私の隣には宮城がいる

第236話

 一年がもうすぐ終わる午後十一時四十六分。


 鍋とプリンを片付けたテーブルの上には、食べかけのポテトチップスと半分飲んだ麦茶とサイダー。そして、ベッドを背もたれにした私の隣には機嫌が良くも悪くもない宮城がいる。


「仙台さんって、除夜の鐘ついたことある?」


 愛想のない声の後、ポテトチップスを袋から取り出す音が聞こえてくる。


「ないけど、除夜の鐘つきに行きたいの?」

「寒いし、行かなくていい。初詣行くような人なら、除夜の鐘もついたことがあるんじゃないかと思って聞いただけ」

「お参りしておみくじ引いたことしかない」

「ふうん」


 自分から聞いてきたわりには興味がなさそうな声を出し、宮城がポテトチップスを一枚食べる。


 どうかしている。


 宮城が大人しく鍋を食べて、隣に来てプリンも一緒に食べてくれて、今はどうでもいい話をしている。


 それだけではない。


 彼女は今日、予告もないままバイト先まで来てくれたし、澪と能登先輩を阻止するという約束を守れなかった私と一緒に帰ってくれた。


 本当にどうかしている。


 宮城は、大晦日だからなんて理由で私にとって良いことをしてくれたりしない人間だ。天気が良くても雨が降っていても、不機嫌な顔をして私を蹴ったり、噛みついたりしてくる。


 私は手を伸ばして、宮城の頬に触れる。

 眉間に薄く皺が寄って、でも、逃げ出したりはしない。

 唇に指先を這わせ、感触を確かめるようにキスをする。ピアスに触れて、唇にしたように耳にもキスをすると、肩を押された。


「そういうことしていいって言ってない。大人しく新年迎えてよ」


 部屋に低い声が響くけれど、肩を押す力は強くない。

 私とは違って、宮城は大晦日を特別なものだと感じているようには見えないが、この部屋で一緒に過ごすことを受け入れてくれている。


 それが嬉しくて宮城にもっと近づく。

 唇にもう一度キスをして、澪に志緒理ちゃんと呼ばれ、能登先輩に宮城ちゃんと呼ばれた彼女に私の体温を移す。


 澪も先輩も宮城に興味を持っているけれど、それは私とは違う意味のものだ。私のようにキスをしたいと思ったりしないはずだし、触れたいと思ったりはしない。


 そんなことはよくわかっている。


 彼女たちは私のルームメイトがどんな人間か気になっているだけで、友人として仲良くなりたいだけだ。でも、他意はないとわかっていても、宮城に新しい関係が生まれつつある場面を黙って受け入れられるほど私の心は広くない。澪と先輩が宮城に結びつけようとしている紐を解いて、見知らぬ誰かに括り付けたくなる。


 今も気持ちが落ち着かない。

 宮城が私の知らないところへ行ってしまいそうで怖くなる。


 身勝手でつまらない嫉妬をしていると自分でも思うけれど、宮城が私にだけ許してくれることをして気持ちを落ち着かせたくなる。


 重なった唇から伝わってくる体温は心地が良い。

 でも、足りない。


 舌先で宮城の唇をつつく。

 もっと宮城がほしいと思うけれど、唇は開くことなく私から離れていこうとする。私は宮城の腕を掴んで引き寄せ、文句を言おうと開いた彼女の唇を塞いで舌を押し込む。ブラウスの裾から手を入れて脇腹を撫で、舌を彼女のそれに絡ませると、文句を言えない宮城に強く舌を噛まれて肩を押された。


「仙台さん」


 低い声で名前を呼ばれる。


「少しくらいいいじゃん。もうすぐ今年が終わるんだし」

「今の少しじゃなかった。さっきも言ったけど、大人しく新年迎えてよ」


 宮城が服の中に入れた私の手を引っ張り出して、床へ押しつける。


「じゃあ、宮城からキスして」

「もうキスしたじゃん」

「宮城からはしてもらってない。大人しく新年迎えてほしいんだったらキスくらいしなよ」

「むかつく」


 不機嫌な顔をした宮城が立ち上がる。部屋を出て行ってしまうのかと不安になって、宮城の服を掴む。でも、彼女はベッドに寝かせているペンギンのぬいぐるみを取っただけで部屋から出て行ったりはしなかった。


「そんなにキスしたいならペンギンとしてれば」


 隣に座り直した宮城がペンギンを押しつけてくる。

 仕方なく受け取るが、キスはしない。


 ペンギンは触り心地は良いけれど、宮城の唇のように温かくはないし、柔らかくもないから彼女の代わりにはならない。代わりにするなら、宮城がいないときだけで十分だ。

 私はペンギンを抱きかかえ、スマホで時間を確認する。


 午後十一時五十七分。

 もうすぐ年が明ける。


「宮城、これ見てて」


 スマホに大きく時計を表示させ、宮城に見せる。


「なんで時計なんて見てなきゃいけないの」

「年明けの瞬間、一緒に見たいかなって」


 宮城からキスをしてほしいと思うけれど、ああでもないこうでもないと言い争っているうちに年が明けてしまったら勿体ない。宮城の体に触れることができるかどうかはわからないが、キスなら新年を迎えてからでもできる。


「カウントダウンならしないから」

「しなくていいから、十二時になる瞬間を一緒に見ようよ」


 ペンギンをベッドに戻して、スマホを持った手を宮城の太ももの上に乗せる。顔を見ると眉間に皺が寄っていたが、宮城はなにも言わずに視線をスマホに落とした。私たちは時計をじっと見る。時間はどんどん過ぎていき、一月一日まで残り十五秒を切る。


 宮城は宣言通りカウントダウンをしない。

 私は心の中で、数を数えていく。

 五、四、三、二、一。


「あけましておめでとう」


 宮城に声をかけると、「あけましておめでとう」と返ってくる。私はスマホを自分の方へと引き寄せ、宮城の写真を黙って一枚撮る。


「勝手に写真撮るのなしだって言ったじゃん」


 文句とともに手が伸びてきて、私は宮城からスマホを隠す。


「新年だし、いいでしょ」

「理由になってない」

「記念に一枚くらいいいじゃん。せっかくだし、二人でもう一枚撮ろうよ」


 やだとか、ずるいとか、眉間に皺を寄せた宮城が棘のある声を投げつけてくるが関係ない。一年の最後の日が特別なように、一年の最初の日も特別だ。なにをしてもいいわけではないけれど、写真を撮るくらいのことは許されるべきだと思う。


「宮城」


 腕を引っ張って、引き寄せる。

 宮城がわざとらしく、はあ、と息を吐いて「一枚だけだから」と言う。私は聞こえなかった振りをして、二人並んだ写真をカシャカシャと撮る。三枚、四枚と写真が増えて、その間にメッセージが何通か届く。宮城のスマホも着信音を響かせて、メッセージの到着を知らせる。


「ちょっと待ってて。返事する」


 宮城に声をかけると「私も」と返ってきて、二人でスマホに視線を落とす。

 画面には、新年を祝う言葉が並んでいる。送り主は大学の友だちや宇都宮、それに羽美奈たちで、一つ一つに同じような言葉を返す。


「澪と能登先輩、宮城によろしくだってさ」


 メッセージは当然、澪と能登先輩からも届いていた。そして、そこには私にだけではなく宮城宛てのメッセージが添えられていた。


 澪からは、志緒理ちゃんにもおめでとーって言っといて。


 先輩からは、宮城ちゃんにもあけましておめでとうって伝えておいて。


 志緒理ちゃんと宮城ちゃんとは言いたくないから、大雑把にメッセージを伝えたものの、宮城は難しい顔をしている。


「……よろしくって伝えといて」


 面倒くさそうな低い声が聞こえてくる。

 宮城が積極的によろしくしたくない気持ちはわかる。

 二人は彼女にとって苦手なタイプのはずだ。


「今、伝える」


 わざわざ伝えるようなことでもないけれど、二人に宮城の言葉を伝えておく。すぐに返事がきて、澪が志緒理ちゃんと話したいと言いだしているが、それは適当にあしらう。


「こっちも、亜美が仙台さんにおめでとうって言ってる」

「また話そうって言っといて」

「……うん」


 宮城が静かに返事をして、黙り込む。


 私は、澪や先輩のような賑やかなタイプは嫌いではない。沈黙が続くと相手がなにを考えているか気になって落ち着かないから、喋っていてくれた方がいい。何にでも首を突っ込みたがる澪は面倒なことを引き起こすこともあるけれど、あれくらい騒がしい方が安心できる。


 でも、宮城に対しては違う。


 彼女が黙っていても、不機嫌でも、隣にいることが苦にならない。

 なにを考えているのか気にはなるけれど、沈黙も楽しめる。


 私は喋らない宮城の手を握る。


「宮城、初日の出見る?」

「どこか行くの?」

「行かない」

「家から見るのも初日の出なの?」

「どうだろ。正確にはわからないけど、家から見たっていいんじゃない」

「適当じゃない?」

「適当でいいじゃん。時間とか調べて、一緒に見ようよ」

「見なくていい。お風呂入って寝る」


 宮城が断言して繋いでいる手を離し、立ち上がろうとする。

 彼女は初日の出を見ることについて最初から乗り気ではなかったが、このまま帰したくはない。


「じゃあ、後から私もお風呂入るし、出たら部屋に呼びに行ってもいい? もう少し話そうよ」

「眠いし、寝る」

「寝てたら起こす」

「……勝手にすれば」


 宮城が新年とは思えない不機嫌な声で言った。

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