第30話

 久しぶりというほどじゃない。

 それでも制服が合服にかわっているから、仙台さんがいつもとは違う感じがする。そのせいか、自分の部屋にいるのに少し落ち着かない。


「宮城、なんかあったの?」


 仙台さんがブラウスのボタンを外しながら言う。


「なんで?」

「んー、なかなか呼ばれなかったから」

「忙しかっただけ」

「へえ」


 仙台さんは、忙しかった理由を聞かなかった。

 もちろん、聞かれたところで私も言うつもりはなかった。本当は忙しくなんてなかったのだから、聞かれても具体的な内容なんて答えようがない。


 私は麦茶とサイダーを持ってきてから、仙台さんに五千円を渡す。


「ありがと」


 そう言って、彼女はお金を受け取るとベッドに座った。


 私は、いつもと同じように五千円を受け取る彼女にほっとする。

 制服がブレザーからニットのベストになった以外、仙台さんは変わらない。相変わらず、ブラウスのボタンを二つ開けてネクタイを緩めている。


「それ、脱がないの?」


 テーブルを挟んで仙台さんの向かい側に座って、ベストを指さして尋ねる。すると、からかうような声が聞こえてきた。


「宮城はすぐ人を脱がせようとする」

「そういう意味じゃないから。仙台さん、ブレザー脱いでること多いじゃん」

「わかってるって。で、今日は何するの?」

「仙台さん、気が早い」


 今日は何の意味もなく仙台さんを呼んだ。

 だから、命令したいことがすぐには思い浮かばない。


「とりあえず宿題するから」


 勉強をしたいわけではないけれど、仙台さんを黙らせる方法が他にない。宿題を彼女にさせてもいいが、それでは私がすることがなくなってしまう。


 今日は何かをしていないと、いらないことをしてしまいそうで怖い。


「じゃあ、貸して」


 仙台さんがベッドから下りてきて、私の隣に座る。


「自分でするから、仙台さんは好きにしてていいよ」


 私は仙台さんの向かい側に座り直して、テーブルの上に数学の教科書とノートを出す。


「宮城が自分でするの?」


 仙台さんが大げさに驚く。


「そうだけど」

「今日は宿題しろって命令しないんだ?」

「しない」

「宮城が急に真面目になった」

「前から真面目だし」

「じゃあ、私も宿題しようかな」


 仙台さんがやる気のなさそうな声で言って、鞄から英語の教科書とノートを引っ張り出す。そして、プリントを何枚かテーブルの上へ置いた。

 すぐに紙の上をペンが走る音が聞こえてくる。


 私は数学の教科書に視線を落とす。

 数字にアルファベット、おまけに記号が並んでいる教科書を見ていると目眩がしてくる。数式に美しさを感じる人もいるようだけれど、私には解けない暗号が書かれているようにしか見えない。


 それでも問題を解かなければ宿題が終わらないから、頭の中から公式を探す。でも、習ったはずの公式はなかなか見つからない。


 仙台さんをちらりと見る。

 彼女は、綺麗な字でアルファベットを書き連ねていた。


 紙の上をペンが走る音は淀みがなくて、仙台さんには解けない問題なんてないみたいで羨ましくなる。


 私は中断していた数式との格闘を再開する。

 手を止めながらのろのろと問題を解いていく。


 宿題は思ったほど進まない。

 静かな部屋の中、時間だけが過ぎていく。

 数字を追う目がちかちかとして小さく息を吐き出すと、向かい側からペンが転がってくる。顔を上げると、仙台さんが私を見ていた。


「終わった?」

「終わらない」


 素っ気なく答えてペンを返す。教科書に視線を落とすと、つむじをつつかれた。


「痛い。仙台さん、邪魔しないでよ」

「教えてあげようか?」


 自分で考えるからいい。

 そう断る前に、仙台さんが隣にやってくる。


「教えてくれなくていいから」

「暇なんだけど」


 そう言いながら私のノートを覗き込んでくるから、肩を押して距離を取る。


「いつもみたいに漫画でも読んでればいいじゃん」

「ほとんど読んだし」

「新しいの買ったから、それ読んだら」


 一週間の間に漫画を二冊買った。

 暇を潰すなら、その二冊があれば十分だと思う。

 けれど、仙台さんは漫画ではなく、私のノートを奪って真ん中辺りを指さした。


「ここ、間違ってるよ」

「え?」

「これ、計算ミスってる。あとここ」


 仙台さんが自分のペンを取る。そして、頼んでいないのに、間違っているらしい部分をいくつか訂正しながら解説を始める。


 彼女の説明はわかりやすい。

 私にもわかるようにきちんと教えてくれている。

 ただ、距離がおかしい。


「ちょっと仙台さん、近い」


 少し距離を空けたはずなのに、制服が触れ合うくらい近くに仙台さんがいる。


「そう?」

「最近、馴れ馴れしい。鬱陶しいからちょっと離れて」


 私は仙台さんの腕を押して、彼女をテーブルの端に追いやる。


「鬱陶しいとか酷くない?」

「酷くない。それにくっついてると暑いし」


 まだ五月の半ば過ぎなのに、夏のように暑い日が続いている。相手が仙台さんじゃなくても、人とくっつきたくなるような気温じゃない。


「近寄られたくない理由ってそれだけ?」

「それだけ。あとは自分でやるから、仙台さんは向こう行って」


 私は本棚を指さす。

 ついでに買った漫画のタイトルも教えて、いつの間にか仙台さんの方に寄っていた教科書とノートを取り戻す。けれど、彼女は本を取りに行かなかった。何故か、離した距離を詰めてきて、教科書とノートを自分の方へ引き寄せた。


「暑いって言ってるじゃん」

「私は暑くないけど」

「嘘ばっかり。仙台さん、暑がりでしょ」


 冬の間、ファンヒーターの温度を高めに設定していたせいか、仙台さんはいつもブレザーを脱いでいた。


 私の丁度良いと彼女の丁度良いは違う。

 寒がりな私が暑いと感じるくらいの部屋で、仙台さんが暑くないわけがない。


「こうすれば涼しいでしょ」


 テーブルの端からエアコンのリモコンを取って、仙台さんが電源を入れる。


「勝手につけないでよ」


 私はリモコンを奪って電源を切る。


 なんなんだ、一体。


 仙台さんがこの前以上に絡んでくる。


「ねえ、宮城」


 相手にしていられない。

 私は彼女を無視して、教科書を見る。

 ペンを取って、やりかけの問題を解いていく。

 けれど、仙台さんも宿題を続けたいという私の意思を無視する。


「ここ」


 彼女の指先が私の首筋を撫でる。

 思わず顔を上げると、ぺたりと手が首に張り付いた。


「私が触ってる理由、わかるよね?」


 仙台さんが静かに言って、言葉を続ける。


「私が寝てるとき、なんでここにキスしたの?」


 彼女の手がもう一度私の首筋を撫でる。


「気がついてたなら、その場で聞けば良かったじゃん。なんで今聞くの?」

「質問に答えてから、質問しなよ」


 怒ってはいない。

 でも、優しい口調でもなかった。

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