第94話
学校がある日は、仙台さんを呼び出せる。
理由はあってもなくてもいい。
少し前までは嫌なことがあった日に呼び出していたけれど、今はもう関係ない。呼びたい日に仙台さんを呼んでいる。
今日も特に理由はないけれど、仙台さんを呼んだ。
それでも、二十四日や二十五日を避けて二十三日を二学期最後に会う日として選んだことについては褒められるべきだと思う。
仙台さんならクリスマスに約束の一つや二つありそうだし、私も舞香との約束がある。記憶に残りそうな日は避けるべきだとも思っているから、今日を選んだ。
仙台さんがどう思ったかは知らないけれど。
私は、二人分の紅茶とお菓子を載せたお皿を一つ持って部屋へ戻る。いつものようにブラウスのボタンを二つ外した仙台さんの前とその隣に紅茶を置く。テーブルの真ん中にお皿を置いてから座ると、仙台さんが四角いけれど形は揃っていないお菓子を指さして言った。
「これなに?」
「ファッジ」
「ファッジ?」
「イギリスのお菓子。お父さんからもらった」
「美味しいの?」
初めて食べるものらしく、仙台さんはファッジを口に入れずにまじまじと見ている。
「バターと砂糖と牛乳の塊らしいよ」
「え、それ、カロリーヤバくない?」
「たぶん、ヤバい。昨日、食べたらめちゃくちゃ甘かった」
茶色い塊はキャラメルによく似ているけれど、口に入れるとほろほろと崩れてキャラメルの十倍は甘い。でも、甘いだけではなくて、ミルクの風味が濃くて何個も食べたくなる。
「だから、今日は紅茶なんだ」
「麦茶が良かった?」
「私は炭酸じゃなければいいけど、宮城はいつもサイダー飲んでるからさ。珍しいと思って」
そう言って、仙台さんがファッジを一つつまみ上げる。
「あと、これ。お菓子出してくるのも珍しいよね。ちょっと早いクリスマス?」
「そういうのじゃない。たまたま家にあったから、出しただけ」
「そっか」
からかうようなことを言ってくるかと思ったけれど、そんなこともなく仙台さんがファッジを一口で食べる。そして、噛み砕いてごくんとそれを飲み込むと眉毛をぴくりと上げて言った。
「美味しいけど、たくさん食べたら絶対に駄目なヤツだと思う」
仙台さんが紅茶を冷ましながら飲む。中身が三分の一ほど減ったティーカップがテーブルの上に戻され、彼女の手がまたファッジに伸びる。けれど、手はキャラメルに似た塊をつまむことなくカップに戻った。
「仙台さん。口、開けて」
ファッジをつまんで見せると、仙台さんがカップから手を離した。
「命令?」
「そう」
命令であることを肯定する。
仙台さんが仕方がないというように口を開けて、私は手にしたお菓子を近づけた。
茶色い塊を唇にくっつけて、ついでに指先でも彼女の唇に触れる。ほんの少しだけ柔らかな感触が伝わってくる。
ネックレスと一緒に彼女の肌には何度も触れている。
唇は、その滑らかな肌よりも柔らかい。
もっとゆっくりとその柔らかさを味わいたくなるけれど、私は糖分たっぷりの塊を仙台さんの口の中に押し込んだ。
「甘い」
仙台さんが昨日の私が思わず口にした言葉と同じ言葉を呟きながら、お菓子を咀嚼する。私は、彼女の口からファッジがなくなった頃を見計らってもう一つそれをつまむ。
「これも」
唇に押しつけると、仙台さんが素直に口を開く。
キャラメル色のお菓子を口の中に押し込んで、指先で唇をさっきよりもゆっくりと撫でる。仙台さんの唇が閉じて、それでも指を離さずにいると手首を掴まれた。
「宮城も食べなよ」
口の中のものを飲み込んだのかよくわからないうちに仙台さんが言って、私の手首を離す。そのままファッジに手を伸ばそうとするから、私は彼女よりも先に茶色いお菓子を一つ取った。
「自分で食べる」
昨日それなりの数を食べて、今日も仙台さんが来る前に三つ食べたからファッジを食べたいわけじゃない。これは彼女のために出したようなものだ。でも、お菓子を用意した理由は言いたくないし、いらないと言っても仙台さんは食べさせようとするだろうから、自分で甘ったるいお菓子を口の中に放り込む。
「甘い」
さっき聞いたばかりの台詞と同じ言葉を口にして紅茶を飲むと、仙台さんが静かに言った。
「宮城はさ、クリスマスって宇都宮とどこか行くの?」
「そうだけど、仙台さんは茨木さんと?」
「羽美奈はデート。だから、もう一人の友だちと」
「そうなんだ」
他に言葉が浮かばなくて会話が終わってしまうような言葉を返すと、仙台さんはカップをテーブルの端に避けて教科書を並べだす。それはこれ以上話すことがないということで、私はなにも言えなくなる。
今日が終わったら、冬休みが終わるまで会うことはないと仙台さんもわかっているはずだ。でも、彼女は冬休みのことを聞いてこない。一学期の終わり頃は夏休みの過ごし方についてあれこれ口を出してきていたから、不自然なくらいに聞いてこないと言ってもいいと思う。
隣からは、教科書のページをめくる音とペンがノートを走る音しか聞こえてこない。
私は、紅茶を一口飲む。
仙台さんは結局、夏休みのように家庭教師をするとは言ってこなかったし、今日も言いそうにない。
私は立ち上がってベッドに座る。
彼女の顔を見て話す自信がない。
「……仙台さん、冬休みってなにしてる?」
口に出すと、思ったよりも小さな声で嫌になる。
「勉強」
振り向かずに仙台さんが当たり前としか言いようのない答えを口にする。
当然だと思う。
受験が近いし、遊んでいる暇はない。
人に勉強を教えている時間があるなら、自分の勉強をするべきだ。そんなことはわかっているけれど、この会話を終わらせたくはない。
「それ以外にすることないの?」
「ないかな。羽美奈たちと初詣くらいは行くけど」
冬休みに関することであまり聞きたくない名前を仙台さんが口にする。
――茨木さんと初詣に行く時間があるなら。
そんな時間があるなら、私にも少しくらい時間を割いてくれたって良いと思う。
「仙台さん。こっちにきて隣に座って」
「隣?」
仙台さんが振り返る。
「そう、隣に座って。聞こえなかった?」
「聞こえたけど、冬休みの話から変なところに話が飛ぶから。で、それは命令?」
「命令」
はっきりと告げると、仙台さんが仕方がないという顔をしながら立ち上がって私の隣に座った。
ぎしりとベッドが軋む。
さっきよりも近くなった仙台さんの体温に、私の心臓が跳ねる。
「座ったけど、次は?」
「目、閉じて」
「なんで?」
目を閉じてという命令は無視され、仙台さんがじっと私を見てくる。
「閉じないなら、いい」
「途中で放り出さないで、ちゃんと命令しなよ」
「ちゃんとって?」
「キスしたいから目閉じてって言えば、ってこと」
不満だ。
不満しかない。
目を閉じた仙台さんにすることはキスで間違いはないけれど、彼女の言い方だと私の方がキスをしたくてたまらないという風に聞こえる。
でも、そうじゃない。
今からするキスは私がしたくてするものではなくて、いつもキスをしたがる仙台さんのためにするものだ。だから、彼女の言葉は間違っている。
「宮城、キスしたいんでしょ?」
黙っていると、仙台さんが決めつけるように言って手を握ってくる。
「違う。……でも、目は閉じて」
このキスは今日しなくちゃいけない。
今度では冬休みの後になってしまうし、それでは意味がない。
握られた手を取り戻して、仙台さんのブラウスを掴む。命令するかわりに掴んだそれを軽く引っ張ると、仙台さんが目を閉じた。
私はゆっくりと顔を近づける。
夏休みに数え切れないくらい私からキスをしたのに、今初めてするみたいに緊張する。心臓は三倍になったくらい大きな音を鳴らしている。
目を閉じる前に仙台さんを見る。
黙っていると、綺麗だなと思う。
整えられた眉に、特別長いわけではないけれど私よりも長いまつげ。いつも私をからかってくる唇は艶やかで、触れると柔らかいことは知っている。指先に感覚がまだ残っている。目は閉じているよりも私を見ている目の方が良いけれど、今開けられても困る。
だから、仙台さんが目を開けてしまう前にキスをする。
指で触れたときよりもはっきりと唇の感触が伝わってくる。
柔らかで、温かくて、触れているだけで気持ちが良い。
もっと仙台さんの側にいたくなる。
でも、いつまでもくっついているわけにはいかないから唇を離す。そして、私は仙台さんの肩に顔をうずめた。
「……冬休み、勉強教えに来てよ」
大きな声では言えなかったけれど、今日言いたかったことを口にする。
私のキスにそれほど価値があるとは思えないけれど、仙台さんは今までに何度かキスをしたがっていたから交換条件の材料くらいにはなるはずだ。
「休み中って、会わないってルールでしょ」
耳もとで声が聞こえる。
けれど、仙台さんが口にしたのは考えていたこととは違う言葉だ。
「ルールなんて仙台さんだって破ってるじゃん」
「宮城も破りたいんだ?」
仙台さんが私の髪を軽く引っ張る。
「そういうわけじゃない」
「なら、私へのお願いってこと?」
「違う」
「じゃあ。――今のキスは命令でもお願いでもなくて交換条件ってこと?」
わかっているくせに、わざわざ尋ねてくる仙台さんが嫌いだ。
「嫌ならいい」
「嫌とは言ってない。ただ交換条件なら、もっとちゃんとしたキスしてよ」
仙台さんはそう言うと、肩にぺたりと額をくっつけている私を抱きしめた。
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