第259話

 思ったよりもペンケースはたくさんあった。

 でも、予算が決まっているから、必然的に選べるものは絞られてくる。だから、雑貨屋についてすぐにプレゼントするペンケースが決まったけれど、それを口にはしない。


「どれがいいと思う?」


 あまりに早く目的を果たしてしまっても時間が潰れないから、二人に意見を聞いてみる。


「仙台さんが教えてる子のことわかんないしなあ」


 宇都宮が真面目な声で言う。


「二人の好みでいいよ。宮城はどう?」


 答えてくれないことはわかっている。それでも、今日まったく話してくれない宮城と喋るきっかけがほしいと思う。


「……今日、洋服選んでもらったお礼に舞香が答えるから」


 私の隣ではなく、宇都宮の隣から宮城の声が聞こえてくる。


「え、志緒理が聞かれたんじゃん」

「いいから早く」

「えー、私だったら――」


 私と宮城の間で宇都宮がじっとペンケースを見る。そして、少し考えてから花柄の可愛いペンケースを指さした。


「これかな。志緒理は?」

「これ」


 私の質問には答えてくれなかった宮城が、あっさりとペンギンの親子が描かれたペンケースを選ぶ。


 宮城にとって、私は邪険にできる相手で、宇都宮はそうではない相手だということはわかっている。だから、宇都宮から聞かれたら答えないわけにはいかないだろうけれど、釈然としない。


 かと言って、宮城に文句を言うわけにもいかないから「どっちも可愛いね」と微笑んで、花柄のペンケースとペンギンのペンケースを手に取った。


 どちらも二人らしいし、嫌いではない。

 特にペンギンのペンケースは宮城らしくて、買って帰ってペンちゃんと一緒に飾っておきたくなる。でも、ペンギンは桔梗ちゃんのイメージではないし、花柄は可愛すぎる気がする。


「ほんとはもう決まってるんでしょ」


 宮城の声が聞こえてくる。

 ここへ来る前から大体のイメージは決まっていたし、ネットでも調べておいた。そんなことを宮城が知っているとは思わないが、こういうとき彼女は無駄に鋭い。


「せっかく自分以外の人間がいるんだから、意見ききたいじゃん」


 私はにこりと笑って、ペンケースを二つとも元あった場所に戻す。


「そういうのいいから、どれにしたの?」

「これにしようかなと思ってる」


 私は帆布製のペンケースを手に取る。

 周りのものより少し大きなサイズのそれは、桔梗ちゃんがいつも使っているペンケースに近いサイズで、彼女がいつも使っているものよりも落ち着いたデザインのものだ。高すぎず、安すぎず値段も丁度良い。


「家庭教師の生徒って、そういうイメージなの?」


 宇都宮の明るい声が響くが、どれにしたのと聞いてきた宮城の声は聞こえてこない。視線だけがペンケースに向けられている。できればペンケースよりも私を見てほしいが、ここでそんなことを言うわけにはいかず、尋ねられたことへの答えを口にする。


「んー、もう少し元気な感じかな」

「そうなんだ」

「買って来るから待ってて」


 私はペンケースを手にレジへ向かう。

 宮城の機嫌は良くならない。

 良くする方法もわからないから、宇都宮に任せるしかない。


 レジ前の列に並び、お金を払い、ラッピングしてもらう。

 少し遠回りして、ゆっくりと歩く。


 今日、私がとびきり可愛くした宮城が私を見てくれなくても、私は宮城を見たいと思う。宇都宮を挟んでではなく隣で彼女を見つめたいけれど、宇都宮がいなければ今日の可愛い宮城を作ることができなかったから彼女を排除するわけにはいかない。


 それでも。

 それでも宮城の隣に行きたいと思う。


 そういう自分に罪悪感がないわけではないけれど、できるだけ近くで宮城を見たいという気持ちは止められない。


「……戻ろ」


 私は、はあ、と息を吐いて、元いた場所に戻って笑顔を作る。


「お待たせ。あっちに可愛いティッシュカバーあったけど見る?」

「見る見る。志緒理の部屋のワニに新しい仲間を選んであげないと」

「そんなにティッシュカバーいらないし」

「宇都宮の部屋の新しい住人を選ぶっていうのも悪くないかもよ」


 私たちはティッシュカバーを見て、アクセサリーをチェックして、食器を見る。宮城がシロクマのコースターに近づいていき、ただでさえ遠いのにさらに遠くへ行く。もっと彼女に近づきたくて「それほしいの?」と声をかけようとすると、宇都宮に腕を引っ張られた。


「仙台さん」

「なに?」

「また志緒理と喧嘩したの?」


 宮城に聞こえないような小さな声で尋ねてくる。


「え、なんで?」

「今日の志緒理、変だから。テンション高めなのに、仙台さんとはあんまり喋ってないっていうか……。なんか距離感おかしくない?」


 だよね。

 そう思うよね。


 宮城は不自然にならないようにしているのかもしれないが、私が話しかけなければ喋らないのは自然とは言えないし、絶対に私の隣にならないように歩くのも自然とは言えない。


「……やっぱりバレたか」


 喧嘩はしていないけれど、今は否定しない方がいい。下手に誤解を解こうとすると面倒なことになりそうだ。


「志緒理、今もちょっと距離とってるしね」

「まあ、ちょっと遠いね」

「早く仲直りするように言っとくから」

「ありがと」


 誤解を誤解のままにしてお礼を言うと、笑顔が返ってくる。


「ううん、こちらこそありがとう。今日、仙台さんが来てくれたからいい感じの服買えたし、選んでもらえて良かった」

「役に立ったなら嬉しいかな」

「またお願いしちゃうかも」

「なにをお願いするの?」


 少し離れた場所にいた宮城がぴょこんと現れて、宇都宮を見た。


「服選び」

「ふうん」


 気のない返事をして、宮城がホーローのマグカップを手に取って眺める。ロゴもイラストもないクラシカルなそれは、普段なら彼女が選ばないようなものに見える。


「服を選んだりするの好きだから、いつでも言って」


 私を見ない宮城にではなく、宇都宮に声をかける。


「仙台さんって人の服を選ぶの、ほんとに好きなんだね」

「まあね」


 洋服は見るのも選ぶのも好きだ。


 今までは自分のために選ぶことがほとんどで、誰かのために選ぶことを特別に好きだと思ったことはなかったけれど、今は違う。宮城のために選ぶことが好きで、そのおかげで宮城以外の誰かに選ぶことも楽しいことだと思えるようになった。


 もちろん、一番選びたいのは宮城で、その一番は絶対に変わらないけれど。


「だから志緒理の服も選んでるんだ」

「なかなか選ばせてくれないけど」

「私だったら選んでもらいまくりなんだけどな」


 宇都宮がしみじみと言うと、宮城がマグカップを置いて私を見た。


「……勉強教えるのは?」


 宮城のぼそりとした声が聞こえてくる。


「わりと向いてると思ってる」

「好きなの?」

「結構好きかも」

「へえ。好きなもの、あるじゃん」


 そう言うと、宮城が黙り込む。

 彼女の視線は私から赤いマグカップに向かい、注がれる。

 どうせ見るなら私を見てほしいけれど、その願いは宮城に届かない。


「志緒理、そのマグカップ買うの?」

「買わない。それよりお腹空いた」


 私は不自然な間が開かないように、宮城の言葉に自分の言葉を続けて二人に尋ねた。


「じゃあ、なにか食べようか。なに食べたい?」

「私はなんでもいい。志緒理は?」

「ハンバーグ食べたい」

「志緒理、ハンバーグよく食べるよね」


 宇都宮がくすくすと笑う。


「私もなんでもいいし、宮城のリクエストに応えてハンバーグが美味しいところに行こっか」


 スマホで近くのお店を調べてから、私たちは雑貨屋を出る。目的地は古めかしい洋館のようなお店で、中に入ると美味しそうな匂いがして、それほど空いていなかったお腹が小さく鳴った。


 宮城のためにハンバーグを作ったことを思い出しながら注文を済ませて、空いたお腹がまた鳴りそうになった頃に肉汁たっぷりのハンバーグがやってくる。三人で美味しいと言いながら綺麗に食べて、宇都宮と別れる。


 笑顔で手を振って、やっと私の隣に戻ってきた宮城と電車に乗る。そろそろ喋ってくれてもいいと思うのに話しかけても宮城は気のない返事しかしない。


 電車は揺れ続けるのに会話は続かない。

 宮城との会話を諦めた頃、隣からあからさまに不機嫌な声が聞こえてくる。


「……舞香となんか話してた」


 話しかけてくれるのは嬉しいけれど、あまり面白い話をするつもりはないらしい。


「なんかってなに」

「そんなの知らない」

「どこでのこと言ってるの?」


 宮城は答えない。

 また貝のように口を閉ざしてしまう。

 続く沈黙が重たい空気を連れてきて、息苦しい。


 いつもの駅で電車が停まり、二人で降りて家へと続く道を歩く。街灯が照らす歩道がいつもよりも暗く見える。どんよりした空気で、もやがかかったような時間の中、宮城が小さな声で言った。


「……ペンケース選んだあと」


 寒いのか宮城が青いマフラーをぎゅっと掴むと、私から逃げるように一歩前へ行く。


「え?」

「さっきの答え」


 唐突に電車に乗っていたときの質問の答えが投げつけられて、慌てて口を開く。


「あれなら、服選んでくれてありがとって言われただけ」


 嘘ではないが、宮城が聞きたいことではないと思う。彼女が求めている答えは「志緒理と喧嘩したの?」ときかれたことだろうけれど、それはわざわざ言う必要がないことだ。


「それ、二人で内緒話するようなことじゃないじゃん」

「内緒話はしてないよ。宮城が私たちから離れてただけ」

「……こそこそしてた」

「してないって」


 柔らかく言って、一歩前を歩いていた宮城の隣へ行くと、彼女の鞄の中からスマホの着信音が聞こえた。でも、宮城はスマホを出さずに歩き続ける。


「スマホ鳴ってたけど」


 私の声に、宮城が眉間に皺を寄せる。そして、仕方がないというようにスマホを取り出して画面を見ると、さらに眉間の皺を深くした。


「仙台さん」


 やっと宮城が私の名前を呼んでくれるが、あまりいい声ではない。棘がいくつも出ているような声音で、ポニーテールで露わになったうなじが寒くなる。


「……舞香になに言ったの?」

「今の宇都宮からだったんだ?」

「質問に質問返すのなしだから」

「私からは別になにも言ってないよ。で、宇都宮なんだって?」

「仙台さんに謝れって。……仙台さん、舞香に変なこと言ったでしょ」


 宇都宮が良い人過ぎて、こめかみの辺りが痛くなる。


 早く仲直りするように言っとくから。


 その言葉をこんなにも早く現実のものとしてくれるとは思わなかった。あまりにも早くて、タイミングが悪い。嬉しいけれど、宮城の機嫌がより一層悪くなっている。


「宮城と喧嘩した? って聞かれただけ」


 黙っていると余計に機嫌を損ねるだろうから、本当のことを告げる。


「なんで私が悪いみたいになってるの。喧嘩なんてしてないんだから、ちゃんとしてないって言っといてよ」

「言っても良かったんだけど、宮城が変だから喧嘩したって思ったって言われたから、喧嘩してないって言ったら、変だった理由を宮城が聞かれることになったと思うけどいいの?」

「……変じゃなかったもん」


 消えそうな声が聞こえてくる。


「変だったよ。私が話しかけないと喋ってくれないし、名前だって呼んでくれないし」


 責めるつもりはないけれど、責めるような口調になってしまって小さく息を吐く。

 楽しいはずの一日をこんな風に締めくくりたいわけではない。


 もう一度小さく息を吐くと、宮城が歩くスピードを上げた。それは私を置いていくくらいの速さで、思わず宮城の腕を掴む。


「どこ行くの?」


 早く帰って私が作った宮城を飽きるくらい見つめて、数え切れないくらいキスをしたいけれど、こんなところに取り残されたいわけではない。

 二人で家に帰りたいと思う。


「家」

「それはわかってる。家は逃げないんだから、もう少しゆっくり歩きなよ」


 宮城はなにも言わないし、歩くスピードも落とさない。

 私は彼女の腕を引っ張る。


「手、繋ごうか」


 彼女は今日、マフラーはしているけれど手袋はしていない。

 手を繋げば、体温を感じることができる。


「やだ」


 即答されて、私は腕を掴んだ手に力を入れる。


「じゃあ、ゆっくり歩いて」

「手を離してくれたら、ゆっくり歩く」

「宮城が先にゆっくり歩いてくれたら離してもいい」


 そう言うと、宮城が歩くスピードを落とした。

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