仙台さんには見せたくない

第133話

 仙台さんはなにも変わらない。

 キスをした翌日も、今朝も、お昼ご飯を食べたあとも、キスをする前と同じ顔をして同じ声で喋っていた。


 もちろん私だって変わらない。

 今までに何度もしたことを久しぶりにしただけのことだ。


 これまで仙台さんからされたことでどうしても嫌なことはなかったし、今回のことも嫌なことじゃなかった。私も彼女を止めなかったのだから、罰ゲームだって必要ない。

 ただ、約束を破った仙台さんがいつもと変わらない態度でいることに文句がある。


 ルームメイトになろうって言ったのは仙台さんなのに。


 これから映画を一緒に観る約束をしているけれど、彼女が“なにもしない”という約束をまた破りそうで落ち着かない。


 私は耳に手をやる。

 指先でピアスを触る。

 この小さな飾りに約束を破らないと誓ってもらうこともできる。でも、あまり耳を見せたくない。


 テーブルの上に鏡を置いて、髪を耳にかける。

 小さなスタンドミラーに映るピアスを見る。


 ピアスホールが安定するまで約一ヶ月。

 外すわけにはいかない。

 早く新しいピアスに変えたいわけではないけれど、仙台さんが似合うだとか可愛いだとか変なことを言ってきたせいでこのピアスが気になる。彼女の目から隠しておきたくなる。


 いつだって仙台さんは余計なことしか言わない。


 耳にかけた髪を戻して、時計を見る。

 約束の時間が近づいている。


 鏡を片付けようとして、唇に目がいく。

 一昨日、私の頬に触れた仙台さんの手が熱かったことを思い出す。なかなか閉じなかった目がやけに真剣だったことも、触れた唇が柔らかかったことも記憶の底から顔を出す。


 私は指先で唇を撫でる。

 少し前にもこうして唇に触れたことがある。

 メイクをしてあげるという仙台さんの唇を拭って、やっぱり今日のように鏡を見て――。


 私の視線は目の前の鏡に固定され、その中に指先で唇に触る自分を見つけて思わず鏡を手で覆う。


「あっ」


 皮膚を通して感じる冷たさに後悔する。慌てて鏡から手を離すと、べたりと指紋がついていた。


「あー、もうっ。なにもかも仙台さんのせいじゃん」


 私は立ち上がって、部屋を出る。

 仙台さんの部屋の前に立って、息を吸って吐く。ドアを二回叩くと、中から「どうぞ」という声が聞こえてくる。私はもう一度、息を吸って吐いてからドアを開けた。


「ちゃんと来たんだ」


 ベッドを背もたれにした仙台さんが意外そうな声で言う。


「来ない方が良かったなら部屋に戻る」


 来るな、という意味を持つ言葉ではないとわかっているけれど彼女に背を向けると、ドアを閉める前に声が聞こえてきた。


「入りなよ」


 珍しく優しい声に振り向くと、仙台さんが立ち上がってふわふわとした淡い色のスカートが揺れた。

 最近、彼女はスカートを履いていることが多い。制服のスカートとは違うけれど、高校生だった頃の仙台さんを思い出す。


 私は相変わらずデニムパンツを愛用していて、でも、仙台さんは私にスカートを履いたらとここに来てから一度言ったきりで、それ以来同じ言葉を口にしていない。彼女はいつも対処に困るような言葉を気まぐれに言うだけだ。


「来ないと思ってたから。……あれくらいなら出て行ったりしないし、部屋に来てくれるんだ?」


 意味のわからない質問とともに、仙台さんが私の腕を掴む。そして、私を部屋に引っ張り入れる。


「出て行ったりしないってなに?」

「わからないならいい」


 曖昧に仙台さんが笑う。

 どういう意図でされた質問か気になってもう一度問い返そうとしたけれど、私から言葉を奪うように仙台さんが「映画、宮城の好きなのでいいよ」と言った。そして、「はい」とタブレットを渡してくる。私は、仕方なく彼女の隣に腰を下ろす。


 体の片側がぴりぴりする。

 仙台さんに近い肩や腕に電気が流れているみたいで落ち着かない。血の流れを感じられそうなくらい片側だけが敏感になっていて、彼女から少し離れる。


「触ったら罰ゲームだから」


 私は、仙台さんとの間にカモノハシのカバーがかかったティッシュを置く。これから観る映画を決めるべくタブレットに視線を落とすと、隣から不自然に明るい声が聞こえてきた。


「たぶん、宮城が考える罰ゲームは罰ゲームにならないよ」

「なにそれ、どういうこと?」


 タブレットから顔を上げて仙台さんを見る。


「ちょっとした警告。罰ゲームが私にとって楽しいことかもって」

「仙台さんにとって楽しいことを罰ゲームにするつもりないから」

「楽しくないことを罰ゲームにするってこと?」

「当たり前じゃん」


 断言すると、仙台さんがカモノハシの頭をぽんっと叩いた。


「宮城が考える楽しくないことと、私の楽しくないことは違うかもね」


 罰ゲームを回避するためのものなのか。

 それとももっと別の意味があるものなのかわからないが、私が考える楽しくないことが仙台さんにとって楽しいことだとしたら問題だ。


 今まで仙台さんは、普通なら断るような命令にも従っている。足を舐めてと言ったときも、目隠しをしたときも断らなかった。罰ゲームが楽しいことだと本気で言っていても不思議じゃない。


「仙台さんの変態」

「私、変態だって言われるようなこと言ってないし、してないけど」

「絶対になんか変なこと考えてる。あ、エロいことでしょ」


 急にキスしたいと言いだしてそれを断ったのに、その日の夜にはキスをしてくるような人だ。それ以上のことを考えていてもおかしくはない。


「エロいことなんて考えてないよ」


 仙台さんがわざとらしくにこりと笑う。

 彼女の頭の中を覗けるなら覗いてみたい。

 にこにこ笑って変なことを考えていないと言われても信用できない。


「絶対に嘘でしょ。仙台さん、エロ魔神じゃん」

「それ、やめて。私がエロいことしか考えてないみたいだから。あと、エロいこと考えてるでしょって言う宮城の方がエロい。そういうこと考えてないと、エロいなんて台詞でてこないんだし」

「私は考えてないから。仙台さんの変態、すけべ」


 タブレットを床に置いて、代わりにカモノハシの体を掴む。そして、仙台さんの腕を結構な力を込めて叩く。彼女の体に二回カモノハシが当たって、仙台さんがくすくすと笑う。


「ごめん。全部冗談だから。映画、選んで」


 はい、とタブレットをまた渡される。

 私は仙台さんを軽く睨んでから、いくつも表示されている映画のタイトルを見る。


 この間は、仙台さんが途中で飽きてしまうような映画を選んで面倒なことになった。だから、今日は彼女が大人しく最後まで観てくれそうなものを選びたい。でも、仙台さんが喜びそうなホラーは観たくない。


 頭の中にいくつかの映画が浮かぶ。

 私はその中から過去にテレビで何度も放送されていて、大人にも子どもにも好まれているアニメ映画のタイトルを口にする。そして、「観たことある?」と尋ねた。


「ないけど、宮城は観たことあるんじゃないの?」

「あるけど、好きな映画だから」


 目当ての映画を探して、再生する。

 隣にいる仙台さんが気になる。

 やっぱり彼女に近い肩も腕もぴりぴりしている。

 仙台さんが二人の間にいるカモノハシをこの前と同じようにベッドの上に置く。


「ちゃんと映画観てよ」


 そう言ってほんの少し仙台さんから離れると、彼女が離れた分だけ近づいてくる。仙台さんの腕をべしりと叩くと、「観る」と短い言葉が返ってきて手を掴まれた。

 軽く握られただけだから痛くはないけれど、静電気でパチッとなったときのように腕が反応する。思わず手を引きかけると、仙台さんが私の手を強く握った。


「映画、ちゃんと観るから大丈夫」


 仙台さんが正しいことのような、そうではないようなことを言う。


「嫌なら離すけど」


 小さな声で付け加えられる。


 まあ、手くらいなら。

 それくらいなら許してあげてもいい。


 手を握り返したりはしないけれど、私は彼女の手はそのままにタブレットへ視線を戻した。

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