗ちゃんと同じ中学三年だったときは、勉強ばかりしていた。あの頃にお菓子を作る気持ちの余裕があったら、親が期待した自分になれたのかもしれない。でも、そういう自分になっていたら宮城に会うことはなかった。
クッキーを焼いたりしない中学三年の私がいたから宮城に誕生日を祝ってもらえる私がいると思うと、余裕がなかったあの頃の自分にも意味があったと思える。
今なら、いつでもお菓子が作れる。
宮城と一緒にクッキーを焼くのも悪くないと思う。
「嫌だって言いそうだけど」
眉間に皺を寄せた宮城の顔が頭に浮かんで苦笑したところで、お腹がぐうと鳴る。顔を洗って食事の準備をすることにして、立ち上がる。ドアを開けると小さな音が聞こえてそっと部屋の外へ出ると、ドアノブにかけられた袋が目に入った。
私はそれを手に取って中を見る。
ラッピングされた平たいなにかとカードが一枚。
部屋に戻ってカードから確認すると、そこには猫のイラストと『HAPPY BIRTHDAY』という文字が印刷されていた。
「バースデーカード?」
宮城は昨日、誕生日プレゼントを用意していないようなことを言っていた。
一瞬、宮城ではない誰かからの贈りものかもしれないと考えて、ここが家の中だということを思い出す。彼女以外の誰かからのプレゼントがドアノブにかけられていたら怖い。と言うことは、この袋に入っているものはどう考えても宮城からの誕生日プレゼントで、私はそれほど厚みのないなにかを取り出す。
慎重にラッピングペーパーを剥がして中から出てきた薄い箱の蓋を開けると、五匹の猫が鎮座していた。
「箸置き、かな」
三毛猫、黒猫、白猫、茶トラにハチワレ。
猫の形をした箸置きは、部屋に飾っておいてもいいくらい可愛い。
昨日渡してくれたら良かったのに。
この箸置きを昨日もらっていたら、誕生日プレゼントの代わりに叶えてもらった二つの望みを叶えてもらうことはできなかったけれど、それでも宮城から手渡しでもらいたかったと思う。
不機嫌そうでも、愛想がなくても、宮城から直接もらえたら、彼女を抱きしめて、キスをして、その先ももっと――。
まあ、許してくれないだろうけれど。
私は五匹の猫の中から三毛猫と黒猫を取りだして、手のひらに載せる。
「お米研ごうかな」
朝はトーストを食べるつもりだったけれど、もらった箸置きを使えるメニューに変更する。
私は部屋を出て、共用スペースのテーブルの上に二匹の猫を置く。顔を洗って着替えてから、お米を研いで炊飯器にセットする。
おかずを作り始めるには少し時間が早くて、椅子に座って二匹の猫を眺めていると宮城の部屋のドアが開いた。スウェット姿の宮城が出てきて「おはよ」と声をかけると、「おはよ」と返ってくる。
「箸置き、ありがとう。これ、誕生日プレゼントだよね?」
テーブルの上の猫を指差す。
「仙台さん、猫好きなんでしょ」
宮城が私の言葉を肯定も否定もせずに素っ気ない声で言う。
「好きだよ、猫。だから、嬉しい」
「仙台さんなにがほしいのかわからなかったし、普段使えるもので猫のものにしただけだから」
宮城が言い訳のように言って、洗面所に逃げていく。
腕を掴んで逃がさないようにすることもできたし、抱きしめてどこにも行けないようにすることもできた。でも、いつまでも洗面所にいるわけはないだろうし、スウェット姿で家の外にはいかないはずだ。待っていれば宮城はまたここに来るから、私は猫と一緒に彼女を待つ。
普段使えるもの、か。
どうして箸置きなんだろうとは思ったけれど、さっきの言葉から宮城なりに悩んで選んでくれたとわかる。
どうやら誕生日というのは、宮城の時間と思考を奪って私でいっぱいにできる日らしい。
夏休みの最中で忘れられがちな八月二十三日は、今までは本人ですら忘れそうになるくらいのものだったけれど、宮城のおかげで来年が楽しみになった。
早く次の誕生日が来ればいい。
そう思わずにはいられない。
私はテーブルの上の三毛猫と黒猫を捕まえて、二匹の鼻先と鼻先をくっつける。
「仙台さん、なにやってるの?」
二匹の猫に何度目かのキスをさせた後、宮城の声が聞こえてくる。
「箸置きで遊んでる」
そう言って宮城を見ると、目をそらされた。
私は三毛猫と黒猫をテーブルの上に戻して立ち上がる。そして、宮城が逃げ出す前に彼女の腕を掴んだ。
「離して」
宮城が不機嫌そうに言う。
「座ってくれるなら離す」
「着替えてくるから離してよ」
「着替えにいってもいいけど、少し話してからにしなよ」
「……いいけど、少しだけだから」
念を押すような声に掴んでいた腕を離すと、宮城が渋々といった様子で椅子に座った。
「残りの箸置きは?」
愛想のない声が聞こえてきて、私は彼女の向かい側に腰を下ろす。
「白猫と茶トラとハチワレは部屋に飾っておく」
「使ってよ」
「箸置きは一人一個あれば十分だし、使う分はここに出してあるでしょ」
二匹の猫を指差すと、宮城が黒猫をつついて眉根を寄せた。
「一個多いじゃん」
「黒猫は宮城用」
「箸置き、仙台さんにあげたんだけど」
宮城は低い声で言うと、黒猫を私の方に押しやる。
箸置きの猫が五匹なのはたまたまで、お揃いで使いたいということではないことくらいはわかっている。それでも五匹もいるのだから、そのうちの一匹を宮城のものにしても悪くはない。
「いいじゃん。五個もあるんだし、一個宮城のにしても」
押しやられた黒猫を三毛猫の隣に戻すが、宮城は使うと言わない。
「もらった私が宮城に使ってほしいって言ってるんだから、使いなよ」
「……なんで黒猫なの?」
宮城がぼそりと言って私を見る。
「宮城って感じだからかな」
宮城は、否定もしないし文句も言わない。でも、黙っているところを見ると、本人は自分が黒猫に似ているとは思っていないらしい。
「黒猫が嫌なら、他の猫にするけどどうする?」
「それでいい」
ぼそりと言って宮城が立ち上がる。
「待ちなよ。まだ聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「宮城は誕生日にほしいものある?」
「ない」
素直に答えてくれるとは思わなかったが、想像以上に簡潔な答えで私の問いかけは一刀両断にされる。
「じゃあ、目玉焼きと卵焼きどっちが好きか教えて」
「なんでそんなこと答えなきゃなんないの」
「くだらない話をしたいって言ったでしょ」
昨日、私は宮城とどうでもいいことやくだらないことを話す約束をした。これはその一歩で、これから繰り返すことになるどうでもいいけれどどうでも良くない話だ。
「……どっちも好きだけど、今日は目玉焼きの気分。仙台さんは?」
「私も目玉焼き。ってことで、朝ご飯は目玉焼きね」
にこりと笑いかけると、「半熟がいい」という控え目な声が聞こえてきた。
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