宮城はいつだって機嫌が悪い
第258話
「いいじゃん、似合ってる。可愛い」
試着室のカーテンが開いて、私が選んだスカートをはいた宇都宮に声をかける。
「さっきのと、どっちがいいかな」
「んー、そうだなあ。さっきのもいいけど……。どっちか選ばなきゃいけないなら、こっちの方が宇都宮に似合ってるかな」
「志緒理はどう思う?」
「今はいてるスカートの方がいいと思うけど、舞香はどっちが好きなの?」
「それが、どっちも好きなんだよね。仙台さんが選んだスカート、どっちも可愛いんだもん。あー、石油王になりたい」
宇都宮がくるりと回って試着室の鏡に自分を映してため息をつくと、宮城が「石油王になったら私にもなにか買ってよ」と言ってくすくすと笑う。
平和だ。
宇都宮の洋服を選ぶという名目で集まって三時間ほどが経ち、二枚のトップスが選ばれ、今はスカートを選んでいる。今日の主役である宇都宮は、お店を何軒回っても嫌な顔をしないし上機嫌だ。試着だって喜んで何回もしてくれる。
本当に平和だと思う。
宮城の機嫌が良いことを除けば。
「じゃあ、こっちにしようかな」
宮城と楽しげに話していた宇都宮が、鏡に映った自分を見ながら言う。そして、ちょっと待ってて、と付け加えて、試着室のカーテンを閉めた。
今日は宮城の機嫌が良い。
宇都宮の前でずっとにこにこと笑っている。
昨日、「少しならいい」と言ってくれた三つ編みをさせてくれたし、メイクもさせてくれた。耳を出させてはくれなかったけれど、片側に編ませてくれた三つ編みは似合っているし、塗らせてくれた私が買ったリップも似合っている。スカートだってはいてくれた。
だから、いつも可愛い宮城が今日は特別に可愛い。
でも、試着室の前に立っている彼女は私を見ない。
宇都宮にだけ機嫌が良い。
「お待たせ」
試着室から宇都宮が出てくる。二枚のスカートのうち一枚をもとあった場所に返すと、残った一枚とともに彼女はレジに向かった。
店内にはそれなりに人がいて、レジにもそれなりに人がいる。
宇都宮はしばらく戻ってきそうにない。
私はざわつく店内に溢れる洋服を見ながら、近くとも遠くとも言えない絶妙な場所にいる宮城に向かって声をかけた。
「今日、どうしたの?」
「どうもしない」
宇都宮に向かって出すことのない素っ気ない声が返ってくる。
今日、機嫌が良い宮城は私にだけ機嫌が悪い。試着室の前で宇都宮を待っている間、一度も喋ってくれなかった。宇都宮は一回ではなく何回も試着をしたのに、一度も喋ってくれなかった。お店からお店へ移動するときも、隣を歩いてくれなかった。必ず間に宇都宮がいて、それが悪いというわけではないけれど、機嫌が良い宮城が遠かった。
こういう宮城が“どうもしない”わけがない。
本当は三つ編みもメイクもしたくなかったのか。
スカートをはきたくなかったのか。
そのすべてが悪かったのか。
考えてみるけれど、わからない。
今日の宮城はどれも嫌がらなかった。
もしかすると、私がポニーテールにしていることが悪いのかとも思ったけれど、家を出る前に文句を言われたりはしなかった。
「宮城」
返事はない。
これ可愛いよね、サイズあるかな、なんて声があちらこちらから聞こえてくるのに、宮城の声は聞こえてこない。うるさいのは店内だけだ。私はピアスを撫でて耳たぶを引っ張る。なにを言えばいいのかわからなくて黙っていると、宇都宮が戻ってくる。
「お待たせ」
沈黙しかなかった私たちの間に明るい声が響く。
「結構買ったね」
増えた荷物を見ながら言うと、宇都宮が笑顔で答えた。
「お年玉大放出。しばらく節約生活になりそう。今年はバイトしようかな」
「舞香、バイトするの?」
「春休みが終わったら、真面目に考えようかなと思ってる」
「そっか」
「朝倉さん、なんかいいバイト知らないかな」
「イベント行きたいって、バイトたくさんしてるもんね。朝倉さん」
私が知ることのない大学生活の一端が聞こえてきて、学祭で会った朝倉さんと宮城が変わらずに交流を続けていることを知る。
新しい情報は、私に喜びと苛立ちをもたらす。
宮城が大学で誰と仲が良くて、どんな話をしているかということを知ることができることは良いことだけれど、知ればその情報は嫉妬に変わる。私だけでは得ることができない情報を知っている宇都宮に、宮城と関係のある朝倉さんに、嫉妬せずにはいられない。
「そうだ。志緒理も一緒にバイトしない?」
聞き捨てならない発言が耳に入って、宮城が一緒にバイトをするのは宇都宮でも朝倉さんでもなく、私であるべきだと思う。
まあ、宮城がバイトをするなんて言うわけがないけれど。
「しない。バイトとか面倒くさいし」
思った通りの言葉が聞こえてくる。
「じゃあ、試着は? このスカートとか可愛いよ」
「今、試着は関係ないじゃん」
「せっかくだし、試着くらいしたら?」
「私はいい」
「えー、なんで? 仙台さんはどれがいいと思う?」
今度は思ってもいなかった言葉が聞こえてきて、私は宮城をじっと見てから店内に並んでいるスカートを見た。
白、黄色、黒。
チェックに水玉、そして花柄。
他にも色や柄はたくさんある。選ぼうと思ったらどんなスカートでも選べるけれど、宮城が宇都宮のように何回も試着をしてくれるとは思えないし、彼女の意思を無視して進んでいる話だから一回だけだって試着してくれるかどうかあやしい。
それでも私は、たくさんのスカートの中から青いロングスカートを選ぶ。
「これとかどう? パーカーみたいないつも宮城が着てる服とも合いそうだし。ちょっと着てみなよ」
今日は、ここへ来るまで私がクリスマスにプレゼントした青いマフラーが彼女の首に巻かれていたけれど、そろそろ使わなくなる。だから、代わりに青いスカートをはいてほしいと思う。私のピアスと同じ青とは言えない青でも、青という共通点があったら嬉しい。
「買わないし、試着の意味ないから」
素っ気ない声が聞こえてくるが、宇都宮がいるからさっきほど冷たくはない。
「志緒理、着るくらいいいじゃん」
「面倒くさいもん」
「すぐそういうこと言う。試着一回するくらい良くない?」
そうだよ。
ケチケチしないで試着くらいしなよ。
喉元まででかかった言葉を飲み込む。私が“試着”という言葉を口にしたら、宮城は絶対に試着してくれない。
「じゃあ、一回だけ」
宮城が仕方なさそうに言って、私から青いスカートを奪い、試着室に消える。やっぱり、宇都宮の言葉ならいうことをきくらしい。
「仙台さん。あんまり言うと志緒理が嫌がるから言わなかったけど……」
カーテンが閉まったままの試着室の前、宇都宮から笑顔を向けられる。
「今日の志緒理、めちゃくちゃ可愛い。ほんとは待ち合わせ場所で会ったときに、可愛いってもっと言いたかったんだけど、志緒理がもういいって止めるから」
私は宇都宮の言葉に、あはは、と笑う。
宮城は彼女が言うように、待ち合わせ場所で可愛いを連呼していた宇都宮を止めていた。その様子自体が可愛くて、思わず私が髪を編んでメイクもして、スカートを選んだと自慢してしまった。
今日の宮城は、私が作ったと言っても過言ではない。その宮城が褒められるのは嬉しい。独り占めしておきたい気持ちもあるにはあるけれど、宮城が誰よりも可愛いということを知ってほしくもある。
「仙台さんって、志緒理専属のスタイリストみたい。学園祭のときの志緒理も可愛かったし」
「ありがと。大学卒業したら、宮城専属スタイリストとして生きていこうかな。給料もらえそうにないけど」
「じゃあ、副業でバイトしないと」
「だったら、家庭教師続けようかな」
「続けるのカフェのバイトじゃなくて、家庭教師なんだ?」
「家庭教師の方がスタイリストする時間取れそうだから」
にこりと笑って答えると、宇都宮が「確かに」と笑う。
宮城に聞かせられないようなそんな話を二人でしていると、試着室のカーテンが開いた。
「……着たけど」
釈然としない顔をした宮城が宇都宮を見る。
「志緒理、可愛い。似合ってる」
「可愛いは余計。ほんとに似合ってる?」
「似合ってるって。ねえ、仙台さん」
「うん。似合ってる。すごく可愛い」
大きな声になりすぎないように、でも、百回分の可愛いを一回に凝縮して伝える。
「志緒理。他にも試着したいのない? っていうか、しない? 他のお店行ってもいいし、どうする?」
「これ買うからいい」
「え?」
宮城が宇都宮に向かって言った言葉に、思わず声が出る。
買うなんて言葉が出てくるとは思わなかった。
「なに?」
「なんでもない」
「着替えるから待ってて」
試着室のカーテンが閉まり、程なくして宮城が出てくる。そして、青いスカートを買った。
「パーカーじゃないの着てもいいから、これはくとき、ちゃんと選んで」
あまり愛想の良い声ではないけれど、レジから戻ってきた宮城が私にだけぼそりと言う。
「まかせて」
「次、どこ行く?」
宇都宮の声に宮城が「どこでもいい」と答える。
「仙台さんは買わなくていいの?」
「うん。先月、結構買い物しちゃったから」
「そっか」
宮城がどうして私が選んだスカートを買ったのかわからない。今日の宮城は宇都宮だけに機嫌が良い宮城で、私の隣には来てくれない宮城だ。宇都宮を真ん中にして、私から距離を取ろうとしている彼女が私の選んだものを買うなんてあり得ないと思う。
でも、嬉しい。
今日、宮城から一度も仙台さんと呼ばれていないけれど、そんなことは些細なことだ。
舞香は、舞香が、舞香に――。
宇都宮ばかりが名前を呼ばれていたが、私が選んだスカートを試着して、買って、コーディネートしてくれと言ってくれたから、帳消しにできる。今日、宮城と二人きりだったらなんて思ったり、笑顔を向けられる宇都宮に嫉妬したりしたけれど、彼女がいてくれて良かった。
「志緒理は見たいものないの?」
「別にないかな」
私と二人だけだったら、もう帰ろう、と言いだしそうだけれど、さすがに言わない。それでも帰りたそうには見える。だが、わざわざ三人で集まったのにもう解散というのは早すぎる。
「そうだ。見たいものがあるんだけどいい?」
「見たいものってなに?」
宇都宮が私を見る。
「ペンケース。家庭教師の生徒が高校に合格したから、お祝い。ちょっと見ていっていい?」
高校で使いたい。
そう言って、桔梗ちゃんからペンケースをリクエストされた。私が使っている宮城からもらった猫のペンケースを可愛いと言っていたから、合格祝いにほしくなったのかもしれない。
「もちろん」
宇都宮が明るい声で答える。
あてどもなく館内を歩いて、いろいろなお店を見て回ってもいいけれど、宮城が嫌がりそうだ。ペンケースを置いているような雑貨屋なら、宮城もそれなりに楽しく時間を潰せそうだと思う。
「じゃあ、次は雑貨屋で」
宮城はなにも言わない。
宇都宮が歩き出して、私たちは彼女を真ん中にして雑貨屋へ向かった。
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