第134話

 クライマックスを過ぎて、エンドロールが流れる。

 仙台さんは画面を見続けている。


 途中、いろいろと話しかけてはきたけれど、この間のように映画に関係のない話はしてこなかった。問題があるとすれば、私たちの間にあった距離がほとんどなくなっていることだ。


 今、肩と肩が触れ合いそうなほど近くに仙台さんがいる。


 映画を見始めたときはこれほど近くなかった。

 もう少し距離があったはずだ。


「アニメってほとんど観ないけど、面白かった」


 映画が終わって、仙台さんがこつんと肩を当ててくる。腕と腕がぺたりとくっついて、触れている部分だけ感覚が鋭くなる。

 仙台さんの距離感がおかしい。

 映画の感想はこんなに近くにいなくても言えるし、もう少し離れてほしいと思う。


「それなら良かったけど。――いつまでこうしてるの?」


 私は繋がれた手を持ち上げる。


「宮城が離してって言うまで」

「じゃあ、離して」


 そう言うと、繋がったままの手がぎゅうっと痛いくらいに握られた。


「仙台さん、離して」

「そんなに私に触られるの嫌なの?」


 くっついていた腕が離れる。

 でも、手は離れない。

 力が緩められただけだ。


「なんでそんなこと急に聞くの?」

「嫌なら理由を聞きたいなって」

「仙台さんは私に触られるのやじゃないの?」


 彼女の質問に答えないまま新たな質問を口にすると、仙台さんが笑顔を貼り付けた顔を私に向けた。


「嫌そうに見える?」

「……見えない」

「じゃあ、今度は宮城が答える番」


 早く、と催促するように握った手に力が込められる。痛いほどではないけれど、答えずに逃げることを許さない雰囲気がある。


「別に嫌じゃないけど……」


 私は仕方なく口を開く。


「ないけど?」

「ないけど、今は離して」


 触られることは嫌なことではないし、手ぐらい繋いだっていいと思っている。でも、ずっと手を繋がれたままだと落ち着かない。映画を観ている間は気持ちを映画に向けることで繋がった手を気にせずに済んだけれど、映画は終わってしまった。


 だから、手は離すべきだ。

 でも、まだ手は繋がれていて、心臓の後ろになにかが隠れているみたいにそわそわする。


「仙台さん」


 抗議の意味を込めて彼女を呼ぶ。


「はいはい」


 ため息が聞こえてきそうな声とともに手が離される。

 私は自由になった手を握って開く。

 グーとパーを何回か繰り返しても、私の手のような気がしない。なんだか他人のもののような気がして手のひらを見ていると、仙台さんの声が聞こえてきた。


「映画終わったけど、なにかしない? ご飯にするには早いしさ」

「もう部屋に戻る」


 そう言って立ち上がろうとしたけれど、仙台さんに服の裾を掴まれる。


「もう少しここにいなよ」


 ぐいっと引っ張られて、カットソーの裾が少し伸びる。

 このまま無理矢理立つこともできるけれど、裾が伸びたカットソーを作りだすというのも面白くない。私は座り直すことを選んで、仙台さんに文句を言う。


「離してよ」

「さっき、触ったら罰ゲームって言ってたけど、それはしなくていいの?」

「しない。離して」

「宮城のせいで私のゴールデンウィーク潰れたんだけど」


 仙台さんが掴んでいた私の服を離して、自分の首筋を指さす。

 指の先には、私が付けた赤い跡がある。

 それは昨日もそこにあった。薄くはなったけれど今日も消えてはいない。


「もう少しくらい私に付き合ってくれても良くない?」


 鬱陶しいくらいの笑顔を仙台さんが向けてくる。


「……なにするの?」

「そうだなあ。宮城にメイクするとかどう?」

「やだ」

「いいじゃん。絶対に可愛くしてあげるから。髪も、ピアスがよく見えるようにしてあげる」


 仙台さんが私に手を伸ばして、髪に触る。そして、そのまま髪を耳にかけようとしてきたから、私は彼女の手を払いのけた。


「やだってば。髪、触らないで」


 思いのほか強い声がでて、自分でも驚く。仙台さんの笑顔が固まりかけていて、私は「ごめん」と付け加えた。


 髪を触られたくないわけじゃない。

 ピアスを見せたくないだけだ。

 でも、それを口にはしたくない。


 部屋の空気も半分凍ったみたいになっていて、対処に困る。どうすればいいかわからなくて立ち上がろうとすると、仙台さんが明るい声で言った。


「髪、触らないからメイクさせてよ。薄くでいいからさ」


 仙台さんが気を遣っているとわかるから、断りにくい。かといって、メイクをされたくもない。

 私は膝を抱えて、妥協案を口にする。


「他のことにしてよ」

「じゃあ、ちょっと着せ替え人形になって」

「着せ替えって、仙台さんの服を着るってこと?」

「そういうこと。宮城に似合いそうなの貸すから着てよ」

「どうしてそんな変なことしか言わないの」


 なんでもかんでも断りたいわけではないが、仙台さんの提案は受け入れにくいものばかりだ。もう少しまともなことを言ってほしいと思う。


「別に宮城のしたいことでもいいけど、なにかある?」

「……ないけど」

「ならいいじゃん。したいことがないなら、メイクか着せ替えかどっちか選んでよ」


 彼女のおもちゃになりたくはないけれど、どちらも嫌だという選択肢はないらしい。


 新たな選択肢を増やすために私がしたいことを考えてみるが、この部屋でしたいことなんて思い浮かばない。舞香とだったらなんとなく会話が繋がって、たわいもないことを話して時間を潰せる。

 でも、仙台さんとはこういうときになにをすればいいのかわからない。


 はっきりしていることは、メイクをしたところも、仙台さんの服を着たところも彼女には見られたくないということだ。どちらを選んでも、仙台さんは絶対になにか言うから見せたくない。


「宮城が選ばないなら、私が選ぶけど」

「どっちか選ばなきゃいけないなら、服貸して」


 メイクを選べば仙台さんに顔を触られるし、髪だって触られるに違いない。耳を触られてもおかしくない。そう考えると、服を借りる方がマシなことに思える。


 着せ替え人形になんてなりたくはないけれど。


 大体、仙台さんと私はスタイルが違う。

 スカートにしてもパンツにしても、ウエストが入るか気になるし、ファスナーが閉まらなかったら格好が悪い。顔の作りだって違うし、彼女の服が似合うとは思えない。


「じゃあ、着せ替えね。宮城、こっち向いて」


 仙台さんが膝を抱えている私の腕を引っ張る。


「どっち向いててもいいじゃん。早く服だしてよ」

「いいから、こっち」


 ぐいっとさらに腕を引っ張られて、私は渋々体の向きを変える。


「とりあえず服脱いで」


 そう言うと、仙台さんが当たり前のように私のカットソーの裾を掴んだ。そして、そのまま裾をまくろうとしてくる。


「ちょっと待って」


 私は慌てて彼女の手を押さえる。


「ん?」

「ん、じゃなくて。自分で脱ぐから出てってよ。っていうか、先に服だしてよ」

「服は、宮城が着ているものを脱いだら渡す。あと、出てってって、ここ私の部屋なんだけど」


 間違っているのは仙台さんのはずなのに、こっちが間違っているみたいに仙台さんが私を見る。

 確かにここは仙台さんの部屋だけれど、彼女の主張はおかしい。普通、服を渡さずに着替えさせたりはしない。


「だからなに? 服、先に貸して」


 手を出して催促する。

 でも、仙台さんは服を渡してくるどころか、私に近づいて手をカットソーの裾からするりと中へ滑り込ませた。手のひらが脇腹を撫でる。


 さわさわと手が体の上を這って、肋骨に触れる。

 くすぐったくて、私はいらないことしかしない手をカットソーの上から捕まえた。


「仙台さん、やっぱりエロいことしか考えてないじゃんっ」

「エロいことなんて考えてないって。早く脱ぎなよ。脱がないと、服着られないでしょ」

「絶対に脱がないから。とにかく着替えが終わるまで外にいてよ。あと、服も先に用意して」

「駄目。私がいるところで着替えるのが嫌なら、メイクにしなよ。それなら服を脱がなくてもいいでしょ」


 答えは最初から決まっていた。

 いつも仙台さんはそうだ。

 選択肢を用意するくせに選ばせてくれない。


「仙台さん、むかつく」


 やけに近くにいる彼女を睨むと、脇腹にくっついていた手が服の中から出ていく。


「宮城、もう一度選ばせてあげる。メイクと着せ替え、どっちがいい?」

「……仙台さんの好きにすればいいじゃん」

「じゃあ、メイクね」


 そう言って、仙台さんがそれなりの大きさのケースを持ってくる。そして、私の前に座り直すと、髪はなるべく触らないようにするから、と付け加えた。

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