仙台さんとの当たり前
第87話
仙台さんに触られることは嫌なことじゃない。
でも、仙台さんは一つ許せば調子に乗って、許した以上のことを求めてくるからなんでも許すわけにはいかない。
ただ、交換条件を受け入れ、大人しく私の話に耳を傾けようとしている仙台さんには好感が持てる。
私は、音楽準備室の片隅に置いてあった古びた椅子に座る。
「足、舐めて」
仙台さんは、この言葉を過去に何度も聞いている。それでも、彼女は驚いた顔をした。
「え?」
「聞こえなかった? 足を舐めてって言ったんだけど」
「……ここで?」
「ここでできたら、触ってもいいよ」
私の命令を仙台さんがきかなかったことはほとんどないけれど、それは家の中だけのことで、さすがに学校で足を舐めたりしないと思う。
できないと思うからこそ、交換条件として選んだ。
仙台さんが断りたくなるような条件ならなんでも良かったけれど、他に彼女がすることを躊躇うような命令は思いつかなかった。交換条件として成立しなければ仙台さんも諦めるしかないはずで、わりと穏便な方法だ。
「ここ、学校だってわかってるよね? 宮城の部屋じゃないんだよ。旧校舎になんかあんまり人来ないけどさ、誰かに見られたらどうするの。交換条件にしても行き過ぎてるでしょ」
案の定、仙台さんが交換条件を受け入れない理由を並べる。
「できないってことでいい?」
問いかけると、彼女は準備室の入り口を見た。
何を考えているのか瞳が揺れる。
私は彼女が迷っているうちに答えを決めてしまう。
「交換条件はなし。それでいいでしょ。もう帰るから、仙台さんあとからうちに来てよね」
まだ話があるにしても、家に帰ってからでいい。
今日の仙台さんは聞かれたくないことばかり聞いてくるから家でも話をしたくないけれど、このままここで話を続けるよりはいいはずだ。家でなら命令で話を打ち切ることもできる。
私は椅子から立ち上がり、鞄を手に取る。そのまま出て行こうとすると、仙台さんに声をかけられた。
「待って」
そう言うと、私が口を開く前に椅子を持ってくる。
「座りなよ。足、舐めてほしいんでしょ」
「無理しなくていいよ」
「無理してないから。黙って座りなよ」
「誰か来たらどうするの?」
「そのときは、宮城に命令されたって言うから大丈夫」
「それ、私が大丈夫じゃないじゃん」
「大丈夫じゃなくても、自分で出した交換条件なんだから座りなよ」
さっき、仙台さんは迷った。
すんなりと従わなかったところを見ると、受け入れがたい交換条件だったことに間違いはない。それでも彼女は従うと決めた。
仙台さんが躊躇うような条件を呑んでまで叶えたいこと。
それは、私にとって良いことだとは思えない。
「……仙台さんがここまでしてしたいことってなに?」
「触りたいだけって言ったと思うけど」
「ほんとにそれだけ?」
「そうだよ。宮城が怒るようなことはしないから」
仙台さんが真っ直ぐに私を見て言う。
落ち着いた声は、嘘をついているようには思えない。けれど、私が怒らない程度に触るくらいのことがしたくて、ここで足を舐めることを受け入れたとは考えられなかった。大体、彼女がこんなことを望む理由がない。そして、そうしたことを望むきっかけだってなかったはずだ。そもそも、本気で言っているとも思えない。
それでも、仙台さんが今、私だけを見ている。それは、どうして交換条件を受け入れたかという疑問を些細な問題にしてしまう。
仙台さんのブラウスはボタンが二つ目まで外されていて、ネックレスが見える。あれが首元にある限り、仙台さんは私のものだと思える。
卒業式まではこうして私だけを見ている仙台さんであるべきで、今はそれが叶っている。そう思うと、悪い気はしなかった。
「宮城、早く座りなよ」
交換条件を持ち出したのは私だ。
仙台さんの言葉に従うわけではなく、自分の言葉に責任を持つために椅子に座る。仙台さんがゆっくりと膝をつく。そして、私の上履きとソックスを脱がせた。
音楽準備室の扉は閉まっている。
けれど、不安なのか仙台さんが入り口を確かめるように見た。
廊下から声が聞こえることも足音が聞こえることもなく、彼女が小さく息を吐く音だけが聞こえてくる。
舌ではなく、指先が足の甲を這う。
柔らかく押しつけられる指がくすぐったくて、仙台さんの足を軽く蹴る。
「そうじゃなくて、舐めて」
私の言葉に応えるように、仙台さんが踵を掴む。足が少し持ち上げられて、彼女の顔が近づく。指の付け根辺りに舌ほどは湿っていないものが押しつけられて、すぐにそれが唇だとわかった。小さな音とともに唇が何度か足の甲にくっつく。
舐めて、という言葉に従わない仙台さんに抗議をするように足を唇に押しつけると、唇よりも熱くて湿ったものが足首に向かって動いた。
「これでいい?」
仙台さんが顔を上げて尋ねてくる。
「だめ」
いいわけがない。
最終的にやると決めたのは仙台さんだ。
適当に誤魔化して、それで終わりなんて許されるわけがない。
「ちゃんと舐めてよ。それ、唇つけてるだけじゃん」
「たいして変わらないと思うけど」
「変わる」
断言すると、仙台さんが私の足を引っ張って親指を噛んだ。加減はされていたけれど、結構な力で歯が立てられたせいで痛い。文句を言いたくて口を開く。けれど、なにか言う前に足の甲を舐められる。
舌先が足の甲を這って、足首を上っていく。
生暖かい舌が肌の上を撫でるように動く感触は、それほど悪いものじゃないと思う。
初めて仙台さんに足を舐めさせたときは、自分から言い出したものの少し気持ちが悪かった。けれど、接点なんてまったくなかった仙台さんみたいな人が私の命令をきいて、足を舐めていることに優越感に似たなにかを感じた。
でも、今はあのときとは違う。
骨の上を滑る舌は、背骨の辺りをピリピリとさせる。まるで電気が流れているような感覚は、気持ちの悪さとは異なるものだ。
足に少しだけ力を入れて仙台さんの舌に押しつけると、舌先がぴたりと足にくっつく。そして、逃げることなく押し返される。
彼女の体温は、暖かいとは言えない教室にいるととても心地が良かった。同時に、こんな条件を受け入れるくせに譲ってくれないことがある仙台さんに不満を感じる。
どうして。
どうして、仙台さんは県外の大学に行くんだろう。
執拗に私の志望校を変えさせようとしてくるのに、自分が変えるつもりはない。
いや、仙台さんが県外の大学にこだわる理由が彼女の家族にあるだろうことはわかっている。でも、学校でこんなことまでするのに、私が一度だけ口にした「ここに残って」と言う言葉を考えてくれもしない仙台さんに苛立ちを感じる。
理由が想像できても、納得できない。
だから、仙台さんには言いたくない。
舞香には同じ大学を受けようと思っていると話したけれど、同じことを彼女に言えば、私が仙台さんを追いかけようとしていると思われそうで嫌だ。
でも、気にはなっている。
このことを話したら、仙台さんは私に触れている舌で、唇で、そして優しそうで私にはそれほど優しくない声で何と言うだろう。
「宮城、まだするの?」
私が知りたいこととは違う言葉が聞こえてくる。
「続けてよ」
彼女を軽く蹴る。
一瞬、仙台さんが顔を顰めて、すぐに視線を落とす。
けれど、舌でも唇でもないものが私の足に触れる。彼女の指先がくるぶしを撫で上げ、ふくらはぎを駆け上がる。スカートがたくし上げられ、膝に柔らかな唇が触れてぬるりと舌が這う。
緩く、ときどき強く舌が膝を撫でる。
それは明らかにさっきとは違う舐め方で思わず足を引いたけれど、すぐに引き戻された。
心臓がぎゅっと縮んだみたいに苦しい。
仙台さんは、こぼれた液体を拭うみたいに私の足を舐め続けている。
ヤバい、と思う。
考えたいわけではないが、記憶が蘇る。
夏休み最後の日、私の部屋で、仙台さんが。
息を止めて、流れ出す記憶とともに吐き出す。
油断するといつもこうだ。
この前、指を舐めてと命令したときだって普通に従ってはくれなかった。舐めるという行為に別の意味を感じそうになるやり方をした。
「ストップ。もう終わり」
私は、仙台さんの頭を膝から離すように押した。
でも、離れるどころか強く吸われて、甘噛みされる。
夏休み、仙台さんとああいうことをしてもいいと思った。それは確かなことだけれど、今はああいうことをするべきじゃないと思っている。
このまま続けてもいいなんて思いかけている私は間違っている。
この気持ちは、仙台さんに向けていいものじゃない。
膝の少し上に唇が触れる。
「仙台さん、ちょっと。止めてよ」
音楽準備室の片隅、大きな声は出していないけれど彼女に聞こえないはずがなかった。
けれど、仙台さんは私のスカートを太ももの真ん中辺りまでめくって、太ももの内側に唇をつけた。
隠れていた部分が教室の冷たい空気にさらされて寒いはずなのに、仙台さんが触れたところだけ熱い。
唇がもう一度押し当てられて、ちゅっ、と小さな音が聞こえる。
――これ以上は駄目だ。
彼女の手がするりとスカートの奧に入り込もうとして、私は仙台さんの頭を押さえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます